としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

筑波旅行 2000年

2018-10-10 03:00:00 | 旅行
筑波旅行の日記

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2000年 筑波旅行の日記

 私の友達でつくば市に住むスピカちゃんのホームページスピカ氏のグルメな生活 のカウンタ2万ヒットお祝いの会に出席するため、1泊(スピカちゃんの家にお泊り)で、私にとっては筑波科学万博以来のつくば市旅行に行きました。

出席者は11名、スピカちゃんとうれしいがらしさん以外は初対面の人達でしたが、とても楽しい時を過ごすことが出来ました。

3月4日は偶然私の誕生日だったため、そのお祝いもして頂きました。2回目の成人式は賑やかに迎えることが出来ました。(笑)みなさん、どうも有難うございました。
出席者は、スピカちゃん、うれしいがらしさん、みぞまるさんご夫妻、えびちゃんず(ご夫妻)、Tomさん、よっしさんとそのかわいい彼女、高橋まさん、私としちゃんです。

3月04日 土曜日 晴れ後曇り後雨

 昨日、久し振りに洗った車でお昼前に家を出る。
少し曇り空の首都高速湾岸線だが、渋滞も無くスムーズに走る。
常磐道桜土浦インターでおりて、取りあえずスピカちゃんの家に行ってみようと思ったが、大角豆(ささぎ)交差点で曲がりそびれて、そのまま長い直線道路を進む。後でこの道路が東大通りだということを知る。
まだ午後1時過ぎだったので、折角だからと筑波山に行くことにした。

 少し明るい曇り空の中、だんだん筑波山の輪郭が見えて来る。まずは梅林へ。
市営駐車場が第一、第二、第三、と有るのだが、梅林に1番近い第一は満車なので、隣に有る店で今日最初の食事を取ることにする。もう1時を過ぎていたので空腹。生卵付きのとろろご飯定食を残さずしっかり食べて、いざ梅林へ。

この梅林は山の斜面に有り、水戸の偕楽園とはまた違った趣きがある。
ただ、時間としては短いのだが、急な道を歩かなければならない。急いで歩くと息が切れるのでゆっくり歩く。
冬のハーフコートを着ていたのだが、暑くて暑くてすぐに脱いだ。久し振りに汗をかく。

梅は白梅が多く、看板では5分咲きとのことだが、印象としては見頃だ。標高の高い所に有る梅はつぼみのものも有る。山の斜面に有る梅林は、やはり高い所から眺めるのが良い。頑張って歩いて良かった。

 帰りに無料休憩所で無料の美味しい梅昆布茶を頂き、観光がま園にも寄ってがまの石像の前で写真を撮る。そして記念にかえるの耳掻きを買う。ここでは、がまの油売りの口上を聞けるのだが、次は午後3時からということなので、今回は諦める。

 梅林入り口に有る公衆電話から実家に電話をして(お誕生日おめでとうコールのお礼)車で出発。
筑波山神社は後回しにして、どこまで行こうかと迷いながら走って行き、右筑波スカイラインの標識を左へ曲がる。曲がるとすぐに有料道路の料金所が有り(料金400円は帰りに払う)、くねくねした道を上って行く。

ちらちら下を見ながら走るが、煙っていてあまり見えないので、途中のロープウェイ乗り場の大きな駐車場でUターンすることにした。ここにはロープウェイ乗り場の他に遊園地らしきものが有る。ちょっと不思議なそそられる雰囲気だったが、あまり時間が無いので、車窓から見るだけにする。

 今来た道を下って行くと雨がぽつぽつと降り始める。
筑波山神社のすぐ近くには無料の駐車場が無く、元々ちょっとだけのつもりだったので、神社の入り口を見ただけでそのままUターン。帰る気になったのは雨が降り始めたせいかもしれない。そろそろ午後3時になる所だ。

 スピカちゃんの家でのパーティーは午後4時始まりなので、今度は角を曲がりそびれない様に慎重に走る。
来る時に曲がって来た交差点の雰囲気は覚えて来たのだが、結果として学園都市の標識に従って行けば良いので簡単だった。

東大通りは片側3車線(1部4車線)で、走り易く、スピードが上がりがち。学園都市はよく整備された街である。

スピカちゃんの家には3時過ぎに到着。広い敷地で車は停め放題の所である。
車の所まで迎えに出て下さったうれしいがらしさん曰く、「そんなに慎重に停めなくてもいいですよ。」
確かに広~い。

 スピカちゃんの家では、スピカちゃんとみぞまる奥様がお料理中。私も少しお手伝いをする。(茹でたじゃがいもの皮を剥いただけ(笑))初めてくまのプーさんのエプロン(持参)をした。

それから、うれしいがらしさんの大学院の同級生のTomさん、上の階に住むご夫婦のえびちゃんずが集まり賑やかになる。うれしいがらしさんは私と生まれた年が同じ人なのだが、彼の同級生と紹介されて、ついTomさんも同じだと勘違いし、Tomさんの若いのに驚愕する。実は彼は20代の人で見た目通りだったのだが。(私と同じ年に見えるはずが無い。(爆))
えびちゃんずはとても面白いご夫婦で都会派の夫婦漫才が出来そうである。(笑)

 スピカちゃんの美味しい料理や用意して貰ったワイン、みんなの持ち寄りワインなどでパーティーが始まる。

今日の料理はスピカ氏のグルメな生活 をどうぞ。
少し遅れて、みぞまるご夫婦が上の階からお手製のサラダ2種類を持って登場♪ はちみつ入りのドレッシングは甘い物好きの私のお気に入り。自分でも作ってみたい。

スピカちゃんの料理で作ってみたいと思ったのは、鯵の生クリーム和えと 茹でたジャガイモにチーズを乗せてレンジでチンしたもの。作ってみたい理由は美味しいことプラス自分でも出来そうだと言うこと。他のお料理は私には難しそうに見えた。(爆)

 今回、みぞまる御主人がクラリネット、フルート、ドイツで買ったソプラノリコーダー(30本のうちの1本)を、Tomさんが、クラリネット、ウクレレを、スピカちゃんがオカリナ(FとC)を持ち寄り、即興で沢山の曲を演奏して下さった。
とても楽しそうな3人を見て、羨ましいなと思う私である。私は人前で演奏するのがとても苦手なのだ。みんなの様になりたいな、と思う。

 演奏会の途中で、よっしさんと彼女が登場♪ それから遅れて鎌倉から参加の高橋まさんがアボカドなどを持って登場♪スピカちゃんのボードで高橋さんを女だと思っていた私はちょっとびっくり。(笑)東京から夜行バスで来られたそうだ。高速バスもとても便利だと思う。

 スピカちゃんの2万ヒットのお祝いと別に 今日が誕生日の私のために、ケーキに蝋燭20本を立てて、クラリネットの演奏とみんなの歌で「お誕生日おめでとう!」とお祝いして頂く。クラリネットの演奏付きなんて生まれて初めてで感激♪ 

演奏が終わって、ケーキの蝋燭の火を吹き消す時に、正面にカメラを持ったうれしいがらしさんの姿を見つけて、つい「タコの口をするのが恥かしいなぁ~」と思い、口をすぼめないで吹いたら、蝋燭の火は殆ど消えず、ケーキの上に乗ったチョコレートを思い切り吹き飛ばしてしまった。(爆)ごめんなさい。でも、まさか1本しか消えないなんて思わなかったの。。。代わりにみぞまる御主人が1度で残りの19本を吹き消して下さった。

スピカちゃんからは、くまの形をした入れ物に入っている蜂蜜を頂いた。黄色いのでくまのプーさんに似ている。

 今回集まった人達は全員が楽しい人達で、その中でも物知り博士の「みぞまる御主人」、二人っきりで野球の試合(紅白戦と呼ばれている)の出来るTomさんとそのお友達の「監督」さん(今回は不参加)、アニメに超詳しいえびちゃん御主人のお話では大いに盛り上がる。聞いているだけで十分楽しい。(笑)

途中、盛り上がる話の中、スピカちゃんが最近行ったイタリア旅行の話を写真を見ながらしてくれたのだが、他の資料を見ないで写真だけでしっかり説明出来るスピカちゃんに驚いた。旅行中も毎晩就寝前にしっかり日記をつけていたそうだ。凄い!

去年イタリアに行った私の旅行と違うのは、今年の方が警察官が多く治安がとても良かったということ。行った時期で随分印象が違うものだと驚く。
またスピカちゃんの旅行は私の様なツアーでは無くて、自分たちで決めた自由なものだったので、その点でも色々と違うものが有る。

午前0時近くに会はお開きになる。
散会した後、うれしいがらしさん、スピカちゃんと少しおしゃべりをして、お風呂に入り、一足先に床についたうれしいがらしさんの寝息を聞きながら、スピカちゃんともう少しおしゃべりをする。久し振りのことだったので床についたのは午前4時前。私としては時々起きている時間では有るのだが。(笑)

3月05日 日曜日 晴れ後曇り

 午前9時前に目が覚める。おふたりはもう先に起きていて、うれしいがらしさんは朝の草取りにも出られた様だ。

朝のお茶とシチューを頂いて、うれしいがらしさんの車で出発。
筑波の街やとても広い筑波大学内を解説付きで案内して頂いて、筑波山へ。昨日と違って山の形もくっきりとよく見える。

山に入ってから、渋滞していることが分かり、諦めて帰ることにする。Uターンする場所が無いので、すぐ目の前のホテルの入り口を利用させて貰う。所謂ブティックホテル(ラブホテル)で、「インターネット出来ます。」の看板が昨日来た時にも印象に残ったホテルだ。3人で出て行くと何だかおかしいね、と笑いながら山をおりる。

 つくばの街に戻り、話題の「監督」が居るかもしれない「松見公園」へ。
ここには栓抜きの様な形をした展望塔が有り、つくばの市内を見渡せる様になっている。視界が良い日は富士山も見えるそうだ。上から見ると改めてつくばの街が整備された広い街だということがよく分かる。

松見公園には池が有り、まるまると太った鯉が沢山泳いでいる。
また、池の中には小さな島が幾つか有り、中央の島には梅の木が数本植わっている。近くで見ると、あまり背の高くない丸い形の梅の木でとてもかわいい。ここでも記念撮影をする。

 それからつくばで美味しいと評判の手打蕎麦屋「いちい」でお昼をご馳走して頂く。まいたけが美味しいということでおふたりはまいたけの天せいろ、私は普通の天せいろを、私はスピカちゃんにまいたけの天ぷらを1つ頂いた。細めで上品な味の蕎麦でとても美味しいお昼ご飯になった。

 つくばの街の旧市街と学園都市との違いなど色々な解説を聞きながら、スピカちゃんの家へ。
郊外には畑が広がって、田舎の部分が多い。学園都市には新しい近代的なビルが建ち並んでいる。
ひとりで走るだけでは分からない部分沢山を見ることが出来た。

 おふたりに大いに感謝して、車で横浜に向かって出発。
つくば市内で給油をして、常磐道、首都高と乗り継いで家に帰る。
常磐道ではガムを噛みながら睡魔と闘う。今回の旅行にちなんでロッテの梅ガムにした。(笑)

常磐道も首都高も空いていて約1時間半で横浜へ。
楽しい誕生日を思い出しながら、お昼寝をする。
今回会った人達に、再び会えることが有ればいいな、と思う私だった。
(もうひとつ、監督の行く末を見届けたい。)

蔵王温泉スキー旅行 2000年

2018-10-10 02:00:00 | 旅行
蔵王スキー旅行の日記

2000年 蔵王スキー旅行の日記

2月17日 木曜日 晴れ

 自宅での仕事を終えて、午後6時40分に家を出る。JR横須賀線、8時12分東京発東北新幹線で仙台へ。

東京駅で買った梅しそおこわ弁当の中に入っている茄子の漬物がとても美味しく、この漬物を食べるためだけにでも、この弁当をまた買いたいなと思う。

新幹線の中では眠くなるが、盛岡行きのため、寝過ごしてはいけないので、頑張って起きている。隣の車両では、宇都宮で降りるはずの乗客で乗り過ごした人が居た様だ。(郡山で折り返して来られるとのことだった。)

仙台駅からは仙石線(仙台→石巻)で多賀城駅へ。久し振りの多賀城市は道路に雪も無く、ほっとする。
多賀城のもぐちゃんの家に着いて入浴し、明日の早起きに備えてぐっすり眠る。
一戸建てと違い、もぐちゃんの家は横浜の家よりもずっと暖かい。

2月18日 金曜日 雪

 朝6時半に多賀城市の家を出る。所々に雪が残っているが、道路は乾いている。
 仙台駅前を7時半に出発する蔵王温泉行きのバス(要予約)で出発。
バスは空いている。早起きをしたため、バスに揺られると眠くなり、蔵王に着くまで眠る。目を覚ましたら、バスの外は雪景色になっていた。

 仙台から約2時間で到着。蔵王温泉街を通って蔵王中央ロープウエイ乗り場へ。ここは、秋に来た時に母と記念写真を撮った所だ。

3日券を買いロープウエイに乗る。このロープウエイは整理券が発行される程混むと聞いていたのだが、平日のせいか案外すんなりと乗ることが出来た。 
鳥兜駅に着くと、今日明日と泊まるパラダイスロッジの人が雪上車で迎えに来てくれていて、その護送車の様な作りの車でロッジへ。

護送車(笑)の中では他のグループ二組も同じ様に「護送車みたいだ。」と言っている。
隣に座った色白の女の子がひろ笑いをするので面白い。ひろ笑いとは「あはははは~」の「は」の部分が「は」と「へ」の間の発音なのである。田原俊彦笑いにも通じるものが有る。

今回泊まるロッジは、山頂に近い所に有る。毎朝混雑するロープウエイに乗らずにすぐにスキーをするためである。部屋は8畳の和室になる。和室で寝るのは久し振りだ。118号室。118は、そのうち海の110番になる番号である。

 部屋で暫くのんびりして、準備を整えていざゲレンデへ。最初はコースも分からず、シーズンはじめということも有って怖々滑りになっていたが、段々慣れて来て楽しい滑りになる。

前がよく見えなかったゲレンデも明るくなり、長くて斜度も私向き(初中級者コース)でリフトも1672メートルの長さが有り、しかもフード付きという有り難い大好きなコースを見つける。(黒姫スーパージャイアントコース)
最初は「スーパージャイアント」という名前から超上級者コースの様な気がして、びびっていたが、そうでは無かった。距離が長いからだろうか。

楽しくてどんどん滑りたいと思うが、朝から何も食べていないので空腹になり、午後1時過ぎに昼食をとるため2時半頃まで休憩する。ハーフサイズのお好み焼きは、なかなか美味しかった。

 昼食後、1度麓まで降り、山麓ロープウェイ、山頂ロープウェイと2本乗り継いで山頂へ。

蔵王スキー場へ行く人へのアドバイスだが、蔵王ではロープウェイへ乗ることは極力避けた方が良い。かなりの時間のロスになる。平日でさえ混むのだから、週末なら大変だ。日曜日には、朝9時台に その日の夕方までの山頂ロープウェイの整理券は全部終わったのだ。そういう理由でリフトを乗り継ぐことをお勧めする。私もこの日の教訓から翌日、翌々日とロープウェイには乗らなかった。

 折角ロープウェイで山頂まで行ったのだが、ガスっていてあまり景色は見えず、ただ下りて来る。リフトでも山頂のすぐ近くまで行けるので、山頂付近まで来るのは晴れた時にしようということになる。

2月19日 土曜日 曇り後晴れ(午後2時過ぎから晴れて来る。)

2月20日 日曜日 晴れ後曇り(朝から晴れて回りの山々までよく見える。)

ここから書き方を変えて、項目別にレポートをします。

★パラダイスロッジについて

 山頂に1番近い所にある宿泊施設。もう1軒「樹氷の家」というのが有る。こちらの方が新しい。
ロッジは1泊2食付き(風呂、トイレは共同)で6500円と格安な施設だが、スキーを楽しみたい人には強くお勧めする。料理は値段からは信じられない程美味しい。毎日変わるメニューのメインは肉料理(ステーキ、鉄板焼き、しゃぶしゃぶなど)である。

初級者、そり遊びをしたい子供、中上級者、すべての人が楽しめるコースがすぐ近くに有る。スキーセットやそりのレンタル、スキースクール、レストラン、売店など充実している。

ここの売店で「みちのく限定販売ポポロン」を買う。
中に洋梨ラ・フランスのチョコレートが入っているのだが、なかなか美味しい。全国で販売して欲しい。
それから「ZAO」のロゴの入ったフェイスタオル。これは秋に来た時にも買ったのだが、紫色でお気に入りである。 

★コースについて

今回は山頂付近と、主に右よりのコースを楽しんだ。
蔵王名物の「横倉のかべ」は なだれのため滑走禁止になっていた。

上級者コースは、黒姫ジャイアントコースの1部と山頂付近のパラダイスゲレンデが有る。黒姫の方がきつい。黒姫の方は気温の上がった土曜日の午後に行ったので、こぶになっていた。パラダイスの方は迂回するコースもあり、天気が良い時は楽しい。(山頂付近のリフトには フードが付いていないから吹雪くとつらそう。)

