としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

札幌スキー旅行 2001年

2018-10-23 21:00:00 | 旅行
札幌スキー旅行の日記

2001年 1月 札幌スキー旅行の日記

1月26日 金曜日 晴れ

 16時羽田発千歳行きの全日空で札幌へ行く。
全国どこへでも片道1万円、というバーゲンチケットと、ワンモアサービスでホテルを利用するため、普段は1泊1万5千円から、というホテルの宿泊代も、朝食付きで1泊7千円になり、貧乏な私にとってはとても有難い旅行になる。飛行機では久し振りに2階席になる。

 札幌駅から徒歩3分のセンチュリーロイヤルホテルへ向かうが、取りあえず駅の南口に出る。駅前通りのイルミネーションが美しい。雪が残る道路を少し歩き、最後に横断歩道を渡る。

とても滑り易いので注意して歩くが、それにも関わらず「あっ!あっ!あっ!!」と3回滑りかけてそのまま尻餅をつく。尻餅をついた直後の感想は「何故全然痛くないんだろう。」だった。濡れたのは右のお尻部分だけなので、右のお尻のクッションの良さで痛くなかったのだと納得する。太っていて良かったのかな。(笑)

慌てて起き上がったので気付かなかったが、後で気付いたことには、横断歩道上に500mlのコーヒーの入ったペットボトルを落として来てしまった。でも、もう取りに帰ることはしなかった。

ホテルにチェックインし(13階の部屋)荷物を置いてすぐに出掛けることにする。もう転びたくないので、駅までの地下道へ続く道を教えて貰う。このホテルは駅からコンコースで繋がっていて便利なのである。(最初から地下道を使えば良かった。)

 地下街の靴屋で両親から頼まれていた靴の裏に貼るタイプの滑り止めを買う。そして金沢の笹寿司を買ってホテルに帰って部屋で食べる。これが今日の晩御飯になる。来る時の飛行機の中でサンドイッチを食べていたので、軽く済ませたかったから。
でも、後で夜中に空腹になり、母親から預かっていたもぐちゃんへのお土産のチョコレートを開けて、3個食べることになる。(爆)

話は戻るが、買い物を終えてホテルに戻る時に靴が壊れているのに気が付く。
この靴は10年前に買ったもので、古いし靴底はつるつる滑るし危ないので、さっき滑り止めを買った店に行き、セールで3千円で売られている雪道用の靴(裏に金属のスパイクが付いているもの)を買う。

お店の若いおにいさんはジャニーズ系のハンサムボーイで、しかもとても感じが良いのですぐにファンになる。
「もう1足、私のサイズの靴が残っているなあ。」と思いながら店を出る。この残っていた靴は28日にまた買うことになる。今年は横浜もよく雪が降るし、スキー旅行用にしてもいいなあ、と思うから。軽くて滑らなくて見た目は普通でとても良い靴である。

 ホテルのお風呂にはテレビがついていて、とても便利だ。今まではお風呂にテレビなんて要らないよ~と思っていたが、有ればとても有難いものだということが分かる。

モーニングコールを午前6時にセットして午後11時前にベッドに入る。しかし、普段の生活と同じで、早い時間にはなかなか眠れず、結局午前3時まで眠ることが出来なかった。でも、明日の天気予報は晴れ後曇り、これは是非朝1番にスキー場に行かなくては!

1月27日 土曜日 晴れ、午後曇り時々雪がちらちら

 睡眠時間3時間でモーニングコールに起こして貰って、6時半からの朝食に19階の和食レストランへ行く。レストランは1番乗り♪ 
夜が明けるのが窓から見られて嬉しい。和食の朝食は何とか全部食べたが、あまり好きではないおかずが有るので、和食の朝食は今日だけにしようと思う。

 札幌駅7時58分発の手稲駅行きのJRに乗り(所要時間15分)手稲駅から8時19分発テイネハイランドスキー場行きの路線バスに乗る。30分弱でスキー場に到着し、宅配便で送っていたスキーやブーツを受け取って準備をする。

土曜日のリフト運行開始の9時半まですこしのんびりして、運行と同時にリフトに乗って山頂へ。山頂からは石狩湾から札幌の街までくっきりとよく見える。最高のスキー日和だ。

 ゲレンデはまだ圧雪車の跡が少し残る位、人が滑っていなくてとても嬉しい。
1本目はダイビングの時と同様にドキドキしていたが、雪が良いおかげで抵抗なく滑ることが出来てほっとする。

お昼前のこと、上級者ゲレンデの合流地点に止まっている人が沢山居るので、私も止まって様子を見ていたら、突然胸のポケットに入れておいた携帯電話が鳴り始める。それはスキーセンターで正午に待ち合わせていたもぐちゃんからのものだった。飛行機の予定到着時刻よりも早い時間の電車に乗ることが出来て、予定より30分早く着いたらしい。その携帯を受けてからすぐにスキーセンターへ下りる。

 カフェテリアでお昼御飯を食べる。私はいくら丼セット1200円を頼む。漬物や白味噌仕立ての私向きの美味しい味噌汁が付いていて、とても満足する。これは最終日のお昼にまた頼むことになる。

休憩の後、午後5時までスキーを楽しむ。
帰りはスキーやブーツをスキー場に預けて、来た時と同じく路線バスとJRでホテルへ帰る。

路線バスでは左側の最前列に席を取る。この日は滅多に無い位の夜景が綺麗に見える日で、前の座席に座って良かったな~と思う。元々私は事情が許す限り、この席に座るのである。28、29日も帰りはこの席に座ることが出来た。夜景が綺麗に見えたのは初日だけだったが。

 今日は夜景がくっきり綺麗に見える日なので、夕食はホテルの最上階23階の展望レストランで取ることにする。このレストランは1時間で丁度360度回転するレストランで、私達はゆっくり食事を楽しんでぴったり1時間で食べ終える。

このホテルでは札幌地ビールを作っていてお酒はその地ビールを頼んだ。
ビールは中ジョッキ1杯しか飲まなかったが、昨日の睡眠時間が3時間と短いことと、スキーで心地よい疲れを感じていたことで、入浴後はすんなりと眠ることが出来た。

1月28日 日曜日 曇り時々雪

 今日も6時に起床して6時半から朝食を取る。今日は2階のレストランでの洋食バイキングである。コーヒーも有るし、やはりこちらの方が良いかな。明日も同じくここで食事を取ることにする。

昨日と同じ時間にホテルを出て、JR、路線バスを使ってスキー場へ行く。路線バスの中は子供達でいっぱいだ。この路線バスは学校が休みの日と日曜日、祝日に関しては、とても便数が多いのだが、平日になるとぐっとその数は減る。昨日も今日も便が多い日なので、ラッキーだ。

 日曜日はリフトが8時半から運行するので、到着して、預けていたスキーを受け取って、9時から滑ることになる。

リフト乗り場で仕事をするハンサムな若者を見つける。黒くて真っ直ぐな長い髪を後ろでひとつに束ねている。髪の長さは腰まで有るだろうか、女性でもあまり居ない位の長さである。名札を見たら、これまた姓も名も珍しいものですぐに覚えてしまった。来年来ても同じ髪形でいてくれるかな。

 このスキー場は私が10年前にスキーを始めた所で、その当時2年間は会員になってよく出掛けていた。1年目は70日、2年目は50日通ったのである。「もう1年居たら、上級者になれたかも。」と札幌を去ることがとても残念だったことを覚えている。

スキー場で働く人達に当時から「毎日よく頑張るね~♪」と声を掛けられていたのだが、今回もひとり覚えていてくれた人が居て、話し掛けて来てくれた。10年前と殆ど変わらないおじさんである。他にも10年前から変わらず働いている人を見かけると何となく嬉しくなる。

 昔は無かったボーダーのためのハーフパイプやジャンプ台が出来ていて、上手にジャンプする姿を楽しく見ることが出来る。ジャンプ台の方はスキーヤーも使っていて、モーグルのジャンプの様に回転したりとそれぞれが楽しんでいる。

スノーボードが出始めの頃はまだまだみんな下手なので事故が起こることも多かったが、今ではスキーヤーと変わらない位レベルアップしていてほっとする。

 しかし、スキー人口が減ったことや、スキー場が増えたことなどが原因だと思うが、テイネハイランドスキー場でもオリンピックハウスや研修センターが閉まっていたりして、少し寂しい。ゲレンデにホテルが無いことも不便に思う。

 お昼御飯はレストランが混んでいて並ぶのが面倒なので、あまり並ばなくても買える「肉まん、あんまん、ホットミルク」を頼む。ホットミルクが甘くて美味しい。もぐちゃんは頑張って並んで味噌ラーメンを食べたが、聞いてみると、とても美味しいラーメンだった様だ。
お昼を食べて、午後4時半まで滑る。

