〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(59)

2016年02月29日 16時33分33秒 | 言語学
フンボルトは、言語のうちに、絶えざる活動を見ることの重要性を主張したが、これは正当である。「言語とは実体にあらず出来上ったものにあらず、活動なり」という(Sie〔die Sprache〕selbst ist kein Werk,ergon,sondern eine Tatigkeit,energeia)[エルゴンとは作られたるもの、産物、エネルゲイアとは作り出す力、はたらき]。故に、言語は、発生論的にしか定義できない。言語とは、心の繰り返してやまぬ努力であり、文節された音を、思想をあらわすに用いるはたらきである。厳密に言うと、これは各個べつべつのことば行為に対する定義である。しかし言語とはまさしく本質的に、かかることば行為の総体と見なされなければならない。なんとなれば単語と規則は、われわれの平生の観念よりすれば言語を作るものではあるが、それが真に存在するのは、連続したことば(connected speech)の行為においてのみである。言語を単語や規則に分解するのは、われわれのへまな科学的分析から生ずる、死んだ産物にすぎない。言語にあっては、静的なものは一つもなく、すべては動的である。言語は、いずこにも(文字の上にすらも)、永住の処をもたない。その死せる部分は、不断に、心の中で再創造されなければならない。言語が存在するためには、それは話され、もしくは理解されなければならず、総体として、主体の中へ入らなければならない。
「言語」O.イェスペルセン著 三宅鴻訳 岩波文庫 1981年
                          富翁
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拾い読み備忘録(58)

2016年02月28日 18時44分01秒 | エッセイ
 蒲団着て寝たる姿や東山       嵐雪
嵐雪のこの句は、やわらかい線を描いて横たわる冬の東山をえがいた句として有名であるが、「蒲団を着る」という表現が、いかにも京都的で、この句の内容にマッチする。江戸ならば、蒲団はかけるもので、着るものではない。西日本方面では、一般に「着る」をよく使い、山陽・四国方面では「帽子をかぶる」ことでも「帽子を着る」という。
一体英語などでは、この「着る」に当たる単語はput on かwearで、身につけるものならば、これだけで間に合うが、日本語、特に東京語では、やれ帽子はかぶる、めがねはかける、手袋ははめる、靴ははくと、使い方がはなはだわずらわしい。これは、こういうものの付け方がちがうためではなくて、からだのどの部分に付けるかのちがいを表わすものである。からだを地理的に分けて、上の方は清浄だが、足の方は清浄でないとする日本人の古い考え方と密接な関係がある。
(「フトンを着る」より)
「ことばの歳時記」金田一春彦著 新潮文庫 昭和48年
                        富翁
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起床前のストレッチが欠かせない

2016年02月27日 09時11分27秒 | 俳句
ここんとこ ずうっとほぐして 体動く
特に背中 それから腰と 首まわり
指だけは なんとかすぐに 動きます

エンケンの ”お義父さんと呼ばせて”見てますか?
安楽

※エンケンとは、俳優、遠藤憲一のあだ名です。
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拾い読み備忘録(57)

2016年02月26日 20時40分02秒 | 小説
例の、音についてのたわいない議論だった。聞く人の誰もいない森の奥で木が倒れたら、それは無音であろうか。聞く耳がない所に音はあるのだろうか。わたしは前に大学教授がこれを議論しているのを聞いたし、道路掃除夫が論じあっているのも聞いたことがある。……
(「叫べ、沈黙よ」より)
「まっ白な嘘」フレドリック・ブラウン著 中村保男訳 創元推理文庫 1962年
                                 富翁
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書いている小説が大詰めに来ました!

