せっかく、ひとりで動いてOKになったと思ったら、
ベッドから動けなくなり…ごはんも見たくなくなり…災難。
本読んで気持ち悪くなりました。。。
シーナ氏のエッセイは楽しいので、つい。
そんなで、ベッドでぐたりとしているときに、
きょう退院!のお話しが。
へっ??マジですか???と思いましたが、マジでした。
私が本を読んで気持ち悪くなっている間に、
母と担当医で話して決まったらしいです。
突然すぎやしませんか?!!
まったく思考が追いつかず、パニック!!!
なに、なに、どういうことですか?
発作がおきるのは、心因性なので、家にいてもおきるときはおきる。
…それはわかってます。自分の身体なので。
血管奇形からの出血量は少ないし広がってもいないから、そんなに頭痛がひどいのは、別の要因があるのかも。だけど、それは外来でフォローできる。
…またですか?原因不明確。
このまま病院にいると、どんどん体力が落ちてしまう。気持ちも落ちてしまっていいことがない。
…ひとりで歩かせてくれなかったのは、病院でしょう???私は、毎日のように、ひとりで動きたいと訴えてきたのに。
そんなこんなで、突如退院することになり、、
自分でも何をどうしたいのかわからなくなってましたが、
狂ったように大泣きして、思ってることを吐き出していました……。
全身で泣いた。
1時間は、わーわー泣いていたと思う。
きっと、部屋の外でも聞こえてただろうな…と思うくらいの声量で。
別に、誰に聞こえても構わない。
私のいまの気持ちを、とにかく誰かに拾ってもらいたい。
本当に全身で泣いていたので、涼しい部屋のなかでも、汗でぐっしょりになった。
この狂った私を諭しながら一緒にいてくれた母が、涙と汗を拭いてくれていたけど、
どんどん感情があふれてきて、涙と汗でめっちゃくちゃだった。
これまでもそうだけど、私の身体の異変は、理由がはっきりしないで終わることが多い。
たぶん、こう考えるのが妥当だろうとか…
説明がつかないとか…
そして、2年くらい前?
大学病院に移ったときに言われた「psychogenic…」という単語が、私を医療不信にさせた。
よくわからない→精神的なもの。
私に起こる全部を、そう捉えられているような気がして、
はっきり原因がわからないという結論に至ると、
ものすごく悲しくなるようになった。
…というか、ひとを信じられなくなった。だから、私のことを信じてくれるひとなんていない。と思う気持ちが大きくなっていったんだと思う。
よくわからない結論に達することが多い自分の身体にも嫌気がさすし、
よくわからないで終わることも悲しいし、
だけど、どれもこれも本当のコトなのに。
究極は、心因性発作を起こすから→どれもこれも「psychogenic」と思われてるんじゃないかと考えたり、
みんな敵!!と思うようになっていって、
誰も信じてくれないなら、私も誰も信じない!
もう何があっても、何も言わない。どうせ、心因性で片づけられて悲しい想いをするくらいなら、
黙っていたほうがいい。
それこそ、私も貝になりたい。
私も何も言わないし、外界からの声も聞こえない。硬い殻のなかで一生を過ごしたい。。
(貝がそういう環境なのか知らないけど。)
誰も信じてくれない…という根拠はまったくないので、
本当にこれは、大学病院へ移ったときにすぐ「psychogenic」と決めつけられたショック。トラウマです。
そんなことを、大泣きしながら必死に吐き出していたら、
声が出なくなりました。
空気のなかに少し音があるみたいな感じに。
悔しいのと悲しいのと、こんなことを考える自分が愚かだと思うのと、母がかわいそうだと思うのと……
もう、私の頭では処理できないくらいの感情がありました。
だけど、この気持ちをただ吐き出していても、何もすっきりしない。
…と思って、「せんせい よんで。」
もう少し落ち着いたころに来てもらおうかと、ナースマンが先生を呼んでくれました。
先生は「なにかまだ聞きたいことあった??」とやってきてくれて、
事前に聞こうと思ったことをメモしておいた紙を読んで、ひとつづつ全部答えてくれた。
その間、私は、不信不信なので、じっと先生を見上げてました。
本当の私の気持ちは、先生のことを信じている。
そうじゃなかったら、話を聴いてほしいとも思わないから。
メモに書いたことに全部答えてもらったあと、