 ホテルへの帰りに札幌駅で明日の新千歳空港行きのJRの指定券付き乗車券を買う。指定券は300円と安い。

そして、また靴屋に寄って同じ靴を買う。あのハンサムな若者は今日は居なくてお店の御主人らしき年配の男の人が居た。
御主人は私の履いている靴が同じものだとすぐに気付いた様だ。
「軽くて滑らなくて気に入ったのでまた買いに来ました。」と言うと、「そして安いからでしょ。」と言われた。(爆)言われてみれば、そうだと思う。(笑)

 夕食は2階のレストランでタラバガニなど食べ放題バイキング3800円を食べる。地ビール3種類セット600円もなかなか良い。ひとつだけ 飲んだ後にくさみが残るものが有った。

タラバガニはそうでも無かったのだが、他の料理が兎に角美味しくて、おかわりして沢山食べる。やっぱり美味しい料理は嬉しい。タラバガニを食べる時にハサミを使っていて、カニのとげで指を少し切ってしまった。なんて不器用なのだろう。

 部屋に戻って「あるある大事典」(テーマはプレッシャー)を見ながらお風呂に入る。私はプレッシャーに特別弱い方なので、かなり真剣に見る。取りあえず「鼻で息をすること。」というのは覚えたので守れそうだ。
今日もぐっすり眠る。

1月29日 月曜日 晴れ

 朝から晴れる。しかし、今日は時折強い風が吹いて、顔が寒いというより痛い。風の強さによって滑るゲレンデを変えながら、午前10時から午後3時まで滑る。

初日でも満足していたのだが、やはり日数を重ねると段々滑り方を思い出して来て、初日より少しうまくなる。札幌に住んでいれば、「毎日午前中だけスキーをして午後から仕事に行く。」というとても健康的な生活が送れるのになあ、と思う。

 今日は平日で、スキー学習の高校生が沢山来ている。札幌の学校ではスキーが学校行事に入っているが、その回数は少なくて、高校生の女の子など見ているとあまり上手では無い子が沢山いる。でもみんな楽しそうで「きゃ~きゃ~!!」と叫びながら滑っている。

ちょっと急な斜面を「きゃ~!!」と言いながらボーゲンで思い切り直滑降していた女の子は、ちょっと左へ向いた拍子に雪の崖をそのまま飛んで落ちて行った。(爆)崖と言っても、その下はまた違うゲレンデだし、丁度木の無い所だったので、怪我をする所ではないのだが、やはりびっくりする。

他の友達もレベルは大体同じ位で、後でこの女の子達を上級者コースで見かけたのだが、こぶの急斜面をこわごわ後傾の姿勢になってボーゲンで下りていた。ちょっと可哀想だった。でも沢山転んだとしても、きっと後では良い思い出になるのだろう。

 スキーを終えて、スキーの雪を落として宅配便で送る手続きをして、午後4時3分発の路線バスで手稲駅へ向かう。
JRは平日ということも有って混んでいたが、指定券を持っているので座ることが出来る。指定席は座席も新しくてゆったりしていて快適である。

 空港に着いてチェックインの手続きをしてから、「もう1度ラーメンが食べたい。」というもぐちゃんのリクエストに応えて「青龍」というラーメン屋さんに入る。

私は味噌ラーメンを食べる。普通の味だった。店はとても混んでいるし、待っているお客さんも居るので、食べ終えるとすぐに店を出る。

もぐちゃんは18時10分の飛行機なので、一足先に出ていた。
私は19時35分発の飛行機なので、出発の時間まで喫茶店に入って生チョコレート4粒とコーヒーのセットで時間を潰す。

ここでコーヒーを2杯、飛行機の中で1杯飲んだため、帰りは飛行機でもバスでも全然眠くならなかった。飛行機の中では全日空寄席の桂文珍さんの「老婆の休日」を声を出さない様に我慢しながら心の中で大笑いをする。帰りの座席は1階席の前から4番目だった。

飛行機は少し遅れるが、羽田からの高速バスにはすんなり乗れたし(23分で横浜駅に到着する)、22時1分の路線バスにも充分間に合って23時前には帰宅することが出来た。

 横浜の夜景はとても綺麗で高速バスで補助席の最前列に座っていた私は、とてもよく見ることが出来た。

驚いたことには、湾岸線の路肩には土曜日に降ったらしい雪がまだ残っている。市内も路肩や歩道などまだまだ雪が残っていて、土曜日の雪がいかに多かったかがよく分かる。自宅近くも道路の脇には所々残っていたが、歩いたり車に乗るには問題が無さそうだったので、少し安心する。

最低1年に1回はしたいスキーだが、まだ1月が終わる所だし、またスキーに行きたいな、と思う。
(翌日の30日に、増えていることを覚悟して体重計に乗るが、減ってもいないが全然増えてもいなかった。あんなに食べたのに、と驚く。運動すれば沢山食べても太らないのだなあ。またスキーに行きたいな♪)

萩・津和野旅行 2000年

2018-10-22 18:00:00 | 旅行
萩・津和野旅行の日記

2000年 12月 萩・津和野旅行の日記

12月01日 金曜日 晴れ

全日空18時15分羽田発20時山口宇部着に乗る。
羽田空港のロビーで隣に座ったカップルの男性の方が「あれ?この航空券には、ミシン目が入ってないね。これで切れるのかなあ。」と言う。私は、つい笑ってしまう。なんだか可愛い ♪
飛んでいる飛行機の窓から三日月が見える。機上で月を見るのは初めて♪嬉しくなる。

山口宇部空港からはバスで小郡へ。駅前のビジネスホテルに泊まる。
夜に居酒屋「陽菜」で呑んでいる梅ちゃんから電話が入る。ご機嫌な様子。私はホテルの自動販売機で買ったビールを気持ち良く飲む。

12月02日 土曜日 晴れ

6時58分に目覚まし時計よりも早く目が覚める。旅行中は早起きになる私である。朝焼けが美しい。

8時25分小郡発の山口線(ディーゼル車)で山口駅へ。小郡駅の店には美味しそうな朝ご飯がいっぱい。急ぐのでそれを横目に見ながら通り過ぎる。

山口駅からタクシーで瑠璃光寺へ。タクシーの中で、おなかが、ぐうと何回も鳴る。瑠璃光寺では、五重塔、鏡を持つ可愛らしい閻魔大王、大きな木魚、巨大なりん、うぐいす張りの石畳、毛利家の墓などを見る。そして極楽への切符、五重塔の絵葉書を買う。
同じ木なのに黄色と赤色の葉をつけたもみじが面白い。

それから隣に 有る洞春寺へ行く。ここには養護施設が有って、お坊さん先生に「いやじゃ~」とおじさん声で甘える坊主頭の小学生位の男の子が居た。何度も「いやじゃ~」と言うので笑ってしまった。
見学の帰りは県庁前から山口駅までバスに乗る。

銀杏並木の商店街は開店前の店が多く寂しい。
新幹線の止まる小郡駅前の賑やかさに比べて山口駅は小さくて賑わいも無い。
「山口市は活気の無い町だなあ。」と思うが、この印象は2日後に修正されることになる。

駅の傍では食べ物屋を見つけられず、自動販売機(ホット・キッチン)のたこ焼きを食べる。意外に美味しい。

山口11時38分発の山口線(1両)で津和野へ向かう。途中の地福(じふく)駅で、後ろから来る特急と対抗する汽車の通過待ちのため19分も停車し、びっくりする。

汽車の中で山口駅で買ったふぐ蒲鉾を食べる。山口線は山の中を走る。津和野もそうだが、どこのでも明るい茶色の屋根の家を沢山見る。ちょっと不自然な色である。

津和野駅前で借りたレンタサイクルで津和野町の散策をすることにする。汽車の窓からでもひときわ目立っていた太鼓谷稲荷神社へは麓に自転車をとめて石段を上る。朱色が派手で趣きが無いので私は嫌いだ。

津和野城跡へは急な上り坂を少し自転車で頑張って上り、パーキングからはシングルリフトで上る。そこから少し歩くと城跡に着く。今は石垣だけが残っている。城跡からは津和野川に沿う細長い町の様子がよく分かる。

山を降りる途中に大きなどんぐりの木を見つけて、どんぐりを沢山拾う。まつぼっくりは二つだけにする。
パーキングの自動販売機にポッカの「おみくじら」というジュースが有り、面白いので買って飲む。「今日はぐっすりおやすみくじら。」と有り、いつも夜更かしの私は、なるほど、と頷く。

