縄文人の志葉楽さんのブログ

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●古代文明はなぜ砂漠化した

2020年02月01日 20時56分18秒 | 歴史
●古代文明はなぜ砂漠化した
◆水と砂漠と文明、それぞれの因果関係
http://home.e08.itscom.net/21water/bunmei.htm
 人間文明とそこに不可欠な水資源との関わりかたに興味を持っている。本誌にそくして言えば、大きな意味で、河川とその水に関わる人間の文化だからだ。
■砂漠化は文明の仕業か?
 水が希少な場所の代表は砂漠である。水が比較して豊富な我が国から見ると、砂漠は人間文明とは対極の位置にあるように思える。水が枯渇し文明が滅んだ土地としての砂漠の印象が拭えないのだ。  その砂漠が、現在でも「砂漠化」によって拡大しているという。
 過放牧による植生破壊、農地利用の大規模灌漑の末の塩害、更にはそれらの結果裸地化した表土が風食、水食され、表面の植生土壌を喪失して、砂漠化は進むと説明されている。以上は人間活動によるものだから、その最たるものとして文明が敵視されるのである。
 
◆なぜエジプトは砂漠化したのか? - 絵文字姫・まくまく雑学のぉ城
https://blog.goo.ne.jp/celestial_princesa/e/384f2fb49748af19f0306be09b30f8ae
2006/08/17
エジプトは、ナイル川の岸辺のごく一部を残して、乾燥しきった国土をもつ国です。
しかし、かつてこの土地には、世界で最も豊かな農業国家が栄えていました。
巨大なピラミッドを作る力があることからも豊かな国であった事が伺えます。
この富を顕示しようとしたのがピラミッド建設
しかし、このピラミッド建設が緑豊かな国土をカラカラの乾燥地に
変えてしまったのです。皮肉な話ですね・・・。
 
◆四大文明と縄文文明 〜学校では教えてくれない四大文明のウラ〜【CGS 日本の歴史 1-6】 2015/07/31
https://www.youtube.com/watch?v=9fk5jZkeuiE
世界四大文明、と言えばエジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明と教わるかと思いますが、未だにこんな事を教えているのは日本くらいです。
実はそれ以前から文明の流れがあったという事が調査により判明しています。(そこに大きな文明があった事実は変わりありません。)
もちろん日本にも、文明と呼ばれる文明はなくても、このような流れが遥か昔から続いていました。
他の文明の中心地が砂漠化をする中で、緑豊かな大地を保ってきた日本の持続可能な社会についても、学校で教えるべきではないでしょうか。
 
◆世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】  2015/07/03
https://youtu.be/7DK8zIy2Fzg
今回は日本の文明の興りについてご紹介します。日本列島では約11万年前には打製石器が、3万年前には磨製石器が使われていました。
そして世界最古の土器は、日本?それとも中国?しかし中国であるという確たる証拠はありませんでした。
また、石器に関しても少し認識がおかしい様です・・・。
気をつけたいのは、世界最古であるから日本は偉いのだ、という事ではありません。正しく認識し、正しく教える事が大切です。
 
◆第二回 黄土高原の歴史と砂漠化(2000年9月25日第464号)橋本紘二
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200009/2000092508.htm
2000/09/25
黄土高原は昔から砂漠化した大地ではなかったようだ。
 黄土高原は古代から大きな国が生まれ、文明が発達したところでもある。紀元前七百年前の周の時代、黄土高原の東南部(現在の山西省の南部)には唐という国があり、春秋時代(BC722~450)の晋は山西省を中心とした勢力であった。そして、黄土高原の南西部にあった秦が、始皇帝によって初めて全国統一(BC221)を果たす。
 また、黄河のほとり、西安(長安)には漢王朝(BC202~196)が前漢、後漢時代合わせて四百年も続いた。そして、四世紀末には山西省の大同に北魏の都が置かれ、人口百万の大都市だったという。
 つまり、黄土高原に大きな国や都ができたということは、その兵力や大人口を食わせるだけの豊かな農業と自然があったということである。
 