私が身体に感じる異常(頭痛とか吐き気とか…)は全部、本当のコトだと伝えてました。
本当じゃないなんて思ってないよ。って、
答えてくれた先生も真剣だった…。
そして、聞き取るのが大変だろう、かすかす声で
「また、あたまがいたいって、ここにきていい…?」
私には、ここしか助けを求められるところがない。
もちろん。逆に、来てくれないと困るから…。すぐ治療が必要かもしれないし、
そうじゃなくても、それはそれでよかったねってなるでしょ。
いまは、つらいかもしれないけど、がんばって帰らないと。もっと体力が落ちて左右のバランスが崩れていっちゃうよ。今日帰らないと、ずっと帰れなくなっちゃうと思う。そうならないためにも、リハビリだと思って退院しよう。
何かあったらすぐ連絡していいと言ってもらい、近いうちに外来の予約も入れてくれて、
リハビリテーション科の先生の予約もしてくれた。。。
やっぱり。こうやって、真剣に向き合ってくれる先生だと信じてた。
うっかり…トラウマが復活して、急展開にパニックになったけど。
先生ごめんなさい。。
帰りは、笑顔で帰れました。
先生や看護師さんたちに、とっても感謝な週末入院でした。
仕事中の父に、車で迎えに来てほしいと連絡して(←母が。)
仕事を止めて電車で家に帰ってから、車で迎えに来てもらい、
前みたいに都内の景色を見ている余裕はなかったから、
すぐ横になって寝て帰りました。
お父さんとお母さんにも、ありがとう。
早く、通所を許可してもらって仕事につなげたい。
…けど、また急いで突っ走りにならないように注意しないとね。
ベッドから動けなくなり…ごはんも見たくなくなり…災難。
本読んで気持ち悪くなりました。。。
シーナ氏のエッセイは楽しいので、つい。
そんなで、ベッドでぐたりとしているときに、
きょう退院!のお話しが。
へっ??マジですか???と思いましたが、マジでした。
私が本を読んで気持ち悪くなっている間に、
母と担当医で話して決まったらしいです。
突然すぎやしませんか?!!
まったく思考が追いつかず、パニック!!!
なに、なに、どういうことですか?
発作がおきるのは、心因性なので、家にいてもおきるときはおきる。
…それはわかってます。自分の身体なので。
血管奇形からの出血量は少ないし広がってもいないから、そんなに頭痛がひどいのは、別の要因があるのかも。だけど、それは外来でフォローできる。
…またですか?原因不明確。
このまま病院にいると、どんどん体力が落ちてしまう。気持ちも落ちてしまっていいことがない。
…ひとりで歩かせてくれなかったのは、病院でしょう???私は、毎日のように、ひとりで動きたいと訴えてきたのに。
そんなこんなで、突如退院することになり、、
自分でも何をどうしたいのかわからなくなってましたが、
狂ったように大泣きして、思ってることを吐き出していました……。
全身で泣いた。
1時間は、わーわー泣いていたと思う。
きっと、部屋の外でも聞こえてただろうな…と思うくらいの声量で。
別に、誰に聞こえても構わない。
私のいまの気持ちを、とにかく誰かに拾ってもらいたい。
本当に全身で泣いていたので、涼しい部屋のなかでも、汗でぐっしょりになった。
この狂った私を諭しながら一緒にいてくれた母が、涙と汗を拭いてくれていたけど、
どんどん感情があふれてきて、涙と汗でめっちゃくちゃだった。
これまでもそうだけど、私の身体の異変は、理由がはっきりしないで終わることが多い。
たぶん、こう考えるのが妥当だろうとか…
説明がつかないとか…
そして、2年くらい前?
大学病院に移ったときに言われた「psychogenic…」という単語が、私を医療不信にさせた。
よくわからない→精神的なもの。
私に起こる全部を、そう捉えられているような気がして、
はっきり原因がわからないという結論に至ると、
ものすごく悲しくなるようになった。
…というか、ひとを信じられなくなった。だから、私のことを信じてくれるひとなんていない。と思う気持ちが大きくなっていったんだと思う。
よくわからない結論に達することが多い自分の身体にも嫌気がさすし、
よくわからないで終わることも悲しいし、
だけど、どれもこれも本当のコトなのに。
究極は、心因性発作を起こすから→どれもこれも「psychogenic」と思われてるんじゃないかと考えたり、
みんな敵!!と思うようになっていって、
誰も信じてくれないなら、私も誰も信じない!