山を下りてから、森鴎外記念館(旧宅)、津和野で楽しみにしていた鯉が泳ぐ堀が有り、白壁が美しい殿町通り、葛飾北斎美術館を見る。

通りの短い間に3つの蔵元(古橋酒造、橋本本店、華泉酒造)を見つけて蔵元巡りを始める。それぞれの店で小さいサイズの酒を買う。試飲した中では、華泉の甘口の生酒がとても気に入るが、4合瓶以上のサイズしか無いので買うのは諦める。

レンタサイクルを返却して、ホテルに入る。駅から徒歩圏内だが目の前という程近くは無いので、夕食はホテルで取ることにする。なぜかステーキセット。

和食にしなかったのでホテルの部屋で寝る前に今日買ったお酒を呑む。おつまみは、ホテルの売店で見つけた一見お菓子のような漬物。甘くて美味しい。静かな津和野の夜である。そして静かに眠る。
の、はずだったが、夜中(いつもなら起きている時間)に友達から電話がかかって来て起こされる。(笑)おかげで明日行く萩のガイドブックを熟読することになり、ためになる。(ほんと)

12月3日 日曜日 午前中は雨、萩の観光時より晴れ♪

 6時過ぎに目が覚めたので7時からのバイキングの朝食に1番乗りする。しっかり食べて津和野駅前を8時5分に出るバスに乗る。津和野駅前から防長バスで萩市へ向かう。約2時間の乗車時間の内、最初の1時間は貸し切り状態。徳佐りんご園付近では赤い実がいっぱいで枝が重そうな木を沢山見る。収穫が終わって実の無い木も有る。

バスの最前列から昨日汽車で通った「地福」の町の標識を見る。途中の町で数人がバスに乗り、全部で6人位の乗客を乗せてバスは萩市内に入る。

運転手さんと乗客のおばさんの話を聞くと、平日は萩の病院へバスで通う人が居るので、もっと賑やからしい。国道9号線と県道11、13号線を通るのだが、山の中には道路の端を示すポールが立っていて、この辺りは雪が積もることが分かる。萩に着くと私を含め全員が萩バスセンターで降りる。

午前中から降り始めた雨が本降りになったが、今日の宿泊場所がバスセンターの目の前なのでさっと道路を渡る。しかし荷物を預けてコーヒー1杯飲んで外へ出ると雨は上がっていた。

萩バスセンターで1回100円(東回りバスを「松陰先生」、西回りバスを「晋作くん」と言う。)の市内循環バス(まあ~るバス)の2日券(700円)を買って萩市内の散策に出掛ける。まず歩いて山口県立萩美術館へ。

途中に今は小学校になっている明倫館跡を見る。木造の大きな建物で、校庭ではサッカーの試合が行われていて賑やかである。

萩美術館では特別展(京都の三千院より)が開催されている。ここでは栞と東海道53次のトランプを買う。

美術館から「晋作くん」バスに乗って萩城跡(指月公園)へ。萩城跡は石垣が残っている。全部見ようか、どうしようか、と迷ってガイドブックを広げていたら、250ccのスクーターに乗る神主さんが「どこへ行くの?」と話し掛けて来た。「分からないことは何でもお話しますよ。」というお言葉に甘えて萩のことを色々教えて貰う。

萩城は昔は島だったこと、地名はその土地の特徴を表していること、昔の町の大きさなど。よく泥棒の被害に遭うという自動販売機で30円のおみくじを買い(こちらではおみくじは30円のものが多い)城跡を出て萩焼き資料館へ入る。これを最初に今回の旅行では多くの萩焼きを見ることになる。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(畳の敷き方が今と違って単純に並べられている)を見学してから近くの「花の江」で昼食を取る。
「萩三昧御膳」に夏みかんのムースを頼む。ふぐのフライや夏みかんの干菓子などが印象に残る。ムースは紫色の萩焼きの器に入っていて持ち帰ることが出来る。

この店では萩焼きの展示販売も有り、三輪休雪の茶碗を見る。白くてごつごつした感じである。私は萩焼きの耳掻きと2300円の茶碗を買う。

次は晋作くんバスに乗って熊谷美術館へ。ここは旧毛利藩御用商人熊谷家住宅である。目的は日本最古のピアノ(シーボルトのピアノ)を見ること。ピアノにはピアノ専用収納箱が有り、引き出しが付いていて可愛らしい。ペダルは1本で鍵盤数は少ないが、現在のピアノと基本的には同じ構造の様だ。

ここは茶道具なども充実していて素晴らしい。了入の黒楽茶碗も沢山見ることが出来る。ひとつひとつの形が違うものだ。こんなに素晴らしい所なのに他の観光客に一人も会わないのは寂しい気持ちがする。

ここからは松陰先生バスに乗って松陰神社へ。吉田松陰歴史館で蝋人形による松陰の一生を勉強する。松陰って狐顔だということがよく分かる。
それから松下村塾へ。これはテレビで見ていたイメージ通りだが、てっきり小高い丘に有ると思っていたのは間違いだった。神社にお参りして甘酒を飲んで、松陰先生バスに乗ってバスセンターへ帰る。

一旦ホテルに入るが、すぐにガイドブックを片手に町へ出る。「百萬石」という老舗の日本料理店を探すが閉まっているので 来る途中に見た新しそうな綺麗なビアレストランに入る。

メニューは和洋中すべて揃っていて、私はビールにサラダや揚げ物を頼む。ふぐのフライやこふぐの唐揚が安くて美味しい。ふぐ自身の味はあっさりしていて、他の白身魚と似ている。

帰りにコンビニでホタテマヨネーズのおにぎり、アイスクリーム、飲み物を買い、ホテルの部屋でのんびり食べる。そしてお風呂に入って今日こそぐっすり眠る。(笑)

12月4日 月曜日 早朝は雨、その後晴れる♪

 目が覚めると雨が降っているのでショックだったが、暫くすると雨は止んで空が明るくなる。それで予定通り8時5分発のバスで越ヶ浜へ。越ヶ浜のバス停から虎が崎まではバスが無いので遊歩道を歩いて行く。

遊歩道に入る前に近くで工事をしている人から親切に「遠いから止めた方がいいよ。1キロも歩くよ。」と言われるが、「1キロならちょっとだな。」と思い、お礼を言って先に進む。所々海を見ながらの快適な道で、行きはのんびり30分かけて歩くが、急いだ帰りは20分位でバス停に着くことが出来た。遊歩道では大きなまつぼっくりを拾う。

虎が崎には、椿の群生林が有る。まだ花が咲くには早いので一部の木に咲いているだけで殆どの木は硬いつぼみが付いている状態だ。2月中旬から始まる椿祭りの頃には、満開の椿が見られるのだろう。

灯台を見て、虎が崎から火山の噴火で出来たと言う点在する小島を見る。そしてつばきの館で遅めの朝食(刺身定食)を食べる。本来は食堂は10時半からの営業なのを、10時にご飯が炊けたからと、すぐに出して貰う。

釣り人や3人のダイバーを見る。この海ではどんな魚が見られるのだろうか。
車の通る道は遊歩道よりも1キロ長く、きつい坂も有ると聞いて帰りも遊歩道を歩いて帰ることにする。バス停に着く前に明神池に寄って風穴を見る。

行きには閉まっていた店ももう開いていて、生のイカ干しが美味しそうだ。擦れ違う人はコートを 着て「寒いわねえ。」と話しているが、早足で歩いて来た私は暑くて堪らない。晴れていることもあって、バスに乗るとすぐに皮の上着を脱いで扇子を出して扇いだ。本当に暑かった。

バスを吉賀大眉(よしがたいび)記念館の前(泉流山前)で降りる。ここでは「暁雲シリーズ」で有名な吉賀大眉の窯や焼き物が沢山見られる。暁の淡い赤色が美しい。

ここで初めて藤原啓の作品を見る。レンガ色のぐいのみで私の好みだ。萩焼きに使われる土も展示されている。種類が多い上に、これらの土を混ぜて使う場合も多いということだから、一口に萩焼きと言っても相当数の種類の色が出ることが理解出来る。

入り口に有る店で茶碗を見て値段の違う理由を教えて貰う。違う種類の土を混ぜると手間がかかるので高くなるそうだ。ここでは淡いピンク色の茶碗を買う。やはり高いものは買えなくて3千円のもの。

そこを出てバス1区間分歩いて松陰先生バスに乗り松陰神社のバス停で降りる。そして小高い丘に有る松陰生誕地、吉田松陰や高杉晋作らの墓、東光寺まで歩く。

山口県のガードレールは黄色(夏みかん色)なのだが、ここ萩では景観を大切にする意味で焦げ茶色のガードレールが使われている。そして松陰生誕地の近くには大きな銀杏の木が有って銀杏の落ち葉の真黄色の絨毯の上を歩くのがとても嬉しい。
松陰の墓はこじんまりした墓で高杉晋作の墓がひとつだけ1段高い所に有るのが面白い。

