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●掩体壕(えんたいごう)

2021年06月07日 10時35分32秒 | 軍事
●掩体壕(えんたいごう)
◆掩体壕 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/掩体壕
掩体壕(えんたいごう)は、装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である。掩体、掩蔽壕(えんぺいごう)、掩壕とも言う。
通常はコンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしている。
爆風・破片除けの土堤のみで、屋根(天井)が無い簡易な無蓋掩体壕もある。
英語ではbunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。陸上自衛隊では「掩体」、航空自衛隊ではこれを行政上は「えん体」、運用上は「シェルター」と呼称する。
航空自衛隊の航空機用のえん体は主に戦闘機の防護を目的に設置される。一般に格納庫は脆弱な鉄骨造だが、えん体は鉄筋コンクリート造であり、1機ずつ分散して格納することで防護能力を向上できる。航空自衛隊の戦闘機部隊は全国の7基地に配置されており、その内、北海道の千歳基地、青森県の三沢基地、石川県の小松基地の3基地に纏まった数の「航空機えん体」が設置されている。それ以外の、茨城県の百里基地、福岡県の築城基地、宮崎県の新田原基地、沖縄県の那覇基地の4基地への設置はあまり進んでいない。
陸上自衛隊では掩体壕や塹壕を構築するため掩体掘削機を配備している。
 
◆掩体壕 1基 松山市公式ホームページ PCサイト
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shi/entaigo    2021/05/06
解説     松山市指定有形文化財(歴史資料)
 掩体壕は、軍用機を上空の敵機から守るために造られた格納庫で、太平洋戦争末期、全国の軍用飛行場に造られていた。昭和18年(1943年)10月に、松山海軍航空隊(北吉田町)と松山海軍航空基地(南吉田町)が設置されたあと、航空基地の飛行場付帯施設として南吉田・垣生両地区に掩体壕が63基造られる。戦後、そのほとんどは消滅したが、南吉田地区にはコンクリート造の有蓋掩体壕3基が今も残っている。
 この3基のうち指定した掩体壕は、幅23.1メートル、奥行き約12.25メートル、高さ5.12メートルを測り、主翼格納部の前部アーチと尾翼格納部の後部アーチの大小2つのカマボコ型アーチを合わせた形態で、戦後、農業用倉庫として使用され、ほぼ完全な形で残っており、松山海軍航空基地の歴史や悲惨な戦争を語り継ぎ、平和の尊さを伝える貴重な資料として重要である。
 
◆「空自15分全滅説」の根拠 航空基地に「掩体」なぜ必要? 現代戦の定石から機を守れ! 2020.08.24
https://trafficnews.jp/post/99352
海外の空軍基地などでは当然のように見られる「掩体」、日本の航空基地などではほとんど見られません。これがなかったために、たとえばエジプト空軍は過去、とても苦い経験をしました。どういうもので、なぜ必要なのかを解説します。
・戦争の行方を左右する…かもしれない「掩体」とは?
 あらゆるタイプの軍事基地において、最も大規模で最もお金を必要とするものは航空基地です。配備機種によっては数千m規模の滑走路が必要であり、駐機場、格納庫、各種整備に必要な装置や施設に加え、勤務する隊員の厚生施設に至るまで、ほんの数十機の航空機を運用するだけでも大変なお金と設備が必要になります。
 特に戦闘機を配備した航空基地において重要な設備に「掩体(えんたい)」があります。掩体とは戦闘機用の防空壕を意味します。鉄筋コンクリート製で、場合によっては鋼鉄の扉を持ち、内部に1機から2機の戦闘機を格納します。「強化ハンガー」または「バンカー」とも呼称し、その目的は飛行場攻撃において爆弾やミサイルから戦闘機を防護することです。
 過去、掩体の存在が戦争の趨(すう)勢に大きな影響を与えることさえあったにも関わらず、航空自衛隊はその発足以来、慢性的に掩体が不足している致命的な問題を抱えています。
 
