としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

大山登山 2001年

2018-11-01 19:47:00 | 旅行
2001年大山登山の日記

初めての大山登山の日記

2001年11月17日 土曜日 晴れ時々曇り

  音楽仲間と一緒に大山(おおやま)登山に出掛ける。今回が初めての登山になるのは私だけなのだが、みんなもしょっちゅう登っている訳では無いので、新鮮かもしれない。

10時に小田急線伊勢原駅に着く。伊勢原駅の大山ケーブル行きのバス乗り場には行列が出来ている。臨時便が出ていて、座ることは出来ないが、最初に来たバスに乗ることが出来る。約20分程で大山ケーブル行きの終点に到着する。

 ケーブルカー乗り場まで両側に続く店先を横目にちらちら見ながら石段を登る。
するとケーブルカー乗り場には長蛇の列が。5分程は待っていたが、列が動かないので、ケーブルカーの方が速いかなと思いつつも、登山道を登ることにする。
登山道は傾斜のきつい男坂と距離は少し長いが傾斜の緩い女坂があるのだが、私達は7不思議の景色が見られるという女坂を選ぶ。

 男坂と女坂の分かれ目、正確に言うと男坂の最初の石段に野生の雌鹿が居て、石段脇の草を食べている。人が近付いても逃げる様子は無い。可愛い鹿をバックに記念写真を撮る。

そしていざ女坂へ。こちらは緩い坂だと聞いていたのだが、登ってみるとずっと石段が続いていて、最初こそ緩かったが、全体としては特に緩いとは思えない。と言うことは、男坂は相当きついということか。こちらは登っていないので分からない。

7不思議と呼ばれる景色を見ながら進む。その中のひとつはお地蔵さんの顔が童の顔に変わったというもので、子供の健やかな成長を祈るようになっている。

途中に大山寺があり、お参りする。おみくじを引くと小吉の「福狸」に当たる。
一応話の種に自分の足で登ってみたが、特別景色の良い所では無いので、次に来る時にはやっぱりケーブルカーにするだろうなあ。40分程で、ケーブルカーの終点でもある下社に着く。

 下社参りは後回しにして、山頂を目指す。
歩き易い上りの道を進むと20分位で見晴台に着く。
見晴台には、木で出来たテーブルや椅子が沢山並んでいて、丁度昼時ということもあってか、人がいっぱいで、まるで山の上のレストランの様だ。遠くの景色をちらっと見てから、山頂に向かって歩き始める。
見晴らし台を過ぎると暫くなだらかな下り坂になる。そこを過ぎると急な坂が始まる。

登る前は日頃の運動不足のせいで不安だったのだが、いざ登ってみると、前後の登山者のペースより自分の方が速い位なので、安心する。
登山者は中高年が多い。途中ペースの速い人に追いつかれたので道を譲ったのだが、その人の背中には「大山登山マラソン大会」と書かれたリュックが。道理で速いはずだ。

山頂までは段差の大きい階段状になっている所が多い。約110分程で山頂に到着する。

 山頂からの景色は、見えることは見えるが、遠くは霞んでいてぼんやりとしている。昨日の様に快晴ならば遠く三浦半島もくっきりと見えるのかもしれない。

山頂には綺麗で大きい公衆トイレがあり、登る時にはトイレに行きたくなることを懸念して水分をあまり取らなかった私は、トイレを見て安心して持参した十六茶を飲む。今まで飲んだ中で1番美味しい十六茶だ。お弁当もみかんもマシュマロもとても美味しい。休憩してから少し上にある奥社へ登る。

するとそこには角の立派な野生のオスの鹿が♪ 結構大きいのだが、これでも子供の鹿らしい。美味しそうに道端の草を食べている。気を付けなきゃと思いながらも、あまりに声が可愛いので、つい油断して側に居て鹿とのツーショット写真を撮って貰っていたら(その時はカメラを見ていて鹿を見ていなかったのだが)突然右腕にズン!と重い衝撃が。

鹿がじゃれついて来たらしく鹿の頭突きを食らってしまったのだ。(爆)先の尖ったとても立派な角を持った鹿なので怖くなって、それからは鹿の隣には行かない様にした。

こんなに可愛い声なのに、力持ちだなあ。奥社の隣で建設作業をしていた作業員(若い男の子)がとても上手に鹿の鳴き真似をしていたので私も真似をしてみるが、ちょっと変わった声で難しい。
頭突きされた時は怖かったけれど、良い思い出になりそう♪

 奥社でのお参りを済ませて、トイレに行って(水がとても冷たい)下山を始める。
上りでは暑くて最後には長袖Tシャツ1枚になった私だが、山頂に暫く居るうちに寒くなったので(手がかじかむ位)Tシャツの上に薄い長袖シャツにジャケットを着る。

しかし速いペースでどんどん下りるうちにまた暑くなり、下社に到着する時には、また長袖Tシャツ1枚に戻っていた。下山はさすが速く70分(見晴台で5分休憩)で到着。

 行きには寄らなかった下社のお参りをして、下社近くにある店で豆腐アイスクリームを食べコーヒーを飲む。
最終午後4時半発のケーブルカーに乗る人は多い。ケーブルカーで下りると、行きは40分掛かった距離もあっと言う間だ。便利なものだ。

 終点追分駅に着いてバス乗り場まで両側に並ぶ店を見ながら下りる。記念にいつもの様に耳掻きを買おうと思うのだが、大山で買った耳掻きだと分かるものが無いので、結局何も買わないままになる。

 大山のお店で美味しいお酒と夕食を取る心積もりで来たのだが、夕食は帰ってからゆっくりしようということになり、そのまま伊勢原駅行きのバスに乗る。もちろん、帰ってからの夕食(スーパーのお寿司だが)とお酒(冷酒)はとても美味しかった。運動した後の食事は最高♪見晴台までなら、また行っても良いかな。

 大山は、だいぶ前から登ってみたいと思っていた山である。愛媛県生まれの私は、昔は「大山」と見ると「だいせん」としか読めなかったのだが、今では「大山」と見ると、まず「おおやま」と呼んでしまう。

横浜に出て来て16年。少しずつ神奈川の人になって行く様な気がする。
日頃、運動とは無縁の生活をしているが、体を動かすことは楽しい。今日は嬉しい1日だった。

11月18日 日曜日 晴れ

 予想通りの筋肉痛になる。(笑)まあ軽いので人前では平気な顔をして歩けるが、実は足がちょっと痛い。
早く治ります様に。


親子旅行 2001年

2018-10-31 19:40:00 | 旅行
2001年 親子旅行の日記

2001年 10月11~20日 親子旅行日記(伊豆・清水市・日光)

10月11日 木曜日 晴れ

 夜に両親の旅行用の荷物が宅配便で届くはずなのだが、何故だか来ない。午後10時半まで待つが来ないので、諦めてお風呂に入る。以前午後10時に到着したことがあるし、その日に届かず翌朝届いたこともあるので、明日届くのかもしれないと思う。

10月12日 金曜日 晴れ

 宇和島に住む私の両親が来る日。午前中にずっと荷物の到着を待つが来ないので営業所に電話をしてみる。すると今日配達の荷物には入っていないとのこと。伝票番号が分からないので、仕方無く両親の出迎えのために家を出る。

両親は午後2時59分新横浜駅着の新幹線で来るので、桜木町駅で待ち合わせをする。身長165センチ体重48キロの父は今日は体調が悪いそうで、歩くのがとても遅くて心配する。

静かな環境の駅前のワシントンホテルのロビーで愛媛と横浜の宅配便の営業所に連絡を取る。その結果、送る時に到着の日付を1日後に間違えて今日の夜に届く手続きをしていることが分かる。
荷物は置いて帰って貰う様に頼んで一安心。この電話連絡で結構時間を費やした。