もう何があっても、何も言わない。どうせ、心因性で片づけられて悲しい想いをするくらいなら、
黙っていたほうがいい。
それこそ、私も貝になりたい。
私も何も言わないし、外界からの声も聞こえない。硬い殻のなかで一生を過ごしたい。。
(貝がそういう環境なのか知らないけど。)
誰も信じてくれない…という根拠はまったくないので、
本当にこれは、大学病院へ移ったときにすぐ「psychogenic」と決めつけられたショック。トラウマです。
そんなことを、大泣きしながら必死に吐き出していたら、
声が出なくなりました。
空気のなかに少し音があるみたいな感じに。
悔しいのと悲しいのと、こんなことを考える自分が愚かだと思うのと、母がかわいそうだと思うのと……
もう、私の頭では処理できないくらいの感情がありました。
だけど、この気持ちをただ吐き出していても、何もすっきりしない。
…と思って、「せんせい よんで。」
もう少し落ち着いたころに来てもらおうかと、ナースマンが先生を呼んでくれました。
先生は「なにかまだ聞きたいことあった??」とやってきてくれて、
事前に聞こうと思ったことをメモしておいた紙を読んで、ひとつづつ全部答えてくれた。
その間、私は、不信不信なので、じっと先生を見上げてました。
本当の私の気持ちは、先生のことを信じている。
そうじゃなかったら、話を聴いてほしいとも思わないから。
メモに書いたことに全部答えてもらったあと、
私が身体に感じる異常(頭痛とか吐き気とか…)は全部、本当のコトだと伝えてました。
本当じゃないなんて思ってないよ。って、
答えてくれた先生も真剣だった…。
そして、聞き取るのが大変だろう、かすかす声で
「また、あたまがいたいって、ここにきていい…?」
私には、ここしか助けを求められるところがない。
もちろん。逆に、来てくれないと困るから…。すぐ治療が必要かもしれないし、
そうじゃなくても、それはそれでよかったねってなるでしょ。
いまは、つらいかもしれないけど、がんばって帰らないと。もっと体力が落ちて左右のバランスが崩れていっちゃうよ。今日帰らないと、ずっと帰れなくなっちゃうと思う。そうならないためにも、リハビリだと思って退院しよう。
何かあったらすぐ連絡していいと言ってもらい、近いうちに外来の予約も入れてくれて、
リハビリテーション科の先生の予約もしてくれた。。。
やっぱり。こうやって、真剣に向き合ってくれる先生だと信じてた。
うっかり…トラウマが復活して、急展開にパニックになったけど。
先生ごめんなさい。。
帰りは、笑顔で帰れました。
先生や看護師さんたちに、とっても感謝な週末入院でした。
仕事中の父に、車で迎えに来てほしいと連絡して(←母が。)
仕事を止めて電車で家に帰ってから、車で迎えに来てもらい、
前みたいに都内の景色を見ている余裕はなかったから、
すぐ横になって寝て帰りました。
お父さんとお母さんにも、ありがとう。
早く、通所を許可してもらって仕事につなげたい。
…けど、また急いで突っ走りにならないように注意しないとね。
では、このままコメント表示させていただきますね
こちらこそ…気をつかわせてしまって申し訳ないです。。
でも、本当に。
海綿状血管奇形(特に脳)の、患者本人から得られる情報って少ないですよね…。
なので、このblogを書き始めました。
(どうでもいいこともいっぱい書いてますが…笑。)
同じ疾患の方のコメントは、ほかに同じ疾患のある方が見たときに、得られる貴重な情報だと思います。
なので、ゆけむりさんがコメントしてくださること、本当にありがたく思ってます
そうですね…
どんな症状が出るか、一生気づかないのかもしれないし、
身体に表れる症状の変化や、出血するのかしないのか、
いろんなことが不明瞭な病気だと思うので。。。
だからと言って、悲観的にならず 折り合いつけながら楽しく一日一日を大切に生活できたらいいですよね
…と言いつつも、また超悲観的なことも、ここでぶつぶつと
つぶやくと思います。
人生、happyなことばかりではありませんものね。
どん底で涙を流す日もなくちゃ(^-^)
消していただくかどうか、何日か考えました。
脳血管疾患を持つ方のブログはとてもたくさんありますが、
この血管奇形を持つ方のブログは本当に少ないですよね。
医師の立場から医学的に解説されたサイトは結構ありますが、
患者のナマの声が綴られたブログは本当に少ない。
だったら私自分もブログで情報発信すればいいのでしょうが、
常に発作を起こして思考力や判断力が落ちている私には、
ブログを炎上させない内容で、しかも身バレしないように
病気のことだけを書き続けたりするだけの自信がありません・・・
kiraさんのブログは、同じ身体症状を持つ人間にとって本当に貴重な場です。
患者側からの情報が少ない中、
大して中身のある投稿ではありませんが、もしよかったら、
