年末から、何となく調子が悪いような気がしていました。
頭が痛いような・・だるいような・・意識が飛んでいくような何とも伝えづらい変な感じ。
高校の冬休みが終わって、病院へ行くことにしました。
小学生の頃から行っていた都内の病院。その頃と変わらずに、父親について来てもらうことにしました。父と病院へ行くと必ずいいことがあった
帰りに、おいしい食事に連れて行ってもらえたり病院からタクシーで東京タワーに直行してくれたこともあったり・・
おでかけ付き☆ごはん付き☆になることが多くて、病院には父と行くのが好きでした。
そんな理由で父を連れ出し、何のために病院に行くのか半分わからなくなっていましたが、その日に初めて会ったお医者さんに「何でもないと思うけど、一応、検査をしましょうか」と言われました。
「あぁ。何でもないのか」
って、思いました。そう言われたから。
でもMRIから戻った私が聞いたことは、何でもなくなかった・・。
何を言われたのかはいまいちよく覚えていません。
とにかく、何でもなくなかったじゃない!とは思いました。
私のこと??・・を言われているんだよね???
しかもこの日2人目のお医者さん。あれ?さっきの人は??
そんな感じで、聞いた言葉は全部、反対側の耳から通り抜けていってしまった。
ただ、「朝と夜に薬を飲んでもらうけどいい?」と聞かれたことは覚えてる。
また薬が必要な生活になってしまった・・
そう思ったけど、だから嫌とかそんなことは思いませんでした。
小学生の頃もそんな生活をしていたなぁということが思い出されたけれど。
それまでただの高校生をしていた生活に、服薬ということが加わっただけでは、特に何も変わらなかった。変わるはずもない。学校に行って、勉強して部活をして・・ という生活。
でも。そんな生活は、少しずつ少しずつ・・確実に変わっていきました。
強い薬の副作用が出て、それが校外研修でスキーに出かける前日のこと。もちろん、準備も済ませて楽しみにしていたのに。みんなと一緒の思い出になるはずが、ひとつなくなってしまいました。
身体中に発疹が出て、呼吸が普通にできなくなる胸の激痛に襲われ・・
地元の総合病院は、朝早かったせいか電話での対応が悪く、行く気になれず、電車を乗り継いで、初めにかかった病院まで行きました。その気力がまだあった。
地元の病院はこういうこともあったりするし、小さい頃からあまりいい思い出がないし、見切ってるところがかなり私の中であると思う。信用してない。
だから、信じられる・安心できる病院へ行くために必死だった。通勤時間で、都内に向かう電車は混んでいたけど、両親が身体を支えてくれて、とにかく病院にたどり着かなくちゃ!!とがんばった。
病院に着くと、すぐベッドで休ませてくれて処置してもらえました。
副作用を起こした薬を体内から出すために点滴をして、「発疹で痒くて眠れない日が続いてつらかったでしょう」と、しばらく眠らせてもらった
薬を処方した先生が悪いわけではないのに、「ごめんね・・」と何度も様子を見に来て謝ってくれた。
夕方には、食堂でケーキを食べてたほど元気になったけど
結局、こんな状態になったのに学校行事、しかも宿泊だったので、参加は見送られました
帰ってきたクラスの友だちは、お土産を買ってきてくれたり、たくさん話を聞かせてくれたり、とても嬉しかったのですが、いちばん心に残っているのは、
「スキー行けなかったから、今度みんなでスノボ行こうか」
と言ってくれたこと。
そんなことを考えてくれる友だちが近くにいる。それが本当に嬉しかったです・・。
そう言ってくれた友だちと、クラスの男の子4人とで出かけて、いつもふざけあってる仲だからすごく楽しかったスキー場の真ん中で雪合戦したり、鈍行電車に揺られるのも・・。
学校の友だちと、学校じゃない場所で会うのってとても新鮮に感じる。
でも、この頃から、人とのかかわりの中で「病気」を意識するようになっていきました。仲が良かったからこそなのだと思うけれど、みんながすごく心配してくれる。些細なことでも「大丈夫」って駆け寄って来てくれたりする。
ありがたいことだとわかっていても、
「私はこうやって、一生誰かに迷惑かけて生きていくのだろうか?」
と思ってしまって、友だちと遊びに行くことが嫌になりました。
「心配されること」=「迷惑をかけてること」
そう思っていたからです。
友だちはそんなつもりじゃないのに、一緒にいてそんなことわかるのに・・。
「みんな、ただ本当に心配しているんだよ。」と言われたこともありました。
わかってる。でも、わからない・・。
心配されることで、自分がどんどん病気になっていくのが嫌だったのかもしれません。だから、自分を迷惑な存在にして、人とのかかわりを避けようとしたのかもしれない。
それでも、この時のクラスはとても理解してくれるクラスでした。
通院のために遅刻や早退があっても、体調が悪くなって保健室に行くようなことがあっても、とても温かかった
まだ学校に居場所がありました・・。
頭が痛いような・・だるいような・・意識が飛んでいくような何とも伝えづらい変な感じ。
高校の冬休みが終わって、病院へ行くことにしました。
小学生の頃から行っていた都内の病院。その頃と変わらずに、父親について来てもらうことにしました。父と病院へ行くと必ずいいことがあった
帰りに、おいしい食事に連れて行ってもらえたり病院からタクシーで東京タワーに直行してくれたこともあったり・・
おでかけ付き☆ごはん付き☆になることが多くて、病院には父と行くのが好きでした。
そんな理由で父を連れ出し、何のために病院に行くのか半分わからなくなっていましたが、その日に初めて会ったお医者さんに「何でもないと思うけど、一応、検査をしましょうか」と言われました。
「あぁ。何でもないのか」
って、思いました。そう言われたから。
でもMRIから戻った私が聞いたことは、何でもなくなかった・・。
何を言われたのかはいまいちよく覚えていません。
とにかく、何でもなくなかったじゃない!とは思いました。
私のこと??・・を言われているんだよね???
