〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(182)

2018年10月03日 12時01分36秒 | 教育
人間は百二十五歳までの寿命をもっておるというのが吾輩予(かね)ての説である。しかしこれにはあえて深い論のある訳でない。生理学者の説に依ると、すべての動物は成熟期の五倍の生存力をもっておるというてある。そこで人間の成熟期は二十五歳というから、この理屈から推してその五倍、即ち百二十五歳まで生きられる訳である。勿論土地気候の関係や各人体質の如何に依りて長短の差は有ろうが、大体に於て百二十五の寿命というのがその趣旨である。随って吾輩の説からいうと、それ以上に生存した者でなければ長寿者といえぬのである。
(「大隈重信演説談話集」早稲田大学編 岩波文庫 2016年3月16日)富翁
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今日も大気は不安定(らしい)

2016年08月25日 08時31分54秒 | 教育
「らしい」と付けたのは、まったく見上げる空の様子があてにならないということだ。
曇り空、生暖かい風が吹き始める・・・これは雨が降る、これくらいは分かる。
あとは分からない。突然に豪雨になります。

やめてよね 全身びしょぬれ 風邪ひいちゃう
安楽
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拾い読み備忘録(145)

2016年07月24日 21時26分08秒 | 教育
(小学校低学年期)
道徳判断についても、かなり利己的な傾向がみられる。たとえば、じぶんが、悪いことをしても、わざとじゃないよ、というように弁解して、平気でいるのに、他人が悪いことをすると、それがわざとじゃなくても、非常に非難する、といったたぐいである。すなわち、自己に対しては動機論をとり、他人に対しては、結果論をとることになっている。これは、一見はなはだ利己的なように思われるかも知れないが、これも、「あそび」と同様に、半分自己中心的傾向から脱却してきた中途の現象なのであって、じぶんのことは、動機がわかるから、動機論をとり得るが、他人のことについては、他人の身になって考えてみるという能力が発達していないため、このような態度に出るものと考えなければならぬ。だから、これを利己心の発露とのみ考えて、いたずらに、しかったり、せっかんしたりすることは、きんもつである。
「子供の心理」波多野完治 講談社学術文庫 1976年
                      富翁
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