憲法記念日を多少過ぎたが、憲法変更についてコメントする。
私の立場は以下。
①現憲法の骨格作成は日本国ではなく当時日本を占領中のアメリカと認識する。(しかし憲法前文は非常に良くできていて、この憲法前文を作成したのもアメリカであるとするなら”アメリカも随分頑張ったものだ”との感慨はある。)
②現憲法が「押し付けられた」憲法であるという日本人は多いが、「押し付けられた」のは当時(現憲法制定時)の日本の支配層(皇室・軍部/政治エリート・財閥や富裕層上位)であって、日本の当時の庶民は「押し付けられた」わけではない。むしろ現憲法を歓迎したまたは無関心であったと考える。
③明治憲法と現憲法を比べてみれば、日本の庶民にとっては現憲法の方が明らかに歓迎すべきものである。
私の親は現憲法制定当時に皇室関連・軍部/政治エリート・財閥や富裕層上位であるわけはなくただの庶民であり、私自身もただの庶民である。戦後ずっと私の親も私自身も現憲法から庶民として利益を得て来た。だから現憲法を見る視点も庶民のものだ。決して国威発揚が大事であるわけはなく、日々の暮らしが最優先である。
ウクライナで戦争が起きて安全保障に疑義が出ていること、現憲法も制定後年月がたって時代とそぐわない部分が出てきていることなどを理由に憲法を変更する議論が出てきている。しかし現憲法の今時点の変更には反対する。
①「無防備中立」は勿論そのようなことは不可能と考える。
②日本には実質的には軍隊である自衛隊があり少なくとも予算的にはそれなりの大きさのものである。
③憲法上自衛隊は曖昧な存在ではある。
④日米安全保障条約は存在し、今後かなり長い間、これがなくなることは考えられない。
この4点を踏まえての主張が今日の文章のキモであり、現憲法変更に反対する理由である。
「軍隊があるのかないのかよくわからない、しかしなんとなく軍事力は持っている。集団的安全保障体制もあるような感じだがいまひとつはっきりしない。アメリカとの安全保障条約はあるが、核の傘はほんとに機能するかもまたいまいち不明。軍事力や集団的安全保障の憲法上の位置づけもいまいち不明。ただしなんとなく全体的には平和主義のようだ。」という状態を維持していくのが「大人の態度」というものと考える。
竹を割ったようにすべての状況が明快であるようにすることはできない、憲法を竹を割ったような状態とする必要はない。日本の庶民にとっては現憲法に対してこの「大人の態度」を維持することが大きな利益となると考える。(2022/5/8)