2016年02月26日 11時05分57秒 | 短歌
わたしは「風の道」(年二回発行)の小説系同人誌に在籍してもう2年。
身辺雑記や思い出中心の老人文学に陥らぬよう(それはそれで持ち味があるのでが、まだ早いかな、と)Fictionと思索をないまぜにした作品を書いてます。小説を書くのはまことに難しいです。(年々そう思うなあ)
がんばんべー。

春になり 頭の中に 桜咲く
黒い幹さえ 春の嬉しさ

吹田市の 万博公園 花埋ずみ
天を遮る 桃色吐息

もの狂い 桜の舞いに 浮かぶ母の
笑顔がいくつも いくつも絶えず
安楽
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拾い読み備忘録(56)

2016年02月25日 17時40分06秒 | 小説
どだい、われわれアメリカ人は非常にゲルマン民族的だ――ということは、つまり、大ばかだということだ。これまで誤って解釈されてきたあらゆる観念が、彼らの頭にしみついている。正義という観念も、むろんそうだが、ほかにも、たとえば清潔という徳目もある。彼らは清潔を保つために大変な努力を重ねている。だが内面には臭気が充満しているのである。彼らは心のドアを決して開こうとしない。決して冒険を試みようとはしない。食事がすむと、すぐ皿を洗って戸棚に入れ、新聞を読み終えると、きちんとたたんで棚にあげ、衣服は洗濯してから、ていねいにアイロンをかけて、たんすにしまう。すべて明日のためなのだが、しかし、その明日は決してやってこない。現在は一つの橋にすぎず、彼らは、その橋の上で、世界じゅうの人々が苦悶しているかのような調子で、苦悶しつづける。どんな酔狂者も、その橋を吹き飛ばしてしまうことを考えつかないのだ。
「南回帰線」ヘンリ・ミラー著 大久保康雄訳 新潮文庫 昭和44年
                              富翁
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まだ寒いな、ブツブツ

2016年02月25日 10時40分23秒 | 川柳
もう二月も下旬にさしかかっていると言うのに、ブツブツ。
寒くて寒くて夜中に二回トイレに行くのですブツブツ。
セーターとかぶ厚い下着もうんざりだわい、ブツブツ。
かくなるうえは「鍋焼きうどん」と考えましたがアレコレなのでブツブツ(食べられない)

快晴の 春の夜空を 楽しみたい
梅寒し やはり桜の 温かみ
こんなですと ウォーキングにも 影響あり
安楽withブツブツ
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拾い読み備忘録(55)

2016年02月24日 18時48分48秒 | 研究書
わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終らぬ唯一のものだからです。
たとえば、バイオリンがちょっとしか弾けない人がいたとします。彼は自分の演奏によって聴衆に及ぼす苦痛が、彼自身にもたらし得るだろう喜びに較べて計り知れぬほど大きいことを即座に見て取るでしょう。また、アマチュアの化学者が滑稽でないのは、自己のその営みの純アマチュア的性質を自覚し、プロの化学者と張り合おうなどと思い立たぬ限りにおいてです。医学を《少々かじった》手合いとて同じです。彼がそのアマチュア知識を実際に行使しようとするならば、ニセ医者として刑法上の罪に問われることになりましょう。アマチュアが社会的利益をもたらし得るのは、わたしの考えでは、外国語においてのみです。
「わたしの外国語学習法」ロンブ・カトー著 米原万里訳 ちくま学芸文庫 2000年
                              富翁
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拾い読み備忘録(54)

2016年02月23日 19時39分18秒 | 音楽
音数をあまり出さずに多くを伝える第一人者デイヴィスは、空間について自分が考えていることを尊重してくれるピアニストを捜していた。ガーランドはいわゆる「普通のやり方」で、一定間隔をあけてコードを弾かなかったり、時には思い切り手を止める方法で空間を創り出した。対極にエヴァンスは、希薄というよりは、むしろ無限に広がる足場を固めるように、その曲ごとの構造に欠かせない静寂さを注意深く見極めながら、それを明確に演奏した。柔軟性を損なうことなく、そのようにクールな明快さを表現できる部分がデイヴィスには魅力的に映り、エヴァンスに影響されて、自分の音色にも新鮮な傾斜的ハーモニーを取り入れた。またデイヴィス自身、より静かに演奏するピアニストを迎える準備ができていたのかもしれない。…・
(「第5章 マイルスからの誘い」より)
「ビル・エヴァンス――ジャズ・ピアニストの肖像」
ピーター・ペッティンガー著 相川京子訳 水声社 1999年
                          富翁
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いろいろとやりますよ、今年は!

