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青空ーすべてはバランス

為替レートについて

2023年2月15日(水)今日は朝少し積もっていた。雪は、昼間はちらほら程度でした。
家の前は融雪装置があるので助かっている。



今日の為替レートは133円。きのうは132円だった。
この程度で安定してくれればいいけど。企業の決算でも大きな影響がある。

この為替レートはどんな歴史をたどってきたのか、ごくごく簡単にまとめてみた。

明治に入り、廃藩置県が行われた1871年、「新貨条例」という日本最初の統一的貨幣法が制定されたそうだ。
この時は1ドル1円
1897年には貨幣法が制定され、「純金ノ量目七百五十ミリグラムヲ以(もっ)テ価格ノ単位ト為(な)シ之(これ)ヲ円ト称」し、円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘と定めた。 
明治になってすべてが初めての大変な時期だ。混乱の中で金為替本位制の基盤ができたという。
この時は、1ドルなんと2円となった。

戦後、複数の為替レートを持っていたが、1949年に1ドル360円という単一為替レートとなる。これは「ドッジライン」と呼ばれる。 
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の経済顧問だった銀行家ジョセフ・ドッジが立案・勧告して、戦後日本の経済を安定させるため、財政金融引き締め政策の9原則を定めたものだった。
私はこの360円時代を体験している。生まれてから高校一年まで。

この1ドル360円は1971年のニクソンショックで終わる。
これは、ニクソン大統領が金とドルの交換停止を含む一連の経済政策を発表した出来事。ベトナム戦争による軍事費拡大などが原因で財政が悪化。金が国外へ流出し、金とドルとの交換ができなくなった。金本位制が崩壊。
そこで、金本位制を維持するために各国と協議して、1971年12月、アメリカのスミソニアン博物館でドルの切り下げなどが決められたスミソニアン協定が結ばれた。日本では1ドル308円となる。

しかし、その後もうまくいかず、金本位制を辞める国が続出。その時々の需要と供給で変動しながら決まる変動為替相場制を採用するようになる。
日本は1973年2月14日変動相場制に移行した。

とうとう1978年にジャマイカのキングストンで行われたIMF会議で、変動為替相場制は正式な制度とされ、今も世界の多くの国で変動為替相場制が採用されている。

最後にプラザ合意がある。
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで行われたためプラザ合意という。行き過ぎたドル高を是正し、アメリカの輸出力を高めることが目的だったようだ。
日本のバブル経済の起点となったともされている
この頃は1ドル120円水準となっている。
明治以降の政治経済の混乱。そしてアメリカの事情にも大きく振り回されてきた為替。

最近の状況を見てみると。

2011年に1ドル75円を記録している。2008年にはリーマンショックが起きている。アメリカの大きな利上げや利下げと日本の政策金利の差などが為替レート
に影響を与えている。今はゼロ金利政策を維持している日本と違い、アメリカはインフレによる利上げを続けている。日米の全く違う金利政策で急激な円安を生んでいる。
2022年10月20日、ついに1ドル150円を突破した。翌21日も150円台半ばにつけ1990年以来32年ぶりとなる円安となっている。
2015年---121円水準 2020年---106円水準

こうやって整理してみると為替のこれまでの足跡が分かりやすく理解できる。


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