43歳・既婚・子宮体がんブログ

子宮摘出手術決定。

猛省中

2021-01-22 16:31:35 | 日記


 泣きたい
 泣きたい
 泣きたい
 
ガンと宣告されてから、常に涙腺が緩い気がする。
もちろん目の前に『ガン』という死に近いものが存在するからであるが、何よりも主人の気持ちを考えると、本当に辛くて仕方ない。
 
私の為だけに生きている人が、
万が一私が病に倒れてしまったら、
一体どうしたらいいのか。
 
キチ◎イ並みの猫好きだから、好きなだけ飼って、ハッピーな生活をすればいい。
もしいい出会いがあるなら再婚すればいい。
 
そうは思うが、やはり彼の支えは無くなってしまう。
そして私もまた、そんな未来を望んではいない。
 
だから頑張るしかない。
不安に押しつぶされていたら免疫が落ちる。
今出来る事を・・・

 
 

”精神“というものは、本当に健康の要だとおもう。
私はここ数年、父(認知症)の介護に疲れていた。
出来るだけ楽になりたいと望みながら、そうすることに罪悪感を感じていた。
優しい父を疎ましく思うことに、多大なストレスがかかっていたのだ。
 
四年も検査を受けなかったのは、私の怠惰からくるもので、間違いなく父のせいではない。
ただ、その時頭を過っていたのは「もし私に何かあって、入院や手術をする羽目になったら、父の介護はどうしたらいいんだ?」という、今から考えればとても愚かな思考だった。
 
父は晩年、「子供、一人くらい産んでおけばよかったのに」とよく話していた。
私自身、高齢出産の末、産まれた一人娘で、父は私達の行く末の寂しさを考えて、そう本音を洩らしたのだと思う。
その時、少しでも前向きに取り合っていたら、私は婦人科の扉をもっと早くに開けていたに違いない。
そして病巣は発見され、もっと早くに処置出来はずなのだ。

子宮とお別れすることは、ガンが見つかった今となってはもう何も思わない。
むしろ早く体から切り離したいとすら。
 
もちろん子宮に罪があるわけじゃなく、メンテナンスを怠ったのは私自身。
折角健康に産んでくれた母へ、申し訳なく感じる。
 
────今更、何を言ってるやら
 
自己分析しても愚かさだけが浮き彫りになるだけ。
100%、私の責任。
これからのリスクをしっかり見据えて、生きていかなくてはならない。
たとえ寿命が短くなっても、それも自分が蒔いた種だと、自覚しなくてはならない。
  
 
そういえば周りの人の声が、いつもよりクリアに聞こえる気がする。 
優しく聞こえる。

病というものは、色んな意味で変化をもたらしてくれるのだな、とつくづく思った。

 
 
 


流れとして

2021-01-22 09:01:01 | 日記


 ────頭痛がするなぁ
 
寒い日の朝はよくあることで、特に心配する必要もない。
ロキソニンを飲めば、比較的早くよくなるはず。
 
とにかく今月に入ってから、ストレスがマックス状態で、本当に辛かった。
今ももちろん辛いけれど、それはもうなるようにしかならないこと。
私はガンの温床である子宮、そして危険性のある卵巣、リンパ節まで取ってもらい、生きていくことを選択したのだ。
 

 某病院【T】は初めての場所。
婦人科のF先生のところで「悪いもの=ガン」あると判明したとき、先生が即電話し、予約を取り付けてくださった先でもある。
 
「後輩がそこにいるから、電話しておきました。」

優しい先生なので、紹介状もほとんど準備し終わっていて、私は呆気ないほど簡単にT病院へいくことができた。
担当医となる方はなんと副院長のYDr.。
恐らくは多忙な人なのだろうが、朝一番に説明、診察をしてもらうことが出来、本当に助かったのだ。
 
