桜井マッハ速人さんと青木真也さんの一戦。
まずは、マッハさん、改めまして、おめでとうございます。
私は、お二人ともファンなので、このカードが発表されて以来、ドキドキの時間を過ごさせて頂きました。
あれから、多くの人がブログやmixi日記などで、青木さんのことを酷く書いているのを目にして、もう少し読むに値する文章を書いて欲しいなぁと感じている。
そんなことは、家で自分の日記帳に書けばいいと思う様なことで、世界中に開かれているblogに書くには不十分(不適切?)な内容が多い。書けば書くほど不十分ってのは面白いね。
でも、同時に 「あぁ、青木さんってやっぱり人気があるし、影響力があるんだなぁ。さすが」と、不思議な気持ちにもなる。酷評ってか悪口も人気のうちだもの。嫉妬されたり、むかつかれたりするのも、力がある証拠だから。アンチの人ってのは、自分が反発している物や人に力があればあるほど自分も元気になれるのです。そのエネルギーをもっと生産性のあることに使うべきだと個人的には強くそう思う。しょうもない物や人にはアンチってのはないから。青木真也さんのことを、ここぞとばかりに悪口を言っている人は、アンチという形で青木さんのすごさを証明しているのです。yeah!
格闘技ってのは、個人も団体も、どちらかが勝って・どちらかが負ける。相手がいないと成り立たない。だから、格闘家の皆さんは、相手に敬意を持って闘っているはず。そんなこと当たり前すぎて質問してみたこともないよ。格闘技を愛し、相手への敬意も含めてトレーニングしてらっしゃるはず。
青木さんが今回負けたのは事実。だけど、その勝負のことだけじゃなく、彼の存在や過去の功績や彼の魅力そのものについてまで酷く書いている人がいて、そういう人に「言うのは簡単。あんた、やってみ」の一言を私は贈る。
その人が仮にマッハさんやKIDさんのファンだったとしても、あんまり良くないと思う。ファンとしてそれでいいの?って。もちろん、ちゃんとした書き方をしている人も当然、います。
例えば、私は青木さんとも縁の深いファイター:今成正和さんも大好きです。
今成さんと山本篤さんがDream 7で闘った時の煽りVを見て、山本さんが所英男さんに勝った後のコメント、正直言って「ちょっとヤだな」と思ったよ。イベントを盛り上げる為とわかってるけど、ね。
でも山本さんの存在そのものをけなす言葉は言わないし、今成さんに負けた時も「ざまぁ見ろ」とか思わなかった。元々、山本さんが嫌いって訳じゃないけど、仮に私が山本さんのことを嫌いだったとしても、今成さんの勝利で「ヤだな」と思ったことを含む色々な想いは昇華されるから。
それに、もし ”今成正和ファンは相手に対する敬意もない品格のないやつだ” ってことになったらファンとして嫌だもん。そんなの、大好きな今成さんに申し訳ないじゃん。ファンってのは、好きな人の迷惑になるようなことはしたくない、と思うものじゃない?