パラダイスゲレンデは、黒姫と同じく土曜日の午後にも滑ったが、標高が高い分、こぶもあまり大きくなかった。日曜日に行った時にはこぶは無かった。
この山頂近いリフトは、晴れるとリフト乗車中(降りる直前)にしか見られない樹氷の美しい景色が楽しめる。(角度の問題で、リフトを降りてしまうと見られない景色が見られるのだ。)

 今回は黒姫第一リフトを主に使った。それを降りると、初中上級者それぞれのコースどこにでも行けるのだ。しかもどこのコースを滑っても間違わなければ(笑)また同じリフト乗り場に戻って来ることが出来る。

混み具合や足の疲れに合わせて、時々コースを変えて滑った。途中1度も止まらずにロングコースを滑り切るのも楽しい。

最長距離の樹氷原コースは、樹氷を眺めながらお散歩をする、という感じ。勢いをつけて行かないと、漕がなくてはいけない所も有る。まあまあスキーをしている人なら1度行けば十分というコースだろう。

私のスキーのレベルは、自己申告では「中級者」。
しかし札幌のスキーのうまい友達やインストラクターの意見では、「初級者」である。
私が「え?私って中級者じゃないの?」と言うと、
友達から「自分でそう思ってればいいじゃん。」と言われた。(笑)

足が慣れて来ると、暴走気味になることが有る。(爆)足さえ鍛えられていれば、スピードのある滑りは好きだ。でも日頃運動不足なので、最初はゆっくり滑る様にしている。

★天気について

今回は、山の天気は変わり易い、ということをしっかり体験する。
初日金曜日は視界も悪く、やっと明るくなったと思ったら、食事時間になったり、ロープウェイに乗っていたりで、あまり滑ることが出来なかった。

2日目土曜日は午前中も曇りながらコースはよく見えたのだが、午後2時過ぎに晴れて来たので、黒姫コースから連絡コースを通って、山頂近くに行けるリフトに乗り、樹氷原コースの上の方へ行く。私達を含め、大勢の人が記念撮影をしていた。

3日目日曜日は朝から晴れて、朝1番に山頂付近に行って、昨日の午後は逆光になって撮れなかった方向の樹氷原の記念撮影をする。昨日より遠くの山々までよく見えて最高のスキー日和。午後から段々悪くなり、帰る間際に真っ白になって、リフト乗り場を見逃すという失敗をしたが、それも一時的なことですぐに明るくなった。

3日間通して、蔵王高原としては天気には恵まれたらしい。天気に恵まれると日頃の行いが良いせいだとよく言われるが(笑)同行者の行いが良いのかもしれない。

★樹氷のライトアップについて

 2月20日までということだったので、楽しみにしていたのだが、これは麓に泊まっていなければ見ることが出来ないのだった。山頂でライトアップされるのだが、ロープウェイで山頂まで行っても、スキーで下りて来ることは出来ないので(真っ暗だし危ないので、スキーを持っている人はロープウェイに乗せてくれない。)山の上に泊まっていては行けないのだ。残念だったが、ライトアップされた写真を見て我慢する。
昼間綺麗に見られたから良しとしよう。

★スキー場で見た人達

 蔵王スキー場はスキーヤー、スノーボーダーが半々位のイメージだ。正確な所は分からないが。
スノーボーダーの動きは読めないことも多いが、3日間滑るうちにだいぶ見慣れた。ボードが流行始めてからだいぶ経つせいか、まあまあうまい人が多くなっている。

 それでもスキーに比べると歴史が浅いせいか、圧倒的にボーダーは若い。かわいい女の子もいっぱいで、さらさらロングヘアーをなびかせた女の子には見とれてしまった。(笑)晴れた日曜日には顔をしっかり出している人が多く、結構楽しめた。

また、20日の日曜日は「子供の日」で、子供はリフト券が半額ということもあり、小さい子供がとても多かった。
ボーゲンで一生懸命ひとりで滑っている小学2年生位の女の子、パパに後ろから支えて貰ってボーゲンで下りて行く3歳位の女の子など、かわいくて見とれてしまう場面が多々有った。現在2歳の甥っ子星をゲレンデに連れて来たいな。きっと見ているだけで楽しいだろう。

 レストランでは、香取慎吾、99の岡村君にそっくりの人を見かける。
香取慎吾のそっくりさんは、とてもかわいい。本人だと言われれば納得する位似ていた。芸能人の香取君よりは、爽やかな感じだ。
岡村君は、本人よりもしっかりした感じ。でも、やっぱり小柄だった。

誰に似ているというわけでは無いが、私が重なったコップを取るのに苦労している時、横から手伝ってくれたハンサムな男の子♪ こういうのも出会いのひとつかな。(笑)にこにこして感じ良~い人だった。

★同行者について

 名前は「もぐちゃん」仙台市の隣の多賀城市に住んでいる。
彼は滑った回数の割にはスキーがうまい。上級者では無いが、とても自然に滑る。高い所、急斜面が全然怖くないそうだ。但し、スキーは特に好きというわけでは無いらしい。どの位好きかと聞くと、スキーは歩くのと同じ位だ、という答えが返って来た。
体力的にも中級者コース位が1番好きということで、その点で私と合う。

札幌に住んでいる頃は、お互い上級者コースばかり滑っていたのだが、年1回のスキーでは、あの頃には戻れないのがちょっと悲しい。

★スキー旅行の終わりは寂しい

 3日目最終日、午後3時にスキーを終えて(2時半終了予定が帰りのリフト乗り場に気付かず遅れた。)ロッジに戻り、着替え、片付けを済ませて休憩する。
ロッジの前で写真撮影をしたりして4時まで過ごし、4時発のロッジのロープウェイ乗り場行き雪上車に乗る。初日に乗った護送車である。(笑)

来る時は窓が凍っていたため、外の景色が見えなかったのだが、今日は晴れて気温も上がっているせいか、外がよく見える。今回滑らなかった他の色々なコースを見ることが出来た。
ロープウェイの鳥兜駅で降り、そこでも記念撮影をする。

流石に下りのロープウェイはがらがらだ。10人位の人達と沢山の荷物を乗せたロープウェイ。窓の外には、ゲレンデや麓の蔵王温泉街がよく見える。

 蔵王温泉街で、秋に来た時にも入った蕎麦屋に入る。
私はおでんと月見蕎麦を頼む。おでんの量は普通だが、月見蕎麦は「あれ?私、大盛を頼んだっけ?」と思う位の量が有る。普通の蕎麦屋の2倍は有りそうだ。「私がかわいいから、蕎麦屋のお兄ちゃんがサービスしてくれたのかな。」と勝手に都合の良い解釈をして納得することにした。(笑)

しかし、本当にかわいいのは蕎麦屋のお兄ちゃんである。彼がとても感じの良い人なので、なるべく残さずに食べようと努力したが、どうしても全部食べることは出来なかった。その蕎麦屋は大盛は120円プラスなのだが、大盛の量を見てみたいと思う。
そば茶は無料セルフサービスなのだが、とても香りが良く美味しい。

 蕎麦屋を出て、すぐ近くの山交(山形交通)バス乗り場まで歩き、バスに乗る。日曜日ということも有り、満席であった。蔵王から山形自動車道路を通って(1部東北自動車道)仙台駅へ向かう。満腹の上にスキー後ということも有り、バスの中ではぐっすり眠る。仙台駅には1時間半で到着する。

翌日帰る予定だったのだが、急遽そのまま仙台駅から新幹線で帰ることにする。月曜日の仕事のことも有ったのだが、早く家に帰りたくなるというのは、やはり疲れていたのだろう。

仙台駅午後7時26分発東京行き新幹線は、とても空いていた。東京駅から乗ったJR横須賀線もがらがら。眠ることも出来たのだが、全然眠くならなくて不思議だった。

横浜の家に着いたのは、午後10時49分。テレホタイムになる少し前。お風呂に入りながら、今回の旅行のことを思い出して楽しんだ。

 今シーズンは、今回のスキー旅行が最初で最後の予定なのだが、これを書いている2月26日現在、なんとかもう1回位行けないかなあ、と考えている。(笑)

筋肉痛にもならなかったし(「もぐちゃんは、大丈夫でしたか?」)今のうちにどんどん鍛えておきたいな、と思う。 ちょっと始めてイタリア旅行で途絶えたジョギングを再開しようかな。でも、その前に体重を落とさなくちゃ。(爆) 今回の旅行では大食いしちゃったし。。。
今回、「私はやっぱりスキーが大好き♪」ということを再確認した。

★もぐちゃんの感想

旅行後のメールの中に
「樹氷も見られたし、蔵王スキー場は、やはり行ってみる価値の有る所でした。」という1文が有る。
私も同感。飛行機で行くスキー場の方が横浜の家から行くには楽なのだが、また機会を見つけて行ってみたいと思う。 


イタリア旅行 1999年

2018-10-10 01:00:00 | 旅行
イタリア旅行

1999年 イタリア旅行の日記

阪急交通社の「おまかせイタリア9日間」のツアーに母親と参加。
往復全日空、全行程食事付き、添乗員、ガイド付きのコースである。
参加者は30名プラス添乗員で料金はひとり18万9千円。
ホテルは三ツ星~四ツ星クラス。

イタリアは初めてだけれど、出来るだけ沢山の街を見たいという関東地方に住んでいる人には、お勧めのツアーです。(宣伝費は貰っていませんが。(笑))
料理もイタリアの代表的なものを重複しない様に出してくれます。

但し、2000年は25年に1度の聖年の中でも100年に1度という「大聖年」に当たるそうで、巡礼の人達が集まってくる年だそうです。この年に行くと罪が許されるということ。そういう訳で、例えば、街の中央に近い便利なホテルはすぐにいっぱいになってしまったりと、観光客にとっては快適とは言えないことも有るそうです。

イタリア旅行を考えている方は、出来れば2001年まで待ってからされた方が良いでしょう。 
もちろん、「大聖年」のイタリアを見たい、という方は別ですが。

この日記の観光場所の解説には、「るるぶイタリア」の文章を使用しています。
ダイエットのページにもアップしますので、1日に歩いた歩数や食事内容が含まれています。

1日目 11月21日 日曜日 晴れ

★横浜の自宅~フランクフルト~ミラノ

 朝6時前にタクシーを呼んで、横浜シティーエアターミナル(YCAT)まで行く。
YCAT6時15分発の高速バスで成田空港へ。(往復6300円)早起きをしたため、バスの中では殆ど眠っていた。7時45分に成田空港到着。

まず旅行社の手続きを済ませる。添乗員は古屋さんという若い女の人だ。行く先々での服装で分かるのだが、彼女はとてもおしゃれな人だ。
同じツアーの人達は、女性が多く、年齢層は下は学生グループ、OLさん、上は退職された男性、子供が成人して自由な時間が沢山有る女性達。みなさん海外旅行の経験豊富な方達の様だ。

 「両替は飛行機が遅れない限り、イタリアの空港でした方がレートが良いですよ。」と古屋さんに言われたにもかかわらず、心配性の約1名の強い勧めで(笑)1万円ずつ成田で両替する。結果的にこれは失敗だった。(笑)添乗員さんの言うことは素直に聞いた方が良い。

 成田10時30分発(動き出したのは50分)の全日空機で空路フランクフルトへ。座席は61のFとG。
飛行機に乗って2時間後と 到着する2時間前に機内食が、そしてその間におやつが2回。この機内食の時から白ワインを飲む。(この先ずっと。。。)太らない様にセーブして食べたが、デザートのケーキはあまりに美味しいので全部食べてしまう。日本でも毎日機内食の様な食事が食べたいな。(笑)

★全日空の機内食

東京からフランクフルト行きの飛行機で(21日)

☆乗って2時間後(実際12時50分に)
白ワイン(クウォーター)を頼む
<前菜>サーモンのマリネ、ソフトサラミ、若鶏のアップルソース、マカロニサラダ
<アントレ(選択)>
母は、若鶏のきじ焼きご飯秋仕立て
私は、鱈と海老のソテーえのき茸のソース、ライス添え
<四季の麺> 冷やし茶そば、うどん
<デザート> コーヒーのケーキ(ムースを挟む)
<テーブルロール> マーガリンをつけて食べる
<コーヒー>1杯

☆軽い食事
<アントレ>
若鶏のオニオンソース
ボローニャ風のパスタのグラタン
<有機野菜のサラダ>
<デザート>
<テーブルロール>
<コーヒー>

☆その他
ドーナツ、おにぎり(どちらも食べなかった。)
ソフトドリンクとナッツ 2回出る。

 映画はキアヌ・リーヴスの「マトリックス」とミシェル・ファイファーの「ディープ・エンド・オブ・オーシャン」の2本を観る。

前者はぼうっとしている私の頭には難しい内容だったが、アクションが素晴らしいので うとうとしながらも見ていた。

後者は同窓会に出かけた先で同級生に子供を誘拐されるという内容で分かり易く、母も起きて感想を述べながら一緒に観る。但し、実の親、育ての親への感情の違いは私には想像出来ない。その立場にならないと本当には分からないのかもしれない。

 ドイツのフランクフルト21日14時40分到着の予定が、13時50分に着いて、14時10分まで飛行機内で待つことになる。
日本との時差は8時間で、成田→フランクフルトは普通11時間の飛行になるそうだ。

 フランクフルトは帰りに6時間も乗り換え時間が有るので、帰りは地下鉄で外に出ることになり、ドイツマルクを作るため、日本円5000円で2マルクのアイスクリームを2個買い、80マルク70ペニヒのおつりを貰う。1マルク=60円、100ペニヒ=1マルク。 

 フランクフルト17時20分発LH-3822便に乗る。座席は8のAB。機内食はピクルスと肉のサンドイッチだったが、とても美味しく驚く。

18時30分にミラノに到着。空港でまた1万円ずつ両替する。
成田では1万リラが700円位、ミラノでは1万リラが6百数十円。(端数は忘れた。)

入国手続きはとても簡単に終わる。但し、こちら(ドイツもイタリアも)は飛行機に乗る時のチェックが面倒で、コートやジャケットを脱いで探知機をくぐらなければならない。時計をはずす様に指導されていた人も居る位。

 今日の宿泊ホテル「ロイヤル・メルキュール」に19時40分に到着。208号室。部屋に入るとベッドにチョコレートがひとつずつ置いてあり、ほろ苦く甘くとても美味しく嬉しい。
入浴後、ベッドに入るとすぐに眠りに着く。母親は夜中に何度か目を覚ましたそうだが、私は朝起きるまで眠り続けた。(いつものことでは有るのだが。)

第2日11月22日 月曜日 曇り時々晴れ
1日に歩いた数 9653歩

★ミラノ市内観光(午前中)

母親に起こされて5時半に起きる。(笑)
朝食は7時から。
パン2個(美味しい)、アップルジュース、カフェヨーグルト(コーヒー味は初めて食べる、美味)、ハム、スクランブルエッグ、フルーツポンチ、コーヒー

 早朝まで雨が降っていたが、出発する頃には晴れていた。
ホテルのロビー集合は8時55分。バスで出発。
ミラノ市内は違法駐車だらけで、いかに車が多いかがよく分かる。 車は小型の乗用車が多い。(1500cc位か)みんな縦列駐車の天才だなあ、と感心してしまう。
並木はプラタナスが多く、黄色の葉っぱを見ていると、まだ日本と同じく秋なのだなあ、と分かる。

スカラ広場へ行き、スカラ座へ入る。
スカラ座は、ジュゼッペ・ピエルマリーニが設計したネオ・クラシック様式のオペラ劇場で、1778年に建設されている。

1番良い席あたりで豪華絢爛たる劇場の中を見学出来る様になっていて、それはそれは素晴らしいものだ。(赤い色が多く使われている。)同じオペラでも こういう所で見るとまた違うだろうなあと思う。

隣に有るスカラ座博物館にはスカラ座やオペラに関係する人達の肖像画や愛用品などが沢山展示されている。
私が興味をそそられたのは、リスト愛用のピアノ(装飾が美しい)とショパンの手だ。ショパンの手が小さいことは聞いていたが、男の人としては小さい、という程度だろうと思っていた。実際見てみると、女性としても小さいのではないかと思われる大きさだ。ショパンの手が鍵盤の上を走っている所を想像した。
日本語版も有るので本(8千リラ)と絵葉書を買う。

世界で最初に出来たというアーケード(ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世)を通る。
1867年、ジュセッペ・メンゴーニ設計の鉄とガラスの十字型アーケードである。モザイクと大理石の床装飾が見事で現在はカフェやブティックが軒を連ねている。

そのアーケードを出た途端に目の前がぱっと広がり、圧倒的な存在感を誇るドゥオモが目に飛び込んで来る。
こういうのを感動と言うのだろう。絵葉書やガイドブックの写真を見るだけでは味わえないものだ。参加者みんなが一斉に声を上げた。

イタリア・ゴシック建築の最高傑作と言われ、1386年の着工から完成まで500年を要した大聖堂で、教会建築としては、ローマのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ規模を誇る。ファサードの浮き彫り、ステンドグラスなどの見所も多い。