フォロー投稿と共に、このまま私の投稿を残していただこうと思いました。
気を遣わせてしまってごめんなさい・・・
繰り返しになりますが、どんな症状が出るか、
年齢と共に症状がどう変化するか、は人それぞれのようです。
私の家族は両親も兄弟もみな血管奇形を持っていますが、
症状も予後も様々です。
「壊れる」と決まったわけではありません。
何らかの症状が出ている方、
症状との折り合いがつくポイントを模索して、楽しく生きていきましょう。
そして、症状はないけれどたまたま血管奇形が見つかった方、
決して悲観なさらず、でも定期健診はしっかり受けて、身体を大切にしてください。
kiraさん、ありがとうございました。
コメント、気にされてらしたのですね。
私、ゆけむりさんの書いてくださった内容に、「そうだそうだ」と思いながら読んでいて、なにも気にならなかったです…。
goo blogのコメント削除は、このblogを編集できるひとしかできないのかもしれません。
せっかく共感な内容のコメントをいただいたので、
そして追記もしてくださったので、
私は削除したくないのですが…
お気になさるようでしたら、削除しますので、ご連絡いただけますか??(「メッセージを送る」というのが、左の方にあります♪)
私も、電車の中でかなり揺れてます(笑)
超満員の電車の方が、かえって動ける隙もないからラクかも…と思ったり。でも、つかまるとこがないと不安。
それと、血圧!大事ですよね。
私は血圧低めなので、恵まれた体質なんだわぁ。助かる…って、思ってます(^-^)
実は投稿してから、何度か「消そう」と思って消し方を検索していたんです・・・
この血管奇形は、持っていても一生気づかない人も少なくないし、
必ず悪化すると決まっているわけでもないのに、こんな風に書いちゃダメだって。
消せなくてごめんなさい。
年齢と共に新しい海綿状血管腫はできにくくなる、とききました。
だとすると、血圧コントロールがうまくできれば
トシとってもそれなりに元気に生きられるかも!
散歩、私もまだまだ思うようには距離が稼げてないんですが・・・
プールもいいですね! 本格的スイミングスクールで
きちんと泳ぎが身についている人、とてもうらやましいです。
私、元気な時でも25メートルがやっとでした
私も、同じ症状を持つkiraさんが、
前を向いて頑張っている姿にいつも元気をもらってます!
ありがとうです
混雑電車と上り坂、私も苦戦してます。
電車の中では人一倍揺れてます(笑)
レス、ありがとうございました!
お久しぶりですお返事遅くなりました。。
ゆけむりさんのことばに、ぐっときてます。
「努力と無茶の限界を日々手探りで生きている。ガチで。」
ほんっとにそうだと思って…
そして、
「心因性って言葉はある意味、「今の医学の限界」という言葉と同義かも。」っていうのも共感です
だって、心という部分は存在しないですから。
学生のときに、心理学の授業で、心は脳だと習いました。
心因性っていうのは、本当に今の医学でわからないコトなのかな…と思ったりします。
じわじわ壊れていくのかなぁー
つい1~2年前の検査では不変だったのに、
いつの間にやら新しく奇形が出来ていて、出血して、
命をおとすことはなくても、やっぱり気になるし、使いづらい身体は不自由です…。
歩こう!という気持ちはあるのですが、
実際は、そんなに身体はついてきてくれないんです(涙)
ゆけむりさんも、無理をなさらず、お散歩してくださいね
ガチで生きている仲間が近くに感じられると、がんばる気も湧いてきます☆
コメントしてくださって、ありがとうございました。
入退院の状況、我がことのように読みました・・・
そして、1年位前に突然、
顔をひっつかんでのた打ち回る程の
強い頭痛に襲われたことを思い出しました。
ああ、こうやってじわじわと壊れていくのかよぅ・・・
と自分を冷静に見るもう一人の自分がいました。
今の私は、杖をつかないとちゃんとは歩けないけど、
kiraさんを見習って、毎日外に出て歩いて
筋力アップを図らねば と思いました。
ところで・・・です。
心因性って言葉はある意味、
「今の医学の限界」という言葉と同義かも。
心因性であろうと確定診断が下されようと
現に日々症状に苦しみ、
この身体で生きていくために色々工夫することには
かわりがないわけだし、
そこに嘘やごまかしなんてないですよね。
努力と無茶の限界を日々手探りで生きている。ガチで。
そして、確定診断がたまたま下りたとしても、
血管奇形が無くなる根治治療もまずムリだし
一生癲癇薬と病院の世話になることには変わりないし
いつ発作がくるか、いつ出血するか、などと
いつも2つの心配を抱えて生きてることも同じで・・・
明日は近所の大型スーパーをぶらぶらしに行こう(^-^)
kiraさんも身体の声を聞きながら、
無理なく楽しくお散歩してくださいね