 桜木町駅前からバスで山下公園へ行く。ここは初めてではないのだが、母が氷川丸に乗ったことが無くて是非乗りたいと言うので、3人で乗る。来ている人は少ない。

父は昔、船に乗っていたので、説明係になる。氷川丸に乗っていたわけでは無いが、船の構造は同じ様なものなので懐かしそうだ。
私は氷川丸から見る みなとみらい地区の夕暮れの景色が好きだ。氷川丸ってデートの穴場かも。

 山下公園から桜木町駅前まで帰りもバスに乗る。来た時と違って通勤客などでバスは満員だ。
私のお気に入りのランドマークプラザ内のロイヤルフードコートで夜景を見ながら夕食を取る。私はいつもの様にイタリアンでワインを飲む。

レストランを出た後に、もぐちゃんからメールが入っていたのだが、人ごみの中でメールの着信音に気付かず、疲れたという両親と一緒に桜木町駅前からタクシーに乗る。

タクシーに乗って少し経って、もぐちゃんから仕事が終わったと電話が入るが、時既に遅し。タクシー代は家まで2850円。横浜駅や上大岡駅から乗るのとそう変らないかな。やっぱり楽ちん。
 帰宅して明日からの旅行の用意をして、少しおしゃべりをして休む。

10月13日 土曜日 晴れ

 朝9時半に両親、私、もぐちゃんの4人で車で出発。今日は学校がある土曜日なので道路は空いている。距離としては長くて遠回りになるけれど、速いので、東名高速に乗って秦野中井インターでおりて、暫く空いている県道を走り、西湘二宮インターに入る。

しかし、私がうっかりして逆方向へ乗ってしまい、走るはずだった空いている対向車線を見ながら、一区間だけ工事渋滞の中、逆に走ることになる。(爆)下りたらすぐに正しい方向へ入り、今度はちゃんと海を左手に見ながら海岸線の景色を楽しみながら東伊豆へ向かう。

 今回の旅行先は伊豆が初めてという父親のリクエストに応えるものだ。

地名を確認しながら走る。熱海のお宮の松で記念撮影をして、伊東を通り、国道から離れて川奈ホテルを通る県道へ。
葉っぱの少なくなった木々の向こうに時々ちらっと川奈ゴルフコースが見える。両親共にゴルフをするので、私が選んだ道だ。

 昼食は伊豆高原駅のやまもプラザにある日本食の店で海の幸を堪能する。夜には居酒屋になる様だ。日本酒の種類も多い。安くて何でも美味しいので、父は「伊豆のイメージがとても良くなった。」と喜ぶ。ここでお土産も色々買って一碧湖へ向かう。

 一碧湖は可愛らしい。伊豆一碧湖美術館で沢山の絵画を見て、その2階から一碧湖を見る。
そして少し湖畔を走って次に池田20世紀美術館へ。ここには色々なタイプの画家の絵があるので、各々趣味の違う私達だが、各々お気に入りの絵を見つけて喜ぶ。

父はダリが大好きだ。ここのダリの作品はグロテスクな感じだ。ホラー映画好きの父にぴったりかも。私は苦手。私は可愛らしい少女の絵が良かった。
ここの喫茶でコーヒーを飲んで今日の宿に向かう。

 伊東市十足(とうたり)にある国民宿舎「井原の庄」へ。ここは手入れの行き届いた広い庭園の中に離れが沢山建っている。すべて離れなので小さい子供の居る家族連れにもお勧めである。麻雀好きグループにも良いのかな。(笑)父は夕方早速庭園を散歩したそうだ。

10月14日 日曜日 晴れ

 朝食前に少し庭を散歩する。プールがあるので、夏休みには長期滞在するのも良いかもしれない。

 記念撮影をして出発。国道へ出て海岸沿いの道を下田まで走る。

下田市内では、ロープウェイで寝姿山へのぼり、眼下に下田の街や港を見る。海には黒船の形をした遊覧船が出ている。

友達のニシカタさんから「10キロ程沖合に見える灯台は明治の石造りで史跡名勝天然記念物なの。個人的にはロープウェイの中でかかる怪しい演歌がお気に入り。」というメールを貰っていたので、その怪しい演歌をとても楽しみにしていた。

その演歌は下りのロープウェイで聴いたのだが、綺麗な声の女性歌手の歌う下田の歌だった。明るく感じの良い曲で演歌ではないみたい。ニシカタさんの聴いた曲とは違うのかもしれない。

 唐人お吉が葬られている宝福寺、隣接した唐人お吉記念館、豆州下田郷土資料館を見学してから中伊豆へ向けて出発する。下田市内から稲生沢川沿いを走る国道414号線を通ると、上流にお吉が入水した場所であるお吉ヶ淵を見ることになる。

414号線は最初は2車線ある走り易い道だったが、途中から狭くなる。
上原近代美術館、仏教美術館に寄り、沢山の仏像や絵画を見る。仏像も知識を持ってみると面白そうだ。顔も色々だし。私を守ってくれるのは千手観音だそうだ。(干支によって決まっている。)
ここで、遅い昼食に冷やしうどんを食べる。10月とは言え暑い日だ。

 中伊豆では12年前に祖母、母、私の3人で訪れたループ橋、浄蓮の滝、天城の旧道、七滝を見る。
ループ橋は母のお気に入り。ハンドルの角度を変えないで最後まで回れることに感心している。

浄蓮の滝は、石段の上がり下りが結構きつそうだ。初日に元気が無かった父は元気になり、今度は母の方がちょっとしんどそう。
那智の滝と比べたりして滝を鑑賞し、駐車場に戻って母はわさびの辛口のソフトクリームを、私はみかんのソフトクリームを食べる。

 天城の旧道は、トンネル前に車を停めて写真を撮る。いつ来ても旧道を歩く人を見かけるが、今回は10人の青年グループに会う。トンネルは狭くて暗いので気を付けて。

そしてまたループ橋を通り、今日の宿「天城荘」へ。ここは12年前に来た時にも泊まった宿だ。
チェックインを済ませてからみんなで七滝巡りへ出掛ける。夕方なので、滝巡りから帰る人と沢山擦れ違う。どうやら私達が最後の様だ。

下から順番に滝を見て歩く。私は踊り子像がある初景滝だけ覚えていた。母は1番上流にある釜滝が1番印象に残っていた様だ。確かに大きい滝だ。もちろん大滝ほど大きくはないのだろうが、大滝と違って間近で見られるので迫力は大きい。

釜滝から少し登ると路線バスの走る道路に出るのだが、「丁度バスが来るってことはないよね~」と言って素直に来た道を戻る。段差の大きい石段が多いので、両親にはかなりきつそうだ。

薄暗くなって来ているので急ぐが、初景滝のあたりで七滝巡りの途中の若者男女グループに会う。私達が最後ではなかったのだ。でも彼らが帰る頃には真っ暗になっているのでは。若いから大丈夫なのかな。

殆ど店じまいを終えた店で1足300円の藁で編んだスリッパを買う。夏に素足で履くのに最適なのだ。
車の通る道路に出ると、上から路線バスが下りて来る。なんと丁度良いバスがあったのだ。聞いて行けば良かったかな。

12年前は母と二人で朝食前に走りながら七滝巡りをしたものだったが、お互い12歳分、年を取ってしまったなあ。特に母が弱くなったなあと寂しく思う。

 宿に戻って夕食前に天城荘内の露天風呂巡りをする。前に来た時、館内のお風呂で外に出るドアを見つけて「ああ、ここから露天風呂に出られるんだ。」と勘違いし、オートロックのそのドアからタオル1枚で外に出て大変困ったものだった。

露天風呂巡りは出来たのだが、元の女湯に戻る時に 廊下をタオル1枚で隠した裸で走ることになってしまった。しかも男性客ひとりに会ってしまった。
その人は 感じの良い笑顔だったので まだ良かったけれど。(笑)