◆砂漠化 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/砂漠化#砂漠化した地域とその原因
砂漠化した地域とその原因
中東、特にメソポタミア(現在のイラク)は、農業が始められた最初の文明が起きた地域と言われている。
ここは緑に豊かで土壌が肥えていたが、過度な農業活動により土壌が渇いていったことと、河の上流にあった森林の伐採によって上流に降った雨が一気に河に流れ込むことにより洪水が発生し、下流の表土を流し去った。
また、灌漑によって表土の塩性化を招いた。
さらには上流からアルカリ性の土砂が流れ込むことにより植物の成育には向かなくなった。
同様のプロセスはエジプトやインダス河流域でも起きている。
インダス河流域に発達したインダス文明は、メソポタミア文明(シュメール)との交流が強く、同様の農業活動を行なったと思われる。
森林は焼き煉瓦を作るために伐採された。
農耕地帯ではしばしば土壌の維持や再生の理解を無視した大規模な農地開発が行われ、結果的に「砂漠化」を招いた例がある。
 
◆世界四大文明が起こった所は必ずしも大河のほとりではない | 沖大幹 講義詳細
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=754
水と地球と人間と(1)水と文明
沖大幹/国際連合大学 上級副学長/東京大学生産技術研究所 教授
●大河を利用する灌漑技術が文明を生んだ
大上
今日は、東京大学生産技術研究所の沖大幹さんという非常に立派なお名前の先生にいらしていただきました。これから「水の話」をしていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。
大上
それではまず、世界地図を見ながら「水と文明」について語っていただけますか。

世界の四大文明は、大河のほとりに生まれたといわれています。ナイル川のエジプト文明、インダス文明、チグリス・ユーフラテス川のメソポタミア文明、そして黄河文明。どれも確かに大河のほとりですが、大きければよいわけではありません。世界の大河には、南アメリカのアマゾン川、北アメリカのミシシッピ川、次にロシアのオビ、エニセイ、レナという北極海にそそぐ三つの大河川があり、そのあとにはラプラタ川などがあって、ようやくナイル川が来ます。四大文明河川は、世界の大河川の中では、必ずしも大きな川ではないのです。
 
◆【衝撃】サハラ砂漠は“人工砂漠”だった! 科学メディアの発表に大反響、定説覆る可能性
https://tocana.jp/2017/03/post_12651_entry.html
2017/03/16
世界最大規模の砂漠「サハラ砂漠」。あまり知られていないことだが、実はサハラ砂漠は8000年前まで森林が生い茂る豊かな土地だったと言われ、砂漠の地下には巨大な川の痕跡も見つかっている。それがどうして、北米とほぼ同じ面積を持つ巨大不毛地帯に様変わりしてしまったのだろうか?
■サハラ砂漠化は人間の責任、8千年前まで緑豊かな土地
 従来の理論では、緑豊かなサハラが急速に砂漠化した原因は“地軸のズレ”による気候変化とされてきたが、ここにきて考古学の常識を大きく覆す新説が飛び出してきた! 科学ニュースメディア「Science Daily」(3月14日付)が報じている。
 韓国・ソウル大学校の考古学者デイヴィッド・ライト教授によると、サハラの砂漠化は人間が引き起こした“人災”だというのだ。
 
◆文明は「砂漠に川」で生まれる | Fukushima-days
https://michikuina.com/%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%A0%82%E6%BC%A0%E3%81%AB%E5%B7%9D%E3%80%8D%E3%81%A7%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B
2019/04/25
世界史では、まず「メソポタミア文明」続いて「エジプト文明」を学習します。
どちらも(四大文明すべて)、乾燥した砂漠のような気候の地に、源流を遠方に持つ大河(外来河川といいます)が流れているという特徴があります。
砂漠は、水に対する不安が絶えずある土地です。
しかし、そこに川が流れていれば、それは爽やかで、大変快適な生活地となります。
特に定住を始めた人間にとって、地質と日光に恵まれた土地に、水があれば、最高の農作地が手に入るというものです。
農業はこうした地域で発展しました。
農業は「長い時間我慢する」すなわち「ずっと先の結果を想像し、目先の利益に左右されない」というとても人間的な知恵を要するものです。これこそが文明の始まりですね。
古代エジプトの人々は、ある季節になると決まっておこる洪水を「困るものだが、これによって土地がより豊かになる」と考えていました。
 
