縄文人の志葉楽さんのブログ

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●日本の美 職人の技のこれからは 残るか 廃れるか

2020年06月29日 08時08分54秒 | 文化
●日本の美 職人の技のこれからは 残るか 廃れるか
◆根付(ねつけ、ねづけ)●ストラップ
https://ja.wikipedia.org/wiki/根付
根付(ねつけ、ねづけ)とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別される。
製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されている。日本では郷誠之助と高円宮憲仁親王とが蒐集家として著名である。2人が遺した膨大な蒐集品は、いずれも東京国立博物館に寄贈され、その名を冠したコレクションとして所蔵されている。
ポケットの無い男性用の着物で袋や印籠等を持ち歩く場合に、袋や印籠などに付けられた紐の他方の端に取付け、紐を帯の下に挟み、根付を帯の上方に出す事によって引っ掛って袋や印籠などが落ちないようにする目的で用いられた。大きさは数cmから、小さいものは1cm位のものもある。材質は黄楊、一位、黒檀等の堅い木や、象牙などが多い。
江戸初期は簡素なものが多く、時代と共に実用性と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代後期に入って爆発的に流行した。この頃になると細かい彫刻が施されるようになり、根付自体が美術品として収集の対象となった。
明治時代に入ると、海外から高い評価を得て主に輸出用に生産されるようになった。この頃になると実用性は薄れ、穴の空いた小型の精緻な彫刻としてより認知されるようになる。
大正、昭和を経て一時衰退に向かった。平成に入って様々な分野から技術者・多種多様な素材が参入、現代根付として再び動きが活発になりつつある。
・歴史
安土桃山時代が終わり、徳川家康の天下が始まるのに合わせて、相当な薬愛用家だった家康は自分のみならず、高級武士や公家等にその大切さを説き、太平の世になっても外出時に、切り傷・腹痛・頭痛薬等常備薬を持ち歩くことを直参旗本や外様大名に奨励した。彼らは常備薬を携帯するに当たって、その入れ物として、印鑑と朱肉を入れた小さな携帯用印籠に目をつけ、これをさらに小型化し、印鑑や朱肉の代わりに薬を入れ、携帯用薬籠とした。
この印籠を武士やその奥方が使用する場合、帯からぶら提げる時に、「留め具」の役目を果たしたのが「根付」である。
印籠の普及期である江戸時代初期には、この根付として、銅製の糸印(いといん)が多く使用されたと言われている。 豊臣秀吉は、糸印の著名蒐集家だった。高級武士もそれに倣い、糸印の蒐集に励んだ。江戸時代には各屋敷には少なからずの糸印が存在し、極自然的に印籠を提げる役割を果たした。しかしこの「糸印」は角張った形をしていたために、帯を傷めてしまう傾向があった。
現在の様な“なごみ感”がある手触り仕上げになったのは、17世紀になってからである。また、17~18世紀にかけて、“なごみ感”プラス“洒 落”・“エスプリ”・“伊達心”等が付け加えられ、近代の進化した根付が完成された。その要因として、17世紀頃までに印籠と根付がセットで、高級武士・ 公家から茶人・商人・町人まで普及し、その粋なファッション表現が昇華されたから、と考えられる。また、富裕層が所持した印籠や根付には、蒔絵や象牙等が使用され、彼らはお金に糸目をつけない芸術性を求めた。
根付の持つ高い芸術性は現在、世界中の多くの人々から、日本独特の精緻的文化として認められており、当時の“日本人の心意気”を今に伝えている。
この根付の文化が現在の携帯電話などに取り付けられる携帯機器用ストラップの伝統にもつながっていると見る説もある
 
●根付と携帯ストラップはまったく別物!彫刻の粋を極めた美の粋を極めた美の小宇宙
https://intojapanwaraku.com/craft/17030/
2019/08/27  石水 典子
目次


根付とは?その歴史を解説
手の中で鑑賞する
根付の種類
江戸の風俗・動物・故事伝説など、様々なモチーフ
ストラップは根付ではなくて着物の「提げ」に近い
現代根付師に聞いた!根付とストラップの違いとは?
提げは着物のワンポイントにお勧め

根付とは?その歴史を解説コロンとした愛らしい形で、手のひらで包めば中に収まる数センチの小さな彫刻・根付。根付とは着物の帯から提げる印籠や巾着といった提物を、帯に引っ掛けるための留め具のことです。 発祥は定かではありません。.
 