 昔は字の読めない人が多く、教会に有る絵やステンドグラスには聖書の物語を絵にしたものが多い。所謂紙芝居で聖書の内容を伝えたらしい。私はクリスチャンでは無いし、聖書の物語は知らないのだが、そういう知識を持って見るともっと楽しいだろうなあ、と思う。

ドゥオモ前で集合写真(3万リラか2千円)を撮り、自由時間にパノラマの絵葉書(3千リラ)を2枚買う。
カフェや1部の店はオープンしているが、月曜日はお店が開くのが15時と言うことで殆どの店はまだ閉まっている。買い物をする参加者は午後の自由時間を楽しみにしている。途中に寄った店で3万8千リラの写真立てを買う。あまりにかわいいのでつい買ってしまったのだが、これはベネチアのお土産で、ベネチアで買った方が安かった。でも100%同じものをベネチアでは見かけなかったので、まあ良しとしよう。

 バスから降りてスフォルツェスコ城の前で写真を撮る。
14世紀ミラノで権勢をふるったヴィスコンティ家の居城を15世紀スフォルツァ家が改築、城砦としたもの。1辺200mの城壁と四隅の円形櫓が囲む。ミケランジェロの未完の作「ロンダニーニのピエタ」で有名な市立美術館のほか、考古学博物館、市立図書館が有る。

但し、私達は外から見ただけである。それでも、ミラノ最大のルネッサンス建造物というだけあって、その大きさと美しさは素晴らしい。

★ミラノでの昼食~コモ湖観光~ホテル

レストランで昼食を取る。
リゾット(硬めのご飯)、とても薄いカツ(切るには硬いが食べると柔らかい、薄味)、野菜サラダ、フルーツポンチ、白ワインクウォーター
この薄いカツがミラノ風カツレツだということ。帰国後、日本のテレビの料理番組で「ミラノ風カツレツ」を紹介して作り方を放送していた。

白ワインはグラス2杯分位で3千リラ(200円位)、ソフトドリンクは倍の6千リラ、この値段なら当然ワインだろう。(笑)
それにしても安い。。。
チップにふたりで1000リラをテーブルに置く。

午後は自由行動なのだが、私たちはオプショナルツアー(ひとり1万3千円)に参加する。
行き先はスイスとの国境に位置するコモ湖である。
ハイウェイを通って16名で移動する。

コモ湖はアルプスの峰々に抱かれた湖畔のリゾート地で、古くはカエサルやアウグストゥス、そしてヨーロッパの王侯貴族も愛した北イタリア有数の保養地である。現在も立派な別荘が立ち並んでいる。

遊覧船に乗り、ソフィアローレンやバレンチノの別荘だった所など説明を聞いて喜ぶ参加者達。もちろん私も。個人の登山電車やエレベーターにはびっくり。遠くに見える雪のアルプスが美しい。

アウトレットのスカーフの店に案内される。
私は自分でスカーフを買ったことは無く、もちろん日頃殆どしないのだが、母の強い勧めで2枚だけ買うことにする。ブランド物だが1枚7万リラ、日本円で4200円位か。このスカーフはこの旅行中に2枚とも活躍することになる。祖母へのお土産(母が購入)は、ここで買ったスカーフになる。

1枚500リラのコモ湖の絵葉書を買って、写真を撮ったりしながら散歩する。
コモ湖をバスで出発し、ミラノへ帰る前にスイスの国境へ案内して貰う。高さ2メートル位の(もっと低く見えるが)金網が張られているだけで、スイスとイタリアの国境が分かる様になっている。川が国境になっている所も有る。とても平和な感じがする。
コモ湖まで行ったら、是非この国境を見て欲しい。

ハイウェイでミラノへ戻る。通勤ラッシュになっている。
ホテルに到着し、再集合は18時30分。レストランへ出かける。 

かなり大きなレストランだが、その分まだ客が少なく寂しい。
前菜(冷たい)、トマトソースのスパゲティ、白身魚のソテー、サラダ、プリン(白い色)、白ワインクウォーター(3千リラ)

この時の食事が唯一いまいちだった。でも、イタリアに住んで10年という日本人のガイドさんの説明によると、イタリア人は昼ご飯こそたっぷり食べるけれど、朝も晩も軽い食事なのだそうだ。確かに街で見かけるイタリア人はみんなスマートだ。フランクフルトで見かけたドイツ人には恰幅の良い男性が多かったが。(特にお腹が。(笑)) 

20時30分にホテル到着。ホテルのベッドに置かれているひとつのチョコレートは本当に美味しい。あまりに美味しくて、旅行中に自分用のチョコレートを買うことになる。 

第3日11月23日 火曜日 晴れ時々曇り
1日に歩いた数 11,406歩

★ミラノからベニスへ向かう

6時起床。旅行中は早起きになる。食事は7時から。
朝食は、パン2個、オレンジジュース(トマトジュースに見える色)、ピーチヨーグルト(ヨーグルトの種類は多い)、ハム、スクランブルエッグ、フルーツポンチ、コーヒー

ホテルのロビー集合は8時25分。バスにてベニスへ向かう。バスの中で500cc入りミネラルウォーターを買う。この500ccサイズは扱っていない店が多く(大きいサイズばかり)用意して貰えて有り難い。1本1500リラ。
今日のバスでは前の席に座る。

イタリアの田舎は日本のそれと違って、何も無い所には、本当に何も無い。
日本だと、国道など大きな道路沿いには宣伝の看板など何かしら有るものだが。

ハイウェイを走っていたのだが、ベニスに近い所で事故があったとのことで、渋滞を避けるためにベローナで一般道へ降りる。
ベローナは、ロミオとジュリエットの舞台になった場所だが、道路は郊外を走っているので観光スポットは通らない。

しかしベニスに入る手前で一般道でも事故が有り、道路が封鎖されていたので、結果的には高速を降りない方が早かった。

私達は前の席に居て、事情が分かるので、あまりイライラしないで済んだのだが、後部座席の人達は詳しい理由が分からず、かなりイライラしたそうだ。(後で聞いた話)ただ、みんな大人しくしていたので感心した。後ろに居たご夫婦は「おまかせイタリア」というツアーだからお任せするしかない、と言って笑っておられた。

途中トイレ休憩でトイレのチップ1000リラと500リラを払う。 トイレは大体どこもひとり500~1000リアだそうだ。
食べる時間は無いので私は日本でもいつも持ち歩いているキティちゃんの4個入りのマシュマロを2袋食べて空腹をしのいだ。母も手持ちの菓子を食べていた。
正午到着予定のベニスだったが、実際に着いたのは15時だった。 

★憧れのヴェネツィアにて

サンタルチア駅を左手に見ながら橋を渡り、ローマ広場までバスで行く。そこからは15名ずつ水上バスに乗る。
運河を通り、子供の頃に世界の文学という赤い本で見たヴェネツィアの風景を見る。日本には無い運河の街なので、とても楽しみにしていたのだ。

到着後すぐに予約していたレストランへ。ここではイカ墨のスパゲティを食べることになっていたのだが、時間が無くて、それは後日、ということになる。
本当に5分の食事時間。内容はチキングリルとサラダ、水。

私はトイレに行ったため、チキングリルは3口しか食べられなかった。魔法の様に美味しかっただけにあまり食べられなくて残念だ。水は旅行社からのサービス。
入って来て、すぐに出て行った私達を見て、他のお客さん達は あっけに取られていた。

レストランから走って(本当)サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、コッレール博物館へ。16時2分到着。16時で入場は締め切られていたのだが、ガイドさんが人数分の入場券を買っていてくれたため、特別に入れて貰う。 

イタリア旅行では沢山の絵画を見ることになるのだが、ここでは特大サイズの絵で非常に多くの人間が描かれているものを見る。これは当時、絵の値段が描かれている人数によって決まったからだそうだ。

2000年近く1度も壊れていないカレンダー(手で動かしているから(爆))共和国時代の議会場、裁判場(後ろのドアの先は牢屋になっている)など面白いものが多い。
夫婦で手を繋いで渡ると死刑よりも怖いことになるという橋も紹介される。死刑よりも怖いこととは、
「死んでも離れられない。」ことだそうだ。(笑)

<サンマルコ寺院>
829年、アレキサンドリアから運ばれた聖マルコの聖遺骸を祭るために建立。内部をおおうビザンチン風モザイクは、2階のガレリア(ロッジア)から間近に見られる。また、宝石を散りばめた黄金の祭壇衝立画「パラドーロ」は共和国の宝。

<コッレール博物館>
サン・マルコ広場のナポレオン翼と新行政館の2,3階に有る博物館。2階には、歴代総督の肖像画、貨幣、古地図、武具などを紹介。3階には、アントネッロ・ダ・メッシーナの「ピエタと三天使」、カルパッチョの「二人の貴婦人」などヴェネツィア派絵画を年代順に展示している。

<ドゥカーレ宮殿>
1797年、ヴェネツィア共和国崩壊まで、総督(ドージェ)の邸宅と政庁、裁判所が置かれた宮殿。ティントレットが8年の歳月を費やした「天国」(人が沢山書かれている絵)やヴェロネーゼ「エウロペの略奪」、歴代総督の肖像画は必見。

ヴェネチアングラス工房へ向かう。
職人さんがガラス細工を作っている所を見学し、説明を受ける。
一緒になった外国人の6人グループの女の人達。母親位の年齢の人がひとりと、他は20歳前後(もっと若いのかも)なのだが、みんな「ここまでよく太ったなあ。」と思う位のふくよかさ。柔道のグループでは無いみたいだし、何のグループなのか気になった。それにどこの国の人なのかも。

前記の様なことを考えながら、動物やグラスをあっという間に作ってしまう職人さんに感心する。
見学の後に展示販売している部屋へ。母は「旅行の最終日だったら買ってしまうかもしれない。」と言っていたが、確かに美しい。豪華な感じだ。

小樽でプレゼントされたワイングラスを割ってしまった過去の有る私は、とても買う気持ちにはなれなかった。(爆)それで、きらきら美しい沢山のグラスを見るだけで満足した。
他、仮面舞踏会用の仮面の部屋、綺麗な刺繍の入ったハンカチなどの部屋、色々有るが、やはり見るだけで満足。(笑)

18時20分の集合時間までサン・マルコ広場の周りに有る店をウインドウショッピング。
もう外はだいぶ暗くなっている。

★ヴェネツィアにて

ウインドウショッピングをしていて、可愛らしい店を見つける。
そこでヴェネツィアングラスを利用した写真立てを母とお揃い(サイズだけ同じ)で買う。
ミラノで買ったのは小さいサイズだが、ここでは普通のプリント写真サイズの入るものを。55,000リラ。ブルーで私の部屋によく似合いそうだ。イタリア旅行の写真で出来が良いのが有ればそれを入れようということになる。
この写真立ては帰国後、上から降って来たカップラーメンで割れてしまうことになる。(爆)
ガラスのフレームが2箇所折れただけなので、なんとかガラス用のボンドで修復し、やれやれというところ。当然だが、床に落ちた時はガラスの割れる懐かしい音がした。
写真はまだ入れていない。

ヴェネツィアは、昨日は大雨で、このサン・マルコ広場はサン・マルコ湖になっていたそうだ。旅行が1日ずれていたら大変だった。地盤沈下も激しく、寺院の床も高さがまちまちでガタガタになっている。かなり大きな問題だということ。
それから落書き、これはどこの国も悩みの種だろう。
面白いのは、ここはヴェネツィア8万人の人口の島なのだが、車、バイク、自転車は、所有するのは良いが乗ってはいけないそうだ。つまり交通事故は1件も無いということ。安心して歩いて下さい、と言われた。

★夜のゴンドラクルーズ

サン・マルコ広場のすぐ近くのゴンドラ発着場から6人ずつゴンドラに乗る。漕ぎ手は若いお兄さんで「マルコ~」と何度も言うので「マルコという名前なのかな。」とみんなで話す。ひとりの女性が「まるこ、まるこって ちびまる子みたいね。(笑)」と言い、それがとても受けたので、私達親子の間では、その人の話をする時にはいつも「ちびまる子の人」と呼ぶことになる。

夜の運河はクリスマスのイルミネーションが綺麗な所も有り、それはそれで良かったのだが、何も無くて寂しい所も有り、おとなしい参加者が集まった船は本当に静かだったそうだ。69歳の女性がぽつりと「島流しみたいね。。。」と言ったそうで、後の夕食の時に大いに受けていた。

気温は低く、マフラー、手袋、耳当てまでして乗った私は正解だったと思う。でも、あまり写真は見たくない様な。(笑)
ゴンドラを降りる時に1000リラをマルコお兄さんに渡す。乗る前に渡していれば、カンツォーネでも歌ってくれたのかもしれない。(いまどきの歌は少し口ずさんでいたが。)

★夕食からホテルまで

夕食は島の海の見えるレストランで取る。赤のイメージで綺麗で美味しい店だ。
パン1個、アンコウのスープ、サーモングリル、サラダ、アイスクリーム(バニラとピスタチオ味、生クリーム添え)、白ワイン(SOABE)クウォーター7000リラ。ミラノより高い。
暖かくて幸せな気分になる食事だ。

食事を終えて、名残惜しいが、島を後にする。島内のホテルは水道の出が悪かったりして、泊まるのにあまり快適とは言えないそうだ。

また水上バスでバスの所まで行き、バスで今日の宿泊ホテル「プラザ・ベニス」へ。708号室。
私は最初からだが、母も途中で目を覚ますこと無く、ぐっすり眠れている様だ。

第4日11月24日 水曜日 晴れ
1日に歩いた数 12,130歩

★ヴェネツィアからピサへ向かう

5時前に起きる。朝食は7時45分から1階Tフロアーで。
パン1個半(チョコクリーム)、オレンジジュース、フルーツポンチ、コーヒー
今日もバスでミネラルウォーターを買う。(1500リラ)

8時40分にロビーに集合し、バスに乗ってピサへ向かう。
Padova(パードヴァ)から20km西の地点でバスの調子がおかしくなり、一時止まる。
エンジンルームから煙が出始めると、立ち上がる参加者も居て、ちょっとパニック?状態になる。母と「保険を最低額の1万円にしたのは失敗だったか。」などと笑って話す。

ドライバーが何とか直して走ろうとしたが、やはり駄目らしく、急遽新しいバスに乗り換えることになる。乗り換えたのが11時で出発したのが11時10分。今日も渋滞ではないが、時間が遅くなる。

ドライバーも交代する。バスは前のバスよりも古いものだがベンツ社製で、あの「ちびまる子の人」が「ベンツには乗ってみたかったけど、ベンツも大した事無いわねぇ~」と言って、みんなを笑わせていた。

11時45分~正午にサービスエリアでトイレ休憩。トイレは1000リラ。古屋さんから聞いていた乾燥無花果(お通じに良いらしい)を探したが、ここには無かった。

★ピサにて

今回の旅行社(ツアー)に決めたのは、このピサの観光が入っていたから、という程、私はピサを楽しみにしていた。
子供の頃に弟とよくピサの斜塔の話をしたことと、スーパーマンに出て来たことと、やはり純粋に斜塔を見てみたいと思ったことからだろう。 

ピサの斜塔は映画で見た通りだ。
1番上の部分だけが地面と垂直になっている。(修復のため)
倒れない様にワイヤーで引っ張った状態で、片側には鉛の錘が重ねて沢山置かれている。現在も修復中のため、中には入れない。
しかし、いつ倒れても不思議では無い感じだ。古屋さんも
「いつかは倒れるでしょうね。」と言う。

土産物の露店を見ながら、レストランへ。ここの従業員はみな日本語が出来る人たちだ。
パン1個、ラザニア、白身魚のトマトソース煮、サラダ、アイスクリーム、白ワイン(5000リラ)美味しい店だ。後で土産もここで買うことにする。

洗礼堂の音響は素晴らしく、ひとりで、例えば、ド~ミ~ソ~ド~と歌うと、それがドミソドの和音になって響き続ける。限られた人しか歌ってはいけないそうだが、その説明が最初に無かったので、知らずについ歌う人が数人居た。古屋さんは「叱られますよ。」と困っていた。

<斜塔>
高さ54,5m、直径約17mの円筒形8層の鐘楼。ピサ生まれの建築家ボナンノ・ピサーノの設計で、1173年に着工された。地盤沈下のため建設中から傾き始めていたが、そのまま14世紀の後半に完成した。ガリレオ・ガリレイが塔の上から林檎を落として「落下の法則」を発見したという逸話はあまりにも有名。

<ドゥオモ>
建物全体に色とりどりの大理石が上張りされた、ロマネスク様式の傑作。内部は、花崗岩のコリント式円柱が並び、荘厳な雰囲気が漂う。ガリレオが「振り子の法則」を発見したというランプやイタリアゴシック彫刻の最高傑作と言われるジョバンニ・ピサーノ作の説教壇も見逃せない。

<洗礼堂>
1153年に建設が開始され、14世紀に完成した。このため、初期に造られた下部はロマネスク様式、後期に造られた上部はゴシック様式となっている。内部には、ジョバンニの父ニコーラ・ピサーノ作のキリストの受難と最後の審判を彫刻した説教壇が有る。