◆1. 宇宙考古学とは - 東海大学情報技術センター
http://www.tric.u-tokai.ac.jp/isite/sarchaeology/jsa.html
世界の古代文明の発祥地域は水と深く関わっています。
エジプト文明はナイル川、メソポタミア文明はティグリス・ユーフラテス川、インダス文明はインダス川、そして中国文明は黄河や長江の流域に発祥しています。
人類はこの大河に沿って長い歴史を築いてきましたが、古代の都市や遺跡を調査すると、そのほとんどは世界の中緯度帯の非常に乾燥した砂漠地帯に分布しています。
これは砂漠地帯に文明が発祥したのではなく、その地域に環境変動があり砂漠化したことにより、人間の生活条件が変わってしまったことを示唆しています。
このような文明や環境の変遷に関わる調査は、その地域の歴史的事実の解明だけではなく、地球温暖化や森林破壊をはじめとする近年の地球規模の環境問題への取り組みや将来的な環境変動予測のための貴重な手がかりとなりえます
1972年にランドサット1号が打ち上げられて以来、人工衛星データによる地球観測技術は、環境、災害、気象、海洋、資源など、様々な分野の調査・研究に応用され、これまで多くの成果をあげてきました。衛星に搭載されるセンサが高解像化し、赤外線やマイクロ波センサによって地表の状況がより明確に観測できるようになると、衛星データの応用範囲はさらに多様化し、密林や砂漠の下に埋もれた古代の都市や遺跡の検知なども可能となってきました。
この宇宙からの情報技術を考古学の領域に応用し、現在の地球環境をモニタリングしながらかつて文明があった地域の遺跡や古環境を推考するための研究を宇宙考古学(Space Archaeology)と言います。
 
◆水と文明|水とくらす  古代文明の発祥地
http://www.thr.mlit.go.jp/mogami/learning/kids-corner/mizu/mizu_04a.html
なぜ古代文明は、川のそばで栄えたのでしょうか?
紀元前3000年頃、地球は寒冷化し、気候の乾燥化が起こり砂漠がひろがっていきました。牧畜民は生活の場を追われ、水を求めて大河のほとりに集中しはじめました。
大河のほとりでは農耕民が生活の場として生活していました。
そこで、2つの異文化を持つ民族が同じ場所で生活するようになり、争いもたびたび起こりましたが、文化の交流も盛んにありました。
そうした文化の交流の中で古代文明は誕生し、豊かな水源のもとで隆盛していったのです。
 
◆「古代中国の文明観」に学ぶこと | 日経 xTECH(クロステック)
https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/COLUMN/20070409/130351/
2007/04/09
資本主義経済における「イノベーション・差異化→模倣…」の永久運動は,結果として高度な「技術文明」をもたらす一方で,自然を商品化することで地球環境問題に直面していることから,その永久運動の方向を変える必要が出てきている,と述べた。そしてその糸口として,「アジアをはじめとする新興国をこの永久運動を続けるための新天地と見る一方で,西洋とは違う文化であるということを見直すことで,その方向を少しでも変えられる可能性にも注目してもよいのかもしれない」と書いたところ,以下のようなコメントを頂いた。
 
◆弥生人渡来説の嘘! 〜なぜ弥生時代に生活が質素になったのか〜【CGS 日本の歴史 1-10】  2015/08/21   https://youtu.be/QwgK9s42Oxk
第1章最後の回は、前回の「稲作が縄文時代から始まった」という事に続き、弥生人は渡来人という定説のウソを暴きます。
よく言われるのが横長の顔の骨格が縄文人、縦長・平たいのが弥生人、のように骨格に差があるとされてきましたが、実は骨格の差はなかった様です。そしてそこには「捏造の歴史」がありました。
いわゆる自虐的な歴史観はこの時代からもう存在していたのでしょうか。
 
◆解明が進む縄文人の軌跡・前編 ~イメージを覆す高度文明~  2019/11/07
https://youtu.be/E8KpiR4KdI0
日本人の祖先と言われている「縄文人」。
縄文人といえば、竪穴式住居に住む狩猟民族のイメージを持つ人は多いでしょう。
しかし、近年の研究でそんな縄文人のイメージを覆す発見が次々と明らかになってきているのです。
今回は縄文時代や縄文人について・前編として、日本列島での縄文人がどのように過ごしていたのか、ご紹介したいと思います。
 
◆解明が進む縄文人の軌跡・後編 ~世界に渡り古代文明を興した?~ 2019/11/17
https://youtu.be/vs6XjXFjR4M
ハテナ見聞録では以前、「縄文人が海洋民族だった」というお話をご紹介しました。実は、縄文人の痕跡は日本国内だけでなく、日本列島の外でも見られるのです。
今回の動画は、海外で発見される縄文人の痕跡から見る歴史背景と
縄文人が世界各国の文明の発祥に少なからず関わっていたのではないかとされる説についてご紹介したいと思います。
 