今度そのドアを見てみると「このドアは非常用です。オートロックになっていまので、ここから外には出ないで下さい。」と大きく書かれていて、しかも頑丈そうなチェーンでドアが開かない様になっている。それを見て「私達の様に勘違いして外に出ちゃった人が沢山居たのだなあ。」と可笑しくなった。

数年前から露天風呂は水着を着用することになっているので、各々水着に着替えて露天風呂へ。
私は大滝を見ながらのんびりと入って居たかったのだが、今回初めての父ともぐちゃんが居るので、全部入ろうということになり、1か所の入る時間はあっという間で次々と入る。

午後6時を過ぎているので他のお客さんは殆ど居ない。話の種にと25Mプールで泳ぐが、到着してふと上を見たら「プールは午後6時まで」と書かれていた。泳ぐのに丁度良い水温になっていた。

 あっという間に夕食の時間になる。お風呂上がりのビールを ぐいぐいっと飲んで 料理は冷酒でゆっくりと味わう。旅行中は毎日美味しい料理とお酒が飲めて幸せ♪

10月15日 月曜日 晴れ

 朝食後、旅館の前で記念撮影をする。12年前には踊り子と学生さんの男女の写真撮影用パネル(顔を出すタイプのもの)があったのだが、今は踊り子のものだけになっている。

下田まで昨日の細い国道を通るのは嫌なので県道で河津へ出る。それから海岸線を南下し、下田駅前でもぐちゃんを降ろす。
彼の休みは今日までなので伊豆急で横浜へ帰るのだ。

後で聞いた話では、車を降りてから3分後に出る電車があり、その電車はガラガラだったが全席指定の便なので指定券を買いに走ったそうだ。「電車内で買えると良いのになあ。」とは、もぐちゃんの言葉。

 下田からは3人で石廊崎へ。一旦遊覧船乗り場へ行き、祖母の思い出話をして、岬の駐車場へ向かう。

車を停めて岬に向かって歩き始めると、向こうからちゅーちゅートレインという電車の形をした車が走って来るのに出会う。
運転手さんに「これは何ですか。」と尋ねると、「片道500円ですが、下り坂の行きは歩いて上り坂の帰りに乗られると良いですよ。」とのこと。これは10年位前に出来たそうだ。

祖母と来た時は祖母が歩けないからと遊覧船に乗ったのだった。今日は風が強く波も荒くて遊覧船に乗るとかなり揺れるだろう。

 ニシカタさんから「石廊崎に行ったら是の居ないジャングルパークへ。」とのメールを貰っていたのだが、父の「それは見なくてもいい。」との言葉で入らないで横目に見ながら歩くことになる。

私は石廊崎はもう何度も来ているのだが、そう言えばジャングルパークには1度も入ったことがない。かなり規模は大きいものだ。これに入ると帰りのちゅーちゅートレインの乗車賃500円が300円になるそうだ。
石廊崎は風が強い。灯台を見て岬の突端まで行き神社にお参りする。

 石廊崎を後にして西伊豆へ向かう。松崎に着くまでに「サル出没注意」の看板が。そしてそれを見た直後に国道(対向車線)でのんびり座っている大きなサルを発見。
12年前に来た時は2匹居て「お見送りしてくれてるね~」と話したのだそうだ。(私はすっかり忘れている。)

 松崎観光は後回しにして堂ヶ島に行き洞窟巡りの遊覧船に乗る。三四郎島は潮が引いて、うっすらとだが陸続きになっているのが分かる。(トンボロ現象と言うそうだ。)
遊覧船は洞窟の中にも入りかなり楽しめる。

それから蘭の里堂ヶ島で沢山の蘭を見て遅い昼食を取り、松崎に戻って伊豆の長八美術館へ行く。

両親は漆喰の作品は四国でも見たことがあるそうだが、入江長八の作品はとても芸術性が高く「これほど素晴らしいものだとは知らなかった。」と感動している。

時間があるからと、ついでの様に行った「岩科学校」(明治13年に建築された伊豆最古の小学校で和洋折衷の造り)もとても喜んだ。

私は両親が見学している間に外に「ご自由に」と置かれている竹馬の練習をする。前回はロングスカートで時間も無かったため乗れなかったのだが、今回は待ち時間が長かったため 勘を取り戻して乗れる様になった。

竹馬に疲れてひとり羽つきもする。独楽回しは元々あまり出来ないのでしなかったが、子供の頃以来だという父親は上手に回していた。
ここで桜葉アイスクリームを食べて出発する。

 今日の宿は旅行前に買ったるるぶで「露天風呂から見る夕日が綺麗」と書かれていた町営のまつざき荘である。
宿に着いたのが午後5時で今日の日の入りは午後5時のため、夕日自体は見られなかったが露天風呂から見る茜色に染まった空はやはりいい。

施設は新しくて広くてとても綺麗だ。父は自分があまり食べられないため、旅館の沢山の豪華な食事は要らないと、こういう施設を利用するのだが、国民宿舎でも今日の様な町営の宿舎でも充分の量で味も良い。美味しいお酒とお料理をゆっくり楽しむ。

10月16日 火曜日 晴れ時々曇り

 長八記念館(浄感寺)へ両親を案内する。入江長八の菩提寺でもあり、本堂が記念館になっている。作品の素晴らしさはもちろんだが、住職の説明がとても分かり易く良かった様で両親は感動している。

車で松崎町内を少し走って明治商家中瀬邸などを車から見て松崎を出発する。
海岸線を走ると左手に薄く富士山が見える。
そして土肥では恋人岬を左手にちらっと見る。折角だから寄ってあげれば良かったかな。

私はこの道は何度目かだが、1度も恋人と来たことは無い。1度ラブコールベルを鳴らしてみたいな♪恋人宣言証明書(無料)も発行してくれるそうだ。

 土肥から海岸線を北上し戸田へ向かう。今日は人も少ないので御浜岬は車で行けるぎりぎりの所まで行く。

戸田の村営の資料館(戸田村立造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館)には大きな高足蟹の標本が沢山有って「これは凄いわ~」と驚く。海水浴シーズンの写真を見ると、江ノ島も真っ青という程の大勢の人で賑わう様だ。

港の真ん前の高徳丸の2階の御食事処かにやで港に浮かぶ船を見ながら高足蟹定食を食べる。
蟹は大味で塩味のまま食べるとあまり美味しいと思わないが、蟹用のつゆにつけて食べると美味しい。

ただ、私達が蟹を注文したのが丁度茹で上がっていた蟹が全部出た後だった様で、次の大きな高足蟹が茹で上がるのを待つことになりかなり待たされることになる。でも料理は美味しい。

 戸田から県道で東へ走り、伊豆国際カントリークラブや虹の郷を通って修善寺温泉街へ入る。
駐車場に車を入れて、修禅寺や指月殿などを見て街を散策する。指月殿では「どうして源頼家の墓はこんなに小さいのだろう。」と話す。

修善寺インターから修善寺道路に乗るが、韮山を通り過ぎていて戻ることになる。国道136号線が2本あるので紛らわしい。横浜市内にも16号線が2本あるのだけれど。

 韮山の反射炉はアメリカやロシアの黒船来航をきっかけに幕府が大砲鋳造のために増築した反射炉だ。駐車場も広くてしっかり観光化されている。

そこから少し北へ行くと蛭ヶ小島(ひるがこじま)がある。流刑となった源頼朝が20年過ごした地で、蛭の多い湿地帯だったそうだ。ここは静かな公園になっていて駐車場も少なく案内板も殆ど無かった。(でも、るるぶには載っている。)

 蛭ヶ小島を後にして、国道136号線を北上し、国道1号線に合流して西へひた走る。まるで自動車専用道路の様な1号線(バイパス)を通って清水市内へ。市内に入る頃には夜になる。