<シノピエ博物館>
シノピエとはフレスコ画の下絵のことで、的確に描かれたデッサンにはフレスコ画をしのぐ芸術的価値があると言われる。ここでは、納骨堂の修復時にフレスコ画の下から発見されたシノピエを展示している。

ピサでは、本当に欲しかった斜塔の模型(ライター入れになっている)6000リラを買う。母が弟の家にやはり斜塔の模型(ペン立て)を買っていたが、貰うに嬉しいものかなあ、と少し不安になる。(笑)
Tシャツは15,000リラ。デザインはかわいくて好きだが、1度の洗濯でよれよれにならないかなあ、と心配。(値段が安いから。) 

★フィレンツェへ

18時20分にバスに集合し、フィレンツェへ向かう。
19時30分に宿泊ホテル「フィレンツェ・ノヴァ」到着。409号室。二人組での参加者では3部屋だけシャワーだけの部屋になり、私がくじを引いたのだが、見事に当たってシャワーだけの部屋になってしまった。(爆)くじ運が悪いのは日本だけでは無いみたい。

3階がバスタブ付きの部屋。でも、バルコニーが着いていて部屋は広くて綺麗だ。3階はロフト付きでもっと広いらしい。ただ年配の参加者は「お風呂やトイレに入るのにいちいち階段を上ったり降りたりしないといけない。」としんどそうだった。
シャワーの部屋になった私達には翌日古屋さんから1本ずつミネラルウォーターのプレゼントが有った。

このホテルはエレベーターが狭く1度に4人位しか乗れないので、私は歩くことにする。409号室まで151段の階段。母は普通にエレベーター。

19時45分にロビーに集合し、レストランへ向かう。
大きなレストランで外国人の観光客も多い。
パン1個、野菜のスープ、豚肉の煮込、野菜サラダ、アイスクリーム(バニラ、チョコレート)、トスカーナ産の白ワインハーフ(1万リラ)。いつもの倍のハーフを飲む。イタリアのアイスクリームは美味しい♪

同じテーブルになったご夫婦の奥様が機関銃の様にしゃべり続ける人で、御主人は殆どしゃべらない。どこかの夫婦にそっくり。(爆)

でも、奥様が1か月間家を留守にされた時の話になると、珍しく御主人が饒舌になられた。ご結婚後、数十年1度も家事をしなかった御主人らしいが、掃除、洗濯、料理すべてちゃんとしていたそうだ。する気になれば出来るのね、やっぱり。(笑)

食事終了が21時。それからホテルに戻ってシャワーを浴びる。
見た目はとても狭いシャワールームだが、実際に入ってみるとそうでも無く困らない。ただ母は、やはりバスタブに入って手足を伸ばしたかった様だ。くじ運悪くてごめんなさい。。。

第5日11月25日 木曜日 晴れ
1日に歩いた数 18,785歩

★フィレンツェにて

7時15分に朝食を取る。
パン(大)2個(ひとつはクロワッサン)、黄色のオレンジジュース(今までは赤い色をしていた)、コーヒー
初めてコンチネンタルの朝食になる。

8時にロビーに集合し、市内観光へ。

<ウフィッツィ美術館>
メディチ家のコジモ1世が建設した総合庁舎に、息子フランチェスコ1世が同家の膨大なコレクションを展示したのが始まり。

ここには、ルネッサンスの巨星たちの作品が一堂に終結している。 
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、ミケランジェロの「聖家族」これは、ミケランジェロが描いたことが確かな唯一のタブロー(カンバスや板に描かれ、額装された作品)である。ミケランジェロは自分は絵が下手だと思っていたそうだ。

ラファエロの「ひわの聖母」など。ラファエロは37歳で亡くなっている。面差しがショパンに似ている。(私個人の感想)

私が1番好きなのは、ボッティチェッリの作品で「ヴィーナスの誕生」と「春(プリマヴェーラ)」だ。美しい女性の絵は女性の私が見てもうっとりさせられる。「春」は人文学者の詩人ポリツィアーノの詩を題材にしていると言われ、解説(清楚、誘惑、理性の女神のお話など)を聞いてから見るとまた面白い。 
ここではお気に入りの絵葉書2枚(1枚500リラ)を買う。

ヴィッキオ橋は中世の面影を今に伝えるフィレンツェ最古の橋で、上はヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ回廊になっている。かなりの距離だが、1度も外へ出ずに行ける様に造られたそうだ。お金持ちでないと考えつかないかな。

ヴィッキオ橋に向かって川沿いを歩いている時、丁度バイクで通勤する人たちを沢山見かけたのだが、(殆どがミニバイク)どのバイクにも大きな風避けが付いているのには驚いた。かなりスピードが落ちると思うのだが、寒いからなのだろうか。中型、大型バイクでも付いている場合が有る。
ヘルメットはかぶっている人も そうでない人も居て、法律ではどうなっているのか分からない。バイクがとても多い街だ。 

★フィレンツェで訪れたその他の場所と感想

<シニョーリ広場>
いつも賑やかなフィレンツェの中心的な広場である。この日ももちろん賑やか♪
市庁舎 ヴェッキオ宮殿とロッジア(回廊)に囲まれた広場。共和国時代から歴史の舞台となり、1497年のサヴォナローラの焚書や翌98年の彼の処刑もここで行われた。
広場には「コジモ1世の騎馬像」や「ダヴィデ像」のレプリカ、「ネプチューンの噴水」など見所も多い。

ダヴィデ像の前で母とふたりで写真を撮って貰ったのだが、ダヴィデの頭部が切れて下半身だけの写真になって、とてもHな写真になってしまった。(爆)像がとても大きいということだけど。

<ヴェッキオ宮殿>
ゴシックからルネッサンスに変身を遂げた宮殿。
高さ94mの鐘楼をもつ14世紀初めのゴシック建築。内部は16世紀コジモ1世がルネッサンス様式に改装。天井フレスコ画が有名な2階の500人広間や、3階のフィレンツェのシンボル、百合の模様が埋め尽くす「百合の間」は一見の価値有り。

<ジョットの鐘楼>
1334年にジョットが設計し、彼の死後、ピサーノ、タレンティによって1359年に完成。基部の56枚のレリーフや、その上の16体の彫像は、ピサーノ、ドナテッロらの作品のレプリカ。
414段の階段を昇れば、クーポラが間近に。
高さ84メートルの均整のとれたゴシック建築である。
とても美しい建造物である。階段を昇る時間は無くてほっとしたが(笑)見た目にも高いことがよく分かる。

<ドゥオモ>
花の都フィレンツェを一望出来る大聖堂である。
奥行き153m、最大幅90m、巨大クーポラを載せたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。クーポラ内の16世紀ヴァザーリらによる「最後の審判」、地下にあるサンタ・レパラータ遺跡の床モザイクは必見。高さ107mのクーポラから、町並みが望める。
また、地下には1972年に発見されたブルネレスキの墓が有る。

<ピッティ宮殿>
メディチ家のライバル、ピッティ家により1458年着工。1549年にはコジモ1世が買い取って改装を行い、その後は歴代トスカーナ公らが暮らしていた。現在宮殿内には、銀器博物館、近代美術館など5つの博物館、美術館が有る。特に、16~17世紀の名画を中心に展示したパラティーナ美術館ガレリア・パラティーナは見逃せない。宮殿の南側一帯に広がる、4万5000平方メートルのルネッサンス様式のボボリ庭園Giardino di Boboliには、オベリスク、噴水、彫像が安らぎの空間を演出している。

私が1番驚いたのは、絢爛たる室内装飾だ。ドアを過ぎてその廊下に入った途端、その鮮やかさに感動したのを覚えている。日頃あまり感動しなくなった今、感動出来る自分を見つけられて、とても嬉しい。

ガイドブックには無い面白い話も色々有るのだが、具体的な名称など自信が無くて書けないのがとても残念。
例えば、日本人がレプリカを作って寄付した豪華な金のドアの話。本物は洪水で流されたことも有ると言う。後で全部見つけることが出来て、今は大切に仕舞われているのだ。たまたまそのドアを気に入ってレプリカを作っていた日本人(名前は失念)が居て、イタリアがそれを売ってくれと頼んだ所、気前良くプレゼントしたとのこと。今ではそのレプリカの金色のドアがお日様の光で輝いている。

★フィレンツェからローマへ

フィレンツェでの昼食(中華料理店にて)
コーンスープ、炒飯、焼きそば、八宝菜、きくらげや豚肉のソース炒め、もやし炒め、杏仁豆腐、お茶、イタリアのビール(6000リラ)

イタリアのビールは飲み易く美味しい。男性がジョッキを手にしている絵のラベルのビール。
今回の旅行で1番量の多い食事である。味も良く大変満足。特に炒飯が美味しく、久し振りのご飯を楽しむ。

フィレンツェを出る前にミケランジェロ広場へ。

★ミケランジェロ広場
丘の上からフィレンツェの全景をつかめる所である。
1869年、ジョゼッペ・ポッジが設計した丘の上の広場。中央にはミケランジェロのデヴィデ像と、メディチ家礼拝堂にある4つの寓意像を組み合わせた記念碑が立つ。広場のすぐ上には、モザイクのファサードで有名なサン・ミニアート・アル・モンテ教会が有る。

アルノ川の向こう側に広がるフィレンツェの街の風景はとても美しい。前に見学した色々な建造物が遠くによく見えて、街の中に溶け込んでいる全体の美しい形をしっかり見ることが出来る。 
絵葉書を2枚(1000リラ)買う。日本での旅行では、あまり絵葉書を買わない私だが、こちらでは行く先々で美しく日頃見られない風景を見て、必ず買う様になった。

★ローマのホテルへ
午後はバスでローマまで移動する。
フレミング・ローマというホテル(4つ星)で131号室。食事への移動など1階は便利だ。(レストランが地下1階に有る。)このホテルには3泊することになる

夕食はレストランで。メインは「オッソブーコ」と書かれているのだが、この日だけメモしなかったため、食事内容を忘れてしまった。これを書いているのは2000年1月5日なので、ますます思い出せそうにない。(爆)
ただ、美味しい食事だったことは覚えている。あまり美味しくなかったのは、前に書いたコモ湖に行った日の夕食1回だけだったから。

第6日11月26日 金曜日 晴れ
1日に歩いた数 12,209歩

★ポンペイ観光とカメオ工房

朝5時に起きる。朝食は6時30分。
朝食は、パン1個半(バター)、コーヒー
7時15分にロビーに集合し、ローマからバスでポンペイへ向かう。 

ローマのガイドさんは、ビジネスに徹していて、お洒落とは言えないが、こちらの名産のカメオの指輪やブローチをしている。私はブローチはひとつ持っているが、カメオの指輪を見るのは初めてだ。
とても面白いガイドさんで、彼女曰く、

「ナポリを見て死ね。」という言葉が有る位、帰りに寄るナポリの景色は素晴らしいものです。眠い人は今のうちに寝ていて下さい。ナポリで眠くなったら勿体無いですよ。「ナポリで寝て死ね。」じゃあねぇ~(笑)

そのガイドさんの言葉で少し眠った人も居た様だ。私は彼女の話が面白くて起きていたが、ガイドさんがしゃべるのを止めると少し眠った。
ガイドさんの話によると、日本というと、こちらでは真珠のイメージが強いということ。私の故郷は真珠養殖で有名な愛媛県宇和島市なのでなんとなく嬉しい。

まず、ポンペイの遺跡へ。
これは西暦79年のベスビオ火山の大噴火で灰に埋もれた遺跡である。

石で作られた家はずっと無くならないのね、と感心しながら昔賑わっていた頃を想像しながら歩く。
娼婦の館の隣に病院が有ったりして面白い。病気がうつると大変だから、検査をして合格した人でないと入れて貰えなかったらしい。
道路に男性のシンボルが描かれていて、その形の指す方向に店が有ったりする。

馬車の通る道が中央に低く作って有り(30cm位は低い)、その両側に歩道が有る。それで、所々反対側に渡れる様に飛び石が造られている。
ここがパン屋さん、ここが浴場、と説明を聞きながら歩く。大昔にもうこんな進んだ生活をしていたのか、と感心する。
やはり宮殿が1番素晴らしい。絵は色使いが綺麗だ。(修復されている。)

火山の噴火で一瞬にして消えてしまった町や人々のことを思うと、人生って儚いものだなあと思う。そしていかに自然の力が巨大かということを。

遺跡を出て、すぐ近くに有るカメオ工房へ。
ここでは、作っている所も見せて貰える。人間国宝のおじいさんの手は親指が発達していて異常に大きく、手のひらには大きなタコが出来ている。「カメオ職人のプロの手」だ。彼の作った作品を買うと裏に名前を彫って貰える。

カメオには石を彫ったものと貝を彫ったものが有る。
それから、殆どが浮き上がる様に彫られているが、昔男性が印鑑として使ったという引っ込む様に彫られた指輪も有る。それを買う人も居た。珍しくて良いかもしれない。かわいいというより、かっこいい指輪である。私が見せて貰ったのは、勝利の神をデザインしたものだった。

私はカメオを買うつもりでは無かったのだが、記念に、ということで日本円で1万9千円の指輪を買うことにした。中では安い方である。

他の参加者に比べると買う量は少ないのだが、元々何も買わないつもりで来たものだから、予定外の出費だらけ。予想外に日本円が使えるため、たまたまバッグに入れていた来月の生活費の一部である日本円を使うことになる。(爆)
帰国したら節約しなきゃ。気が付くと、まだクレジットカードは1度も使っていない。

古屋さんは、浮き上がりの部分に高さの有る大きなカメオをずっと探していたそうで、今回やっと見つけることが出来たそうだ。確かに豊かな感じがするカメオのブローチだ。
添乗員をしていると海外に沢山行けて、良いものに出会える機会が多いので羨ましいな。

昼食は、アサリ、イカ、蟹、レタスを使った前菜、シーフードフリッター(イカと海老)、ボンゴレ(アサリ、ホワイトソース)、みかん2個(レストランで作っている)、ビール(7000リラ)。
みかんは日本のものと同じでしかも消毒が少ない作り方の様で懐かしい味だ。(私の愛媛の実家では、祖父の代まで農業をしていて、みかんも作っていたから。)

★ナポリ(世界三大美港のひとつ)観光

ナポリは、海辺の公園で写真撮影を兼ねて降りた以外は、バスの車窓からの観光になる。
海岸線から段々丘の上にのぼって行く途中に車窓から見えるナポリ湾と街の景色は、確かに「ナポリを見て死ね。」と言われるだけのことは有るな、と思う。こういう街に住んで、毎日この美しい海を見ていたいと思う。

ガイドさんの楽しい話その1「マラドーナとサッカー」
マラドーナは女の子好きで、認めているだけでも3人の子供が居るそうだ。(実際にはもっと居るのではないか、と言われている。(笑))

今は弱くなってBクラスからCクラスに落ちようとしているナポリのサッカーチームだが、あと8年位経てば、また強くなるとナポリっ子たちはのんびりしているとか。
それは、マラドーナの子供達が大きくなってサッカー選手として活躍する様になるからだとか。

ガイドさんの楽しい話その2「村山元首相の話」
ナポリサミットの時にイタリア料理でお腹を壊した当時の村山首相だが、手当てを受けた病院は今では「村山病院」と呼ばれているそうだ。しかもその病院のマークがたまたまMなものだから、はまり過ぎて笑ってしまう。

ナポリの病院には、交通事故で入院したのに盲腸を切られる、と言われる様な所も有るそうだが(笑)その村山病院は大丈夫だそうだ。

ガイドさんの楽しい話その3「鹿児島通りの話」
ナポリと鹿児島市は姉妹都市なのだそうだ。鹿児島にはナポリ通りが、ナポリには鹿児島通りが有る。鹿児島では、とても美しい通りに「ナポリ通り」の名前を付けている。
しかし、ナポリの「鹿児島通り」は、鹿児島市長が見て、市長は3日間、口もききたくなかったそうだ。(爆)
確かに小さな地味な通りだった。

そんな話を聞きながらナポリとはお別れ。
バスでローマに向かう。
途中のドライブインでトイレ休憩。ふたりで500リラ。少し安い。

ここでイタリアに来て初めてカプチーノ(2000リラ)を飲む。今まででも飲もうと思えば飲めたのだが、注文しなかったのだ。しかし日本で飲むより美味しいとは聞いていたが、こんなに美味しいとは。 ミルクも日本のものとは違って濃いし、もっと早く飲んでいれば良かった。こちらでは日本で飲むコーヒーはカフェアメリカーノと言うそうだが、イタリアでアメリカンコーヒーを頼む気にはなれない。

食品の充実したドライブインで買ったお土産について。

流石パスタの種類は多い。私は、可愛らしいリボンの形の彩りの良いものを2袋買う。
(大量に買っていた参加者も大勢居た。)
それから、やっと見つけた乾燥無花果を2パック。実家の父は口に入れてすぐに吐き出したそうだが、(笑)私はまずいとは思わない。どちらかと言うと、ついつい続けて食べてしまう感じだ。ただ、お通じに良いと言われる位なので、おなかの弱い人は食べ過ぎない様に、とのこと。