●根付とは - 花影抄
https://www.hanakagesho.com/nezu-netsuke/info/whatisnetsuke.html
◎「根付」という物をご存知でしょうか?
 「根付」とは、その昔、武士や町人たちが、巾着や煙草入れ、印籠などを帯に吊るす時につけた滑り止めのための留め具です。ポケットのない着物生活で、細かな物や貴重品を持ち歩く際は、「提げもの」と呼ばれる袋物などに品々を入れ、根付を使って帯に吊るして携帯するのです。そうした意味では、実用品であったわけですが、だんだんと細工や彫刻に凝られるようになり、粋な男性の装飾品、アクセサリー的な要素も強くなっていったものと思われます。下に提げる袋物や印籠の図柄などとの組み合わせで、デザインやモチーフによる遊びやひねりも楽しみます。ただの道具から始まった根付も、加速度的に進化を遂げ、ついには美術工芸品の域にまで達するものも作られるようになったのです。そうして、手のひらに納まるほどの小さな中に、作り手の美意識や技術が凝縮されるようになった根付は、ただの実用の用途のみでなく、鑑賞のための用途もかねるようになりました。
 「根付が根付であるため」には、装身具として実用に耐えうるように、フォルムやサイズ、あるいは紐を通すための穴をあける、また手にとって眺められるよう上下・裏表どこからも見られても、作品として完成している事などの制約があります。そこが「根付」と、ただの小さな彫刻の作品との違いです。美術工芸品として見た場合に、掌の中で転がして観賞する、というような彫刻品は、他に類がないのではないでしょうか。さまざまな制約のある中に、工夫を凝らすことで、独特の世界観を作ってきたのです。小さな中に工夫をし「世界」を凝縮するという行為は、古来から日本人の独壇場です。江戸の昔から愛されてきた、日本独特の美術工芸品である根付の魅力がそこにあります。
 
●根付とは何ですか?
1.根付とは
根付(根附、ねつけ、ネツケ、根付け、Netsuke)とは、
ポケットのなかった江戸時代において、印籠や巾着、煙草入れなどの提げ物(さげもの)を腰の帯にさげて携帯するため、紐の先に結わえて使用する滑り止めとして作られ、装飾美術品の域にまで発達した、日本独自の小さな細密彫刻のことです。
「根付」の語源は諸説ありますが、提げ物の根元に結び付けられて、着物の帯の上に引っかけて提げられたことから、”根付”と呼ばれたようです。歴史上、文献で最初に”根付”という語が現れるのは、寛文十一年(1671年)の『寶藏』が最初だといわれています。
提げ物とは、印籠、巾着、煙草入れ、火打ち袋、矢立、煙硝入れなど、小道具を腰から提げて携帯するものの総称です。
左の写真をご覧下さい。丸い根付が帯の上に引っかけられて、煙草入れと煙管入れが帯下にぶら下がっています。これが根付です。帯の上の目立つところに根付は身に着けられました。そのため、彫刻に贅を尽くした細工物の装飾品として、江戸時代の着物文化とともに根付は発達しました。ポケットを持たない和服を着るときは、根付は欠かせない必需品でした。
海外でも”Netsuke”という言葉は良く知られています。ネツケという単語は、日本でよりもむしろ外国の方で良く通じることがあります。 
古根付(こねつけ)と呼ばれる江戸時代の古い根付は、だいたい17~18世紀頃に初期の根付が形作られ、18世紀後半から19世紀前半の約1世紀に渡り発達を遂げました。文化・文政時代(1804年-1830年)から江戸時代の末期までが最盛期といえます。
根付は江戸や京都、大阪、名古屋、伊勢、奈良、丹波、飛騨、岩見といった地域において、数々の流派(外国ではSchoolと呼称されています)が形成され、材質や意匠、技法において独自の特徴を持った根付が製作されました。
東南アジアなどの海外においても、ボタンやトグル(Toggle)などのように、根付と同様の機能を果たすための民芸品があります。しかし、着物文化を有 し、政治経済的に安定した江戸時代をもった日本においてこそ、このような美術工芸が最も精緻に発達しました。根付は、自由な創意、工夫、表現の多様性を持 ち、江戸時代の趣向と機知が凝縮されています。根付は大英博物館やボストン美術館といった海外の多数の有名美術館においても展示されていて、高い評価を受 けています。
 