しかもこの日2人目のお医者さん。あれ?さっきの人は??
そんな感じで、聞いた言葉は全部、反対側の耳から通り抜けていってしまった。
ただ、「朝と夜に薬を飲んでもらうけどいい?」と聞かれたことは覚えてる。
また薬が必要な生活になってしまった・・
そう思ったけど、だから嫌とかそんなことは思いませんでした。
小学生の頃もそんな生活をしていたなぁということが思い出されたけれど。
それまでただの高校生をしていた生活に、服薬ということが加わっただけでは、特に何も変わらなかった。変わるはずもない。学校に行って、勉強して部活をして・・ という生活。
でも。そんな生活は、少しずつ少しずつ・・確実に変わっていきました。
強い薬の副作用が出て、それが校外研修でスキーに出かける前日のこと。もちろん、準備も済ませて楽しみにしていたのに。みんなと一緒の思い出になるはずが、ひとつなくなってしまいました。
身体中に発疹が出て、呼吸が普通にできなくなる胸の激痛に襲われ・・
地元の総合病院は、朝早かったせいか電話での対応が悪く、行く気になれず、電車を乗り継いで、初めにかかった病院まで行きました。その気力がまだあった。
地元の病院はこういうこともあったりするし、小さい頃からあまりいい思い出がないし、見切ってるところがかなり私の中であると思う。信用してない。
だから、信じられる・安心できる病院へ行くために必死だった。通勤時間で、都内に向かう電車は混んでいたけど、両親が身体を支えてくれて、とにかく病院にたどり着かなくちゃ!!とがんばった。
病院に着くと、すぐベッドで休ませてくれて処置してもらえました。
副作用を起こした薬を体内から出すために点滴をして、「発疹で痒くて眠れない日が続いてつらかったでしょう」と、しばらく眠らせてもらった
薬を処方した先生が悪いわけではないのに、「ごめんね・・」と何度も様子を見に来て謝ってくれた。
夕方には、食堂でケーキを食べてたほど元気になったけど
結局、こんな状態になったのに学校行事、しかも宿泊だったので、参加は見送られました
帰ってきたクラスの友だちは、お土産を買ってきてくれたり、たくさん話を聞かせてくれたり、とても嬉しかったのですが、いちばん心に残っているのは、
「スキー行けなかったから、今度みんなでスノボ行こうか」
と言ってくれたこと。
そんなことを考えてくれる友だちが近くにいる。それが本当に嬉しかったです・・。
そう言ってくれた友だちと、クラスの男の子4人とで出かけて、いつもふざけあってる仲だからすごく楽しかったスキー場の真ん中で雪合戦したり、鈍行電車に揺られるのも・・。
学校の友だちと、学校じゃない場所で会うのってとても新鮮に感じる。
でも、この頃から、人とのかかわりの中で「病気」を意識するようになっていきました。仲が良かったからこそなのだと思うけれど、みんながすごく心配してくれる。些細なことでも「大丈夫」って駆け寄って来てくれたりする。
ありがたいことだとわかっていても、
「私はこうやって、一生誰かに迷惑かけて生きていくのだろうか?」
と思ってしまって、友だちと遊びに行くことが嫌になりました。
「心配されること」=「迷惑をかけてること」
そう思っていたからです。
友だちはそんなつもりじゃないのに、一緒にいてそんなことわかるのに・・。
「みんな、ただ本当に心配しているんだよ。」と言われたこともありました。
わかってる。でも、わからない・・。
心配されることで、自分がどんどん病気になっていくのが嫌だったのかもしれません。だから、自分を迷惑な存在にして、人とのかかわりを避けようとしたのかもしれない。
それでも、この時のクラスはとても理解してくれるクラスでした。
通院のために遅刻や早退があっても、体調が悪くなって保健室に行くようなことがあっても、とても温かかった
まだ学校に居場所がありました・・。