それから、乾燥トマトを2パック。(1パックは苺のパック位の大きさ)これは話のタネに買ったもの。800円位かと思って買ったら、1500円位したので、びっくり。案外高いものだ。2000年5月まで大丈夫と言われたので、まだ手をつけないで私の家の冷蔵庫に有る。(常温保存なのだが、暖房しているので。)

料理好きな弟夫婦や友達にあげようと思っているのだが、果たして評判は如何なものか。そのままかじっても良いし、炒めものに入れても良いそうだ。

ローマに戻り、レストランで夕食を取る。
パン1個、サルティンボッカ(子羊の肉とハムと青菜を使った料理)、ジャガイモと肉、野菜のスープ、ピザ(オリーブ、ゆで卵、ハム)、冷たいティラミス、赤、白ワインひとりクウォーター(3000リラ)。

ピザは日本で食べるのより美味しい。生地が少し変わっていて素朴な味だ。文章で書き表すのが難しいのだが、甘過ぎず自然な美味しさという感じだろうか。

北海道出身という人と同じテーブルになるが「もうワイン漬け~」と言って笑っておられた。私もだ。(笑)まあまあ飲めるタイプの人は日頃あまり飲まない人でも食事の度にワインを飲んでいる。イタリア料理にワインはよく合う。

第7日11月27日 土曜日 晴れ
1日に歩いた数 16,974歩

★ローマ市内観光

5時に起床。朝食は6時30分。
パン2個(バター)、オレンジジュース、コーヒー、水。
ロビーに8時45分に集合し、バスで出発。
観光場所は、ヴァチカン博物館、システィーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂、サン・ピエトロ広場、コロッセオ、トレヴィの泉、スペイン広場など。

ホテルの前の広場に露店が沢山出ている。朝市だ。

ここで買い物をした参加者は2名。(びっくり。(笑))
ひとりは自由が丘に住む人で、黒の革のパンツスーツ(ブランドもの)をこちらに着て買われた人だ。少し光る素材の深い緑色のコートを3000円で買われた。彼女が着ると安物に見えない。結構良い買い物かも。

もうひとりは、私の母。
黒のパンプスを購入。履き易いし、値段も安いし、気に入ったらしい。確か5000円はしなかったと思うのだが、いくらだったのだろう。
この日は徒歩観光が多い日だったので、母は途中何度もツアーの参加者に
「靴の履き心地は如何ですか。」と聞かれていた。確かに日本でも初めての靴を長時間歩く時には使いたくないものだ。チャレンジャーの母だが、結果としてその靴を買ったのは大正解だった様だ。革素材だし、当たりだったということだろう。

露店の買い物の話で賑やかな参加者たちを乗せて、バスは市内中心部へと向かう。バスを降りると後はずっと徒歩で回ることになる。

<ヴァチカン博物館>
人類の美術遺産を集めた世界最大の博物館。
古代エジプト美術からローマ美術、初期キリスト教美術、ルネッサンス、そして現代宗教美術まで、年代とテーマで区切った27もの美術館・博物館から構成され、世界最大規模を誇る。

今回の旅行で、ここだけ長い行列が出来ていて並ぶが、(予約が効かないのか)建物が大きいので列はスムーズに進み、苦痛は感じることなく入ることが出来る。
行列をしている途中にジプシーの母子を見かける。(私は気が付かなかったのだが。)
このジプシーについては、後で記述する。

ここでは、システィーナ礼拝堂がお気に入りになる。

素晴らしく美しい廊下の天井には、カメオの様に凹凸がはっきりしている絵があり(騙し絵)その技術に感心させられる。(どんなに目を凝らして見ても、平面には見えない。)

また、礼拝堂の天井にはミケランジェロによる創世記を主題にした絵がある。一般信者はここまでしか入ってはいけない、という分かれ目が有り、遠くからでも見える様に絵に描かれたモチーフの大きさが絵の有る場所によって変わっている。

ガイドさんの話で納得したのだが、絵というものは美術館に置くよりも、それが描かれた場所(壁とか天井とか)に置いておくことに意味が有るのだと私も思う。見る人のことを考えて描く方も考えて描いているのだし。そういう意味でも、ここでの見学は楽しいものになった。

<サン・ピエトロ大聖堂>
120年の歳月をかけて完成したカトリックの主聖堂。
16世紀ブラマンテが改築を命じられ、ミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニらにより完成。

世界最大のカトリック教会ということで、床には他の教会と大きさの比較が出来る様に、端からそれぞれの教会の長さの所に教会名が書かれている。ぱっと見ただけでは出来ない比較も、こうすることによってよく分かる。

<サン・ピエトロ広場>
30万人もの信者と観光客を収容する巨大広場。
ベルニーニによって造られた、直径約200mもの広さを誇る円形広場。372本のドーリア式円柱の回廊の屋根には、140体の聖人像が並んでいる。広場中央のオベリスクは、紀元1世紀アレキサンドリアから運ばれた。

ここでも絵葉書800リラを5枚買う。

<コロッセオ>
7万人を収容した古代ローマ最大のモニュメント。
ティトゥス帝政時代の紀元80年頃に完成した円形劇場。外周527m、高さ50m。1階の貴賓席、2階の一般席、3階の立見席を合わせると、7万3000人収容出来たという説も。中央は、猛獣の檻などがあった地下室。438年に禁止されるまで剣闘や猛獣との闘いに、市民が熱狂した。

現在某車のCMで使われているコロッセオ。
広場で1000円のガイドブックを買う。(こんな所でも日本円が使える。)
コロッセオを見上げながら古代の闘いの様子を思い浮かべてみる。イタリア人は血気盛んなのだろうか。猛獣と人間との闘いと、それを狂喜して観戦している人々を想像するとこわいものが有る。今は観光客で賑わい平和な場所だ。

<トレビの泉>
数々の彫刻が飾る壮大な泉。
ポーリ宮の壁を巧みに利用したバロック様式の噴水。教皇クレメンス12世主催の噴水設計コンテストで選ばれたニコラ・サルヴィが1762年に完成。中央に立つのは海の神ポセイドン、海馬の手綱を引くのはトリトン。左右には豊穣と健康、凱旋門の上には春夏秋冬の寓意像が並ぶ。ライドアップされる夜は幻想的な印象に。

この日は工事中で、柵が張られていたが、中はよく見ることが出来た。映画「ローマの休日」を観て想像していたものよりかなり大きい。柵の分が有るので、泉(水は工事中のため無い)に届く様にコインを投げるのは、肩の弱い私はやっとだった。

コインはひとつ、ふたつ、みっつ、と投げる数によって叶う願いが変わるのだが、母が「あなたも恋が叶う様にふたつ投げなさい。」(笑)と言うので、母から貰った10円玉を2個投げた。(爆)20円で恋が叶うと・・・・いいだろうなあ。。。(笑)

<スペイン広場>
世界で最も賑やかな広場。
映画「ローマの休日」で一躍有名になった広場。扇形に開く美しい曲線を描く137段の階段は、「トリニタ・デイ・モンティ教会Scalinata della Trinita dei Montiの階段」が正式名称。2つの鐘楼をもつ教会は、フランス王シャルル8世によって16世紀に建造された。広場の前にあるバルカッチャの噴水はベルニーニの父親による作品。 

大変な人出だ。午後4時過ぎということも有るのだろうが、どこを見ても人、人、人。
母親がトイレに行きたいと言うので、近くのバールに入る。このバールと言うのは、イタリアではあちこちに有り、公衆トイレが殆ど無いため、トイレを借りるためにも使われている。最初に注文するのだが、立ち飲みと椅子席で料金がかなり違う。トイレのためだけなら立ち飲みで十分だ。

4000リラで母の分と二つコーヒー味のアイスクリーム(かなり大きい)を頼む。食べながら待っていたのだが、2階のトイレに行った母がなかなか帰って来ない。後で聞くとトイレの数が少なく行列が長かったそうだ。あまりに時間がかかったため、私ひとりで大きなアイスクリームを2個も食べてしまった。(爆)久し振りのことだ。(笑)

スペイン広場の近くにはブランドの店の通りが有り、見るだけでも行くつもりだったのだが、まるで休日の竹下通りの様な人出。元々ブランドに興味の無い私はそれを見ただけで入って行く気が失せてしまった。私が行こうと言えば、母は喜んで行ったのだと思うのだが、私が消極的だったため、結局そのまま帰ることにした。母も私も少し疲れていたのかもしれない。

ホテルに戻りたくなった理由に疲れていたということの他にもうひとつジプシーの存在が有る。
旅行初日から添乗員さんには聞かされていた話である。

イタリアにはジプシーと呼ばれる国籍の無い人達が居る。3歳から盗みを徹底的に仕込まれるという。ジプシーで多いのは赤ん坊を抱いた女性(子供は借りることも有るそうだ)と子供だ。
大人の男性ジプシーは家でお酒を飲んでごろごろしているとか。
女性のジプシーはダンボールを持っていることが多い。相手の目をじっと見つめて近寄って来て、ダンボールに隠れた所で手が素早く仕事をしているのだそうだ。その技術は相当なものらしい。

これまでにも見かけたのだが、今回バスから降りてトレビの泉に行く途中、同じツアーの年配の男性参加者が被害に遭いかけた。添乗員さんが気が付いて大声をあげたため被害は無かったのだが、肩から下げていたバッグの口は全開していた。(ファスナー式)

それからは、怖くなり、私もバッグの口をしっかり手で押さえて歩くことになる。観光地の人ごみにはジプシーがいっぱいだ。私でもすぐに分かるジプシーも居るが(少し汚れた服を着ている人)、トレビの泉で見たそのジプシー(若い女性ふたり連れ)は全然分からなかった。(古屋さんは、すぐに分かった。)

子供のジプシーはローマではおしゃれな格好をしていて普通の子供と変わらないそうだ。(ミラノの方が分かり易い。)
望んでジプシーに生まれて来た訳では無いから可哀想だけど、やっぱり怖い。大きな社会問題だと思うのだが、何とか出来ないものだろうか。

スペイン広場の近くのタクシー乗り場でタクシーに乗る。
イタリアでタクシーに乗るのは初めてで、大型バスでは通れない様な道路を通って行くので、
「このタクシー、ちゃんとホテルへ連れて行ってくれるのかしら。」と
ホテルに着くまで不安だったが、無事到着。

タクシーは15,700リラで16,000リラ払う。古屋さんから1000リラ以内の端数はチップとしてあげて下さいと言われていたため。
タクシーに乗って細い道路を走ったことで、ホテルが小高い丘の上に有ることを知る。
部屋に入ってお風呂に入り、髪も洗って、夜のオプショナルツアー「カンツォーネの夕べ」へ備える。

ここで、この日の昼食と夕食の内容を。

☆昼食
イカ墨スパゲティ、白身魚のソテー、野菜サラダ、ほうれん草のソテー、フルーツポンチ、ビール350cc(7000リラ)
イカ墨スパゲティが芸術的に美味しい。イカ墨料理は臭くて嫌いだったのだが、臭みも全然無い。イカ墨に対するイメージが変わった。

☆夕食
前菜、茄子やジャガイモのソテー、ハムとパスタ(ホワイトソース)、薄切り牛肉のソースかけ、コーヒーアイスクリーム(小さめ)、カフェ(甘い)小さいカップに1杯、白ワインと水はおかわり自由(白ワインを1本(爆)水を1杯)

★カンツォーネの夕べ

午後8時にロビーに集合してバスでお店へ。
私はグレーのパンツスーツに、コモ湖で買った淡いピンク地のスカーフをする。
店名は「ファンタズィーエ ディ トラステーヴェレ」アクセントの位置は
ファンタズィーエは、ズィーに、
トラステーヴェレは、テーに有る。
Fantasie di Trastevere 午後9時半から11時まで楽しい時を過ごす。

ガイドさんは生まれも育ちもローマという若いかわいい女の人。日本語は勉強中ということだが、なかなか上手だ。それに声が小鳥のささやきの様に優しくてゆっくりしゃべるのでとてもかわいい。母も私もすぐにファンになる。

料理(上記)も美味しくカンツォーネも本格的で歌に踊りにとても楽しめる。
歌手は男性3人、女性4人で、ピアニストは男性2人。電子ピアノを使用。
アンコールに店内を回る時にはアコーディオンとギター伴奏になる。
日本人客も多いので、日本の歌も演奏される。「上を向いて歩こう」や「桜」など。

昔から有るカンツォーネ「サンタルチア」、「フニクリフニクラ」、「カタリ」が私は大好きだ。
「フニクリフニクラ」は登山電車に乗って山に登ろう、という歌だが、この歌が流行ってから実際に山に登る人が増えたそうだ。

色っぽい美人の歌手に誘われて同じツアーの男性がステージに上がり、一緒に楽しく踊って会場を沸かせた。(ステージに上がる時には、「よし、行くぞ!」と気合いを入れたそうだ。)楽しいお酒のせいでもあるけれど、みんな打ち解けて友達になる。
「帰る頃になって親しくなるのよねぇ~」とみんな言う。
母もワインで久し振りに気持ち良く酔った様だ。だって3人で3本のワインを空けたのだから。 (笑)

舞台セットも綺麗で、ミュージカルの様にカンツォーネが楽しめるのは、ローマではこの店だけだそうなので、ローマに行ったら是非行ってみて欲しい。店は元々はレストランではなく、劇場だったということで造りも面白い。

この日もぐっする眠る。
イタリアの夜は今夜で終わり、少し寂しい。

第8日11月28日 日曜日 晴れ

★ローマ出発

5時起床。ロビー集合が6時15分で、朝食はホテルでパンとジュースなど入った袋を貰う。
バスで空港へ向かう。
残ったイタリアリラを使い切るため、リラとクレジットカードでお土産のチョコレートを買う。リラと日本円だとまたリラでおつりが来るそうだ。クレジットカードを今回の旅行で初めて使う。
チョコレートは空港で買うのが1番安いそうだ。(他の参加者の経験より) 

飛行機の出発時間までホテルで貰った袋の中からオレンジジュースを出して飲む。パンなども入っていたが、食欲があまり無い。

ローマ9時15分発のAZ-400便(アリタリア航空)に乗る。 機内食が10時に出る。
ハムサンドイッチ、パン1個、菓子パン1個、苺ヨーグルト、フルーツ、コーヒー2杯。パンは半分位残す。

今回の旅行はもちろんエコノミーなのだが、この飛行機の座席は広い。日本で言うとスーパーシート位の幅が有る。

ドイツのフランクフルト空港に11時20分に到着。
空港で1マルクでコインロッカーに荷物を入れる。
空港から地下鉄で6駅先のハウスト・バッヘ駅へ全員で向かう。
地下鉄は1日券をひとり8マルク20ペニヒで買う。(おつりが出ないことも有るそうなので、みんな丁度にして買う。)

こちらの地下鉄には改札が無くて必然的にチケットを見せる所も無い。ただ、チケットの提示を求められた時に所持していないと罰金を払わなければならないそうだ。今回はチケットの提示を求められている人を見ることは無かった。殆ど無いのだろうか。

地下鉄はガラガラで貸切状態。見慣れないドイツ語の駅名を見ながらのんびりする。
目的の駅に着いて、街に出てびっくり。かわいいデザインの建物が並んでいてとても落ち着いた街だ。一目で気に入ってしまった。街の雰囲気としては、イタリアよりも好きかな。

フランクフルトと言うと、アルプスの少女ハイジが行った先の都会の街、クララの家が有る所、というイメージなのだが、想像していたより静かな街だった。日曜日のせいかもしれない。

まず希望者を古屋さんがゲーテの生家へ案内してくれる。
入場料はひとり7マルクなのだが、22名だと団体扱いになり5マルクで入る。
ゲーテは詩人というイメージを持っていたのだが、古屋さん曰く、ゲーテは職業は大臣でお金持ちなのだとか。確かにお金持ちの大きな家で家具や調度品が素晴らしい。気に入った家具の写真の絵葉書を母と合わせて10枚(1枚1マルク)買う。ここであっさり10マルク使ったことを後で後悔することになる。(私の失敗(爆))

レーマー広場へ戻る。
日曜日ということで、いつもは出ていない露店が沢山出ている。
クリスマス一色でお祭りの様だ。大きなクリスマスツリーには赤いリボンがいっぱいでとてもかわいい。
クリスマスの飾りやお菓子、キャンドルカップ、ソーセージ、ビール、ホットワイン、ドイツのかわいい子供達。

フランクフルトの記念に北国の絵の描かれたかわいいキャンドルカップを14、5マルクで買う。それから残りのお金を計算しながら、いつもお土産をくれる生徒(小学生の姉妹)に藁の様な植物で作られた楽器(それぞれギターと笛)を持ったお揃いのお人形を買う。このふたりにはイタリアからかわいいお土産を探していたのだが、なかなか見つけることが出来なかったのだ。やっと買えて嬉しい。

お財布を見ると2マルク30ペニヒ残っているので、2マルクで同じ藁細工のまつぼっくりを買う。こんなに残りのお金を気にしながら買い物をするのは久し振りだ。母の「まさかここで日本円は使えないよね。(笑)」という言葉が耳に残る。
日本でもクレジットカードを持たず、少しのお金だけを持って出かければ買い物をし過ぎることも無いのだろう。

