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※高子二十境は2015年に歩いた後、2020年以降何回か企画しましたが、コロナ禍や阿武急の地震の被害でその度に中止になりました。今回これを3月24日に企画し直しました。今回はBlog思い出版として、今月歩く高子二十境について、過去に歩いた時に、今は無きTeacup掲示板に載せた記録を再掲してみます。2015年のこの時は9月であり、10年近く経った今回3月24日に歩く時とは状況が異なると思いますが、それも一興として過去に思いを馳せます。歩きたくなった方は是非ご参加ください。(最後にリンクのあるホームページ下部の「お問合せはこちら」から申込み下さい。3月12日に締め切ります)
グループわらじ 第495回徒歩定例会「高子二十境巡り(福島伊達)」
2015年9月27日(日)晴れ 参加者25名
今回の徒歩会は福島県伊達市の高子二十境の内、十一カ所を巡った。神奈川県の湘南はじめ、中国の景勝地を倣って日本にも同じ名称を冠した地が多くある。江戸中期の高子村住人で文人であった熊阪覇陵(くまさか はりょう)は、この地に長安の網川二十境を倣って高子二十境と名付けた。そしてそれぞれに漢詩を詠んだと言う。
阿武隈急行高子駅を9:50に出発する。天気はすこぶる快晴であった。駅前の住宅地をぬけ、草道を少し登ると不羈拗(ふきおう)、下って高子沼をくるりと巡って高子陂(こうしひ)に着く。沼では大勢のつり人が糸を垂れていた。
そこからの福島保原線は交通量が多い。歩道は無いので端を一列になり進む。途中白露峰に寄る。登りは少しきつい。今来た高子沼や遠くの山々が見られる。県道の戻り暫く行って左折して、松ヶ丘病院の道に入る。この道はあちこちにあけびが沢山生っていて、歩きを忘れて取るのに夢中になる者もいた。一旦下って、又登り走馬嶺(そうまれい)を経て愚公谷(ぐこうこく)に着く11:46。隣に大きな貯水タンクがあるが、眺めが良い。ここで昼食とする。
なだらかに下れば途中にイガの無い珍しい栗を見付けた。さけば実は同じ様である。返照原、玉兎巌(ぎょくとがん)を巡って上保原駅に着く13:30。このコースは途中にトイレが無いのでここで借りる。踏切を渡って直ぐに左に折れ、程して県道を渡る。淡路神社の裏が白雲洞だ14:00。奇岩に登って白雲を見ても詩心が無いのが悲しい。
またその裏が古樵丘(こしょうきゅう)だ。いにしえ人は独酌して登る月を愛でたらしい。
下ってぶどう畑を行けば祭りの太鼓が聞こえて来た。村の小さな神社の祭りらしい。
最後の丹露盤は神社の裏だ。鳥居をくぐって階段を登れば人が集まっていた。今日は中秋の名月なので月見をするらしい。なんと懐かしくゆかしい祭りか。よそ者なのにコーヒーとおにぎりのもてなしを受けた。嬉しく有難い。今宵ばかりはとどまって、月の出を待ちたい気にもなった。下れば熊阪家墓所だ、代々の墓がある。詣でて高子駅に戻る15:00。
三百年程の昔、この地の文人が愛でた景勝地を巡った。今は当時と眺めも変わっているだろうが、その心ばかりは少し感じる事が出来た気がした。残りも是非歩いてみたいものだ。(YD)
(参考)高子二十境リスト(それぞれの場所に名称とそこを詠んだ漢詩を刻んだ石の標柱が立っています。下記で<>は今回は行かない所です) なお、二十境の場所については現在立っている標柱の場所の他に異説もあるようです。興味のある方は調べてみて下さい。
- 丹露盤
- 玉兎巖
- <長嘯嶺>
- 龍脊巖
- 採芝崖
- <帰雲窟>
- <将帰阪>
- <狸首岡>
- <隠泉>
- 高子陂(高子沼)
- 不羈坳
- <拾翆崖>
- 返照原
- 走馬嶺
- 白鷺峰
- <雩山>
- <禹父山>
- 愚公谷
- 白雲洞
- 古樵丘
Wikipediaより
江戸時代中期に陸奥国伊達郡の漢文学者・熊坂覇陵が中華人民共和国陝西省西安市にある「輞川二十景」に倣って地元の20か所の景観地を選び、それぞれの地に名前を付けて漢詩を読んだことから始まる。熊坂覇陵、台州、磐谷など熊坂三代親子や画家の谷文晁の絵が残る名景地。境内に高子沼がある。
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