東光寺は大きな寺でずらっと並んだ石灯籠の有る風景には感動する。お盆の頃にはすべての石灯籠に灯が灯されるそうで、1度見てみたいものだと思う。

帰り道に多くの団体が入って来るのに出会う。ガイドさんが鬼瓦を紹介している所だった。寺を出て夏みかんのソフトクリームを食べる。手に持っただけで夏みかんの甘い香りがプーンと漂いびっくりする。旭川空港で食べたラベンダーソフトに続いてまた食べたいソフトになった。

松影神社のバス停までは近道の川沿いの道を歩く。丁度良い時間のバスには間に合わないのでのんびり歩いていたのだが、バスは少し遅れていたらしく来るのが見えたので走ったら、私を待っていてくれた。30分得をした。循環バスは車体が真っ赤なので分かり易くて良い。

バスセンターから晋作くんバスに乗り換えて城下町で降りて、ギャラリー(茶碗など)や沢山の旧宅、町並みを見る。
ギャラリーでは三輪休雪の茶碗などを見る。ここで、東光寺で会った団体に2回も会う。向こうもこちらを覚えている様だ。若者の多い団体だ。

「椿庵」という店でとても可愛らしいちょうちょのコーヒーカップを見る。結婚祝いに贈りたいなあと思うが、近くに結婚する人が居ないので買うのは止める。店主の女の人の話では、萩には100の窯元が有り、この店では35の窯元の作品を入れているとのこと。綺麗なものが沢山有る。

12月は休館中の茶碗博物館の近代的な建物や車宿の前で無人の人力車を見て、バスセンターまで歩いて帰る。バスセンターの売店で小さい萩のお菓子などを買う。

萩バスセンターから小郡駅へ15時54分発のJRバスで移動。バスは山口市内を通るので思いがけなくまた山口駅へ行くことになる。

平日の夕方のせいか、土曜日の午前中に来た時とは全然違っていて、人通りも多く賑やかだ。JR山口線では田舎の風景しか見られないのだが、バスだと街中を通るので、寂しい町だと感じた山口市内や、鄙びた温泉だと思っていた湯田温泉が、実は結構都会であることに気が付く。

速いけれども安全運転の運転手さんの運転で、ほぼ定刻17時17分に小郡駅に到着する。午後6時32分発の山口宇部空港行きのバスの券を買ってから駅に有る「郷里(ふるさと)」という店で夕食を取る。夕定食が800円で湯豆腐や刺身など盛り沢山で嬉しい。

空港行きのバスは空港まで来た時と同じく日の落ちた自動車専用道路を走る。今回の旅行中、渋滞には1度もあわなかった。

空港では買いそびれていたくり抜いた夏みかんの中に羊羹を詰めた菓子を買う。
この空港を再び利用することが有るのだろうか、としみじみと思いながら機上の人になる。

羽田に着くとすぐにバスに乗り横浜駅へ。
みなとみらいの夜景は今日も美しい。帰宅して買って来た茶碗が割れていないことを確かめて安心してベッドに入る。有意義でとても楽しい旅行になった。

大曲全国花火大会と 山寺観光 2000年

2018-10-18 22:00:00 | 旅行
大曲全国花火大会と山寺観光の日記

8月25日 金曜日 晴れ

 午後になって横浜の自宅を出発する。

横浜駅西口の金券ショップで東京→仙台の往復の新幹線のチケットを買い 歩いていると、文明堂にとてもかわいいくまのプーさんが沢山並んでいる。「横浜ではここだけ!」と書かれていて、くまのプーさんのカステラなど色々有る。多賀城のもぐちゃんへのお土産に風呂敷付きくまのプーさんカステラを買うことにする。もちろんお土産は中身のカステラだけ。(笑)

仙台から新しい仙石線で多賀城へ。駅前の長崎屋で買い物をしてからもぐちゃんの家へ行く。
もぐちゃんは元気そうだった。

8月26日 土曜日 晴れ後曇り時々雨

 大曲花火競技大会見学ツアーのバスが 近くの中学校前に迎えに来てくれるので、6時半頃に多賀城市の家を出る。集合は6時45分。ここから乗る人は結構多い。

多賀城市は今日は晴れである。秋田の午後の天気予報は雨なので、花火大会は果たして無事に開催されるのかどうか不安な気持ちのままバスに乗る。

 早起きをしたので、バスの中では殆どうとうとしていたが、バスは東北道は古川インターで下りて後は一般道を走るため、途中の鬼首(おにこうべ)などの景色を楽しむ。
紅葉が始まっている木や 少し色づきかけた林檎のなる木や コスモスなどを見ると、こちら東北にはもう秋が訪れているのがよく分かる。

 今回のツアーは高速を下りた後は、国道108号線→国道13号線を行く。
添乗員さんの言葉通り横手市からは渋滞が始まる。その横手市で稲庭うどんの昼食を取る。汁につけて食べるとあまり美味しくないのだが、汁をつけずに食べると塩味が効いていてなかなか美味しい。

横手市のあたりから空は曇り空になり、突然雨がひどく降り始めたりして天気予報が当たっていることに気が付く。

 大曲市の花火大会会場には午後3時頃に到着する。河川敷のかなり広い範囲に人が集まり始めている。

ここ大曲市は人口4万人なのだが、この花火大会には62万人の人が集まるということで、観光バスの数も驚く程だ。大きな観光スキー場(札幌のテイネハイランド)でスキーバスの数の多さに驚いたことが有るが、今回はそれを上回っている。

トイレは簡易水洗の仮設トイレが沢山用意されていて、トイレ行列に悩むことは無かった。ここに来るまでのトイレ休憩で停まった場所での行列は酷いものだったが。

 桟敷席は花火を見るのに1番良い場所に作られていて、2メートル位の高さが有る。板に番号が書かれていて私達の席は前から2番目の板だ。大勢の仲間と参加し、お酒やおつまみなど用意して宴会状態になっているグループもある。私達はおにぎりとお茶で落ち着いて見る。

今回は花火競技大会なので、規定の大玉二つと創作花火の2種類を花火店がプログラム順にあげて行く。
夕方5時に昼花火部門が始まる。初めて見る昼花火は色とりどりに綺麗だ。ただ曇天のため、バックが青い色なら綺麗に見えるのに灰色のため見え難いというものも有る。

昼花火の後はいよいよ夜花火が始まる。やはり花火は夜が素晴らしい。
審査の有る競技大会ということで、普通の花火大会ならトリを飾るレベルの花火がどんどん打ち上げられる。音楽も日本的なものからポップなものまで幅広い。

今日の結果は後日分かるのだが、私が面白いと思ったのは、「ドレミの歌」に合わせて打ち上げられたもので、ド~レ~ミ~・・・と花火の音が音階を出していた。中には上がり切っていない音も有ったが、音階の種類の音を変えて出すのは難しいのではないかと思う。この花火は残念ながら入賞からは漏れていた。

 花火大会が午後9時過ぎに終了する。大型バスは11時半にならないと駐車場から出てはいけない、ということで、集合時間は11時になるが、特にすることも無いので、トイレに行ってからバスに乗る。宴会組は「よ~し、11時まで宴会だ~♪」と盛り上がっていたが、あまりに酔って踊り始めたので、係の人から「桟敷に残っている人は降りて下さい。」と注意されていた。確かにあのまま呑んでいたら、酔って桟敷から落ちる人が出たかもしれない。

 バスの中で眠っていて、ふと目を覚ますと午前2時になっている。でも外を見ると、まだ駐車場付近で停まっている。大渋滞しているらしい。途中、高速道路のサービスエリアでトイレ休憩をする。バスの中では殆どうとうとして過ごす。

8月27日 日曜日 晴れ

 午前5時半~6時に仙台に到着予定だったのが、渋滞のため8時に着く。来る時は多賀城市内から乗車したが、今日は仙台市の苦竹駅で降りる。それは私が山寺観光をしたかったからだ。家族でなぜか私だけ山寺に行きそびれていたから。

 苦竹駅から仙石線で仙台駅へ。ここから山形へ行くJR仙山線に乗ろうとするが、数分前に快速は行ってしまっていて、それなら各駅停車でも、と思うが、途中駅の作並駅まで行く電車しか無い。山形寄りの山寺駅に行く電車は快速だけで乗れなかった8時13分発の次は9時37分発だ。

暫くは仙台駅構内で買った「四国宇和島殺人事件」という本を読んでいたが(地元の自分も知らないことが書かれていて勉強になる)、各駅停車で作並駅まで行くことにする。この電車はがらがらで最後まで同じ状態だった。本数が少ないのも仕方が無い様だ。但し、作並から乗った快速では座れなかった。

