川口はいいところよ・・  ようこそ新潟へ

新潟県中越地震震源地から今年で早や12年。そげ落ちた信濃川の河岸段丘の表土も自然の力で草木が戻りました。

合併と住民投票Ⅱ    修行僧

2007-02-04 22:42:31 | ワブログから引っ越しました
明日は合併先を選ぶ(選んでいただけるか?)の住民投票です。



今日の朝日新聞26ページ目のほぼ1面を使用して川口町の合併投票について特集しています。以下抜粋します。



《経緯》

昨年8月、合併の相手先を住民にたずねる意向調査を実施

(回収率82%)

☆結果  長岡市         約29%

     小千谷市とともに長岡市 約27%

     小千谷市        約22%

     魚沼市         約19%



町は上位2つを合わせ「過半数が長岡市」と判断し、町議会の論議を経た上で、長岡市に合併協議を申しいれ、小千谷市にも参加を促した。

しかし、町民の一部から「小千谷市とともに長岡市」は、「小千谷市との合併をもとめているとも受取れる」との異論がでて、住民投票を求めた。



町には4年前、小千谷市から求められた合併協議の要請を断った経緯がある。このことも、町民の合併論議を複雑なものにしている。



《両派の主張》

☆小千谷派

・長岡市と合併すると、飛び地となる

・「飛び地でも」というのは川口本位の考えで小千谷の市民感情を害する

・小千谷とは、長期間広域行政や民間の互助団体をともにしてきた

・歴史的にも地理的にも一体感があり、合併による変化が小さい

・除雪1つを取っても、十分手当てしてもらえなくなる恐れがある



☆長岡派

1月28日に町生涯学習センター体育館で町長後援会主催の新年会が開かれた。480名規模で、長岡への投票を呼びかけた発言が相次いだ。

・小千谷は川口を意思がないと明言し、長岡は受けて立つといっている

・早く合併しないと第二の夕張市になる可能性がある

・将来を見据えれば長岡市しかない

・魚野川や温泉、簗場の観光資源がもっと生かせるようになる



《町議会議員の動向》

14名のうち、長岡に投票を薦めるチラシに9名が名を連ねた。



《合併相手先の考え》

大小の違いはあっても両市長とも川口町との合併には慎重だ。

☆谷井小千谷市長(人口約4万人)

「申し入れがあれば話しはうかがうが、私の一存でどうこう言えない。議会や市民の受け止め方を踏まえたうえで判断しなければならない」

「町健全化策の提示。それを含めて十分検討し、小千谷市民にメリットがあると見込めれば、合併も視野に入ってくる」

懸念するのは、町が運営する温泉施設の経営内容で「赤字をどう削減するかなど、将来にわたる改善策を数値で示してほしい」



☆森長岡市長(人口約28.3万人)

「川口町との合併に関する情報、全体像を十分開示したうえで、議会や市民の理解がえられるかどうかにかかっている。いずれにしても時間はかかる」

森市長自身の見解は「財政難の川口町を救済するための合併で、長岡に大きなメリットは見込めない」それでも仮に川口と合併するとすれば、それは中越の中心都市としての責任感からだという。

飛び地によりどういう問題があるかよく検討する必要がある。

「中核都市構想は5年、10年先を見越して打ち出しているわけで、そのために今、無理やり合併する考えはない」



《修行僧の私見》

今回の合併論議は、「川口町の財政難を小千谷市か長岡市に助けていただこう。」どちらが助けてくれそうだと言う論議になってしまった感があります。

どちらのチラシもメリットだけを強調して、それぞれのデメリットには触れようとしていません。

議員さんからは、4年前に合併しなかった経緯を含め、正確な情報や数字を示していただくべき機会だったと思います。

赤字になると容易に判断できたはずの古民家や温泉プールを造った責任や反省は聞こえてきません。



いずれにしても明日は投票日。

チラシだけでなく色々なものを参考に自分の意思を示しましょう

・ 小千谷市にする

・ 長岡市にする

・ 棄権する

3つの選択肢があります。

今回は投票率が50%を越えないと、開票しないことになっています。

(白票や魚沼市と書いた無効票も投票率に加えられます)

