明治34年の正岡子規は死の床にあった。動けない体の唯一、歌の視線なるものを用いて、和歌を作る。
ホトトギス、藤の花などの連句の素晴らしさと凄み。
牡丹もそうだが、一句だけ不思議な句がある。春の雨に打たれないよう、傘で牡丹を保護している庭先を歌う11の句の中に、
「夕くれにくもりかしこみあらかしめ牡丹の花に傘立つる人」
さてこの「人」とは誰なのか。誰何すると同時に子規その人と思えてならなかった。
横たわり五月の苦悶のさなかの子規は、自分自身を見ているように感じられる句。
自分の分身を見る…ドッペンベルガーを見た者は早晩死する運命にあるという奇説を、子規は知っていたのか。
この句のみ暗然と連句の中に輝いているように感じられた。