 山寺は駅の目の前でホームからもよく見える。暑い中、徒歩で登る。四国の金毘羅さんと言い、山寺と言い、なぜか8月に行くことになる私である。(笑)

でも金毘羅さん程長い距離を歩く訳では無いのでまだ楽だ。山の上から町を見下ろして、登り口とは違う方へ降りる。降りた所には美味しそうなお蕎麦屋さんが有るが、兎に角暑くてかき氷を食べたいのでその隣の店に入る。川沿いのその店は客は私達だけだが店の人も雰囲気の良い店だ。

 店を出てから巨大な石の前で写真を撮る。後で出来上がった写真を見ると「ラ・フランスのソフトクリーム」の看板が有る。気付いていれば食べたのに、残念。

山寺の記念館に入り、本を買って出る。レストランで冷やし蕎麦御膳を食べて売店に寄り、さくらんぼ耳掻きや箸や扇子を買う。ここは山寺参拝から観光まですべて徒歩圏内に有る便利な所だ。

 帰りも仙山線、仙石線で山寺→仙台→多賀城と帰る。駅で夕食の買い物をしてもぐちゃんの家へ。ビールを飲んでぐっすり眠る。

8月28日 月曜日 多賀城は曇り時々雨、横浜は晴れ

 いつもの様に住宅前を9時39分に出るバスに乗り多賀城駅へ。仙台駅では9月2日に予定している自宅での花火オフ用に牛タンを買う。丁度来た新幹線に乗るが、私は初めてのMAXだった。MAXは空いていて2階席に座ってゆったりと帰る。午後2時に横浜の自宅に到着。

大曲の花火大会は面白い経験になって嬉しいが、来年も誘われたら今度は多分断るだろう。理由は混み過ぎるから。でも「去年の席はあそこだった。」と話している人達も結構居たから、はまると楽しい行事なのだろう。

秋田魁新報 2000.8.27(日)付のニュース

光と音が競演、夜空に絵巻/大曲で全国花火大会

 “ミレニアム花火”が雨雲を吹き飛ばす―。大曲市の第七十四回全国花火競技大会(大曲市、大曲商工会議所、市観光物産協会主催)が二十六日、同市の雄物川河川敷で開かれた。日中、時折小雨のぱらつく曇天も夜にはほぼ回復、過去最多の六十二万人(昨年六十万人)が会場とその周辺を埋め尽くし、光と音が繰りなす華麗な舞台に酔いしれた。

伝統と格式を誇り、全国の花火師が技術の粋を尽くす大曲の花火。今回は最優秀花火師に新たに総理大臣賞が設けられた。競技には県内四社を含む三十社が参加、昼花火と夜花火でそれぞれの技を披露した。

 午後六時五十分、恒例の五百メートルナイアガラに大スターマインが輝き、夜花火の幕が開いた。続いて芯(しん)入りの課題玉と自由玉の十号割物二発、さらに創造花火による競技が繰り広げられた。仕掛け花火を織り込みながら、花火師たちが精魂込めた玉が次々と打ち上げられ、夜空を彩った。

 圧巻は大会提供花火。今年のテーマは「カウントダウン2000―新世紀への序曲」。コンピューター制御による点火など最新の技術を一部導入し、二十世紀への郷愁と二十一世紀への夢や希望を五分間にわたって夜空に描き、観客の目をくぎ付けにした。

★田園都市が人で埋まる/昼過ぎの雨に騒然

 「日本一の花火」とのうわさを聞き、初めて訪れた人。病みつきになって二度目、三度目の人…。二十六日、人口四万人足らずの街に、六十二万人もの人々が詰め掛けた大曲の花火。普段はのどかな田園都市も、この日ばかりは街全体が“狂想曲”を奏でるような光景が繰り広げられた。花火一色となった大曲の一日を追った。

 午前2時 会場から二キロ以上離れた玉川橋近くの駐車場(二百五十台収容)が早くも満車に。この時点で市内に十七カ所ある無料駐車場のうち六カ所が二千七百台以上の車で埋め尽くされた。「昨年も午前中には一杯になったが、今年は出足が早い」と警備担当の市職員もあきれ顔。

午前4時 市内の料亭で花火客用の折り詰めが完成。徹夜で約三百食を仕上げた。「今日も花火開始まで予約客でいっぱい。当日に作っていては間に合わない」と店員。

 午前10時 到着する列車は朝からすべて乗車率一〇〇%以上。ごった返すJR大曲駅に、ホームから直接外に出られる臨時改札口が設けられた。「ピークは午後四時すぎになりそうだが、朝からずっとこの調子です」と研修中の駅員も目を丸くした。

 午後1時 スコールのような大雨が降りだし、会場に傘の花が咲いた。敷いていたビニールシートをかぶり、雨が過ぎ去るのをじっと待つ客や、テントに逃げ込む客も出るなど騒然とした雰囲気に。

 午後2時 河川敷はテント、シート、観客でほぼ埋め尽くされた。仮設トイレは約五百基設置されたが、いずれも長蛇の列。女性用は三十分待ちもざらに。回転のよい男子トイレを横目に、「百円くらい払うから、トイレをもっと増やしてほしい」と嘆く女性客。

 午後3時 時間を追うごとに路上駐車も増加。中には大曲警察署の目の前(もちろん駐車禁止)に堂々と止めるドライバーも。「レッカー車を呼んでも運び出す場所もない。どうすればよいものか」。署員たちも困惑ぎみ。

 午後4時 会場周辺の道路は会場に向かう人波で大混雑。観光バスが駐車場になかなかたどり着けない。市役所内に設置された花火交通対策本部の職員たちが外部と連絡を取り合い、誘導に苦慮。対策本部詰めの職員たちは、二十五日朝から二十七日未明まで不眠不休。「今は緊張しているが、夜花火が始まるころには客も落ち着くので、ちょっと眠気がさすかも」と田口誠一市商工観光課長(50)。

 午後6時半 堤防のすぐ近くに、一人三百円で自宅のトイレを貸す民家。そこにも、女性三十人余りが行列をつくった。

 午後8時 バスの荷物入れに横になりながら花火に見入る手塚光幸さん(34)と星貴博さん(35)。宇都宮市を午前三時に出発、交代で運転しながら午後五時に到着した。「昼ごろには(秋田自動車道の)大森パーキングエリアまで来ていたがそれからが大変だった」(手塚さん)、「もう少しうまく誘導してほしかった」(星さん)とさすがに疲れた様子。とはいえ、「終了後すぐ出発するので駐車場から離れられないが、こんな近くで花火が見られるとは感激」。


名古屋旅行 2000年

2018-10-18 17:50:00 | 旅行

名古屋旅行の日記

2000年 名古屋旅行の日記

5月05日 金曜日 晴れ

★出発(東名高速道路)

 どこに出かけるのか前日まで決めていなかったのだが、突然名古屋に行くことに決定する。
名古屋は通り過ぎるだけで、市内散策は1度もしたことが無かったからだ。

GWの後半はバイクを使う予定だったが、今回は高速を行って帰るだけなので、車を使うことにした。
バイクもいずれ高速道路上での制限速度が普通乗用車と同じ100キロになるらしいが、今はまだ80キロなので、それを守って走ろうとすると車の流れに乗って走れなくてストレスが溜まる。

今回高速上で見かけたバイクの中には明らかに制限速度プラス20キロ以内に抑えて走っているバイクが居て、車より20キロ遅いのはやはり面倒そうだ。もちろん風の様に走り去って見えなくなるバイクも居たけれど。(それは車も同じ。)

★浜名湖SAにて

 割合寄ることの多いSAである。ここでは初めて少し奥まで歩き、海がとても近くに見える所で天むすを食べる。風が強い日で、こいのぼりが気持ち良さそうに泳いでいる。

子供連れやカップルが多いが、女性でひとりのライダーを見かける。彼女のバイクは250ccのブルーで、まだ新しい。最近バイクを見ると、自分の次のバイクにどうかなあ、と考えている私である。

★名古屋市内の道路

 名古屋インターから少し東名阪を走り、名古屋駅から見ると方向としては東北東から市内に入ることになる。市内に入って名古屋の道路に驚く。

まず、バス停が道路の真中に有ること。(最初は路面電車のホームかと思った。)そのため、1番右の車線は路面が黄色に塗られておりバスが走る様になっている。

ルールがどうなっているのか知らないが、一般乗用車は速い車がそこを走っている。バス停を過ぎると、左を走っている私からすると、まるで右から車が突然合流して来る様な感じだ。