今日の宿は「部屋の窓から富士山が見える」という紹介に惹かれて予約した駅近くのビジネスホテルだ。これは12年前の旅行の時に1度予約したが旅行の予定を変更したためキャンセルしたホテルだ。そのこともあって今回泊まることにした。

しかし実際に行ってみると、安いビジネスマン向きのホテルだった。1泊の料金を聞かないで予約したから仕方が無い。でも駅に近いことは便利で良かった。

チェックインした後に駅前の商店街を散歩して蕎麦屋かづやで夕食を取る。海老の天ぷらの乗った冷た い蕎麦は美味しい。もちろん冷酒付きで。(笑)

地方都市の商店街らしく午後7時にはどんどん店が閉まって行く。母は鞄屋さんで軽くて持ちやすいバッグを見つけて買っていた。私は小樽で便利なサンダルを、札幌では雪道用の靴を見つけたことがあったが、商店街の店先には時々安くて便利なものが並んでいるものだ。

傘は要らないという程度だが、ホテルへの帰り道、雨が少し落ちて来た。

10月17日 水曜日 朝から雨

 雨なのでホテルの窓から富士山は見えない。
清水市へ来ることは旅行に出た後で急に決まったことなので、ガイドブックも地図も無く、ホテルで貰った清水市の観光パンフレットの地図を頼りに走る。

私は前に1度来たことがあるので、その時のことを思い出しながら行く。ただ、前回は徒歩で観光した所も多く少し勝手が違う。

まず次郎長通りという商店街を走る。
雨の中、人通りは殆ど無く車も少ない。次郎長の生家は前を通るだけですぐに分かるほど賑わっていたのだが、今日は車では気付かず、通り過ぎてしまって、人に聞いては戻り、また聞いては戻り・・・それで町内の案内図を見つけてよく見てみると、すぐ目の前にあった。(爆)

実は今日水曜日は商店街がお休みの日で、生家も閉まっていたのだった。奥行きは結構ある家なのだが、間口が狭いので閉まっていると車では気付かない。残念だが、生家の前で記念撮影だけして、すぐ近くにあるはずの次郎長や子分の墓の有る梅蔭寺へ向かう。

またここでも人に聞くことになり、近くに居たおじさんに尋ねるが、この人がとても面白い人で、お笑い芸人の様だった。あんなに明るく歳を取れたら良いなと思う。目指すお寺はすぐ近くだった。

普段ならいっぱいで停められない駐車場も今日は空いていてすんなり停められた。今は少ない駐車場も工事が始まっているので、そのうち沢山の車が停められる様になりそうだ。

お寺は立派で次郎長や子分達の墓も立派である。次郎長のお墓が立派なことに両親は驚いていた。
ヤクザだった次郎長も晩年には社会奉仕活動をして社会に役立つことしたそうだ。人間長生きすると、色々な人生を送ることになるのかもしれない。

 次に美保の松原へ行く。小雨の中、砂浜を少し歩く。富士山は全然見えないけれど松原は立派だ。松の大木の伐採工事をしているのを見かける。クレーンを使ったかなり大掛かりなものだ。観光バスも来ている。

 次に久能山東照宮へ行く。
東照宮は、まずは海岸側の長い石段の入り口へ行き写真を撮る。ロープウェイが出来るまではこの石段を上って行くしか方法は無かったのだろう。石段の道は長そうだけれど、1段1段の段差があまり無いので、ぼちぼち歩けば何ということも無い様な気がする。但し、暑い季節には長くてうんざりするかもしれない。
海岸沿いには苺畑が延々と広がっている。

また元来た道へ戻り、日本平の標識に従って左折する。日本平パークウェイ(有料道路)を通ってロープウェイ乗り場まで行きロープウェイで東照宮のある山へ渡る。雨は大降りになっている。趣きはやはり日光の東照宮とよく似ている。

宝物館では徳川の将軍の作品を見るが、絵や字に関しては慶信がとても上手で家光が特別下手だなあと思う。(私でも書けそう。)

 帰りもパークウェイを通って山を下り、寄り道せずに東名清水インターに入る。
そして富士川サービスエリアに寄って昼食にする。レストランでは雨ながら窓側の席で富士川がゆったりと流れる様子が見えて気持ちが良い。桜海老のかき揚げはとても美味しいので大きいけれど残さず食べる。食べ終わるまでさくさく感が無くならないかき揚げだ。

 横浜に帰ってから東戸塚駅前の西武で夕食の買い物をする。私はここに来ると買う京都の懐石弁当を買う。父親は冷凍さぬきうどんを買い、帰ってから作ってくれたのだが、なかなか美味しいうどんだった。

10月18日 木曜日 雨、日光で夕方から晴れて来る

 日光観光へ。両親は東照宮などは見たことがあるが、いろは坂、華厳の滝、奥日光へは行ったことが無いというので、今回の目的はそれらを見ることである。

渋滞箇所の多い首都高速を通り(今までで1番混んでいた)東北道に乗る。
途中蓮田サービスエリアでトイレ休憩をして、宇都宮インターまで走りそのまま日光宇都宮道路で終点の清滝インターまで走る。首都高速以外は空いていて気持ち良く走れる。

ところがいろは坂に入る頃から霧が出て来る。
母が「としと一緒に来るといつも霧になるわねえ。」と言い(以前、箱根で目の前さえ見えない濃霧になったことあり)私は「霧女」ということに。(爆)そのため明智平には寄らずに進む。

華厳の滝の駐車場は、霧のせいかいつもはいっぱいなのにすんなり入れるので車を停めるが、華厳の滝もやはり霧のため見えず音だけの観光になり、明日また来ようということになる。しかしそのうちに段々晴れて来て明るくなる。

紅葉真っ盛りの中禅寺湖畔で写真を撮り、湯滝を見学する。修学旅行生が沢山来ていて賑やかだ。ここで両親にとっては初体験のプリクラを撮る。私と父、私と母の2種類。

 初めて国民休暇村を利用する。湯の湖畔の森の中に建ち新しくてとても綺麗だ。3階建てで横に長い建物だ。お

風呂は温泉の効能が1番よく生かされるという42度に設定されていて41度が好みの私には少し温度が低くなる露天風呂が、茜色の空が見えて気分も良く丁度良い湯加減だ。
しかし両親、特に父親にとっては低すぎる温度だそうで、お湯に浸かっている間も寒かったとか。温泉に行って風邪を引くなんて・・・父には熱い草津温泉が良さそうだ。

10月19日 金曜日 晴れ

 朝食前に露天風呂に入る。朝の光が眩しい。中のお風呂には沢山の人が入っているが、露天風呂には人が居なくて、ひとりでのんびりと過ごす。やはりこの温度は低いと思う人が多いのかもしれない。

 休暇村を出て高い所から景色を見るために金精峠(こんせいとうげ)へ向かう。
峠を過ぎて菱沼キャンプ場まで行きUターン。峠から湯の湖を見ながら坂を下りて行く。そして湯の湖畔に車を停めて可愛らしい鴨たちを見る。
1羽の鴨が逆立ちして足を水面から真上に出してバタバタさせて魚を食べている様子がとても面白くて笑ってしまう。

 昨日は寄らなかった龍頭の滝へ。
まず滝上に車を停めて滝下まで210メートルの滝沿いの遊歩道を滝を見ながら歩いて下りる。

私は2回目なので、両親が滝下で観光している間に滝上に歩いて戻り車で滝下へ移動する。すると滝下の駐車場は順番待ちの車の長い列が出来ている。「両親が携帯を持っていれば便利なのになあ。」と思いつつ適当な場所に車を停めて二人を呼びに走って3人で出発する。