◆砂漠化している「世界四大文明」と緑豊かな「縄文文明」 | 天命発見 ...
https://ameblo.jp/matsuyan02/entry-12385249365.html
2018-06-20
【世界四大文明とは】
・エジプト文明 : 5000年前
・メソポタミア文明 : 5500年前
・インダス文明 : 4300年前
・黄河文明 : 5000年前
世界四大文明は4300年前から5500年前ごろできた文明の事を言います。
しかし、現代の世界の考古学会では
黄河文明より古い長江文明などが発見されていることから、
もっと古い時代からもっと大きな文明がある
ことが常識になっている。
そして、これらの世界四大文明はGoogleEarthで
見てもわかるようにすべて砂漠化している。

黄河文明の端に一部緑があるが、
これは日本が戦前統治した地域で億単位で植林をしてきた結果だそうだ。
世界四大文明は結果として自然を破壊し人が住めなくなるような土地になっている。
これが文明なのか?文明観がおかしいと語られる。
縄文の女神は1万3000年前であり世界四大文明よりはるかに古い時代から
文明に相当するものが育ってきているそして、いまだに日本は緑が豊富である。
自然と共生している。
持続可能性の高い社会を創れる能力が高いのが日本人。
 
◆広い視野で縄文時代を見る
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2000dm2k/japanese/02/02-08.html
縄文時代と同じ頃の西アジア
− 西秋 良宏 − 定住、農耕、都市
 縄文時代と同じ頃、アジア大陸の反対側にある西アジアでは、どんなことがおこっていたのか。
 西アジアは、その間に、旧石器時代から新石器、銅石器時代はもとより金属器の時代、歴史時代にまで移りかわった。
 社会の体制でいえば、狩猟採集民の世界から、農耕牧畜村落、さらには都市や帝国の時代まで駆け抜けている。
 1万年もの間、縄文という一つの時代でくくって考えられるほどの安定性、継続性がみられる日本列島の場合とは、きわだった違いだ。
 
◆ 縄文の記憶
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2000dm2k/japanese/02/02.html
縄文の記憶 坂村 健
21世紀の縄文時代研究 今村啓爾
学史
モースの大森貝塚コレクション 今村啓爾
日本先史土器の分類学的研究
—山内清男と日本考古学— 鈴木公雄
縄文人の埋葬骨 諏訪 元
広い視野で縄文時代を見る
縄文時代の地球と宇宙 松井孝典
東アジアと縄文時代 西田泰民
縄文時代と同じ頃の西アジア 西秋良宏
縄文文化 西本豊弘
旧石器時代と縄文 西秋良宏
新しい手法
DNA分析 岩本(木原)昌子
川口昭彦
放射性炭素(炭素14)で年代を測る 吉田邦夫
竪穴住居址の小柱穴位置について 渋谷文雄
 
◆『【縄文文明】世界最古の文明!?』縁側-日出づる処の天子の掲示板 - 価格.com   https://engawa.kakaku.com/userbbs/2261/ThreadID=2261-549/
2019/09/23
紹介文
日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す
聖徳太子さまは今頃何をしておいででしょう?
キントーンならお会いすることが叶うかも知れませんね。
縄文時代より日本は豊かな自然に囲まれ戦争のない自由と平等と自然を神様として平和な日々を送ってました。
(縄文文明)
弥生時代は戦争難民が大勢移住して人口が膨れ上がりました。
水耕栽培もそのころ始まり、増えた人々の胃袋を満たしました。
仁徳天皇は民のため多くの政策を実行。
土木工事で水路を大阪湿地帯で行い稲作耕地を庶民に与えました。
そのころの土木工事の跡が多く存在します。
そして現代の大阪・日本があるのですね。
 