片側4車線の道路では、レーンが左側から、左折&直進、直進、右折、直進となっていたり、片側6車線の道路では、左側から、左折、直進、直進、右折、右折、直進となっていたり、つまり1番右側の車線が右折では無い、という面白いことになるのだ。そのため、信号は矢印信号ばかり。上の赤青黄色信号は要らないのでは、なんて思ってしまった。

走っているうちにこの道路にも慣れたが、兎に角最初は驚いた。ただ、翌日帰る時に市内の南の方を走った時にはこの様な道路は無かったので、市内全域がそうなっている訳では無い様だ。

 走行中、右手遠くに名古屋ドームが見えた。そして市内中心部では、乗用車が事故を起こした所に出会い、車の前部が無くなっていて、怪我をした人が救急車の中に運ばれた所だった。ガソリンが漏れたせいか消防自動車も後から来た。事故の原因は分からないが、市内を走る車は時速70キロ位出すものが多いので、スピードオーバーかもしれない。市内に入ってすぐに「名古屋の人はスピードを出すなあ。」と思ったから。でも、それにもすぐに慣れたけれど。(爆)

★徳川美術館

 茶道のメーリングリストで時々目にしていた「徳川美術館」へ行く。
これは大正解で、丁度開館65周年記念春季特別展「名品でつづる大名の茶の湯」か開かれている所だった。(6月4日日曜日まで)

お茶の道具、しかも名品を1度に沢山見るのは初めてなのでとても嬉しく感激した。「この道具は扱いが簡単かな。」などと思いながら見てしまうが、中には大ぶりのものも多く、男性の大きな手でないと扱いが大変そうだ。

常設展でも、茶室など茶の湯に関するものに目が行くし、楽しい。
重いけれど車なので、茶の湯道具の本(2500円)と扇子(1800円)他パンフレットや絵葉書を記念に買う。

★栄へ(ホテル)

 徳川美術館を後にして、栄に有るビジネスホテルへ。
宿泊者は1泊千円という駐車料金を支払い、ひとまずチェックインしてから荷物を置いて地下鉄で栄駅から名古屋駅へと向かう。

途中、栄の地下街で一口ういろう4個入り(500円)を買う。これは夜にホテルの部屋で食べることになるのだが、あっさりした甘さでとても美味しい。私が買ったのは「大須」という会社のものだ。食べ比べた訳では無いので、他の会社のものも美味しいのかもしれない。色では好きな順番が、黒いういろう、白、緑、ピンクだ。生菓子なのであまりもたないということでお土産としては買わなかった。

地下街を歩いて栄駅へ出る。名古屋の地下鉄では1番安い料金が200円なので少し高いな、と思う。栄→伏見→名古屋と2駅乗る。

★名古屋駅にて

 出来たてほやほやのJRセントラルタワーズへ。名古屋駅ビルでもあり、ツインタワーズになっていて遠くから見ると特に綺麗だ。(翌日行った名古屋城からもよく見えた。)

まず12階の乗り場から51階地上245メートルに有るパノラマハウスへ。横浜のランドマークタワーと同じく、料金は千円だ。待ち時間10分程でエレベーターで一気に上へ。

名古屋の景色はやはり都会の景色だ。大阪に比べると川が少ないかな。晴れているが遠くは煙ってよく見えないのが残念。夜景も綺麗だろうなあ、と想像しながら売店で記念にツインタワーズの耳かきを買う。(いつの頃からか、旅行先で記念に耳かきを買う様になった。安くて保存し易くて私のお気に入り。)

 ビルの12、13階にタワーズプラザが有り、沢山のレストランが入っている。最初はここで晩御飯を食べようと思っていたのだが、夕方6時頃でどの店にも長い行列が出来ているので、一応店を見て回った後に諦めて栄に戻ることにした。
帰りも地下鉄を使う。人は多いがぎゅうぎゅう詰めという程ではない。

★栄で晩御飯

 デパートの地下の食品売り場の入り口付近に有るコーヒーショップ(午後7時半閉店)でアイスコーヒーを飲みながら晩御飯を食べる店をガイドブックで探す。椅子に座ってみると足が疲れていることに気が付く。美術館でゆっくりじわじわ歩きをしたせいかもしれない。

結局すぐ近くに有る「台所はせがわ」という和食の店に決める。鯖の味噌煮が名物だという文章に惹かれたのかもしれない。(笑)

 結論から言うと、「今度名古屋に来る時もここで食べよう♪」と思う位美味しくて、趣の有る食器を使っていて、値段も安くて、良い店だった。

特に鯖の味噌煮、茄子とホタテのオイル焼きは最高だ。味噌で食べる串カツの味噌と鯖の味噌煮の味噌が甘めで美味しくて同じなので、お店の人に聞いてみると、八丁味噌と西京味噌の合わせ味噌だった。味噌カツの味噌が八丁味噌とみりんとだしで作ると聞いているので、翌日八丁味噌を買うことする。(ちゃんと買った。)

この店にはカレー塩、うぐいす塩、唐辛子塩の3種類の塩がテーブルに置かれている。
串カツに付いて来た味付けされていない生のキャベツにカレー塩をかけて食べてみたら、これがなかなかいけるのだ。細かくてさらさらした塩だが、名古屋の人はこういう塩を普通にかけて食べるのだろうか。お気に入りがまた増えた。

 入った時には居た一組のお客さんも、私が入って暫くしたら出て行って、私が居る間はずっと貸切状態だった。平日にサラリーマンなどで賑わう店なのだろう。
日本酒を2合、開運と美田恵醸(福岡、山廃純米)呑んで、おなかいっぱい食べて幸せ気分で店を出る。

★ホテルで

 ホテルに帰って、一口ういろうを食べてお風呂に入って、明日の計画を頭の中で立てながらベッドに入る。心地よい疲れとお酒のせいで気持ち良く眠ることが出来た。ホテルは綺麗だが、窓の外は隣のビルの壁である。綺麗なホテルだし、眠るだけなら関係無いね。トイレがウオシュレットになっているのが嬉しい。

5月06日 土曜日 晴れ

★朝ご飯

 ホテル内のレストランで朝食を取る。
朝食セットの内容は、パン2個、コーンクリームスープ、飲み物(コーヒー)とあっさりしたものだ。昨日沢山食べても蕁麻疹が出なかったので、パンは2個共食べる。(結局大丈夫だった。)パンには苺ジャムとマーマレードを付けて食べる。子供の頃は大嫌いだったマーマレードだが、今はとても美味しい。

小さい子供連れの家族が3家族、近くに座っている。ここも平日はビジネスマンだらけなのだろうが、今日は観光客らしい人ばかりだ。 

★名古屋城へ

 9時半に名城公園正面前駐車場に車を入れる。まだ車は少ない。(正午に帰る頃にはいっぱいになっていた。)気温が上がっているらしく上着を脱いで長袖Tシャツ1枚になる。

名古屋城は想像していた通り大きな城だ。天守閣の中に入って中を見学する。エレベーターも有るが、1階ずつ階段を歩いて上る。

外国人の観光客も多く、唯一撮影可能なしゃちほこには外国人の子供たちがはしゃいで座っている。私が「代わって下さい。」というと素直におりてくれた。どこの国の子供たちなのかは分からなかった。

 外に出て、天守閣の近くに有る休憩所で味噌ソースのたこ焼を食べる。味噌ソースは1個目を 食べる時には「珍しくて美味しいな。」と思ったが、やはり普通のたこ焼ソースの方が私は好きかな。

ここでは、八丁味噌としゃちほこの耳かきを買う。
名城公園を出る前に出口近くに有る売店に入り、日本の城の本(200円)と天むす、きしめんの耳かき(それぞれ320円)を買う。名古屋では4本の耳かきを買ってしまった。(笑)

★熱田神宮にて

 南に有る熱田神宮へ行く。
良い日なのだろうか、結婚式を挙げるカップルを2組見かける。

本殿には入れないので、少し歩いてから車はそのままにして近くに有る名古屋名物ひつまぶしで有名な蓬莱軒に行く。ガイドブックによると、明治6年創業の老舗だそうだ。しかし午後1時半にもかかわらず行列が出来ている。かなり待ち時間が有りそうなので、あっさり諦めまた熱田神宮へ戻る。

神宮の敷地内に有る「宮きしめん」で外のテーブル席で「とろろざるきしめん」を食べる。暑い日なので、冷たいきしめんが美味しいが、日陰に居ると涼しい位で、熱いきしめんも美味しそうだ。一応とろろの中に入っているうずら卵だけは抜いて食べた。

車を停めた所に有る熱田図書館のトイレを借りて、車に戻る。名古屋城も栄も駐車料金は結構高かったが、ここは無料になっている。街中からは外れているので、違法駐車をする人は少ないのだろう。 