次は戦場ヶ原で車を停める。この広い湿原の風景も両親はとても気に入った様子だ。私も車を停めてじっくり景色を鑑賞するのは初めてだ。

戦場ヶ原は、栃木県日光市、中禅寺湖の北方にある乾燥湿原。男体山噴火の際、溶岩で川がせき止められてできた湖が土砂に埋められて陸地化したもの。赤沼などに湖の面影が残る。

名前の由来は、昔、男体山の主の大蛇と赤城山の主の大百足(むかで)とが戦い、大蛇が勝利してその戦勝の祝賀をもよおしたところという伝説による。
これは小学館の1988/国語大辞典(新装版)に載っている。

最後に昨日は霧の中だった華厳の滝へ。やはり駐車場へ入るための車の列が出来ているので、適当なレストラン(並木)の駐車場に車を入れて滝観光をしてから食事を取ることにする。

エレベーターで100メートル下りて滝を見る。下から見る方が迫力があるが、上の展望台から見るのも趣きが違って面白い。

内田康夫の推理小説「日光殺人事件」に滝の上から身を投げるというのが出て来るが、なかなか大変ながらも滝の上に行く道はあるらしい。身は投げないけれど、1度行ってみたい。しかし滝の上に人が居たら、観光客は驚くだろうなあ。

昼食は車を停めたレストラン(2階)で湯葉定食を食べる。湯葉が甘く煮てあって美味しい。レストランからは華厳の滝を見に来た人達の様子がよく分かる。

 交通量の多いいろは坂を車の流れに乗ってゆっくり下りて帰りも最初の清滝インターから日光宇都宮道路に入る。

東北道も首都高速も帰りは空いていて快適だ。首都高速を下りてから1号線が少し混んでいたが、家に帰る前に夕食の買い物をするために近所のスーパーに寄る。

母は風邪で熱が出ているらしく車から降りないほど疲れている。12年前に旅行した時には元気いっぱいだったのだが、やはり60歳を過ぎると体力が落ちる様だ。両親が元気でなくなって行くのは寂しい。今回の旅行は、父と母が交代で元気になったり具合が悪くなったりしていた。

10月20日 土曜日 晴れ

 午前中に洗濯をしてから両親の荷物を宅配便で送るために近くのコンビニに持って行く。
帰ってみると母親の姿が無い。「あれ?寝ているのかな?」と思いながら布団を干しに2階に上がると、上から庭の草取りをする母親の姿が見える。あら~風邪で具合が悪いのに~と思って私も庭に出てみる。母は雑草が伸びているのが気になった様だ。

今日は父が具合が悪くて動けないので、私ともぐちゃんも庭に出て庭の草取りをする。両親にはうちに来る度に庭の草取りをして貰っている様な気がする。

父はとても寒いそうでガンガン暖房した部屋の中に居る。今年は両親が来たことがきっかけになって暖房器具(ガスファンヒーター)を出した。(と言っても年中ピアノの下に置いているのだけれど。(笑))

 家を出る前に東京に住む弟に電話をしてから午後1時20分発の新幹線に乗るという両親を新横浜駅まで車で送って行く。(弟の家では8月に生まれた丈が元気いっぱい泣いていた。)

電車を使うと宇和島の家に着くのは午後10時近くになるらしい。乗り換えは1回だけだけど、私はやっぱり飛行機の方が速くて楽でいいなあ。

今回両親と一緒に旅行をして、自分が思っていたより両親が年を取っていることを知ることになった。また元気で一緒に旅行が出来るといいなあ。帰省出来る時には帰る様にしよう。


呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.3/3 山陰

2018-10-27 14:25:00 | 旅行
7月04日 水曜日 晴れ

 全日空の超割利用の4日間の旅行の第2弾。
7月末に発表会が有るので、ヤマハの仕事は休まず、今日の夜は空港の近くのホテル(黒湯温泉)に泊まる。明日からの旅行には気合いが入っていて早朝便を予約したから。(笑)

7月05日 木曜日 晴れ、夜になって雨

 今回利用する空港は鳥取空港である。行きの飛行機の左の窓からは殆ど雪の無い富士山がよく見える。

空港でレンタカー(マーチ)を借りてまずは鳥取砂丘へ。砂丘では靴に砂が入らない様に注意しながら1番高い所へ上る。後でレンタルの長靴が有ることを知る。靴のせいで思い切り歩けず、亀の歩みの様にのろい歩みになってしまう。
砂丘は想像以上に高さが有り、驚く。

帰りに観光らくだに乗る。らくだは結構気の荒いらくだに当たり ちょっとびびるが、乗ってみると楽しくて笑顔になる。ただ、5~6分のらくだ乗りで一人2千円というのは高いかな。

らくだに乗った後は店に入って梨ソフトクリームを食べる。梨ソフトは酸味と甘味が程よく調和していてとても美味しい。夏みかんソフトと同じく大好きになる。
店では砂丘耳掻きや梨こんにゃく飴(ゼリー)を買う。

 海岸沿いの道を東へ走り、途中の余部鉄橋下の公園に車を停めて鉄橋を見上げる。上り下りとそれぞれ1両、2両編成の電車が通り過ぎる。
昭和61年に回送電車が突風に煽られて落下し、鉄橋の下にあった工場を直撃して、工場で働く人たちと電車の運転手さんが亡くなったのだが、成る程この高さから落ちたらひとたまりも無いだろう。

 山陰海岸の景色を見ながらドライブし城崎温泉へ。そして近くの玄武洞と温泉寺を見学する。
玄武洞は中に入る様な洞窟では無いのだが、磁力による石で出来た模様がとても面白い。

ここでは大理石で出来たりんごを買う。近くの豊岡市は竹で編んだ製品が有名な所で、店にも竹製品が置かれている。いいなと思うものは何万円もするのでびっくり。りんごの形のバッグはとても可愛らしく思わず欲しいなと思ったが、1万円以上するので我慢する。

 川沿いの道を通って城崎温泉へ戻る。この川は満潮なのか水量が多く、道路からすぐそばに水が見えるので面白い。川の反対側にはJRが走っている。

 城崎温泉にある温泉寺行きのロープウェイは木曜日が定休日ということで、450段(帰りに数えた)の石段を上ることになる。あ~暑い。でも、上ったおばあさんが居たから感心する。

温泉寺駅はロープウェイの途中駅で、山頂も歩いて行けるのだが、そこまで行く気力はなくて、お寺でお守りを買って下りる。

城崎温泉は川があり、橋が有り、柳が風になびいて、そぞろ歩きにぴったりの風情の有る町だが、夕方はまだ暑く、夜になると雨が降り出したので、部屋の中でのんびりする。お湯の温度は熱めである。

7月06日 金曜日 曇り一時雨

 出発前にガイドブックで見た変わりソフトクリームの店に行き、黒胡麻ときなこのソフトクリームを食べる。美味しいけれど、梨や夏みかんのソフトの方がもっと好きかな。宿の人に聞いたのだが、季節によっては「かにみそソフト」もあるそうだ。でも、宿の人からは「かにみそは私は駄目でした。(笑)」と聞いた。

城崎温泉から少し西へ走ると「志賀直哉がこのあたりまで散歩に来た。」という目印にもなっている桑の木がある。歩くと少し距離は有るけれど坂ではないので、自然はいっぱいだし、散歩には丁度良いのだろうと思う。

 鳥取砂丘で食べた梨ソフトがまた食べたくなって、また寄ることにする。
今度は高台に有る昨日は寄らなかった砂丘センターの方へ行く。そこには展望台が有って、砂丘全体を見下ろせる様になっているので砂丘の規模がよく分かる。梨ソフトを食べて、紫蘇巻きらっきょうを買う。紫蘇巻きらっきょうは宿の食事に出て気に入ったから。

今日は雨なので屋内観光をすることにする。
ガイドブックで見つけた鳥取市近くの国府町にある「因幡万葉歴史観」に入る。ここには大伴家持など因幡に関する歴史や歌について、とても詳しく勉強出来る様になっている。歴史や文化の紹介ビデオなど全部見てゆったりと過ごす。
広くてとても良い所なのだが、殆どお客さんが居なくて勿体無い。

