縄文人の志葉楽さんのブログ

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▼日の丸の起源▼

2021年06月02日 17時11分07秒 | ●日本
▼日の丸の起源▼
●▼日の丸の起源▼について詳しい。
http://www.rekishinosato.com/essay1.htm
 
▼国旗・国歌の論争が▼このページに載っている。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hinomaru.htm
 
▼鹿児島県/日の丸 発祥の地
http://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/itiban/hatu/hinomaru.html
薩摩藩主島津斉彬は,1853年(嘉永6年)11月,幕府に大船・蒸気船建造申請を行った時,日本船の総印として白い帆に朱の日の丸を使用しました。 さらに,「日の丸」を日本全体の船印にするよう進言しました。 幕府もその必要性を認め,日の丸を日本全体の船印とする旨を1854年(安政元年)全国に布達しました。2007/12/05
 
▼日本の国旗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の国旗
日本の国旗(にっぽんのこっき、にほんのこっき)は、白地に赤丸が描かれた旗。法律上は日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、日本では古くから、一般的に日の丸(ひのまる)と呼ばれる。日本では聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を"日出ずる国"とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する。 また紅白は日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するとも言われている。
制定日: 1870年2月27日(明治3年); 1999年‎8月...‎
用途及び属性: ?
縦横比: 2:3
根拠法令: 国旗及び国歌に関する法律
      平成十十一年法律第百二十七号(1999年)
 
▼日本国旗の歴史・昔を探る。日の丸や旭日旗の意味や由来  2021/04/16
https://www.chizu-seisaku.com/flag/kokki_nihon/
日本人なら知っておきたい日章旗の基礎知識
白地の真ん中に赤丸、俗に日の丸と呼ばれますが、日章旗が正式名称です。まさに「シンプルイズザベスト」と呼ぶに相応しい日本の国旗、紅白という日本人にとって縁起の良い色ということもあり、当たり前のように接してきたために、かえってその意味を深く考えることは少ないのかもしれません。国旗や国歌、国章など、本来その国の人々の誇りや愛着に直接結びつくものであるはずですが、今日の日本では、そういうものに対する希薄さを感じます。この機会に日本の国旗に意味と由来を振り返ってみましょう。
目次
日の丸は日本人の信仰
脈々と受け継がれてきた日の丸
日の丸が旗として使われたのはいつからか
日本のもう一つの旗、旭日旗とは?
平成11年、日の丸が国旗として正式に制定
日本国旗の今
 
▼日本の国旗 - 日本旗章学協会〈公式ホームページ〉 旗の調査 ...
https://www.j-flags-java.org/日本の旗/日本の国旗
日本の国旗
 日本の国旗は、白地に赤い丸を描いたものである。「日の丸」や「日章旗」の愛称で呼ばれ、太陽を象った旗である。日の丸は、国名「日本」や「日出づる国」に通ずるものとして、古くから日本人に好まれてきた意匠である。
 日の丸の起源は不明な点が多いものの、鎌倉時代にはすでに武士たちが用いた扇に描かれていたことが知られる。また、戦国時代には多くの武将たちが旗印に日の丸のデザインを用いた。江戸時代に入ると、幕府が御城米を輸送する船の旗印として日の丸を採用した。
 国旗としての日の丸が誕生したのは嘉永7年のことである。嘉永7年7月9日の触書で、「日本総船印は白地日之丸幟」と規定された。この年、幕府は日米和親条約を締結し、鎖国政策が終了した。他国との交流が盛んになることを見越して、日本の船に掲げる旗を定めたものである。
 
▼日の丸はいつから国旗になった?: 今日は何の日?徒然日記 2008/07/09
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/07/post_8422.html
日の丸はいつから国旗になった?
安政元年(1854年)7月9日、江戸幕府が日の丸=日章旗を日本船の船印と定めました。
・・・・・・・・・
平成十一年(1999年)8月13日、4日前の衆議院本会議にて賛成多数で可決された『国旗及び国歌に関する法律』が公布・施行されました。
 
▼日の丸はいつどんなふうにできたの?《由来と意味》と | 伊勢神宮(神の計らい)
https://ameblo.jp/k-konnothalasso/entry-12127112429.html
2016/02/10
源平合戦以降、白地に赤丸が定着しずっと使い続けられていた日の丸の国旗ですが、実は正式に日本の国旗になったのは1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」が公布されてからなのです。 · それまでは明確にこの ...
    
コメント
AYU
「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす。
つつがなきや」を
聖徳太子が書いたものとするのは推測にすぎません。
この文面は随書にしか記録されていないもので、
書いたのは阿毎多利思北狐という人物です。
日本の御用学者は「阿毎多利思北狐(タリシホコ)」すらも
「阿毎多利思比狐(タリシヒコ)」の書き間違いだと勝手に
決めつけてますが、
これも推測にすぎません。
隋書には「阿毎多利思北狐」と書かれているので、
阿毎多利思北狐なのです。
コメント
AYU
上記書き込み、意味がわかりにくかったので、捕捉します。
阿毎多利思北狐が書いたのは随書ではなく、
「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす。
つつがなきや」という
書簡の内容です。
「阿毎多利思北狐」の「阿毎(アマ=天)」は「アマ」という
呼称への当て字で、
この人物が天孫族の出自であることを表していると考えられています。
日本では「天孫族」といえば、天皇の家系を意味し、
明治政府のとった、日本人が単一民族であるという政治的配慮から、
今でも日本特有の一族と思い込んでいる日本人が多いのですが、
少なく見ても、
百済(余氏)、高句麗(高氏・淵氏扶余族)、扶余(扶余族)、
アルタイ・ツングース語系の王族が
「天孫族」を名乗ってきているということは、
大陸・半島に残されたさまざまな文書に残されているようです。
ちなみに扶余(プヨ)とは
ツングース語で、(ツングースの)鹿のことだそうです。
最近の欧米の言語学者によれば、
高句麗語の多くが現在の日本語として使用されているということです。
誰にでもわかる高句麗と日本の共通点として、
神器を継承する風習と、太陽樹の考え方、
遺跡に残された
三足烏、北斗七星、四神などの図案の存在などがありますが、
太陽樹、三足烏に関しては商(殷=ツングース族国家)にも
見られるものです。
まあ、日本人が単一民族でないことは、
民主党の議員や紅白歌合戦に出る芸能人をみれば、
あきらかなことですが(笑)

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