◆戦時下の地盤構造物 ~各務原台地における掩体壕 の特徴~
http://jgs-chubu.org/wp-content/uploads/pdfupload/download/syn4/pdf/23/23_1_1.pdf
1. はじめに
現在、岐阜県各務原市には航空自衛隊岐阜基地が所在する。その前身は陸軍各務原飛行場である。第二次世界大戦期、米軍の空爆が日本本土で始まると、主力兵器であった戦闘機を守るため飛行場の内外に多数の掩体壕が造られた。本稿では、まず全国に現存する掩体壕を集成し形態分類を整理する。そして、各務原飛行場の内外に現存する掩体壕の調査や航空写真の分析を通して、その施工方法や立地条件の特徴を見出し、各務原台地における掩体壕の特殊性について論じる。
参考文献及びウェブサイト1)
1) http://ja.wikipedia.org/wiki/掩体壕(Wikipedia)
2) http://www.k4.dion.ne.jp/~entaigou/(昭和の記憶)
3) http://blogs.yahoo.co.jp/seoto_kisyuu/(瀬音の写真集)
4) http://koikoi2011.blog.fc2.com/(旧聞since2009)
5) 各務原市戦時記録編集委員会編,『各務原市の戦時記録』,各務原市教育委員会,P.191-192,1999.
6)国土地理院昭和23年米軍撮影空中写真
7) 木曽川学研究協議会編,『木曽川学研究』,第11号,P54-56,2014.
 
◆旧海軍出水航空基地掩体壕 発掘調査報告書 - 全国遺跡報告総覧
https://is.gd/Rc4bMi   2014/03/31
-掩体壕1・2の埋蔵文化財確認発掘調査報告書-   出水市教育委員会
序 文
本書は、鹿児島県出水市教育委員会が平成 25 年度に国・県の補助を受けて実施した掩体壕の確認発掘調査報告書です。
掩体壕のある平和町は、旧海軍出水航空基地があった地で、この時代の基地施設跡が集中して残っています。
また、このほかに出水市内には現在でも太平洋戦争時の遺跡が 20 箇所以上確認されています。
出水市ではこれらの戦争遺跡を未来の出水市民へ残し伝えるため、様々な取り組みを始めています。
その取り組みの一つが、掩体壕の整備です。市では、この掩体壕の整備に先立ちまして確認発掘調査を実施しました。
 
◆旧大正飛行場の【掩体壕】(えんたいごう)大阪府八尾市  2018/06/30
https://kazu1000.muragon.com/entry/632.html
【旧大正飛行場の掩体壕(えんたいごう)】大阪府八尾市
「飛行機を空襲から守るための格納庫」
国道170号線の垣内南交差点を東に折れ、八尾市立南高安中学校の横をさらに直進すると高安山のおふもとに出ますが、その一角に【掩体壕】(えんたいごう)があります。掩体壕(えんたいごう)は、飛行機を空襲から守るため、防弾、防爆性能を強化した格納庫のことで、大正飛行場(現在:八尾空港)には40数基が建設されていました。大正飛行場は、1940年に、民間機のパイロット養成機関であった阪神飛行学校を陸軍が接収するとともに、約260万平方メートルにおよぶ優良農地を低価格で強制的に買収して、急造された飛行場です。1300メートルの滑走路と黄砂して1710メートルの滑走路が設けられていますが、これは、当時日本で一番長い滑走路でした。1944年には、陸軍第11飛行支団司令部が置かれ、阪神・東海圏の防空のために、敵機を迎撃し、侵入を阻止する任務を担いました。
 
◆戦争遺跡 城井1号掩体壕 - YouTube  https://youtu.be/JpYYoraRCpA
3:02
宇佐市が、城井1号掩体壕を中心に整備した史跡公園です。
2015/08/16 · アップロード元: ビデオ行脚
 
◆鶉野(うずらの)飛行場跡の展示:無蓋掩体壕とSNJ(T-6 テキサン)
https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2020/08/15/065504
日本軍機に詳しい方は違和感を感じられるかも知れませんが、これを紫電や九七式艦上攻撃機(いずれも当時鶉野で運用されていた)に脳内で変換して眺めることをお勧めします。 無蓋掩体壕で全天球パノラマを撮影したので、 ...

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