参加者の中には1,5マルクしか無いので何も食べられなかったと言う人(機関銃しゃべりの人(笑))もいた。2マルク有れば、何か食べられたらしい。(笑)
1マルク60円。あと30円有れば、なんて日頃は絶対にないことだろうなあ。

コーヒーカップの様なカップでみんな飲んでいるので、コーヒーかと思ったという飲み物は 実はホットワインでとても美味しかったそうだ。(仙台出身の男性参加者より)
彼は「ビールをラッパ飲みするなんて初めてだ!」と、とても嬉しそうだった。

どの人も最初は時間潰し位にしか考えていなかったフランクフルトだが、とても楽しく大喜びだった。
すぐ近くの川まで行き、初めてクリスマスツリー市を見る。もうすぐ12月だ。

ここでは2時間位過ごして、空港へ戻る。
帰りも座れたが、途中で沢山の人が乗って来る。私達よりも先に降りて行ったが、いつもは見かけない東洋人が沢山いて驚いたかもしれない。

空港で少しのんびりして、フランクフルト17時40分発の全日空NH-210便で日本へ。
帰りは生まれて初めて1番後ろの座席になる。飛行機のエンジン音が大きくて音楽以外はあまり聞こえないので(おしゃべりは聞こえない)クラシックのチャンネルを聴きながら帰ることにする。映画もしていたが、観なかった。
景色もあまり見えないし、良い席では無いが、トイレが近いことだけは便利だ。

★全日空の機内食

<東京からフランクフルト行きの飛行機で(21日)>

☆乗って2時間後(実際12時50分に)
白ワイン(クウォーター)を頼む
<前菜>サーモンのマリネ、ソフトサラミ、若鶏のアップルソース、マカロニサラダ
<アントレ(選択)>
母は、若鶏のきじ焼きご飯秋仕立て
私は、鱈と海老のソテーえのき茸のソース、ライス添え
<四季の麺> 冷やし茶そば、うどん
<デザート> コーヒーのケーキ(ムースを挟む)
<テーブルロール> マーガリンをつけて食べる
<コーヒー>1杯

☆軽い食事
<アントレ>
若鶏のオニオンソース
ボローニャ風のパスタのグラタン
<有機野菜のサラダ>
<デザート>
<テーブルロール>
<コーヒー>

☆その他
ドーナツ、おにぎり(どちらも食べなかった。)
ソフトドリンクとナッツ 2回出る。

<フランクフルトから東京行きの飛行機で(28日)>

☆夕食
ウーロン茶を頼む
<前菜>
鱈のスモーク、スモークハム、ポテトサラダ
<アントレ(選択)>
鶏そぼろご飯(選ばない)
サーモンのロースト カレー風味のクリームソース
<四季の麺>冷やしうどん
<デザート>
<テーブルロール>
<コーヒー>

☆軽い食事
<アントレ> チーズオムレツ ソーセージ添え
<フルーツカクテル>
<デザート>
<テーブルロール>
<コーヒー>

全部メモしていなかったので、覚えていないものも有るが、すべて美味しい料理である。
食事では初日からずっと白ワインかビールを頼んで来たが、最終日の機内ではその気にならず、お茶にした。イタリア料理続きで胃が疲れたのだろうか。
しかし、母も含めて年齢の高い参加者が帰りの機内食もしっかり食べていたのにはびっくり。 みんな胃が丈夫なのね。(私もかなり丈夫な方なのだけど。。。)

第9日11月29日 月曜日 晴れ

★成田着

時差の関係で成田到着は12時50分になる。
他の参加者や添乗員さんに挨拶をしてそれぞれ帰途に着く。
高速バスで、母は羽田空港へ、私は横浜駅へ。バス乗り場は同じ。

母のバスの方が先(午後1時35分)に出るのでここで見送る。私は往復乗車券を指定券に換えていなかったため、午後2時の便になる。同じツアーだった横浜のOLさんと一緒になる。
景色が見たいな、と思い、最前列の左側に席を取ったのだが、日差しがきつくとても暑い。眠くて殆ど眠っていたため、これなら後ろの右側に座ってのんびり眠れば良かったなあ、と思う。 鼾をかいていなければ良いのだけれど。(笑)

スーツケースが重いので、横浜駅からはタクシーで帰る。
仕事は明日からなので、のんびり。
帰国初日には、カレーライスやラーメンを食べる。こういう食事に飢えていたのかも。(笑) 

イタリア料理はとても美味しいし大好きだが、毎日ずっとは食べたくないかな。
イカ墨のスパゲティは、また食べてみたいのだが、イタリアで食べたものほど美味しくないかもしれない、と思うと、勇気が出ない。そのうち勇気が出たら、食べてみよう。

今回の旅行は大変満足出来るものだった。参加者の中には、今度は個人で気に入った所だけをゆっくり見に来たい、と言う人も居た。それも良いだろう。
私は、まだまだ行ったことの無い国が沢山有るので、また機会が有れば、ヨーロッパのその他の国に行ってみたい。音楽の都ウィーンや、ドイツにも行きたいな、と思う。
いつの日か♪


東北ドライブ旅行 1999年

2018-10-07 15:40:00 | 旅行

99年9月東北ドライブ旅行

9月15日 水曜日
晴れ時々曇り、東北は雨

 久し振りに両親のために朝ご飯を作る。お客様の時よりは気楽に作れる。父のために和食にする。

 午前10時に横浜の自宅を出発して、湾岸線、外環道路を通って東北自動車道へ入る。東北道に入るまでのこの道路は景色に変化が多く、うさぎのお気に入り。

 途中佐野SAで休憩を取ったが、そこで食べたラーメンはとても美味しいものだった。見かけがそうでも無かっただけに、びっくり。残さず食べてしまった。
(ダイエット日記を書いているうさぎなのだが。。。)

 東北に入ると豪雨になった。特に安達太良サービスエリア付近までは道路に上がる水しぶきで前が見えない位。50キロ制限になり、60キロ位で前の車のテールランプを見ながら走る。
(本当にその位に落とさないと走れなかった。)

仙台近くでは、雨の激しさも収まり、仙台南インターチェンジから仙台南道路、東道路と上の道を通って国道45号線へ。無事、多賀城市の家に到着。

 夜にテレビの天気予報を見ると、東北北部の方が天気が良さそうなので、予定通り北に向かうことに決定する。
2日前には、まだ夏の様な暑さだったらしいが、今日は秋らしく涼しくなっていた。東北の夏もそろそろ終わりかな。

9月16日 木曜日 晴れ後曇り

 張り切っている両親に合わせていつもはしない早起きをする。
午前8時10分に多賀城市を出発。

松島の景色を楽しんで行こうということで、多賀城市から国道45号線で松島へ。朝日を浴びた松島の風景は清清しくて素晴らしい。うさぎは運転係なので、時々ちらちらと右手に見える景色を見ながら走る。

吉岡街道を通って東北道の大和(たいわ)インターチェンジに入る。 東北道は TDさんと運転を交代しながら走る。やっぱり助手席は楽ちんだ。 

 十和田インターチェンジで降りて、十和田湖へ。
途中展望台から十和田湖の姿を堪能し、休屋へ。
うさぎは十和田湖へ来るのは4回目なのだが、乙女の像を見るのは初めて。乙女はふたり居て、かなり太っていてとても親しみを覚えた。(笑)みんなの感想は「乙女の像というよりは、おばさんの像だね。」う~ん、確かにそんな感じかな。(爆)

 お昼ご飯に にじますの刺身(美味)を食べて、御鼻部山展望台へ。ここは来る度に必ず寄る所。
5月初旬にバイクで来た時には道路の両側にはまだ雪が沢山残っていたものだが、今は紅葉が少しだけ始まる位だ。
10月初旬に来た時にもまだ紅葉には早かったから後1か月位先に来るのが紅葉を楽しむのには良いのかもしれない。

 おいらせ渓流沿いの道をドライブする。途中観光ポイントらしき所で車を停め、写真を撮る。橋が掛かっていて、滝が道路から少し入った所に見える。観光バスもここで乗客を降ろした。

 今回少し道を間違えたため、判明したことだが、おいらせ渓流にほぼ平行に4車線の快適な道が出来ている。観光しない人の移動にとても便利な道だ。但し、走っている車はうさぎの車以外には1台しか会わなかった。

 次は八甲田山へ。ここは2回目。10月初旬に来た時には紅葉が素晴らしく、写生している人や写真を撮りに来ている人を沢山見かけたものだった。

夕方ということも有り、観光客もまばらな八甲田。雪中行軍遭難の像、記念館と回り、像のある場所から青森湾や、八甲田の山々など周囲の景色を楽しんで、五平餅を食べて(うさぎひとりだけ)出発。空腹に甘めの味噌だれの付いた餅はご馳走だ。

 ここを出る時に、またまた道を間違えたため、遠回りをすることになったが、青森空港を見ることが出来たから、まあ良しとする。(笑)
青森空港は高台に有り、街からは外れた所に有る。車が沢山来ている。まだ飛行機が飛んでいる時間だからね。丁度離陸した飛行機を近距離で見ることが出来た。

 弘前市内に入る頃にはもう真っ暗。東北の日が暮れるのは早い。 
偶然見つけたホテルニューキャッスルに泊まることになる。
ここは、弘前公園(弘前城)に近く、結果的にはとても便利だった。 不思議なことに、ホテルの名前が外から見る限り、建物のどこにも書かれていない。最上階がレストランになっていて明るいので「あれはホテルではないか。」と母親が見つけたのだが、それが無かったらもっと探していただろう。

うさぎは弘前は5回目なのだが、イメージでしか覚えていなくて、頼りにはならない。最後に来たのは、もう8年位前になるのだろうか。 

 ホテルのすぐ近くの「大和家」という料理屋で夕食を取る。玄関では割と大きな「ねぷた」が迎えてくれる。店内には筝曲が流れていて、料理も美味しく、落ち着いていてとても雰囲気の良い店。値段がそう高くない所も嬉しい。ここでは、料理の他に日本酒を頼む。六花酒造の「蔵子」(アルコール度数18~19)と「じょっぱり」。うさぎは蔵子の方が好きだ。翌日ねぷた村で300ccの蔵子を買うことになる。

 ホテルに戻り、お風呂に入って明日の打ち合わせをして、ちょっと横になったら、そのまま眠ってしまった。もう朝かと思って起きたのは午前0時50分だったけど。(笑)
日本酒に酔った様だ。

9月17日 金曜日 晴れ後曇り

 ホテルの最上階にあるレストランで朝食を取る。
窓からは岩木山が綺麗に見えて、母親は喜んで写真をパチパチと撮っている。彼女は写真を撮るのが大好きなのだ。後でいくらでも撮れるのになあ、と思っていたが、結果としてこの時間が岩木山が1番綺麗に見えたので、止めなくて良かったと思う。

 ホテルに車を停めさせて貰って、歩いて出かける。
一応上着も持って出たのだが、晴れて暑い位になり、上着はずっと持って歩くことになる。

 弘前公園(弘前城)、武家屋敷、弘前ねぷた村、藤田記念庭園、弘前観光館、と回る。この日は14788歩も歩くことになる。

 弘前公園には枝垂れ桜が沢山有り、5月初旬には美しい花を咲かせる。うさぎは5月の連休に来たことが有るのだが、その時はとても賑わっていた。今日は静かな弘前城。
お城には内堀外堀と有り、直線道路が無いので、案内図を見ないと、どこに居るのか分からなくなりそうだ。方向音痴だと攻め入れない。

 武家屋敷跡は、公開されている所も時間が早すぎてまだ閉まっていたので、外から見るだけにする。ガイドブックに載っているのは、中級武士の家、藩医の家、商家(ここは酒屋として今も使われている。)。

 ねぷた村には常時ねぷたが展示されている。初期の簡素なねぷたから最近のものまで。
お囃子も笛と太鼓で生演奏してくれる。迫力の有るお囃子の演奏(笛、太鼓ひとりずつ)の後で、太鼓は希望者には叩かせてくれるというので、うさぎも叩かせて貰う。

笛に合わせて叩くうち、だんだん力強くなり、よい音が出る様になった。リズムは「ターンタ タンタン」というリズムを叩き続けるだけなので簡単だ。1拍目を強く叩く様だ。
バチは細長く、弓の様に曲がっていて、先では無く、ある程度の面積を太鼓の表面に当てて叩く。久し振りに太鼓を叩いて嬉しい。ドラムを叩かなくなって長いから。

 藤田記念庭園は、岩木山が背景になり(借景)、手入れも行き届いているし、洋館も有って面白い所だ。お茶室も有り、市民に貸し出している様だ。こういう所で開かれる茶会に行ってみたいな、と思う。

 以前来た時には無かった弘前観光館へ。
1階にはとても大きな弘前ねぷたが展示されている。このねぷたは弘前独特の扇形では無く、青森ねぶたの様な立体的なものだ。弘前にもこういうねぷたが有るのだなあ。
弘前ねぷたは静かに進むので戦さに出かける様子を表していて、青森ねぶたは跳ね回るので、戦さに勝って喜び帰る様子を表しているとも言われているそうだ。

2階のVTRで、いなかっぺいさんのとても楽しい「津軽弁講座」を少しの時間楽しみ、展示品を見て、ねぷたのトランプを買い(人間同士でハーツをしたくて(笑))外に出る。

 ねぷた村で買った鯉の餌を持って外堀の角へ行く。(観光館のすぐ近く)ここは、朝通っただけで鯉がさぁ~っと寄って来たので、帰りに餌をやろうと楽しみにしていたのだ。
積極的に寄って来るものには どんどん餌をやりたくなる。大体同じ大きさの鯉だが、たまにとても大きなのが居て、びっくりさせられる。

 コンビニで道中車の中で飲むためのコーヒーなどを買い、ホテルに戻る。
丁度お昼になったので、ホテルのランチ(金曜日は小懐石)を食べる。量も程よく1000円なのは嬉しい。近くに住んでいたら、時々食べに来たい位だ。運転が控えているので、アルコールは止めておいた。

 市内を出る時に、少し回り道をして駅前を通る。
駅の近くに高層ホテルが出来ているので、駅自体も大きくなったのかなと思っていたのだが、駅自体は前と変わらず小さい。ホテルの方が目立っている。

前回来た時に行った津軽三味線のライブハウス「山唄」は、駅の近くに移転されている。駅のすぐ近くなのに、周囲には建物が無くて「これならいくら音を出しても大丈夫だろうな。」と思う。居酒屋に津軽三味線(演奏者は7人位)のステージが付いている店だった。 

 一旦東北道に乗って、八幡平へ。天気は曇りだが、山々はよく見えて雄大な景色が広がる景色を楽しむ。冬はスキー場になる所だ。さすがに寒くて、ここではTシャツの上に上着を羽織った。とても広い駐車場が有るが、今日は来ている人はそう多くなくて、3つあるうちの第一駐車場に余裕を持って停められる。
湖が見える訳ではないのだが、何となく北海道の美幌峠からの景色を思い出した。

 次に行ったのは、うさぎも今回が初めての田沢湖。水深日本一の湖だ。

田沢湖の湖畔道路に入る前に神戸ナンバーの6台のバイクと一緒になる。同時に湖畔道路に入り、バイクは左側へ、うさぎたちは右側へ。お互いが出会ったのが、丁度真中あたりの「たつこ姫像」の有る所。バイクも景色を楽しみながら走ったのだろう。

たつこ姫像は内田康夫の小説にも出て来るのでとても楽しみにしていた。たつこ姫像は、華奢で可愛らしくて顔も「この人に似た顔をしている人は実際に居るだろうな。」と思わせるものだ。(内田康夫の小説に、そういう設定の話が有る。)

2日後に田沢湖マラソン(フルマラソンも有る)が控えていて、その準備で湖畔道路(1周20km)には距離表示の看板が有ったり、スタート、ゴールのゲートが作られていたりする。

平坦な場所の方が多いとは思うが、所々に坂が有り、やはりきついコースかもしれない。一緒に居た家族の中にマラソンを趣味にしていて、「サブスリーへの挑戦」というホームページを持っているTDさんが居たのだが、彼にとっては、田沢湖マラソンの下見になった様だ。その結果、高低さの多いコースなので他の大会との記録の比較が出来ないので、出るのは止めるそうだ。
ところで、「サブスリー」というのは、フルマラソンを3時間を切ってゴールすることである。一般市民にとっては、かなり大変なことらしい。

 田沢湖から東に走って、盛岡市へ。ここもうさぎは通過したことしか無いので初めての街だ。ホテル探しは疲れるので、駅の近くのホテルリッチを目的地として「盛岡駅」の標識を頼りに進む。部屋も空いていて、すんなり泊まることが出来た。

全然知らなかったのだが、昨日、今日は盛岡八幡宮の祭だったそうだ。祭が見られなかったのは残念だが、祭の期間中だったら泊まれなかったかもしれないので、まあ良かったのかな。

 ホテルの最上階のレストランでカクテル(ダイキリ、マルガリータ)を飲みながら、食事をする。
このホテルは駅の近くでも有り、北上川の川沿いでも有って、いいホテルだ。最上階からは見えないが、宿泊する5階からは川の流れが見える。
美味しい料理と美味しいカクテルでまたぐっすり眠る。旅行中は、早寝早起きで健康的な生活をすることが出来る。