実用された昔の根付
一般に美術品として注目される根付は江戸中期以降に製作されたものを指しますが、それ以前にも根付は使われていました。
例えば、国宝・松本城内で展示されている戦国時代から江戸時代にかけての武具のなかには、根付の原型が保存されています。蓋の先には根付がついていますが 鉄砲隊が火薬入れを腰に携行するため、このような根付が使われたのでしょう。象牙、鹿角、動物の骨が使用されていますが昔から様々な材質が使用されていた ことが分かります。
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●根付
http://www.ise-dentoukougei.com/list/file/netuke/
根付はおよそ三、四センチほどの小さな彫刻で、江戸時代、印籠(いんろう)や煙草(たばこ)入れを帯に提げる留め具として用いられていました。
関東地方で象牙(ぞうげ)が多く使われてきたのとは対照に、伊勢根付は黄楊の木、それも、”木の宝石”と呼ばれる組成が密で堅い朝熊山産の黄楊を使うことが特徴です。 題材にヒキガエルやガマガエルが多いのは「客をひく」「無事かえる」と参宮の地らしい語呂合わせによるものです。幕末から明治初期にかけてこの地で作を成した名人・鈴木正直(すずきまさなお)により根付は彫刻芸術へと高められ、 現在、この地で活躍する根付作家もその作風を受け継いでいます。
概要
伝統工芸品名 根付(ねつけ)
使用時代 江戸~現在
使用材料 朝熊黄楊
特徴 黄楊の中で最も堅く、”木の宝石”とも呼ばれる「朝熊黄楊」を使用。
 
●伊勢の伝統工芸 根付 中川忠峰
46,719 回視聴  2012/04/18  https://youtu.be/cJ1nyVQI5BI
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チャンネル登録者数 384人
根付とは、ポケットのなかった江戸時代において、印籠・巾着・煙草入れなどの提げ物を腰の帯にさげて携帯するため紐の先に結わえて使用する滑り止めとして作られ、現代では装飾美術品の域にまで発達した日本独自の小さな細密彫刻のことです。
江戸や京都、大阪、名古屋、伊勢、奈良、丹波、飛騨、岩見といった地域において、数々の流派が形成され、材質や意匠、技法において独自の特徴を持った根付が製作されました。
形状として、輪車(環状)根付・差根付(さしねつけ)・饅頭根付・箱根付・形彫根付・柳左根付・鏡蓋根付などがあり、自由な創意、工夫、表現の多様性を持ち、江戸時代の趣向と機知が凝縮されています。
海外でも"Netsuke"という言葉は良く知られており、大英博物館やボストン美術館といった海外の有名美術館においても展示され、日本の伝統的な装飾美術品として高い評価を受けています。
中川さんは、伊勢一刀彫の刀法を生かし、根付本体に違う材料を埋め込む象嵌技法、対象物を浮かしだす浮かし彫技法、さらにお化け提灯の作品にみられる目が閉じたり開いたりするからくり細工技法など独自の忠峰流根付の世界を作り上げました。
 
●#063 伊勢根付職人 梶浦 明日香 | 明日への扉 by アットホーム
83,924 回視聴  2017/02/23  https://youtu.be/GwCdvEetxig
明日への扉 by アットホーム
チャンネル登録者数 7.55万人
今回のエピソードはこちらからご覧ください。
http://athome-tobira.jp/story/063-kaj...
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『明日への扉』は、CS「ディスカバリーチャンネル」にて毎週金曜日 22:53~23:00 放送しています。
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『明日への扉』
わが国が世界に誇る、固有の伝統・文化の数々…。
先人たちが築いてきた、その知恵や技を受け継ぐ若者たちがいる。
夢を追いかけ日々研鑽する彼らの「ひたむきで真摯な姿」と普段の暮らしから垣間見える“素顔”を紹介していきます。
制作著作: アットホームホールディングス株式会社
制作協力: 日企
https://athome-inc.jp/




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