だから「マッハさん、おめでとう!やったね!」で良いでしょ?きっと、本当のマッハさんファンは、そうなんだろね。でも、そうでもない、ただ日頃から青木さんに嫉妬してた人が今回のことに対してあれこれ言っているのでしょ。
青木さんが勝利の結果を残している時には、みな、敷居が高すぎて、すごすぎて、何も言えない。でも、彼が一度負けたら、いきなりその敷居が低くなったと「勝手に」感じて、あれこれ言う。「言える理由」を見つけないと言えない人達が群れてるだけ。青木さんが勝っていてすごい調子の良い時に、たった1人でアンチやれる人は、少しは信念感じるけどさ。
でも、負けたらここぞとばかりに!それも、単なる悪口、筋違いの嘲笑ってのは、自分というものが無さ過ぎるよ。そんな人達がどれだけ言っても、青木さんの過去の功績は傷つけられないし、これからも鍛錬を続ける限り、彼の素晴らしさをどうこうすることは出来ないよ。言えば言うだけ、実は青木さんの世界や魅力にひきこまれて行っているんだよね。影響されてるってこと。
多くの人が言っているように、KIDさんのコメントには、私も「あれ?」って思いました。でも、そういう舌戦も格闘技を盛り上げる要因なんでしょうし、KIDさんの知名度やスター性みたいなものは格闘技の世界にはとても影響力がありますから、やっぱりVIPだと思いますけどね。(私はKIDさん、嫌いじゃないです。すごい人ですもの)
全く個人的な好みだけど、解説は須藤さんと高坂さんだけの方が話の流れもよかったかな~って思う。高坂さんの話し方は好感が持てるので、特に良かったです。やっぱ解説ってのは、私みたいな素人にもわかりやすく盛り上がるようにしてくれるものだと思うから、1人の格闘家の個人目線じゃなく、格闘技全体を包容出来る立場の人の方を聞きたいですから。
いつか、もし青木さんとKIDさんが闘う時が来たら、私は青木さんを応援します。力いっぱい応援するよ。(仮に会場にいる場合、声はあんまり出さないけどね。セコンドの人のアドバイスが本人に聞こえなくなるからって、アリーナ級の会場じゃ、そんなこと言ってられないけど)元々、青木さんの方が、闘いのスタイルも、それから自分の存在の捉え方も好きだし、彼の、自然な生活の中に闘いがある、みたいな感じがとても好きだから。
でもね、その時、青木さんが勝っても、KIDさんに対して「ざまぁ見ろ」とか言わないよ。当たり前じゃん。
以前、アメリカの番組での青木さんのインタビューを見た時、英語のテロップが出てて、Although winning or losing is just an outcome while I train for the fight...って仰っていた。
「勝ち負けは、その試合の為に自分を鍛え続けていく中でのoutcome*ではありますが:」と。
*outcome:(コントロールし切れない)結果。成り行きという意味もある。要するに、そうなっちゃったこと。良い原因を積めば当然、良い結果があるから、悪い意味のみに使われる言葉ではない。
そのインタビューは「I think losing is the worst thing and almost equals death for me. (直訳:負けるのは最悪のことで、私にとってはほとんど死と同じです)」と続き、その時,青木さんは「だけど自分は勝つことを意識してやってます」みたいに仰ってた。(それにしては、きつすぎる英訳だな、ニュアンスがかなり違う)
そう。何が言いたいかと言うと、格闘技は、続けて行くものなのだと思うから、1回や2回負けたからって、それでその格闘家が良いとかダメだとか言うのは短絡的すぎませんか?ってこと。歌も同じだよ。曲の一部だけを聴いて「こんな曲だめだよ」とか言うものじゃない。
故障でもないのに、たった1回だけ闘ってやめる格闘家がいても悪くはないが、そんな人はまだ見たことがなく、青木さんは60歳になるまでやりたいとおっしゃった。
音楽と同じで、格闘技というものは進行形のものを人に見て頂くもの。1曲の最初から最後まで聴いてから判断するべきだし、歌手の人生においても、プロになって、一回だけ歌ってプロをやめる歌手がいないように、格闘家の人生もそうだろう。続いて行くもの。続けて行くもの。そしていつか自分自身は引退する時が来ても、格闘技そのものの大きな流れを止めたくはないと思っていらっしゃるはずだ。その旅の中には色々な景色があるものです。
格闘技の歴史という大河の流れの中の、掛け替えの無い最高の一滴として、彼は既にその歴史に名を残している。格闘技を愛しているから、その河の水を濁してはならない、との想いで、己を常に鍛えていらっしゃる。
青木さんが負けて「世間の掌返しには驚いた」という人もいたが、そんなことは驚かなくても嘆かなくても良い。そういう輩は、また返すのだから。青木さんがまた勝ったら「やっぱりすごいと思ってた」とか言うし、根拠の無い上から目線で「よくここまで這い上がった」とか、言うから(;^_^A
人気とか評判というのは、ある意味、幻だ。幻に一喜一憂する時間などないほど、青木さんは格闘技を愛し、己を鍛え続けていらっしゃるはずです。
それから、試合後のインタビューでも、負けた人間は発言してはいけないかのように書いている人もいるが、それも変だと思う。
沈黙を貫くのもスタイル。
色々と反省点や、悔しい想いや、次への決意を語るのもスタイル。
言うのは簡単。
人に言われるようなこと、何かやってみ、と思います。