◆世界最古の文明は縄文文明だ!文明は日本から世界へ広がった!【縄文王国】
2018/09/12  https://youtu.be/9dkyCvFuewY
縄文文明が世界最古の文明であることを知らない日本人は非常に多く、
このチャンネルを通して、縄文文明の素晴らしさについて知っていただければと思います。
◆山内丸山遺跡の発見 (縄文前期~中期の集落遺跡)500人超が定住生活。
・巨大なヒスイの珠。ヒスイに穴が多数出土。
↑ヒスイは新潟県糸魚川周辺で産出。
・黒曜石で出来た石器も多数出土。
↑北海道が産地。
↑岩手県から琥珀が。
※交易が行われていた。(船?)
◇縄文人が船で沖で漁をしていた証拠も。
・1mの真鯛の骨も見つかる。
◇栗の人工栽培(DNA鑑定)
・大型哺乳類の骨は殆どない。
⇒農耕が行われてたことが科学的に裏付けられた。
◆ーー縄文土器ーー
世界で最初の土器発明は縄文人。
↑世界最古の縄文土器は大平山元遺跡から出土したもの。
⇒年代測定法で16000年前と判明。
※世界最古とされたメソポタミアは10000年前。
◆ーー漆も土器も日本で発明された。
◇中国:長江下流域の河姆渡遺跡(かぼといせき)出土が約7000年前。
◆北海道南茅部町の柿の島B遺跡(垣ノ島遺跡(かきのしまいせき))から9000年前の漆製品が発見。
↑中国漆技術と比較して高度な漆技術。
↑三内丸山遺跡の漆のDNAは中国と別系統。
⇒日本から中国に漆技術が伝わった可能性が出てきた。
<<炭化ケイ素による焼き戻し法>>
↑現代のセラミック加工技術に通じる特殊な処理が施されてる。
◆11万年前には、石器がつくられ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)がつくられ
16500年前には、世界最古の土器がつくられ
13000年前には、人の形をした土偶がつくられ
12500年前には、漆が栽培され使われていた。
◆岩宿遺跡の打製石器
https://ja.wikipedia.org/wiki/岩宿遺跡の打製石器
 
◆焼畑農業 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/焼畑農業
焼畑農業(やきはたのうぎょう)/ 焼畑農法(やきはたのうほう)は、主として熱帯から温帯にかけての多雨地域で伝統的に行われている農業形態である。
通常は耕耘・施肥を行わず、1年から数年間は耕作した後、数年以上の休閑期間をもうけて植生遷移を促す点が特徴である。
英語では移動農耕 (shifting cultivation) という語が使われ、火入れをすることは必ずしも強調されない。
(実際、湿潤熱帯の各地では火入れを伴わない焼畑農耕も見られる)
英語圏の研究においては、短期の耕作と長期の休閑が繰り返されて循環することにより、焼畑が定義されることが多い。
 
◆世界中ですすむ森林の減少と劣化 - 地球・人間環境フォーラム
https://www.gef.or.jp/forest/deforest.htm
●世界中で進む森林の減少と劣化
●森林減少と劣化の要因
・農地転用
・産業植林
・焼畑農業
・違法伐採
・森林火災
 FAO(国連食糧農業機関)の "Global Forest Resources Assessment 2000(FRA2000)"によると、世界の森林(樹冠率10%以上)の面積は約38億6,900万ha であり、全陸地面積の約30%を占めている。このうち95%が天然林であり、5%は植林である。
 これを地域別に見ると、ヨーロッパ(東欧・ロシアを含む)が10億3900万haと最も広く、次いで南米、アフリカとなっている。世界の3分の2の森林が、ロシア、ブラジル、カナダ、アメリカ、中国、オーストラリア、コンゴ、インドネシア、アンゴラ及びペルーに集中している。また、国土に占める森林面積の割合を見ると南米が最も高く、約50%であり、次いでヨーロッパの46%となっている。  2000 年、UNEP-WCMC(国連環境計画-世界保全モニタリングセンター)の調査によると、樹冠率30%以上の森林は、合計34.2億haとなっている(UNEP-WCMC, 2000)。
 うち、熱帯地域における森林は15.2億ha、非熱帯地域における森林は18.9億haである。
 同調査においては、28の森林タイプごとの森林面積、保護地域面積を算出している。
 それによると、最も大きい面積を占めるのが非熱帯常緑針葉樹林(樹冠率30%以上)であり、8億ha(全体の約18%)である。
 ついで、熱帯低地常緑広葉樹林(樹冠率30%以上)で約7.3億ha(全体の約16%)、樹冠率10-30%の非熱帯林(5.8億ha、13%)、樹冠率10-30%の熱帯林(5億ha、11%)となっている。以下、非熱帯落葉広葉樹林および非熱帯落葉針葉樹林の面積が大きい。

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