whitebleach's diary

旅と写真に憧れつつ

都市の水場

2012-11-09 14:43:47 | 旅行

「もっと水の整備をしろと、政府には何度も言っているんだ。」

20年ぶりに会った知人は、ネパール国民会議派の秘書になっていた。

ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)は武装闘争の末に政権を奪取したものの、闘争中の自らの発電所破壊工作の結果である恒常的な停電や、農村部からの移住促進による都市人口の急速な膨張と都市水資源の不足など、インフラ面での多くの課題を生み出していた。

都市計画が無いに等しいまま、経済が自由化され、人口が膨張した結果、溢れた車で道路は大渋滞、昔ながらの細い路地は車が入れれば良い方で、すれ違うことなど適うべくもない。
その一方で、かつては街の要所要所にあった共同の水場や貯水池が潰されており、火災が一旦発生したら、消防車は入れないわ(そもそもろくな台数も配備されていないが)、近くから消火用水は取れないわで、都市防災上危険極まりない。

カトマンズから隣町バクタプールへの道すがら、彼は何度もそう語気を強めていた。

カトマンズとバクタプールは、そもそもは別の都市国家であったが、統一国家になってからはカトマンズが首都として発展し、そのぶん、バクタプールには昔ながらの街並みがより残ることとなった。

カトマンズにもバクタプールにも、街の所々に公共の水場が設けられ、壁面に並ぶ美しい彫刻が施された吐水口からは、掛け流しの水が絶えることなく流れ出ている。


人々は、通りを歩いて喉が渇けばちょっと喉を潤しに立ち寄り、あるいは水道の引かれていない家の住人であれば、ポリ容器などを片手にちょっと水を汲みに来る。

飲料水としてだけではない。家庭で家事を担う者は、食事が終われば食器を洗いに、汚れ物があれば洗濯をしにやって来る。
昔はカースト制度の下で先祖代々の洗濯屋が一日中大量の洗濯物を洗う光景も見られたが、社会が多少は変わったのか、たまたまだったのかはわからないが、職業的に洗濯をするらしき人は今回は見かけることがなかった。


飲み水であり、日常用水でもあるあたりは、何となく日本の昔の井戸端のようである。
だが、ここではもう一役担っていて、人々は水を浴びにもやってくる。
水浴している姿を見るのは何故か女性が多いのだが、彼女達はちょうど湯上りのバスタオルのように身体にサリーを巻いたまま、水を浴びて身体を洗い、黒く長い髪を洗っている。

なるほど水場は往年の都市インフラの要であり、歴代の為政者がその構築に力を注ぎ、またその維持に腐心したことも頷ける。
水場には往々にして神像がある。
人々は神を通して水の有難さを常に認識し、神のいる場として大切にしてきたのだろう。
そしてその神様には、今でも子供たちが学校帰りに水を掛けて差しあげていた。


井戸端であり共同浴場でもある、そんな場所には、自然と気の置けない会話が飛び交う。
近年は農村から流入した、元来の地域コミュニティと交わりえない人々も増えているようだが、それでもやはり会話があり、笑顔がある場所というのは、良いものである。




@Bhaktapur, Nepal


Leitz Elmar f=3,5cm 1:3,5 (1938), Leica IIIa (1936) : #2, #3
Ricoh GR Lens f=28mm 1:2.8, Ricoh GR1 (1996) : #1, #4