★名古屋を出る

 旅行に出る前のニュースで、「6日は朝から午後まで東名高速上り線は渋滞するでしょう。」と言っていたのを思い出し、熱田神宮のすぐそばを通っている国道1号線で帰ることにする。
市内を出る前にガソリンを満タンにする。1リットル95円とガソリンは安い。

 寄らなかったが、名古屋を出てすぐの所に「桶狭間古戦場」、「戦人塚」が有る。
旧東海道松並木は 現国道からも見ることが出来た。当然旧国道は狭い。
ずっと国道だけで帰るのはきついなあ、と思いながら運転していると岡崎市の標識が。
折角だから岡崎城を見学することにする。

★岡崎城にて

 岡崎城は徳川家康が誕生した城として有名だ。
城の大きさでは名古屋城と比較にはならないが、城の周りの庭園や今が盛りの藤棚の美しさなど、私はこちらの城の方が好きだ。
城の南を流れる乙川には潜水橋が有る。(川が増水すると潜ってしまうらしい。)

天守閣の中を見学した後は、「三河武士のやかた家康館」へ行く。
本多忠勝所用の兜が派手なのにはびっくり。鹿(?)の角の形をしているのだ。あれは合戦場では相当目立っただろうなあ。

出る前には関が原の戦いのお話を、映像と解説付きで聞く。戦いは偶然の結果では無く、家康の根回しの勝利ということだ。
はやり行き当たりばったりでは駄目なのだなあ。

★帰り道

 岡崎市内の国道1号線から東名高速岡崎インターまではとても近いので、おそるおそる高速に乗ってみる。すると意外なことに高速は空いているのだ。
それで、そのまま高速で帰ることにする。

途中牧之原SAに夕食を取るために寄るが、食べたいものが無いので食事をするのは止める。
今は蕁麻疹が出る恐れが有るので駄目だが、ここのレストランのメニューにはケーキバイキング450円、サラダバイキング270円が有る。ケーキの好きな人はここに寄ったら是非どうぞ。
ここでは飲み物だけ買って、少し休んですぐに出発する。

チョコレートとコーヒーとブランデーの味がするという変な飲み物を飲みながら、手持ちのチョコレートを食べながら車を走らせる。

帰宅は夜になったが、そう疲れた感じもせず、蕁麻疹も出なくて良かった。

今回の旅行で残念だったのは、名古屋弁を聞くことが出来なかったことだ。私が訪れた所は観光客が行く所ばかりだったせいかもしれない。

それから本場のひつまぶしが食べられなかったこと。でも、これは蕁麻疹が出る恐れが大いに有ったので、またの機会になって良かったのかもしれない。

今度東名高速を通る時には、名古屋を通り過ぎてしまわないで、また寄ってみようかな、と思う。


多賀城旅行 2000年

2018-10-16 17:16:00 | 旅行
2000年 多賀城旅行の日記

2000年 多賀城旅行の日記 4月27日~5月1日

4月27日 晴れ時々曇り仙台は雨

9時に起きてごみ出しをする。いつもは10時15分に来るごみ収集車が今日 は9時半前に来るが、間に合って嬉しい。
午前中は宅配便の荷物が届くのをのんびりテレビを見ながら待つ。

今日から多賀城市へ行くのだが、昨日までは電車で行こうと思っていたのに、 お昼近くなって理由は分からないけれど、車で行きたくなる。
私ってその時の気分次第で行動が変わるなあ、とよく思う。

地図も持たず、気楽に車で出発。時刻は正午。
まだ横浜、東京は薄日がさしている。湾岸線から東北道、常磐道の方向へ左折す る所から渋滞が始まる。渋滞のせいで、左側にビルや川、マンションや緑がいっ ぱいの私の大好きな景色がのんびり見られたことは嬉しいのだが。

東北道の入り口の浦和の料金所に到着したのが午後1時半、ここから3時間半 で多賀城市の家に到着することになる。

東北道のあちこちにこいのぼりが立ててある。真鯉と緋鯉だけだが、それでも 心が温まる。風が強いせいか元気よく泳いでいて嬉しい。

走っていて1番嬉しかったのが、桑折町付近の広大な桃畑だ。河川敷にいっぱい に広がっていたり、山の部分に植わっていたり、と色々だが、その名の通り「桃 色」の景色は思わず見とれてしまうものだ。その時だけアクセルを踏む足が緩ん だ。(笑)
暫くの間、桃いっぱいの景色を楽しむ。

東北は今は花が1番美しい頃らしく、桜は満開だ。道路沿いのあちこちで見ら れたが「鏡石PA」に咲いている桜が数も多く美しい。帰りもまだ咲いていると 嬉しいな♪

多賀城到着まで1~2回は休憩するつもりだったのだが、何となくひとりだと 面倒になって、そのままずっと走ってしまう。でも、そのおかげで十分に明るい うちに到着することが出来る。
家に行く前に多賀城駅前の長崎屋で今日の晩御飯のおかずを買う。いつもながら 無料の駐車場は嬉しい。

多賀城の家に着いて、テレビを見て、電子ピアノを弾いていたら、家主のもぐ ちゃんが仕事から帰って来た。
私が今日来ることを知らなかったらしく、驚いている。前から言っていたのだが 、「早ければ木曜日に。」と言ったまま改めて連絡していなかったため、予定が 延びて今日は来ないのかと思っていたそうだ。

長崎屋の美味しい晩御飯を食べて、(笑)チャット用ソフトをダウンロードして 、夜はいつもの様にチャットに行く。
そしていつも会う友達とおしゃべりしていたら、横浜に居ても、多賀城に居ても 変わらないなあ、とネットの有難さを感じる。

多賀城の家はテレホーダイの契約をしていないので、早めに落ちて寝る。
旅行中は、早寝、早起きになる私である。(笑)

4月28日 金曜日 曇り時々晴れ

午前中はもぐちゃんは仕事、私は家でのんびり♪
午後からはもぐちゃんと出掛ける。もぐちゃんは久し振りの運転なのだが、まあ 落ち着いていて安心する。

まずは松島の瑞巌寺へ。これは境内に有る大きな紅梅と白梅の木を見るためだ 。白梅はまだ花もまあまあ残っていたが、紅梅の方は本当にあとわずかで終わる 所だ。風が強い日だったため、桜の花びらが散る葉に、梅の花びらが舞う美しい 風景を見ることが出来る。

それから瑞巌寺では恋おみくじを買う。女の子の紙人形付きでとても可愛らしい 。ただ「吉」にもかかわらず、「高根の花です、諦めましょう。」と書かれていて、どう考えても内容は「凶」だと思う。

寺を出た所では松島のプリクラを記念に撮った。
松島は、今日も観光客で賑わっている。週末はかなりの人出になるのだろう。 

帰りに塩竃神社に寄る。桜は満開でお花見をしている人達を見かける。肌寒い ので、お酒でも呑んでないとつらいのでは、と思うが、女子高校生のグループが 楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている。

元気良く泳ぐこいのぼりと桜の花を同時に見るのは初めてである。嬉しくて何枚 も「こいのぼりと桜」の入った写真を撮ってしまう。やはり東北は季節が横浜と は少しずれている。

家に帰る前に多賀城駅前の長崎屋で買い物をする。
品揃えの充実した100円ショップが有り、ちょっと見るだけのつもりだったの だが、8個も買ってしまった。(爆)

その中でお気に入りなのが、足踏みボードだ。
木の板の上に描かれた足型に 丸みを帯びた突起が沢山付いていて、足のつぼを 刺激する様になっている。最初は痛かったが、暫く踏んでいたらだいぶ慣れた。 車で旅行すると、こういう風に沢山の買い物をしてしまう。(笑)

今日は瑞巌寺で桜を見ながら味噌おでんを食べたし、チョコレートも沢山食べ た。夕食は長崎屋で買ったお惣菜で済ませたが、なかなか美味しい。
ちょっと空腹だから、とついついぱくぱく食べたロールパンのせいで、また蕁麻 疹が出てしまった。後で気付いたのだが、ロールパンにも卵が使われていたのだ 。あ~パンも食べられないのか、と思うと悲しい。食べる物に関してはかなり神 経質になりそうだ。

4月29日 晴れ

 朝10時前に車で出発。目的地は平泉町に有る中尊寺とそこから東に走った所に有る日本100景のひとつである猊鼻渓の川下りである。

東北道の一関インターで下りる計画を立てて、仙台インターより北に有る大和(たいわ)インターを目指す。松島方面は渋滞しているだろう、ということで、違う道を選んだのだが、これが大失敗。昨日利府町に開店した巨大な(本当に大きい)ジャスコへ行く道と同じだったのだ。
畑が続くだけで何も無い所にジャスコが出来ている。折角渋滞に巻き込まれたのだから、と記念に写真を撮る。