他にも流しびなの館など二つ程入ろうと思っていた所が有ったのだが、因幡万葉歴史館であまりにも時間を取ったため、見るのはここだけにする。

 羽合温泉(ハワイ温泉)の近くの東郷温泉へ。今日の宿は国民宿舎である。湖畔に建ちとても大きくて立派な施設で料理もとても美味しくて素晴らしい。
湖を見ながらお風呂に入る。お湯は温めでいつまででも入っていられそうだ。
東郷温泉は散歩する様な温泉街では無いので、ただただ部屋でのんびりするのみ。

7月07日 土曜日 晴れ

 海岸沿いの道路を西へ走る。途中「名和神社」へ寄る。殆ど人が来ないのか、トイレには鍵が掛かっていて、神社の人から鍵を借りて入る。何も警戒しないで入ったら、思い切り蜘蛛の巣の歓迎を受けてびっくり。本当に人が来ないのだなあ。

 また国道へ出て西へ、境港市を目指す。港の近くの駐車場に車を入れて、楽しみにしていた水木しげるロードを全部歩いて妖怪のブロンズ像を見て回る。駅前には鬼太郎ポストもある。

あちこちの店で妖怪グッズ(耳掻きやストラップなど)を買う。私が1番好きな妖怪は鬼太郎の目玉おやじで、携帯電話で話中の「ぬりかべ」の上に目玉おやじが足を組んで座っているストラップはとても気に入って早速使っている。妖怪神社にもお参りする。

水木しげるロードにあるお米屋さん家の柴犬を写真に撮っていたら、飼い主であるお店の奥さんが出て来られて、柴犬の話に花が咲く。犬は1歳と7か月でまだ子供なのだそうだ。慣れない私には大人しいのだが、よく知っているおじさんが来ると、しっぽを振って大喜びしている。1日に4回も散歩するそうで、幸せな犬だなあと思う。

 境港市から皆生温泉へ。ここは海の近くで海水浴にはとても良さそうだ。ただ散歩に向いた温泉街の風情は無いので、街の様子は車で走って見ることにする。

ここの温泉もお湯の温度は温めで長湯が出来る。貸切状態でのんびり湯に入り、出て着替えていたら、母親と子供達(女の子と男の子)の3人連れが入って来た。男の子は私の顔を見るとびっくりして「僕は男だから男湯に入る。」と言って出て行った。おかあさんは「○○ちゃんはいいの。」と言って引き止めたのだが彼は嫌だったらしい。小さくても男の子なのね、と感心した私である。でも、もうちょっと早く出ていてあげれば良かったかな。他には誰も居なかったのだから。

7月08日 日曜日 晴れ

 昨日行った境港市へ戻り、境水道大橋を渡って鳥取県から島根県への美保関へ向かう。
美保関では明治31年に建てられた灯台やフランス人が設計した旧官舎(現在はレストラン)を見る。旧官舎はお洒落で暮してみたい家だ。山陰の海は美しい。

橋へ戻るまでに海の中に立っている灯台を見つけ、車を停めて写真を撮る。干潮には陸地と道路で繋がるのかもしれない。ちょっと不思議な景色だ。

晴れているので、大山へ向かう。大山寺を参拝し、寺の鐘をついて、ブロンズの牛の頭をなでて、おみくじ(大吉♪)を引く。またお守りでもあり、ストラップでもある可愛らしいカラス天狗を買う。

大山寺の裏から遊歩道を通って隣の神社へ行く。とても古い建物だ。今日も長い石段を歩くことになる。
参道を下りて、麓の店でNHKの「のど自慢」を見ながら美味しい蕎麦を食べる。

 さて、大山を出発。スキー場などを見ながら山の中を走り、国道9号線へ出て鳥取へ向かう。
道の駅「大栄」は道の駅第1号だと言う。名探偵コナンのブロンズ像が有るのだが、何故だか分からない。
ここではスイカソフトクリームを食べる。淡いピンク色で可愛らしいのだが、特別に変わった味はしないし、スイカだか何だか分からない味だ。やっぱり梨ソフトがいいな。

途中9号線沿いに白兎海岸、白兎神社が有るので車を停めて少し歩く。海岸には海水浴客やサーファーが夏を楽しんでいる。

その近くにある白兎神社は無人の様だが、人が通るとセンサーで神社の解説テープが流れる様になっている。知らなかったので、ちょっとびっくりした。(笑)
神社の休憩所で缶コーヒーを飲みながら休憩する。帰りににょろにょろ蛇を見てびびる。蛇の方こそ怖かった様で、すぐに逃げて行ったが。

9号線は混んでいて「ああ、日曜日は鳥取でも渋滞するんだなあ。」と思っていたが、それは事故渋滞で、渋滞もすぐに解消し、後は快適なドライブに戻る。やはりこの位すいすい走れるのが普通の生活だと思う。横浜は混み過ぎる。

今回は海を見ながらドライブする機会が多い。山陰の海岸は、どこも波が高く泳ぐのはちょっと怖い感じがする。この旅行中に山陰の浦富海岸では高校生2名が行方不明になっている。

 鳥取空港は小さい空港だが今日の18時50分発の羽田行きは満席なので人は多い。レストランのメニューは少ないので美味しいシーフードピラフでビールを飲む。

空港で買った梨羊羹は、食べると口の中に梨の味と食感が広がって珍しいし美味しい。味見のため1本しか買わなかったのが残念だ。

今回の旅行はとても楽しかったのだが 晴れて暑い日が多く かなり日焼けしてしまった。特に腕は軽い火傷状態になっている。運転席側の右腕は特に酷い。早く治ります様に。

呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.2/3 耶馬溪

2018-10-25 18:00:00 | 旅行
7月01日 日曜日 広島は雨、山口は曇り、九州は晴れ

 呉市を出発し、山陽道を使い、関門橋を渡って九州へ渡る。広島までは降っていた雨も上がり晴れて暑くなる。

今日の目的地は大分県の耶馬溪である。これは小学生の時に読んだ菊地寛の「恩讐の彼方に」という小説(実話を元に書かれたもの)の舞台になった所である。
禅海和尚が30年の歳月をかけて掘った青の洞門を見ると、その心の強さに感動する。

 ここでは、他には道の駅「耶馬トピア」、耶馬溪橋(オランダ橋)、深耶馬溪の一目八景、裏耶馬溪、羅漢寺橋を見る。

非常に暑い日で、立っているだけで汗が流れ落ちる。宿では2リットル位の水分を取ることになる。

 耶馬トピアでは、蕎麦風味そうめんを食べる。麺は薄い灰色で太さはそうめん位だ。そうめんも美味しいが、付いて来た塩おにぎりがとても美味しくて(ただ塩味だけなのだが)その大きめのおにぎりを二つとも全部食べる。やっぱり旅行ダイエットは無理そうだ。

オランダ橋も羅漢寺橋も車が通れる石橋で(但し、幅は車1台分しかない)誰も来ていないので車で通ってみる。羅漢寺橋は小さくて、石と石との間には沢山の草が伸びている。

 羅漢寺に行くと、リフトの時間がゆっくり見学するとぎりぎりかなあという所だったので、また明日来ることにする。「リフトは8時半から動くよ。」と教えて貰う。

 今日の宿「山国屋」はとても古い建物だ。旅館でもあり、ユースホステルでもある。
私はユースホステルとして泊まったのだが、女性の宿泊客は私ひとりなので、ひとりでのんびりする。

