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青空ーすべてはバランス

縄文時代はどんな時代?part5 国指定特別史跡

7 縄文遺跡の中でも特別すごい遺跡がある
国が定めた歴史上重要な「史跡」のうち、学術上の価値が特に高く日本の文化を象徴するもので、国宝に相当するのが「特別史跡」です。ひゃー!こんなものがあるとは知らなかった。私の把握では4つあるようです。なんせ縄文遺跡は9万531か所 あるんだから。(縄文時代はどんな時代?part4 - すべてはバランス

(1) 三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき) 2000年に指定される。
①場所
青森県青森市大字三内字丸山 沖館川右岸の河岸段丘上に立地
②時代区分
縄文時代前期中頃から中期末葉
③内容
東京ドーム約9個分の大規模集落跡。様々な社会を思わせる発掘に驚かされる。高度な村社会を想像させる遺跡、数多くの出土品から縄文文化のイメージを大きく変えた大発見だった。大型掘立柱建物跡、道路跡、土杭墓、盛土など「これが縄文時代か?」と思わせる重要な史跡となった。

(2) 加曽利貝塚(かそりかいづか)
1971年(昭和46年)に北貝塚、1977年(昭和52年)に南貝塚が史跡に指定され、2017年(平成29年)に国の特別史跡に指定される。
①場所
千葉県千葉市若葉区桜木8丁目
②時代区分
縄文時代中期から後期末葉
③内容
世界でも最大規模の貝塚であり、学史上でも著名な標式遺跡としても知られる。
加曽利貝塚は、直径140mの環状の北貝塚(縄文時代中期)と、直径約190mの馬蹄形の南貝塚(縄文時代後期)を含む集落遺跡。北貝塚と南貝塚は継続して構築されたと考えられ、2つの貝塚が連結して「8字」状の平面形をしているのが特徴的。時期の異なる2つの大型環状貝塚が継続して構築された例は他にない。 北貝塚のE地点の土器は、縄文中期後半の加曽利E式、南貝塚のB地点の土器は、縄文後期後半の加曽利B式として編年の指標となる土器と位置づけられている。

(3) 尖石・与助尾根遺跡(とがりいし・よすけおねいせき)
①場所
長野県茅野市豊平
②時代区分
縄文時代中期
③内容
南側の尖石遺跡は戦前から発掘されてきた縄文時代を代表する遺跡の1つとして知られているが、現在では同遺跡と浅い沢1つ隔てた北側の台地上にある与助尾根遺跡と一括して扱われることが多い。「尖石」の名称は遺跡の南側にあった三角錐状の巨石の通称に由来する。
1952年に指定され、縄文集落研究のさきがけ的存在で学史的にも中部山岳地帯を代表する重要な遺跡とされている。

(4)大湯環状列石 (おおゆかんじょうれっせき) 
①場所
秋田県鹿角市十和田大湯字野中堂字万座 
②時代区分
縄文時代後期(約4,000年前)
③内容
2つの環状列石(野中堂環状列石、万座環状列石)を主体とする遺跡。野中堂環状列石、万座環状列石はいずれも100基以上の配石遺構の集合体で、外帯・内帯とよばれる二重の環状で構成されている。これは「日時計状組石」と呼ばれ、大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークル です。
1956年に指定されている。 

この4か所の遺跡はみんな規模が大きいです。行ってみたいなぁ!どれも公園や資料館がきれいに整備されている。家族でこんな所に来て、縄文時代を生きた人々に思いをはせることは、子供の教育にも良い影響があると思うのですが。全国にある規模が小さな遺跡にも公園として整備されている所が数多くあります。是非調べてみて近ければ訪ねてみるのもいいんじゃない?
あぁ!益々縄文時代にひかれていく!!!まさしく地域ごとに特色があるし、この時代の中心となる地域があったことも遠くの地域と交流があったことも分かってきた!!!

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