9月18日 土曜日 雨後曇り

 昨日カクテルを飲んだホテルの最上階のレストランでバイキング形式の朝食を取る。いつもの様に和洋折衷で、うさぎの食べる量を見て、家族に笑われてしまう。母親には「ダイエット日記は、私はこんなに食べるのよ、ということを知らせたくて書いているの?」と突っ込まれてしまった。(笑)

 小雨の降る中、車で岩手公園(盛岡城跡)へ行く。その途中で車窓から石割桜を見る。石割桜というのは、巨大な花崗岩の割れ目からヒガンザクラの幹が逞しく伸びて枝葉の茂る珍しい桜だ。樹齢300年とも400年とも言われているそうだ。知らないで通っても、珍しいし目立つのですぐに分かる。
それから近くの県営駐車場を見つけて車を停め小雨の中、傘をさして歩く。

ところで、ホテルの駐車場係のおじさんも、ここの係の人もそうなのだが、行動はとても親切で良いのに、しゃべり方がぶっきらぼうで、ちょっと怒っている様な感じがする。弘前で会った人たちが皆柔らかいしゃべり方だったので、土地柄なのかな、と思ってしまう。数人だけで判断するのは危険だけど。(笑)

 盛岡城は天守も残っていないし、大きな像も台座だけで(太平洋戦争の時に供出したそうだ)寂しいが、盛岡産の花崗岩を積み上げた石垣はとても立派で、元々はとても大きな城だったことが分かる。
散策しているうちに雨が止んで来る。

 郊外に有る岩山展望台、啄木望郷の丘へ行く。このふたつは殆ど同じ所に有る。遠くの山々は、頭を覗かせている位で、今ひとつの天気だが、山に囲まれている所だということは よく分かる。
丘を少し降りた所に盛岡橋本美術館が有る。

 橋本美術館は建物自体が曲家(まがりや)で、規模も大きく素晴らしい。
県美術界の巨匠であった洋画家・故橋本八百二(やおじ)氏が私財を投じて建てた県内唯一の本格的な美術館である。
玄関前には池が有り、2匹のカッパが出迎えてくれる。首を伸ばした愛嬌の有る亀も居る。みんなが「それは作り物だよ。」と言うのだが、母親には生きてる亀に見えたらしく身を乗り出して動くかどうか見ている。(笑)記念に写真に撮っておいた。

橋本八百二の作品群(絵画)の中では、うさぎは特に東北の景色を書いた絵が気に入った。暁の岩手山や、雪化粧した岩手山。その2枚は絵葉書を買った。

ここには絵や彫刻以外にも美術品が沢山有る。
南部鉄器で有名な所だから、茶釜や鉄瓶も多い。うさぎが好きになったのは、ねじりつるで、つまみが少し傾いた(首をかしげている感じ)松ぼっくりになっているもの。「立派」という感じの鉄瓶が沢山並んでいる中で、1番目を引いた。うさぎは、可愛らしい上品な感じの物が好きらしい。

 雨は完全に上がり、明るくなって来たので、行くかどうしようか迷っていた小岩井農場にも行くことにする。

 小岩井農場も初めての所だ。名前だけは知っていたが、果たしてどのあたりに有るものなのか、ここに来るまでよく分かっていなかった。
丁度お昼頃に到着したので、ここで昼食を取ることにする。

ひっつみセット、おしょれそばセット。見ただけでは何だか分からないが、ひっつみというのは、すいとんみたいなもので、店では、粉の状態で売られているものも有れば、形になって売られているものもある。お
しょれそばというのは、こちらの地鶏の肉が入ったそばのことだ。少し肌寒いので、暖かいそばは美味しくて嬉しい。東北は味の濃い所だと思って来たが、薄味のうさぎでも、どこでも美味しく食べられる。セットに付いていたかやくご飯も薄味で大好きな味だ。

 小岩井農場自体はとても広くて、牧場沿いの道を車で走るとその大きさに驚かされる。
入園してからは、観光用の中心部(まきば園)で過ごす。園内の出張郵便局で東北の切手を売っていたので、5種類(他にも有ったのだが)5枚ずつ2000円分の80円切手を買う。青森県のりんご、青森県のねぶた祭、秋田県の竿灯祭、宮城県の仙台七夕祭、福島県の相馬野馬追。

土産コーナーでは冷凍のシュークリームを買いたいな、と思ったが、解凍は冷蔵庫内でして下さい、と書かれていたので、まだまだ旅行を続ける身のため我慢した。

小岩井農場のポストから仕事先へ「旅行中のため、講師会議は休みます。」という内容の手紙を投函した。ちゃんと期日までに届くといいのだけれど。(届いた。)

 盛岡手作り村へ。ここは、陶器、鉄器、竹細工、菓子など色々な物が自分でも作れる所だ。殆どが所要時間1時間になっている。今回は手作りはしないことにする。展示館も有り、こちらの名産(家具や日本酒など色々)を見る。

南部鉄器の工房は沢山有り、鉄瓶でいいなと思うものがあったが、8万円もしたので買うのは止めた。大体2万円位で買えるものが多いのだが、どうも「いいな。」と思うものは高い様だ。
店では、チャグチャグ馬コの状差しや3種類の冷麺を買う。(わんこそば、盛岡冷麺、じゃあじゃあ麺)

 父親のリクエストだった先人記念館へ。新しそうで綺麗で立派な建物だ。閉館時間が午後4時半なのに、4時10分位に着いたので、もう入れず残念。手作り村でのんびりし過ぎた様だ。一応建物の前で記念写真を撮ってから出発する。

 盛岡インターチェンジに入り、南に走る。
途中の長者原サービスエリアで夕食を取る。うさぎは「牛タンセット」に。ここのタンは厚めに切って有り、量も多い。麦とろご飯も美味。父の頼んだ五目中華蕎麦も少し貰って、またまわりを呆れさせた。 

 当初の予定では、盛岡の次には蔵王に行って、蔵王温泉に宿泊することになっていたのだが(予約はしていない)南東北は天気が悪そうだったので、それは止めて、取りあえず多賀城市の家に戻ることにする。松島から南下する道路は混んでいるだろうということで、今度は泉インターチェンジで降りて、国道4号線、45号線と走って帰る。 今日も万歩計の数字は1万を超えていた。

9月19日 日曜日 雨後曇り時々晴れ

 天気予報だと曇りなので、蔵王へ行くことにする。
8時過ぎに多賀城市の家を出て、南へ。
でも、走っていると雨になり山の方を見ると煙っているので、急遽予定を変更して、まず山形市に行くことにする。山形市には、両親が楽しみにしている山形美術館が有るのだ。母は昔から美術館巡りが好きだったが、父の方は若い頃は全然興味が無い人だった。それがある時、ピカソの絵を見て突然好きになったそうだ。今回山形美術館に行ってみようと言い出したのも父だった。生きていると色々なことが有って面白い。

 宮城県からトンネルを抜けて山形県側に出ると、さっきまでの雨が嘘の様に晴れている。これなら蔵王も大丈夫かもしれない、と言いながら山形市内へ。
山形市の霞城(かじょう)公園の近くに目的の美術館が有るので、その公園の駐車場を探して入る。

公園入り口にどう見ても料金所と思われる所が有り、なかに気の良さそうなおじさん(おじいさんかな)が二人座っている。料金カードを貰おうと思って、止まって窓を開けるとそのおじさんが「どこに行くの?」と聞く。それで、うさぎが「山形美術館に行くのです。」と答えると「それならここを左折して道なりに行くと左手に市民プールが有るからそこの駐車場に停めて、大手門から出ると近いよ。」と教えてくれた。「ここは有料駐車場ですか。」と尋ねると「いいえ、無料駐車場ですよ。」との答え。無料なのは有り難いのだけれど、あのふたりのおじさんは、公園内の説明をするためにあそこに座っているのだろうか、と思うと不思議な気がした。山形市はこういうサービスにも力をいれている様だ。あのおじさんたちの仕事はひとりでも出来そうに見えるけれど、1日中ひとりぼっちであの箱の中に入っているのは苦痛だろうから、二人居て丁度良いのかな、と思う。帰りにうさぎが見た時にも、ふたりで和やかにおしゃべりをしていた。

市民プールはお休みの日で、駐車場には1台も車は無い。そこに停めて、少し歩くと大きな最上義光像が有り、目の前に大手門が有る。大手門を出るとすぐ堀が有って、その向こう側には線路が走っている。珍しい景色だ。

山形美術館は、東北では1番規模の大きな美術館で西洋画から日本画、彫刻まで世界的にも素晴らしいものが揃っている。と、ガイドブックに書かれているので来たのだが、丁度今日まで県展の開催中で、常設展はほんの1部で殆どが県展のために使われていた。

3階はすべて子供展(幼稚園児から中学生まで)になっていて、うさぎ以外のみんなは見にも行かなかった。もう少し常設展の割合を多くしておいて欲しかったというのが正直な感想だ。
「今日は400円の入場券の100円分位しか無かったね。」と、TDさんがぼそっと言う。ちょっと面白い。

 隣に有る最上義光(もがみよしあき)歴史館にも入る。どちらも建物自体にも趣が有るので、記念写真を撮る。外に出ている間に正午になり、その合図らしき美術館の時計のオルゴールが鳴り始める。曲は「展覧会の絵」だ。なるほど、ぴったりの曲だ。

 晴れているので、天気の良いうちにと、すぐに出発することにする。山形市内から有料道路へ入り、蔵王ライン、蔵王エコーラインと見晴らしの良い道路走る。途中、蔵王温泉に寄り道をして、お昼ご飯にする。

 蔵王ロープウェイ乗り場の駐車場に車を停めて、すぐ隣のお蕎麦屋さんに入る。うさぎは3味板蕎麦(ざるではなく、板に乗っている冷やし蕎麦)を食べる。3種類の具が有って、山菜、なめこおろし、とろろとうずら卵。うさぎは甘党なので、とろろとうずら卵につゆを混ぜて食べるのが1番甘くてまろやかで好きだ。
他、家族が注文した中に 蕎麦では無くて「麦きり」というのが有った。見た目は細めのうどんの様だ。美味しいお昼ご飯を楽しめた。 

 冬はスキー場になる所で、下から見ると3本のコースが有り、右側程 斜度がきつくなっている。
1番きついコースは かの有名な「横倉の壁」と言われる所の様だ。小樽の天狗山スキー場(観光スキー場ではないので、知る人ぞ知るスキー場)の上級者コースよりは緩い様に見えるが、それでもかなりきついということは下から見ても分かる。来年の冬には蔵王スキー場に来てみようかな、と思う。
蔵王にはスキー場が沢山有るので、うさぎに向いた所を選ぼうとは思っている。

 土産物屋で、仕事先へのチョコレートを買い、家に忘れて来たハンカチも買う。紫色で綺麗だ。
駐車場のすぐ前のローソンで車中用のコーヒーなどを買って、さあ出発。

 蔵王の山並みを見ながら快適なドライブ。カーブは多いけれど、どの車も景色を楽しみながら走っている様子で、スピードは若干遅めなので、運転席に居ても、ちらちらと見ることが出来る。(うさぎの車は4台中、前から2台目)

お釜行きのリフト乗り場の駐車場が見えたので、そこに車を停めてリフトに乗る。昭和38年7月に出来たシングルリフトで、ゆっくり進む。途中に「ここから山形県」の看板が有る。丁度県境なのだ。

エメラルド色をしたお釜の前で写真を撮って、帰り道にふと左手を見上げると少し上に観光バスが来ている。
「あれ?もっと高い所に駐車場が有るんだ!」と気が付いて、リフトで降りてから、また車で先へ進むと山頂に入る有料道路が左手に有った。そこにも入って、今度は徒歩(少しだけ)で山頂の神社へ行く。さっきの場所からでは距離が有るので、登るのを諦めていたのだ。 

山頂から見ると、さっきよりお釜がよく見える。最初からこちらに来ていれば良かったなあ。
宮城側から来た人は、迷わずこちらに来るだろう。

神社(奥の宮)で おみくじを引く。中吉でおまけが付いている。うさぎの場合は「人望」。うさぎに無いものを神様はよく知っているのね。(笑)

帰る頃には夕日が差してまた美しさが増した。今回は蔵王は雨で駄目だろうなあ、と諦めていたので、思わぬプレゼントを貰った様な気持ちになる。

 駐車場で売られているとうもろこし(1本500円)を食べる。とうもろこしをこういう風に食べるのなんて何年振りだろう。歯に挟まるので、苦手な食べ物のひとつだが(キャラメルよりはましだが)味はとても美味しい。少し焦げ目が付いていて香ばしい。

 ここからは助手席でゆったりとして帰る。
やっぱり運転席よりは景色はよく見えるね。
2本有る内の「蔵王ビューライン」というのを通って帰るつもりでそちら方面行きの道路に入ったら、峨々(がが)温泉(ひっそりと山の中、静かな一軒宿の温泉)を過ぎた所で崖崩れが有り、通行止めになっていた。
引き返す時に振り返って見たら、通れない部分はわずかなのだが、かなり高い所から崩れていて、復旧するのには相当時間がかかりそうな感じだ。幅は細長いが規模は大きな崖崩れだと思う。

 途中またいくつかのスキー場を横目に見て、遠刈田(とうがった)温泉を通って、東北道の村田インターチェンジに入る。ここは朝入った所と同じだ。
真っ直ぐに仙台南インターチェンジまで走り、仙台南道路、東道路と進んで、多賀城市へ。インターを降りた所は、仙台市の宮城野区だが、そこから多賀城市まではわずかな距離だ。

多賀城駅前のナガサキヤで晩御飯を買って、家へと向かう。
うさぎは、お寿司と蕎麦のセット弁当の他に紫蘇のギョーザと牛タンのコロッケを買う。もちろん、ひとりで全部食べるつもりじゃないよ。(笑)

TDさんが、家の急須が割れたので、ここで新しいのを買っていたが、赤い林檎と青林檎の絵の入った可愛らしいものだった。東北で買った良い記念になるだろう。

 帰宅して、TDさんは早速1時間走りに行った。10月3日に猪苗代湖のハーフマラソンの部に出るそうだ。旅行のため、暫く走れなかったから今日やっと走ることが出来るということ。

うさぎは、この旅行中は、食べてばかりだが、太ってしまったかな。 まあ、ジーパンがちゃんとはけているから大丈夫かな。(横浜に帰って計ってみたら、体重、体脂肪率とも減っていた。不思議だ。)

 明日はいよいよ横浜に帰る日。荷物の整理をする。
過ぎてしまえば、あっという間の東北旅行だった。 

9月20日 月曜日 晴れ時々曇り

 多賀城の朝は晴れていた。でも晴れるのは今日だけで、また明日から1週間曇りの日が続くらしい。東北の9月って快晴の日は少ないのかな。今年がたまたまなのかどうか、そこの所はよく分からない。 

 朝8時40分に家を出て、横浜市の自宅付近に到着したのは午後3時5分だった。付近と書いたのは、帰る前に近くのスーパーで買い物をしたから。

 多賀城を出てからは、仙台東道路、南道路と走り、東北道の仙台南インターへ入って、そこからは、ただひたすら東北道を南下する。 途中1箇所(佐野サービスエリア)で休憩を取り、お昼ご飯を食べる。ソーメンセット(ネギトロ丼、サラダ付き)が美味しい。まだまだ暑いということか。

 1度、パトカーを見かける。時速120キロで走っている時だったので、(100制限)少しドキッとしたが、流れに乗って走っていたし、とんでもないスピードでもないので、大丈夫だった。

 東北道を出てからは、来た道とは違う首都高を走る。(来た時は外環道路)
途中対向車線の事故を見る渋滞が1箇所有ったが、他はスムーズに走れて、羽田空港に着いたのは、まだ午後2時15分位だった。

予定では、両親は午後4時55分の飛行機に乗ることになっていたのだが、午後2時40分の便に間に合いそうなので、車は駐車場には入れず、直接出発ロビーの有る方へ進む。
両親には空港ビルの入り口で降りて貰い、間に合わせることが出来た。その代わり、慌しいお別れになってしまったが。

 空港を後にして、湾岸線を通って横浜の自宅へ。
うさぎの大好きなみなとみらいの風景(観覧車やビルやマリンタワーなど)が出迎えてくれた。これを見るのは、いつも楽しみなのだ。でも、やっぱり昼間よりは夜景の方が好きだけれど。

 前に書いた様にスーパーで買い物をして、午後3時半頃に家に着く。帰ってからお留守番のプーたちに「ただいま」を言う。家は郵便物や新聞が溜まっている他は何の変わりも無い。

 今回は、「雨で駄目だろう。」と思われた所が皆予想に反して見られたので、とても幸運な気分で過ごす旅行になった。
両親の行きたかった所は皆案内出来たことが嬉しい。
うさぎ自身としては「山寺」に行く時間が無かったので、次に東北に行く時には、是非ここを訪れてみたい。