2階のその部屋からは、庭石の上で子猫が母猫のおっぱいを吸っているのが見えて「なんて可愛いんだろう♪」と写真を撮る。

ただ、夜にその部屋でムカデを見つけた時にはびっくり。建て直す前の実家にはよくムカデが出ていたのだが、最近では全然見なくなっていたから。

要らない大きめの紙の上に本を乗せてムカデの上から落として一応謝っておく。
ムカデは1匹見つけると、必ずもう1匹居ると言われるが「もう居ないことにしよう。」と心に言い聞かせて寝ることにする。

7月02日 月曜日 晴れ

今日は母の64歳と港町小学校の122歳の誕生日。おめでとうございます♪

 朝起きてムカデの上に乗せた本を取って恐る恐る見てみると、なんとまだムカデが弱々しいながらも少し動いている。これにはかなり驚く。紙でそっとすくって、2階の屋根の上に落とした。宿の人にはムカデが出たことを言わなかった。古い建物だから、言ってもどうしようもないだろうと思ったから。

 まず羅漢寺に行く。シーズンオフで観光客は殆ど居ない。リフトの運行開始は実は9時だったのだが、私ひとりのために動かしてくれて、私が下りたら、またリフトは止められた。

寺はリフトの途中駅に在り、自然の作った崖を利用して建てられた寺の景色は圧巻である。
山頂駅には展望台が作られていて遠くには阿蘇山も見える。
しかし兎に角暑い。この時期は湿度が高いため8月より暑いそうだ。

リフト乗り場にある「禅海堂」には青の洞門を掘るのに実際に使われたノミと鎚が有るのだが、管理しているお婆さんは時々休むそうで、今日もお休みだったのをリフト乗り場で働く女の子に呼んで貰って開けて貰うことが出来た。こちらの人は皆親切である。

禅海堂は禅海和尚のお墓である。(お墓を建物で被ってある感じ。)ノミと鎚は2種類有るが、どちらも鉄製で大きい方は非常に重そうである。私なら5分も作業をしたら疲れてしまうだろう。

 午後は関門橋を渡る前に門司港で観光をする。展望ビルから見る関門橋と下関(巌流島も見える)の景色は見る人を喜ばせてくれる。

それから、ここにある「オルゴール館」にはオーケストラの様なオルゴールなど私は初めて見るタイプのものが沢山有る。ダービーという競馬ゲーム付きのオルゴール(アメリカ製)も楽しい。

 来た時と同じ道路だが、通る方向が違うと景色も随分違っている。来る時には見えなかった橋の様子や火の山がよく見える。

宇部市まで山陽道が出来ていて宇部市にはとても早く到着する。一旦空港に入って、前の便に変更出来るかどうか聞いてみたら、バーゲンチケットは変更出来ないとのことなので、時間潰しに市内の空港のすぐ近くにある「ときわ公園」に行くことにする。

 ここには野生だがとても人懐っこい白鳥やペリカンが居る。
テレビでも有名になったカッタ君も遊んでいる。最初の何羽かをカルカッタから貰った所から「カッタ」という名前が付けられたそうだ。遊びたがって近づいて来るらしいのだが、目の前に歩いて来られると大きいのでペリカンは怖かった。

園内の石炭歴史館(無料)は閉まる寸前だったのだが、係りのおじさんが親切に入れてくれて見学することが出来る。またここには展望塔が有り、公園や海や宇部の街の景色を見ることが出来て幸運だった。

公園のベンチに腰掛けてジュースを飲んでいたら、ここの管理をしているおじさんと、横浜に長く住んでいたというおじさんとおしゃべりをすることになる。
そして この人たちからさっきのカルカッタの話など色々と教えて貰う。
ときわ公園でも夜になると花火をする若者が来るそうで、鳥たちが驚いて困ると嘆いておられた。

 空港へ戻る前にガソリンを満タンにしようとするが、聞いていたガソリンスタンドが見つからない。レンタカーの窓口に電話で場所を確認すると「空港から信号2つ目で、とても近い。」と言われる。信号の数で分かったが、空港からは1キロ以上離れていて、私の感覚ではちょっと遠かった。

山口宇部空港のレストランで、お寿司と冷やしうどんの入ったセットに蛸わさびをつけて冷酒を飲んで機上の人となる。

 羽田空港から横浜駅までのバスでは左側の最前列になり、湾岸線からの夜景を楽しむ。
25分で横浜に到着し、駅からまたバスで帰る。高速バスでは起きていたが、路線バスではお酒のせいかうとうとしてしまう。

帰宅して思ったこと、それは「ああ、次は山陰の旅行だなあ。」
但し、火曜日、水曜日の2日間、ヤマハの仕事をちゃんとしてから。

7月03日 火曜日 晴れ
 旅行と旅行の間の仕事をする日。午前中には洗濯をする。明日も通常通りの仕事をする日だ。

呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.1/3 呉市

2018-10-24 21:40:00 | 旅行
呉&耶馬溪&山陰旅行の日記

2001年 6月29日~7月8日
全日空の超割旅行(呉、耶馬溪、鳥取砂丘など)

6月29日 金曜日 ぱらぱら雨時々曇り

 全日空の超割利用の4日間の旅行第1弾の初日。山口宇部空港にお昼頃に到着し、レンタカー(トヨタのスプリンター)で山陽自動車道を東へ向かう。途中スプリンターのカウンタが666666になってちょっと嬉しい。
中国道はいつもの様に空いていて快適だ。

 岩国インターで降りて錦帯橋へ。河原に有る駐車場は川が増水しているらしく閉鎖されているので別の駐車場へ車を停める。平日のせいか観光客は少ない。

錦帯橋は見た目はとても急なのだが、実際に歩いてみると歩き易い様に場所によって傾斜が変えてあってとても楽だ。設計力にも技術力にも感心する。離れて見る橋はやはり噂通り美しい。

橋から山を見上げると芸予地震で被害を受けたため修復中の岩国城の天守閣が見える。
岩国市は落ち着いた街で趣きが有り私は好きだ。山口県と広島県は隣り合っていても雰囲気はかなり違っている。(山口県の方が広島や呉の雰囲気より私の好みに合っている。)

 岩国から呉市までは海岸沿いの国道を走る。
思っていた程、走りながら海を見ることは出来なかった。
広島呉間も自動車専用道路を使わず国道を走る。
昔通った呉市の港町小学校の円形校舎は道路からもよく見えたが、他には懐かしい場所は見ることが出来なかった。すっかり忘れているのかなあと思ったが、翌日知ったことには、昔住んでいた所は通っていないので、分からなくて当然だった。

 駅前にある呉ステーションホテルにチェックインする。呉駅から1番近いホテルは阪急ホテルだ。それは新しくて立派なのだが、呉ステーションホテルの部屋からは呉駅とその向こうに港が見えるので、とても嬉しい。

夕食は駅ビルの中の和食の店で「安芸御膳」を食べる。安くて入り易くて美味しくて良い店だ。ここでは翌日の夕食も取ることになる。

6月30日 土曜日 曇り時々晴れ

 午前中に歩いて出掛ける。呉駅から一駅先の川原石駅を下りた所に港町小学校がある。
港町小学校は 私が入学から2年生の1学期まで通った小学校。



学校では教頭先生に(帰る時にその人が教頭先生だということを知った)学校内を丁寧に案内して頂く。
円柱形校舎の最上階の4階からは360度景色がよく見える。海と反対側の山側には階段住宅が沢山あり、やはり地震の被害を受けてまだ青いビニールシートが掛けてある屋根を沢山見かける。

私が居た頃(1学年3クラス)とは違って、生徒数が半分以下に減っているので、空き教室を昔の生活展示室にして利用している。おかげで小学1年生の時の教室に入ることが出来た。円柱形校舎は普通廊下になる所がホールになっているので、私は好きだ。

先生からは校歌の楽譜と演奏テープを頂く。校庭の端(幼稚園側)にはプールが出来ている。プールは昭和46年に出来たということだ。25メートルで4コースの可愛らしいプールだ。プールや校庭で楽しむ子供達が可愛い。校庭からも呉の港がよく見える。

