縄文人の志葉楽さんのブログ

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●米(America)・英(Britain)・支(中華民国 China)・蘭(オランダ Dutch)により構築された対日禁輸包囲網を四ヶ国の頭文字を採って「ABCD包囲網」と呼びました

2019年12月31日 18時37分21秒 | 軍事
●米(America)・英(Britain)・支(中華民国 China)・蘭(オランダ Dutch)により構築された対日禁輸包囲網を四ヶ国の頭文字を採って「ABCD包囲網」と呼びました   大東亜戦争(アメリカのエゴの呼び名 太平洋戦争)
米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス

朕玆ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作逑セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ玆ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尙未ダ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ閒却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事旣ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ

皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽

昭和十六年十二月八日

内閣總理大臣
東條英機
以下 各大臣の署名入り

これが原本である。
話し合いの余地がない中 日本政府が昭和十六年十二月八日 開戦した。
日本名 大東亜戦争

どうも現代人は平和ボケが激しいようだ。

ダライ・ラマは、
「許しとは、相手を無罪放免にする手段ではなく、自分を自由にする手段です」
と言っているそうだが誠に結構な事で正しい事だ。

デモその前に真実 事実を知らないとその次にはいけないのでは無いか。

ハル・ノート(Hull note)は、太平洋戦争開戦直前の日米交渉において、1941年11月26日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。正式にはアメリカ合衆国と日本国の間の協定で提案された基礎の概要(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan、日米協定基礎概要案)と称する。
 
●ハル・ノート - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハル・ノート
ハル・ノート(Hull note)は、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日)にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。正式には合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する。
冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」(Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)という但し書きがあり[注釈 2]、アメリカ政府の正式な提案ではなく、ハルの「覚書」という側面がある。
日本で「ハル・ノート」という通称が用いられるようになった時期は明確ではないが、戦後の極東国際軍事裁判前後だと考えられる。
アメリカでは1941年11月26日アメリカ提案、あるいは"Ten Points"とも呼ばれている。
 
日米交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。ハル・ノートに関しては、「(事実上の)最後通牒であった」とする解釈と、「最後通牒ではない」とする解釈とがある。
 
●ハル・ノートの内容
http://www.org.com/wiki/ハル・ノート#ハル・ノートの内容
冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」 (Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)との記載がある。
 
第一項「政策に関する相互宣言案」にはハル四原則が書かれ、第二項には10項目から成る具体的措置が示されている。
ハル・ノート
第一項「政策に関する相互宣言案」
1.一切ノ国家ノ領土保全及主権ノ不可侵原則
2.他ノ諸国ノ国内問題ニ対スル不関与ノ原則
3.通商上ノ機会及待遇ノ平等ヲ含ム平等原則
4.紛争ノ防止及平和的解決並ニ平和的方法及手続ニ依ル国際情勢改善ノ為メ国際協力及国際調停尊據ノ原則
(略)
第二項「合衆国政府及日本国政府の採るべき措置」
1.イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
2.仏印(フランス領インドシナ) の領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
3.日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵[注釈 35]
4.日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党重慶政府)以外のいかなる政府も認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
5.英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を得るための両国の努力
6.最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本資産の凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結を解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.日米が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない(日独伊三国軍事同盟の実質廃棄)
40.本協定内容の両国による推進
 
附属のオーラルステートメントでは、ハル・ノートは「太平洋全地域に亙る広汎乍ら簡単なる解決の一案」「六月二十一日附米国案と九月二十五日附日本案の懸隔を調整」と説明されているが、実際には日本側の要望はすべて無視したものであった。6月21日付米国案では、日中和平の条件として日本の立場に理解を示す文言(共産主義運動に対する防衛のための日本軍の中国駐兵を今後の検討対象とする、「満州国に関する友誼的交渉」といった項目)もあったが、ハル・ノートは条件をつり上げたことになる
 