ジャスコを過ぎると多分いつもはこうなのだろう、という感じですいすい走ることが出来た。

 東北道も空いている。一関インターからは一般道路で猊鼻渓へ。最後に「この先の信号を右折」という標識が有るので、「この信号っぽいな。」と思いながらも通り過ぎると、何も無くて、やはりさっきの信号だった。信号の位置よりは右折道路の方が先だが、その距離は数メートルだろう。
「この信号を右折」って書けばいいのにねえ、とぼやきながら戻る。

 着いてすぐの12時半の船にも間に合ったのだが、川下り(1500円)が90分かかると聞いて、昼食を取るために次の午後1時の舟にする。

まず猊鼻渓のプリクラを取って(後でよく見たら厳美渓のプリクラだった)鮎の塩焼きを1尾ずつ食べ(400円)お茶を飲んで待つ。
舟に乗っている間にはチョコレート(最近の私の食事にしばしば登場するもので、ダースの青い箱のチョコレート)を食べた。

 ここは最初に船頭さんの櫓さばきで川を上って(とても緩やかな流れの川)舟が入って行けない所で1度舟を降りてその先まで行って見学し、帰りは船頭さんの歌を聞きながら下って戻って来るのだ。上りは体力的にきついので歌どころでは無いらしい。

川の両側の渓谷の様子を見ながら舟は進む。途中パチパチ写真を撮って、舟を降りた所では、ここの渓谷の説明を受けてから希望者は運、福、寿などの石を投げる。(目標の穴へ投げた石が入ると願いが叶うと言う)私は肩が弱いので初めから投げるつもりは無かった。見ていると、届く人は何人も居るが、穴へちゃんと入れた人はひとりも居なかった。

 川下りを終えると、すぐに出発。今度は平泉の中尊寺へ。
中尊寺では有名な金色堂を見る。金色堂も凄いが、それを鎌倉時代から入れていたという建物に歴史を感じる。今は新しいものが出来ているので、古い方は単独で建っているのだが、なかなか素晴らしい。古いものを後世に伝えて行くのはとても大事なことだと思う。

 中尊寺見学の後は、すぐ近くに有る毛越寺(もうつうじ)へ行く。(車で移動)
毛越寺の敷地は広く、昔は素晴らしい建物が沢山建っていたのだが、今は殆ど残っていない。(何百個と有った坊が18個だけになっている)

寺の庭園を散歩して、ガイドブックに載っている花巻駅前のホテルに電話して今日の宿泊を予約する。多賀城の家まで帰っても良かったのだが、同行者のもぐちゃんの希望で翌日遠野へ行くことにしたため。
平泉インターから入って東北道を北上し、花巻インターで下りる。

 花巻市では、珍しい杉並木を見る。私は他には箱根で見たことが有るだけだ。箱根には邪魔するものが無いので良いと思うが、市内に有る杉並木の杉はてっぺんがどれも電線に触れている。どんどん伸びる木だけに剪定はしっかりしなければならないだろうと。あまり枯れ葉が落ちないのは良いのだろうが、やっぱり銀杏とか桜の並木の方が私は好きだなあ。

私の生まれた愛媛県宇和島市の駅前通りの並木は椰子の木(かなり高い)で、それも大好きなのだが。(南国に来たなあ~と観光客は思うらしい。)

 花巻駅前のホテルはまだ新しく綺麗だし、従業員の応対もとても良い。
チェックインしてすぐに外出をする。
丁度6時に駅のすぐ側に有るからくり時計を見る。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をテーマにしたからくり時計で音楽は「星めぐりの歌」である。原曲は4分の2拍子の曲だが、この時計ではワルツになっている。

 駅前からロマンチックな雰囲気の通りを歩いて、今日の夕食を取る店へ行く。
ガイドブックで見つけた「やぶ屋」というわんこそばの店である。
わんこそばは予約が必要なので、頼まなかった。わんこそばを食べる座敷はいっぱいになっていたが、みんな普通の食事をしていた。

蕁麻疹が治っていないので、卵の無いメニューを頼んだが(寿司)、折角だからとざる蕎麦も注文して食べる。日本酒(冷酒)も呑んだが、今日の食事では蕁麻疹が出なくて安心した。
東北旅行では、あちこちで蕎麦を食べるが、どこの蕎麦も美味しい。

4月30日 日曜日 晴れ

 花巻のホテルを出発して、まず市内に有る「宮沢賢治記念館」に行く。
中に入る前に、併設されている注文の多い料理店「山猫軒」で朝ご飯を食べる。

メニューの中から「山猫雑炊」を頼むが、注文時に卵を抜いて貰うことを言い忘れて、見事に卵の散らしてある雑炊が出て来た。(爆)結局卵は出来るだけ避けて雑炊は食べることにする。味がとても良いので満足する。

 宮沢賢治記念館は訪れる人も多く、出る頃にはいっぱいになる。ここでは、宮沢賢治の童話の本や「星めぐりの歌」の入ったCDを記念に買う。

 花巻市を出て、もぐちゃんの強い要望で遠野市へ行く。
遠野物語で有名な遠野市だが、私はまだその本を読んでいなくて、遠野のことがよく分かっていなかった。民話で有名な所だった。

 遠野市には、電車でも行けるし、事実線路沿いの道をかなり走った。しかし行きも帰りも1度も電車を見かけることは無かった。1日に何本走っているのだろう。。。
途中、自転車レース(サイクリングっぽい感じ)やハングライダーの大会をしているのを見かける。
そう言えば、今日は日曜日だ。

 遠野市では、「遠野昔話村」、「遠野市立博物館」、「遠野ふるさと村」、「福泉寺」、「伝承園」を見学する。
 「遠野昔話村」では、明治43年生まれのおばあさんが遠野に残る昔話を30分聞かせてくれる所が有り、大勢の人がそれを聞いていた。90歳を過ぎて現役で仕事が出来るということにとても感心する。

「写真を撮っても良いですよ。」と言われたが、私にはそのおばあさんよりも1歳年上の祖母が田舎で元気に暮らしているので珍しくは無かったし、私は遠野の方言が分からないので(おばあさんは出来るだけ標準語で話していたのかもしれないが)後ろの席に座っていたことも有って、半分の15分位聞いた所でそっと外に出た。
ここでは、遠野物語や かわいい河童のキーホルダーなどを買う。

 「ふるさと村」は郊外に有り、茅葺の家など昔の家を集めてある。
世界遺産の白川郷を小さくした様な感じだ。
ここでお昼にざる蕎麦を食べる。蕎麦の上に大根の様に白い植物が乗っていて、蕎麦と一緒に食べるとあっさりしていてなかなか美味しい。名前は忘れてしまったのだが。
今度蕎麦を食べる時に、色々野菜の乗せて試してみようかな、と思う。

 「福泉寺」は5重の塔に惹かれて入ったのだが、本堂までかなり歩くので、入ったことを少し後悔する。(笑)でも、観音堂の周りに堀が有ったのは面白いと思った。

 市内に戻って「伝承園」へ。ここでは大きな河童君がお出迎え♪
ここには1950年頃の建物が保存されており、工芸館が有って体験学習が出来る様になっている。 例えば、絵馬や藁細工、ざしきわらし彫刻など。

 見学を終えるとすぐに出発する。帰りは北上江釣子インターから東北道に入る。
北上市を少し見てみたかったからだ。北上市は駅も大きくまあまあ都会だ。目立つ高いビルは殆どがホテルだ。よく有る地方都市という感じかな。

 帰りも大和インターで下りる。ガソリンが残り少なくなって来たので、下りて最初に見つけたガソリンスタンドで給油し、多賀城駅前の長崎屋で夕食の買い物をする。取りあえずメインは寿司にする。

昨日は寿司を食べても蕁麻疹が出なかったので安心していたのだが、今日は食べるとすぐに出てしまった。昨日は無くて今日だけに入っていたネタは筋子である。筋子も卵だった。(爆)
でも、大好物のいくらも食べられないのかな、と思うと、とても悲しい。
早く治ります様に。

5月01日 月曜日 晴れ

 天気予報では雨だったのだが、ずっと晴れていて快適なドライブになる。
それで帰りの多賀城の家を出て横浜の家に着くまで今回も休憩無しで走ることにする。
首都高は少し混んでいたが、大したことは無くて4時間50分で到着する。
東北も仙台位までなら近いものだなあ。
秋には福島あたりに行ってみようかな。

今回の旅行で分かったことは、「5月の連休あたりの東北は素晴らしい。」と言うこと。
満開の桜とこいのぼりが同時に見られる景色が大好きになった。