 小学校を出てから、その隣にある聖慈幼稚園へ行く。幼稚園児だった当時から狭いと思っていたが、やはり狭い。幼稚園の運動会は小学校の校庭を借りてしていたのだが、1度雨で延期になり、小学校の校庭が借りられず幼稚園の庭で開かれたことがあった。今考えても、この広さでよく出来たものだと思う。

 学校周辺の商店街、通学路、昔住んでいた所、その隣にあって昔よく登った水源地への石段(172段)、防空壕が続く通り(半分位は工事をして壁になっている)など懐かしい所を写真を撮りながら歩く。

 新宮寮が在った所は現在は日立の工場と集合住宅になっている。その裏は昔は大雨が降るとすぐに崖崩れを起こす山だったのだが、現在は一戸建ての集まる住宅地になっている。

隣の水源地へ登る石段はほぼ昔通りに残っている。「関係者以外は立ち入り禁止」と書かれているが、柵は無いので上ってみる。
石段脇の木々が大きくなって石段は日陰になる。

昔はシロツメクサが沢山咲く広っぱだった所は今は柵で囲まれていて入ることは出来ない。
ここにはよく平日の昼間に母、弟と来たものだ。母から聞いた話では、新宮寮でハーモニカを吹くと近所迷惑なので、ここに連れて来て吹かせていたのだということ。私の記憶の中のこの場所は 天国とはこういう所なのだろうと思う夢いっぱいの場所である。

石段を下りていると、高校生のカップルが石段途中に並んで座っておしゃべりをしているのに出会う。誰も来ない場所だからデートには最適なのだろう。後ろ姿を写真に撮らせて貰った。

 次に若葉寮や海上保安大学校が在る所へ向かう。
昔は防空壕がずっと続いていたのだが、現在は半分位は工事が完了して防空壕があったことが分からない様になっている。残り半分は丁度工事中なのだが、塞いであるものの防空壕の入り口がそれと分かるので、昔を懐かしむ旅をしている私としては嬉しい。
もう少し来るのが遅かったら 防空壕があったことさえ分からなくなっているのだろう。

海上保安大学校からジャージを来た学生がタクシーに乗って次々と通る。私は写真を撮りながらふらふら歩いていると、工事のおじさんに「トロトロしていると轢かれるぞ。」と言われた。呉の人のイメージが悪くなった。(爆)

 若葉寮では、いかにも平日の官舎らしく、小さい子供を連れた母親達がおしゃべりをしている。
海では釣り人がひとり。
都会の通勤などとは比べものにならないが、ここは呉中心部に出掛けるには車が無いと不便な所だ。

 川原石駅までゆっくり戻る。
バス停は昔と同じ場所に有るが、バス停の名前は変わっている。
昔は「海岸通り8丁目」だったと思うのだけれど、幼かったので 自信は無い。

7丁目止まりのバスと 8丁目まで行くバスの違いが分からず 運悪く7丁目止まりのバスに乗ってしまうと 子供にしては長い距離を歩かなければならなかった。途中に住宅が無くて 1区間が長かったのかもしれない。
今は家が増えて 何も無い区間は 無くなっている。

小学1~2年だったけれど ひとりでバスで耳鼻科に通って居た。
住宅の風上に亜鉛工場があったそうで 耳鼻科に通う子供が多かった。
愛媛県宇和島市に引っ越してからは 通うことは無くなったので やはり環境のせいだったのだろう。

昔住んでいたもうひとつの官舎を探して歩く。母から「黒瀬鶏卵」の鳥小屋になっていると聞いていたので、それらしい建物を探すが、どこにも無い。そこは官舎として使われる前はダンスホールだった建物だ。

ふと、ブランコのある小さい公園を見つけ、よく見ると隣にトンネルが在る。そうそう、トンネルを通って山に遊びに行ったりしたっけ。
小学生の頃には普通のトンネルだと思っていたのに、今見るととても小さいトンネルで、トンネルを抜けると山だったのに、今は住宅地になっている。しかしトンネルと公園のおかげで住んでいた場所が分かって嬉しい。

あまりの暑さに近くのスーパーに入って、中の喫茶コーナーでアイスコーヒーと梅ゼリーを食べる。

 そのスーパーから実家の母に電話をして情報を仕入れる。母からは、呉中心部に行ったら私がよく好物のうどん屋さんを探した商店街や孔雀が沢山居る小さい動物園に行ってみると良いと言われる。

電話のそばに居たおじいさんに昔の話を聞くと、呉市が人口40万人居て賑わっていた頃の話を沢山して下さった。動物園のことを聞くと、それは今は公園になっていると言う。とても親切な人だった。

 スーパーを出てまた歩き始める。八百屋のおじいさんに「昔、私が小学生だった頃、この道は通学路でした。犬を沢山飼っていた家があって、その前を通るのが楽しみでした。」と言うと、おじいさんはとても懐かしそうな顔をして「ああ、犬を飼っていたのはあのあたりだよ。相当昔の話じゃなあ。」と教えて下さった。そこで色々と昔の話をした。

犬を沢山飼っていた家の辺りは 朝鮮人で 母と弟が結婚式に行き合わせた時に 花嫁さんを見て 幼い弟が
「お母さん、お母さん、おとひめさまが居るよ!」と大喜びで叫んだと 後年母から聞いた。

さっきのスーパーで会ったおじいさんもそうだが、昔の話を懐かしんでしてくれる人は皆、遠い目をしている。

学校の帰り道だけ通った裏道(朝鮮人)、母との思い出の横断歩道、小学校近くの商店街を見て、川原石駅からまた電車に乗り、呉駅へ戻る。

 一旦ホテルへ戻り、車に乗って音戸大橋や昔通った耳鼻科のある吉浦へ行く。吉浦では耳鼻科の在った場所は分からなかったが、町の様子は記憶に近いものだった。ただ、記憶していたより道路の幅は狭かった。
車で走っただけで、ホテルに戻る。

 歩いて街に出る。メイン通りの中通りと本通りを歩く。呉市内の商店街の中通り(れんが通り)は、私の記憶には残っていないのだが、地方都市にある商店街という感じだ。所々閉まった店があるのも、この時代のせいだろう。

母から聞いた「昔は孔雀が沢山居た公園」を探す。商店街のはずれにあると聞いたので、そう思って探すとすぐに見つかった。現在は堺川公園という名前で、整備されて綺麗で沢山の子供達が遊んでいる。

私は動物園のことはあまり覚えていないのだが、弟と一緒に孔雀が羽を広げるのを待って、羽を広げると大喜びしたことだけは、はっきりと覚えている。
たまたま通りかかったおじいさんに「ここは昔、孔雀が沢山居た公園ですか。」と聞くと、
「ああ、孔雀、おったなあ。でもだいぶ昔の話じゃなあ。」と言って、そのまま去って行った。やっぱりここがそうだったんだ。

 商店街を抜けて地図を見ながら、今回の旅行のきっかけになった、インターネットで呉市内の小学校の掲示板を持っている「ささき酒店」へ行く。

この酒店の若主人(私と同年代の人)に掲示板で港町小学校の書き込みをした本人であることを告げると、御主人よりその隣に居た奥さんがぱっと笑顔になって喜んで下さった。「雨後の月」という地元でしか買えない純米吟醸の4合瓶を1本買って、お店を出る。

帰りは川沿いの歩道をのんびり歩く。朝から気温も湿度も高くてとても暑い日だ。
駅ビルの中の店で晩酌セット(生ビール)を食べる。暑い日のビールは最高♪

 今日は1日、とても充実した日だった。私が呉市に住んでいたのは、幼稚園から小学校2年の1学期までの短い間だが、第2の故郷の様でとても懐かしく、今回こちらに来て本当に良かったと思う。