問診、診察から始まり、その日はとにかく出来る限りの検査をする。

血液検査、心電図、心エコー、造影剤入りCT。
診察の時に切除した組織も当然検査に回された。

良性の子宮頸管ポリープと見立てられていたものは、実は違う可能性が見えてきたという。
内膜のガンが漏れだしたもの。
そうなると内膜の内側はすでにガンだらけ。
子宮の筋肉組織?にまで食い込んでいる感じが予想される。
 
なので当初の覚悟を超えて、ステージはⅡと、先生は仰る。
造影剤入りCTでは限界があるので、また来週造影剤入りMRIではっきりさせる予定だ。
 
子宮ガンについては、子宮【病巣】を取り出してみないと解らないことが多いらしい。
取り上げてはじめて、ステージがわかる時もある。
じわり、精神的にダメージを与えてくるタイプだが、とにかくこの段階で出来ることなど決まっていて、子宮や卵巣、卵管、危険地域のリンパ節を切除。
その上での抗がん剤治療になるのだと、理解させられた。
 
 
手術なんて生まれてこの方、したことがない私にとって、これはかなりのプレッシャーだ。
きらり、光るメスが自分の腹を切り裂くところを想像などしたら卒倒しそうになる。
お医者様のすごさをわかってはいるものの、その神経は疑わざるを得ない。 
 
 恐怖………
 
私にとって、全身麻酔も恐怖の対象である。
変な映画を観た影響か、とにかく人の手で意識を奪われることが怖くて仕方ない。
ただ周りの経験者が、「大丈夫」と言ってくださるから、少しだけ安心できた。
 

もう一つ厄介なものが、血糖値と血圧。
今私は、亜急性甲状腺炎を煩っていて、ただでさえ高い血糖が跳ね上がってしまっている状態だ。
血圧も160キープ。
普段は125~132ほど。
ステロイド薬【プレドニン】を毎日6錠飲んでいるので、そのせいもある。

 術前にこの状態は非常に拙い。
ということで、コントロール入院を決められた。
2/2から恐らくは1週間程度。
コントロール次第では数日延びる。
手術日は“2月18日”に決定している。
とても迅速にスケジュールを決めて下さったY先生に感謝。
開腹手術なため、その後の入院期間も長くなると思われる。

不安は尽きないが、何よりも私の心を苦しめるのが、万が一主人が感染し、重症化したらどうしようということ。
それこそ永遠の別れになる可能性があるのだ。
ついで、私が入院する病院は「コロナ患者受け入れ」施設な為、院内感染も有り得る話。
その時、リスクのある私がどうなるかも………想像すればぞっとする。
 
ということで、リスクだらけの闘いになるわけだが、私が出来ることは限られている。
入院中にしっかりとコントロール、体力を温存。
手術後は治療に専念し、生活を見直すこと。
 
たまたま主人の会社の方が経験者で、去年開腹手術をし、子宮を取り出したらしい。
アドバイスを頂きながら、帰宅後の生活をより快適なものにしようとおもう。

傷口は三ヶ月くらい塞がらないらしい。
その間、ずっとシャワー。
結構、辛いが………耐えるしかないな。
 

  
 
  


検査は大事!それに尽きる

2021-01-21 09:19:38 | 子宮体がん【日記】


 ▶2016年6月
 隣市のいつもの婦人科で子宮ガン検査を受けた。
 いつもの優しい先生だし、何のストレスを感じない。
 検査は頸部と体部の二つ。
 後々痛むことは分かっているが、ここは我慢するしかない。
 【ロキソニンが有用だがこの時は座薬を出してもらった】
 
 
 それから四年以上経った2020年12月某日。
久しぶりにガン検診を受けようとした切っ掛けを思い出す。

2020年11月某日。
唯一の親を亡くした。
父が他界したとき、私はわりと重い生理の真っ最中で、その後葬式の時にぴたっと止まったけど、またいつの間にか出血しているという、いかにもストレスに振り回されている感じになっていた。
その後、二週間ほどして血は止まる。
いつもより明らかに長い。

ただ止まった後、いつもと違うのは、透明な水っぽいオリモノがやたらと出ること。
 元々生理不順だったけど、オリモノとは皆無の人生で、たとえあったとしても如何にも健康的なやつしかお目にかかったことがなかった。
 
 え、まさかもう更年期?
 それともストレス?
 