●「ハルノート」とは・・・ ハルノート 簡単に説明 (突きつけられた最後通牒)
2017/03/13   https://youtu.be/WRoBNhp0zoU
●ハル・ノート(Hull note)
ハルノートとは、太平洋戦争開戦直前の日米交渉において、
1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。
交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。
 
●事実上の宣戦布告「ハルノート」─学校が教えてくれない戦争の真実
https://youtu.be/lTFucERzF58
丸谷元人著 学校が教えてくれない戦争の真実─日本は本当に「悪い国」だったのか
http://amzn.to/1O3KqO5
・日本は本当に「悪い国」だったのか─学校が教えてくれない戦争の真実 2015/11/25
https://youtu.be/ec0oitFInvg
 
なぜ日本は戦争を始めたのか ……追いつめられ、自存自衛のために始めた戦争だった
日本は本当にアジアを「侵略」したのか ……なぜ、戦う相手が米英蘭だったのか
日本軍は本当に「悪いこと」をしたのか ……南京大虐殺・従軍慰安婦問題の「真実」
日本はこれだけの「良いこと」をした ……大東亜戦争はアジアの植民地を解放する戦いだった
黙っていることは、相手が正しいと認めること ……敬意を持ち、正々堂々と主張することの大切さ
 
ふりがな・解説つきで読みやすい「親子で読む近現代史シリーズ」です。
お子様のいる方は、ぜひこの本を読ませてあげてください。
書籍紹介ページ
http://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0008-4.html
再生リスト 学校が教えてくれない戦争の真実
https://www.youtube.com/playlist?list=PLt2gfBRPKFm8yP-4Ml7-RmrgkIFTsvt5F
米国を始めとする欧米諸国が、ここまで日本に強硬な姿勢をとった理由の中には、
中国やアジアでの利権確保以外にも、日本人に対する人種的な優越感もありました。
つまり、有色人種の黄色い猿に過ぎない日本人が、
欧米諸国と肩を並べること自体が、許しがたい国際社会への挑戦だと感じていたのです。
しかし米国には、さらに別の、もっと重要な事情がありました。
当時、すでに欧州では第二次世界大戦が始まっていて、
ルーズベルト大統領は、何とかして米国を第二次大戦に参加させたいと願っていたのです。
 
ハル・ノートは、日米交渉において日本側の当事者野村吉三郎駐米大使と来栖三郎特命大使が提示した日本側の最終打開案(乙案)に対する拒否の回答と同時に、アメリカ側から提示された交渉案である。その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。
 
これプロス石油の全面禁輸が付いてきた。
当時も今も資源がない日本に変わりはない。
一説には当時日本には半年分の石油の備蓄しか無くて国内で使うのがヤットのようであった。
 
http://teikoku-denmo.jp/
に色々と書かれているようだ。
 
ハルノート/交渉をぶち壊した最後通告 【賢者の説得力】
http://kenjya.org/nichibeiharu.html
●「ハルノート」は、要するに明治以降の日本の大陸における一切の権益を全部放棄して、4つの島に引っ込めということだった。
もしもこんな言い分が通るとすれば、アメリカもハワイやカリフォルニア・ニューメキシコ・テキサスなどを返して、東部13州に戻りなさいということになる。
●これは当時の日本の国家の解体を意味する。外交交渉を続けていたのに、いきなり国家を解体せよと言われて「はい、そうします」と返事する国があるとは思えない。
  《谷沢永一 「日本に『戦争責任』なし」》
 (他著書「歴史が遺してくれた 日本人の誇り」)


他にも色んなページで当時の資料が提示されている。

キチット物事の本質や真相を知りこれからの自分の生活を見直す。

このままでは平和ボケで日本が崩壊してしまうのでは無いだろうか。

ネットには色んな人がいてテンでバラバラに好きな事だけ言ってる。

日本民族は人としての生き方を世界に示して来たのでは無いかな。

先人は何してドウ考えていたのか今日知るべきではないかな。

捏造に洗脳されて国滅ぼして良いのかな。

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