 今回の旅行で感じたこと。それは、ツーリング中のライダーが沢山居たことだ。それも会ったライダーは皆中年と呼ばれる世代の人たちだった。

母は、「今までバイクって若い人の乗り物かと思っていたけど、そうじゃないのね~。」と言っていた。残念ながら女性は見かけなかったが、気の合う仲間達と楽しむツーリングをしている人達を見ると、とても羨ましいと思う。

元々うさぎは今まで殆どがソロツーリングだったから、それならこれからでも出来るし、来年当たり北海道か九州へ行ってみたいな、と思う。9月の道東は大好きだし。

 それから、最近はどこの地方も標準語に近い言葉を話しているのだろう、と思っていたのだが、やはり東北の人は東北弁を使っていた。すぐには分かりにくいものも多く(最後まで分からないものも有った)、それを聞くのも楽しいことだった。方言はいつまでも残して欲しいものだと思う。

  帰宅した途端に夜更かしする元の生活が戻った。(爆)
東北旅行では家族も呆れる程沢山食べたのに、体重は減っていた。 歩くのはもちろんだが、車の運転も慣れない街だと少し緊張して体重を落とすのには良いのかもしれない。
まあ普段の生活がいかにのんびりしているか、ということが証明された様な気もするが。(笑)

 次に東北に行くのが いつになるのか分からないが、また違った顔の東北が見られるのではないかと思う。
昔、弘前で会った町田市から来た人に、「是非、冬の津軽を見て下さい。」と言われたことが有った。真冬の東北が真の東北を感じさせてくれるのかもしれない。 


東北引越旅行の日記 1999年

2018-10-04 20:43:29 | 旅行
99年東北引越旅行の日記

3月31日 水曜日

雨の中、湾岸線を通って、多賀城市に引越をするTDさんと一緒に 東京の義妹の家に行く。
義妹には1才半の星(せい)という息子がいるのだが、うさぎを見ると にこにこしてくれて、 とてもかわいい。まだまだ軽いので、うさぎが持ち上げて、左右に振って遊ぶと 星 もとても喜ぶ。星が少し位重くなっても そうやって遊んであげられる様に、鍛えて おかなくちゃ♪

星の足がとても冷たくて気持ちがいいので、足を持ってなかなか離さないでいた ら、嫌がって、
「ママぁ」と ママに助けを求めていた。甘えん坊の星。(笑)

義妹とも色々おしゃべりをして、午後1時過ぎに さよならをする。
すぐに首都高に入るつもりが、左折しそびれたため、30分位余分に走る。(爆) 
でも、色々な場所で綺麗に咲いた桜が沢山見られたからいいかな。(楽天的なうさぎ。)

首都高に入った頃には雨も上がり、晴れて来る。
レインボーブリッジを通り、湾岸線を通って葛西まで走り、東北道の案内板通りに進む。
ナビゲーター付きだったので、間違えないで行けたが、日頃走らない道なので、 ちょっと緊張。
東北道に入ってからは、1本なので ほっとする。

東北道は初めてでは無いし、今回は仙台南インターまで。1日で青森までバイクで 走ったこともあるので、そんなに長い距離では無いはずなのだが、交通量が非常に少 ないのと 景色があまり変わらないので、単調でとても長く感じる。
早起きしたせい もあって眠いので、ガムを噛みながら頑張る。

こちらも雨が降っていた様だが(道路がまだ濡れている)うさぎが走っている時に は、もう降ることは無くて その点は とても快適だ。
時間的にも気温は下がって当然なのだが、北に行く程、表示される気温が下がるの で、やっぱり寒くなるのだなあと北行きを実感する。畑にも屋根にも雪が残っている 景色はとても美しい。

のどかで、毎日を横浜で過ごしているうさぎにとっては、なんだかタイムスリップし て昔の時代に来た様な気がする。

仙台南インターで降りて、仙台市内を通らないで行くはずが、またまたちょっと入り口を間違えたため、仙台市内を通ることになる。(笑)
でも、夜の美しい仙台が見 られたから良かったかな。(やっぱり楽天的なうさぎ。)
結局30分位余分に走ることになる。

教訓「知らない所を走る時には、国道を選ぼう。」
小さい道を選ぶと標識が無くて結局時間がかかってしまう。それにこちらは標識が少 ない。名前が表示されている信号も少ない。

ただ、こちらは、道路が広くて交通量が少なくて、運転マナーが非常に良い。横浜も いい方だと思うが、それ以上かな。
それとも横浜ナンバーで美人のうさぎが運転して いるせいかな。
うそうそ。(笑)

今日は塩釜のホテルに宿泊。結局着いたのは午後8時過ぎになった。
本塩釜の駅の近くで海老とシソのピラフを食べる。「アサコときぬこの店」と書かれ ていたのが、うさぎには「アサリときのこの店」に見えた。お店にいたのは、どう見 ても「アサコときぬこ」とは思えない男の人ふたりだった。

コンビニで多賀城市&塩釜市の地図を買う。それで、道路研究をしてから眠る。 明日は もう間違えないぞ!(笑)

4月 1日 木曜日 晴れ

晴れ! 引越し日和! 
10時にチェックアウトして、多賀城市へ。
塩釜市から多賀城市までは車で10分。目的地の多賀城市役所は多賀城駅の少し北、 お店も無い静かな所。役所はこういう所にあるのがいいのかもしれない。

来る人も少なくて用事はすぐに終わる。
市民課の入り口すぐ、誰でも気楽に取れる場所に 婚姻届け用紙、離婚届け用紙、養子縁組み届け用紙などが入れてある引き出しがあって、
「これなら何枚でも持って帰れるなあ。」などと思う。

スーパーで買い物をして、ガソリンスタンドで灯油を買って、引越し先へ。
地図で見て通る予定にしていた道路が 車は通れない道だと 行ってみて初めて分かり 、ちょっと余分に走ったが、約束の時間前に着いたので、まあ合格。(すんなり着くことが殆どないから。(笑))

今日は引っ越す人が多くて、大きなコンテナやトラックが同じ時間に3台着いて、 さあ大変。
結局しばらく前の人の荷物の搬入待ちをした。
それにしても みんな大荷物。これからあれをみんな出して片付けて、と思うと、つ くづく「引越って大変だなあ。」と思う。

うさぎは手伝いで来ただけで、実際に引っ越すのは ひとりだけなので、外の人に比 べると荷物はずっと少ない。それでも、単身パック2個プラス自転車&布団、ということで、片付けを終えたのは夜遅い時間だった。

やはり寒くて、早速今日買った灯油が役立つ。
こちらの桜が綺麗に咲くのは見られないなあ、と思うと残念。
同じ日本でも、横浜より3週間位遅くなると聞いたことに納得する。

今回は プー4兄弟(ぷー、まんまる、うさぷ、だこぷ)を連れて来た。
みんな初めての東北旅行でどきどきしてるかな。
物の少ない寂しい部屋に にこにこ顔のオレンジ色のぷー4兄弟がいると、とても暖 かくなる。
帰りは助手席に4人共 座るんだよ♪

4月 2日 金曜日 曇り後雨 

午前中は、うさぎ日記を書いたり、友達にメールを書いたりして過ごす。

雨は降らないけれど、最初晴れていた空も曇って来て、気分も乗らないので、
「今日は もうお出かけしないで家でのんびりしよう。」と思い、
お昼には あんぱんを食べて、 テレビを見て、キーボード(5オクターブ)でショ パンのワルツを弾いて(但し2か所、音が足りなくて弾けない所がある)、コーラを飲んで、またメールを書いて、という風に のんびり過ごしていたが、さすがに時間を持て余して、買い物に行くことにした。

多賀城駅の近くの長崎屋へ。
長崎屋は道路を挟んだ所に駐車場があるので、最初少し迷った。
駐車場は無料で空いている。いつも横浜で「2000円以上の買い物をしたら、2時間無料」という店の駐車場を利用しているうさぎは、地方のこういうゆったりした所 は いいなあ、と思う。

日用品や食品など買い物し、店の様子を見る。
100円ショップに くまのプーさんの手鏡とヘアーブラシがあったが、我慢する。 
何か面白いものは無いかなあ、と思ってみてみたが、特に東北ならでは、というもの は見当たらない。しいて言えば、笹かまぼこかな、色々な種類が置いてあるから。でも、今日は買わない。 

家に帰ってからは、またキーボードを弾いて、夕方に新聞屋さんが来たので素直に 最初に来た「河北新聞」を取ることにする。かほくしんぶんと読むそうだが、何で河北という名前なのかは知らない。誰か知っている人いますか。

新聞の折り込みチラシを見て、店の研究をする。
探していた大型電器店のチラシは2枚。そのうちひとつは横浜にもある「コジマ」。 
全国にあるのかな。取りあえず明日行ってみよう。

今日、車で走っていて気が付いたのだが、多賀城市には「屋内ゲートボール場」 がある。
老人福祉センターのバス停のそばだ。多賀城のお年寄りは元気いっぱいなんだろうな。 

お風呂に入って、買って来たお弁当を食べて、ビールを飲んで今日はおしまい。 
5月の気候だった今日は冷たいビールが美味しい日だった。

4月 3日 土曜日 晴れ

少し曇りがちだった天気も午後には晴れる。
テレビで、春の選抜の準決勝の第一試合、沖縄尚学対PL学園を見る。
緊迫した延長戦だったが、最後は沖縄のピッチャーの気迫勝ちという感じだった。 
野球の出来ないうさぎも「3ボールでも見ちゃ駄目、打たなきゃ。」などと突っ込み を入れながら見た。
「じゃあ、お前、打ってみろ。」と言われると困るのだが。(笑)

第二試合は、水戸商業対今治西高校。
今治西は弟の母校なので、応援していたのだが、買い物に行く用事があったので、途中で出かけて、続きは電器屋さんで見た。
残念ながら、負けてしまったが、ベスト4に入った健闘をたたえよう。

電器屋さんでは、衛星放送のアンテナとビデオデッキを買う。
初めて屋内アンテナを買ったのだが、配線も簡単で工事も要らないし、とても便利だ。
アンテナとビデオデッキ合わせて3万5千円、こんなに安く出来る様になったのだなあ。 

朝ご飯は、食パンとコーヒー、昼ご飯は、レトルトカレー&シチュー、晩御飯は具 無しのインスタントラーメン。あ~おかずが食べたいよ~
それに、レトルトシチューを開けていて、右手首広い範囲をやけどしてしまったの で、暫くレトルトは怖い。生まれてから1番熱かった様な気がする。
でも、真っ赤になっていた皮膚も長時間冷やしたら、かなり綺麗に戻って来た。
水ぶくれ~を覚悟していたので、かなり嬉しい。
やっぱり料理は「レンジでチン!」が1番安全なのかなあ。

「横浜に戻ったら、ちゃんとおかずを食べて、体重を元に戻すぞ!」と心に誓う うさぎであった。

4月 4日 日曜日 晴れ

朝から晴れ! 但し、気温は低めで風が強い日。
午前中に洗濯をする。
いつもは お寝坊のうさぎなのだが、ここでは毎日朝早く目が覚める。
やっぱり他所の家なのかな。

午後から車で松島へ。
五大堂の近くの有料駐車場1日1000円の所に車を入れる。後で、1時間260 円、その後1時間毎に130円、という町営の駐車場があることが分かったが、まあ 待たないで入れたからいいかな。

五大堂は、国重要文化財で松島のシンボル的存在。
7世紀に坂上田村麻呂が東北遠征の際に勝利を祈願してお堂を建立したのが起源と言 われる。その後、慈覚大師が五大明王を安置したことから五大堂と呼ばれる様になっ た。

現在の建物は伊達政宗が瑞巌寺再建の折りに紀州のを招請して再建したもので、 安土桃山文化を今に伝える単層宝形造りがひっそりと美しい。
島に架かった朱塗りの透かし橋を渡れば、足元に海が透けて見える。渡るのに怖いと いうことは無い。

五大堂には干支の彫刻が施されているのだが、虎だけは妙で別の生き物の様だ。本物の虎を見たことが無い状況で彫られたのかな。
うさぎは可愛らしい。猿と犬がちょっと太めで似ていた。

2時出港の松島遊覧船に乗る。湾内クルーズの船で名前は「仁王丸」。
大人1400円、グリーン席の料金がプラス600円。
殆ど最後に乗船したので、2階のグリーン席にしたのだが、椅子のゆったり感、景色 が良く見えること、など合わせると、空いていてもグリーン席をお勧めする。

外は風が強く、寒いのだが、船の中は暖かく、50分間、島々の解説を聞きながら ゆったりと過ごす。いつもは おしゃべりなうさぎが、少し眠くなって静かになって いた。

ここは牡蠣の養殖が盛んな所で養殖風景を沢山見る。うさぎは初めて牡蠣が杭にぶら 下げてあるのを見た。
うさぎは生牡蠣は苦手だが、牡蠣フライは大丈夫。冬に来たら、食べてみようかな。 

観光客が餌をやるためか、沢山のカモメが船に寄って来る。
デッキに出て、餌をやっている人も居る。うさぎは のんびり座っているだけだけ ど。
のんびりした松島湾クルーズの後は、瑞巌寺へ。

瑞巌寺は、平安時代初期の天長5年(828年)に慈覚大師が創建したと伝える古刹。
江戸時代初期に、伊達政宗によって見事な大伽藍が造営された。
本堂は国宝に指定されており、当時の名工の手になる彫刻や絵画で飾られた内部の華麗さに目を奪われる。

また境内には、杉の古木や樹齢800年と言われる夫婦欅、臥龍梅などがある。 
臥龍梅は4月20日頃が見頃という梅で、右手は紅梅、左手に白梅がある。
おおきな梅の木で、満開時の写真を見たが、それは見事なものだった。今日は まだ つぼみで、花が咲くのを見られないのが残念。

博物館(青龍殿)には、甲冑姿の伊達政宗木像や大脇差、伊達家ゆかりの工芸品な ど、数多くの寺宝が展示されている。

うさぎは茶碗に興味があるので、天目茶碗、赤楽茶碗、伊達政宗の茶碗など、しゃが んだり、覗き込んだりして見たが、天目茶碗や、赤楽は 時代を感じさせてくれて、 趣きがあるなあと思ったが、政宗の茶碗は、そこらへんに転がっていても分からな い。猫の餌入れになっていても何とも思わないかも。(爆)全然見る目が無いからな あ。

晩ご飯には早いけれど、おなかが空いたので、牛タン定食1200円を食べる。 
「七味唐辛子をつけて食べると美味しいですよ。」と言われて、素直に実行。
スープも麦ご飯も牛タンも うさぎの好みの味で美味しい。漬物も辛過ぎず、良い。 
後で知ったことだが、その店は梅宮辰夫の店も入っていた。あの漬物は「たっちゃん漬け」だったのかな。(笑)

食後に「ずんだアイス」(枝豆の入ったアイスクリーム)を食べたが、まずくも無い けれど、特別美味しいとも思わない。まあ、話のタネに食べたという感じ。

帰りに、こちらならではのお菓子を買う。
仙台名物「ずんだもち」は冷凍されていて、自然解凍で4時間後に食べるのが美味し いそうだ。 帰宅して丁度4時間後位に食べたが、まだ冷たくて甘くて美味しい。
アイスクリームは そうでも無いが、こちらは また食べられることがあれば、食べたいな、と思う。

まだまだ横浜に比べると寒い東北だが、もう何週間かすれば桜も咲き、本格的な春 がやって来るのだろう。
今回の旅行の感想は、こちらの人がとても親切だということ。
横浜の人も親切だと思うが、もっとゆったりとしている。土地柄なんだろう。
また違う季節に来てみよう。
今度は美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで・・・・・
楽しみ♪

4月 5日 月曜日 晴れ後曇り

 朝、多賀城市から塩釜市まで TDさんを仕事先に送って行ったのだが、またまた道を勘違いして、遅刻させてしまった。(爆)
ごめんなさい!

 うさぎは、そのまま横浜へ帰る。
結局、多賀城市を出るのは、午前9時過ぎになってしまった。
途中サービスエリアにトイレに行くため1度寄ったが、殆ど休憩時間を取らないまま、先を急ぐ。
来た時と違って、あまり時間が長く感じられない。

途中、雪化粧をした山々を見ながら走る。
やはり交通量は少なく、すいすい走れる。
蓮田サービスエリアで休憩するつもりだったのだが、「混雑」という表示が出ていたので、寄るのを止めて、横目に見て通るだけにする。右も左も満開の大きな桜の木が沢山あって、春爛漫!という感じ。

首都高速は標識に従って走ると、うさぎの大好きな湾岸線に出た。
少し混んでいた所もあったが、渋滞と言える程の所は1か所も無く、快適。

後で計算してみると、おおよそ多賀城市から東北道を出るまでが、3時間半、そこから首都高を通って うさぎの降りる永田インターを出るまでが、1時間、そこから自宅までが30分。(自宅近くが1番混んでいた。)
合計すると、多賀城市の家から横浜の家まで5時間のドライブだ。
少し眠くなるけど、この位なら楽な方だと思う。
でも、5月の連休頃は渋滞がひどくてつらいんだろうなあ。

 帰宅後、メールチェックをして、ちゃんとした食事を取って、テレビを見る。
これからまた横浜での生活が始まる。