 調べてみる限り、いろんな情報が出てくる出てくる。
どれも当てはまる気がするのは、精神的に弱っていたからか?
とはいえ不安に駆られている間はあまりない。
 即、市役所・健康福祉課に電話。
 お得なクーポンを送ってもらうことになった。
 
クーポン………
あぁ、そういえば2020年3月にも送って貰ったのに、父とコロナのことで検査をスルーしちゃってたなぁ。
  
 …………などと思い出す。
 
 ようするに私はこの四年間、全く検査してこなかったわけで、今この状況はまさに自業自得というしかない。
 
 それでもその時は「内膜が分厚かったり、もしちっちゃいポリープとかだったら、今度こそ掻爬(そうは)手術をしてもらおう。」と楽観的に考えていた。
 
 で、検査当日。
 
 先生「小指の先ほどのポリープあるね。子宮頸管ポリープだな。恐らく良性だし、切ればいいんだけど、血がしばらく止まらんかもしれんから、ちょっと様子見るか。」
 
 ポリープかぁ………やっぱりね。と素直に納得。
 そして病院を後にしてから年が明け、いつまで経っても来ないガンの検査結果。
恐らく大雪とコロナが原因なんだけど、仕方ないな。
毎日のように郵便ポストを覗いていた。
 
そしておおよそ三週間を過ぎた辺りで検査結果が到着。
焦りと期待からか、ポストの前でビリッと破く。
 
 「要精密検査」
 
 え?まじ?
 頸部は問題なし。
 体部には『Ⅲ』と記されている。
 
 そのときの感想は素直に「やべ……」だった。
 
 即座に病院へ電話し、車を走らせる。
 今更焦っても仕方ないのに無駄に焦る。
 そして診察。
 今度は子宮内膜の奥の奥、四箇所から組織をとることになった。
 これがまた痛いのなんの。
 経験があっても、この痛みには慣れない。
グリグリグリと採取され、涙と重たい生理痛のような痛みに呻きながら、終了。
その後会計待ちに耐えきれず、離脱。
ロキソニン投入し、車の中で待機するしかない。その間、主人が会計をしてくれた。
 
 『一週間後、結果を電話でご確認ください』
 
 この一週間がこれまた長い。
 今はネットで何でも調べられるわけだし、不安な情報も目に飛び込んでくる。
 
何よりもまず、可能性として出て来たのは子宮内膜増殖症。
これは欧米化された食生活や肥満、持病、出産経験のない人たちがかかりやすい病。【むろん女性に限る】
ざっくりいえば、子宮の内膜が分厚く、はがれ落ちないままの状態だと、それはガンの温床になるらしい。
ちなみに私は未出産だし、贅肉もある。血糖も高め。
 
ということは、“コレ”の可能性あるよなぁ。
出来る限りの楽観視だったが、しかしどうしても目に入ってくるのが『子宮体がん』だった。
 
 体がん………については、ググってもらえればアホほど情報が出てくるので省略。
 
 問題はこっち。
 
 「この先出産の予定がないなら、子宮摘出したほうがリスクは下がるんだけどね。」
 
 これは検診時の先生の台詞だが、結果的に、私に選択肢など与えられなかった。
 
 
 私の病気は子宮体がん。
 恐らくステージはⅡ。
 来月半ば、子宮、卵巣、リンパ節など、わりかし多くのモノとおさらばする羽目になり、その後、抗ガン剤治療を行う予定。
 
 いきなり降ってきた災難。
 しかし明らかに自業自得である。

四年という時間は、病の温床になるには充分な期間だったから。
激しい後悔など何の役にも立たない。