棄権も立派な意思表示になると確信しています




地震その時(再掲11)

2007-02-04 12:58:26 | ワブログから引っ越しました
平成16年10月24日の空が白み始めた頃

「今、飯を炊いてるから、汁も作ってるよ。」下り厨房では

余震が続く真っ暗な建物の奥で懐中電灯を頼りに準備を進めてくれていた。



やがて朝。

冷え切った身体に暖かなお汁がしみ込んでいった。

「あのう、お代わりしていいですか?」

遠慮がちに次々にカップが差し出される。



「いま、上り本線を土嚢を積みながら緊急応急措置をとっています。」

「作業が終了し安全が確認されましたら小千谷方向に向かいます。」

越後川口から小出までがとくに酷く走行出来なる状態ではなかった。



平成16年10月24日日曜日 快晴。

越後川口上りSAは落ち着きを取り戻していた。

販売用の携帯電話の充電器がSAにおいてあった。

順番に車のバッテリーで充電。

各自が家族や会社に容易に連絡が取れる状態になっていた。

おにぎりやペットボトルも充分ある。

それぞれに帰り支度を始めていた。



「緊急応急措置が終了しました。確認次第10時より出発を始めたいと思います。」

発表後余震が続いた。

出発は延期された。

かなりの段差に土嚢を積んだだけでは小規模な余震でも二次災害が起きる。

慎重に避難誘導の開始が進められた。



誰となく残っていたおにぎりや飲み物を車に配り始めていた。

「沢山頂きましたのでもう充分です。

ありがとうございました。」

「まだ、沢山あります。これからどうなるかわかりませんのでじゃまにならないと思いますのでどうぞ持っていってください。」

従業員は遠慮する車の窓に入れて歩いた。



「大変お待たせしました。現在パトロールカーがこちらに向かっています。

到着後順次出発を開始します。普通車、中型車、大型車の順に出発します。」

オートバイクは先導車の脇につけた。

1台ずつSAの入り口に移動を開始。長い列が作られた。

しばらく待機。



見送りのため従業員が並んでいるところに1台不自然に車が横付けした。

けげんな顔の私たちに



「お世話になりました。」

挨拶にきてくれたのだ。

「こちらこそ。わざわざありがとうございます。気をつけていってくださいね。」

次々に車は挨拶をして列の最後尾につけた。



先導車を先頭に静かに車は出発を始めた・・



どの車からも大きく手をふるのが見える。



私たちは涙でぐちゃぐちゃになっていた。




地震その時(再掲10)

2007-02-03 12:23:58 | ワブログから引っ越しました
その後 私はエリアの状況をみてまわった。

下りは駐車場には展望台の淵とほぼ平行に一直線上に深い亀裂がはいっていた。

建物は外観は崩れていなかった。

上りに回り展望台にあがった。

外灯が倒れていた。

SA入り口はやはり崖の淵と平行に段差が出来ていた。駐車場はメロンの網目状のクラックが伸びていた。

建物は上りが、駐車場は下りが被害状況が酷かった。



展望台から川口町を眺めた。

信濃川の対岸は赤い光がくるくると何箇所も回っているのが見えた・・

これからどうなるんだろう・・しばらくそこにいた。



「お客様はそれぞれ車の中でお休みになりました。」

「私たちもこれから休ませていただきます。」

「変わった事がありましたら連絡します。」

私達3人は従業員の車の同乗させてもらった。



本当に星が降り注ぐかのような空が目の中いっぱいに広がった。



目を閉じ、眠れないまま時が過ぎた。

今までの出来事は夢だったのだろうか・・映画のように画面が流れた。



どれくらい過ぎたのだろう、サイドミラーの中で小さな光が揺れた。



来た!!応援が来た!!



車を降りゆっくりと光の方向へ進んでいった。



「ありがとうございます。」

「長岡から着ました。」

「湯沢ももうじき着きます。」

道はつながっていた。

トンネルは崩れていなかった・・

これまでの状況を説明、一緒にくだりに向かった。



声を出せないでいる私に代わり

「一箇所に集まっていただいたほうがいいですので、これから上りに移動していただきます。」



「あのう、ガソリンがないのですが・・」



下りGSで手動で入れてもらう

上下の門扉を開け、滞留車両は列をなしてゆっくりと亀裂がはいった通勤路を上りSAへ移動を始めた。

本線からの滞留車両も少しずつ上りSAに集まった。






地震その時(再掲9)

2007-02-02 19:44:53 | ワブログから引っ越しました
二度目の連絡

「いま、長岡と湯沢からパトロール隊が向かいました。」



応援がくる



「運転手さん、集まってくださーい。」



応援が向かっていること、ここまでたどり着けるのなら道はつながっていること、これから滞留者の人数などを確認に回ること、家族等に連絡は取れたかなど手短に確認しあった。



私たちは手分けをして滞留者・滞留車両の確認作業を始めた。

・車両NO.

・同乗者名簿

・連絡先

・住所

・何処から来てどこに行くのか

・家族、会社に連絡はとれたか

・困っていることはないか



時間はある。

A4サイズの紙が順に回り終えたのを確認。

再度 管制室と連絡をとった。



観光バス  2台

マイクロバス2台

普通車   76台

大型貨物  2台

普通貨物  4台

オートバイ 1台



高速道路ならではの関東から東北にまで及ぶ居住地と行き先。

様々な人間模様がそこにあった。



上り車線の出口からくる人影が見えた。

「4(3?)時間本線で待っていたけど誰も来ないからここまで歩いてきた。」

男性はかなり高揚していた。

「責任者はいないのか」

「ここにはいません。」

気持ちはなかなか静まってくれなかった。



「この人たちを攻めないで。」

「みんな、頑張ってくれてたんだから。」

なだめながらマイクロバスに連れて行ってくれた。



余震は続いていた。



「では、これからは何か変わったことがありましたら車をノックさせていただきます。必要な事がありましたら従業員に声をかけてください。」

「眠れないと思いますが少しでも身体を休めてください。」

「あんたもね。よく頑張ったね。」

 

その一言が胸にしみた・・






地震その時(再掲8)

2007-02-01 16:26:46 | ワブログから引っ越しました
「何か希望はありませんか?」

「実はまだ夕飯を食べてないんです。」

「飲み物はないですか?」

「寒くなってきて・・・」



「わかりました。」

脇で聞いていた従業員は余震で揺れる真っ暗な建物に入っていった。

「毛布や布団あるよね。」

手分けをしながら防寒衣やコタツ布団などを運び出してきた。

売店や厨房からも押し寿司や笹団子が運び出され

めいめいに配られた。



満天の空は星がきらめき

空気は透き通るように冷えていった。



団体のマイクロバスから声がかかった。

「バスの中はまだ空席がありますから車の中が狭い人は遠慮しないではいってください。」

それぞれが食料品やお土産品を持ち寄って木のテーブルを囲み

思い思いの出来事を語り合い中

「公衆電話が使えますよー。」

弾んだ声がかかった。



「管制室に連絡しなきゃね。」

「支社と本社にも・・」



公衆電話に列が出来ていた。

滞留者の一人が

「みんな待っているから長電話はやめよう。」

居合わせた人はうなづいた。



ようやく各人がそれぞれに家族や会社に連絡がついた。



「私越後川口SAの者です。」

「上下合わせて8・90台ほど滞留車両があります。けが人はいません。」

「本線上の滞留車両はわかりません。責任者がいませんのでどなたか着てください。」

「とても今はいける状態ではありません。そこから出てもらえませんか?」

「一般道は亀裂や段差が出来て通行できません。何とか着てもらいませんか?」

「わかりました。確認を取ってみます。こちらから連絡は出来ませんので

少し経ったらまた、かけてきてください。」



管制室と連絡がとれた・・・・



他の同僚たちの所在の確認を本社に託した。



「すみません。

どなたか小銭はありませんか?」

「あるよ。」

「両替してください。」

「いいよ。寄付!寄付!」

あちこちからカンパが集まった。