2016年02月22日 08時48分54秒 | つぶやき
本を出したいなあ。

いい本に出合いたいなあ。

美味しいものを食べたいなあ(茅場町「長寿庵」のカツどんとか)
美味しいものを食べたいなあ(大手町の「十八番」のルース麺とか)
くぐっとくるもの食べたいなあ(豊洲ラーメンとか)
コロッケ食べたいなあ(高田馬場の「富士そば」にて)
安楽withヨダレ
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先生

2016年02月22日 08時30分50秒 | エッセイ
一作日ポストに小学校からの封書がありました。先輩先生あてになっていました。開封すると一年生が書いた
お礼状でした。先日昔の遊びでビー玉遊びを教えた子供たちからでした。一所懸命に書いてくれたその手紙とても
嬉しく読みました。その時の様子が目に浮かびました。私たち老人こそ先生なのだと思いました。先に生まれたわけですから。
このところ先生と呼ばれる人の不祥事や失言が多すぎます。なぜ先生などと呼ぶのでしょうか。
先輩
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寒がりになりました

2016年02月20日 18時09分46秒 | 川柳
寒くないのに、やたら寒く感じている。
寒がりだ、猫だ、炬燵だ、丸くなりたい!。

猫眠る その寝顔見て 眠くなる
安楽
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鰻重と墓見物

2016年02月20日 09時34分20秒 | グルメ
鰻は冬に限る。脂ののりが一番なのは冬だとか。昨日家内と鰻重を食べた。美味しかった。その後天気もいいので4年前に買い求めたお墓を見に行った。
広々とした霊園で手入れも行き届いていて、しかも交通の便がよいのでとても気にいっている。子供たちも墓参りに来てくれそうな環境だと勝手におもっている。二か月もたてば、素晴らしい藤の花が咲く。桜もそうだが、毎年律儀に花が咲く。逞しいものである。年に一回は輝くときがある。あとは風雨や寒暖にたえて、そんな花に感動する。
先輩
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拾い読み備忘録(53)

2016年02月20日 08時06分08秒 | 研究書
ロレンスの精神分析に対する反応を心にとめて、忘れないようにしておこう。ロレンスの場合、少くとも、かれが精神分析に対してためらいを抱いていたのは、性欲の発見を前にしてこれに恐怖したことに由来するのではない。そうではなくて、かれは精神分析に対して次のような印象を抱いていたのである。つまり、端的にいうと、精神分析が性欲をブルジョアの飾りのついた奇妙な箱の中に、きわめていやらしい一種の人工的な三角形の中に閉じこめつつあるといった印象を。この三角形は、欲望としての一切の性欲を窒息させ、新しい様式においてこうした性欲を「汚れた小さな秘密」《家庭の小さな秘密》に作りかえるものであったからである。つまり、それは、≪自然≫と≪生産≫という途方もない工場を内輪の私的な劇場にかえてしまうものであったからである。ロレンスは、性欲がもっと多くの力を、あるいは、もっと多くの潜在力をもっているという印象をもっていた。そして恐らく、精神分析は、この「汚れた小さな秘密を消毒する」ことになったのであるが、……・
「アンチ・オイディプス」G.ドゥルーズ/F.ガタリ著 市倉宏祐訳 河出書房新社 1986年
                         富翁
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拾い読み備忘録(52)

2016年02月19日 16時28分04秒 | 映画
1940年代のセックス・シンボル、ラナ・ターナーの美しさを語るこんなエピソードがある。
彼女は1948年にMGM映画「三銃士」に出演した。ウインター公爵夫人という、ジーン・ケリー扮する主人公ダルタニヤンの行く手に立ちふさがる敵役である。悪役である。ところが映画のなかで悪役の彼女が、善玉の王妃アンジェラ・ランズベリーよりも、ボナシュー夫人役のジューン・アリソンよりもはるかに美しかった。そのために「三銃士」を見に行った子どもファンは話がわからなくなって当惑した。どちらが善玉でどちらが悪玉なのかわからなくなってしまったのだ。「彼女(ラナ・ターナー)はたいへん美人である。そんな女性が卑劣な人間である、というのはおかしいではないか」というわけだ。
このエピソードはアメリカの社会学者デヴィッド・リースマンの大衆社会論の名著『孤独な群集』のなかに出てくる。……
「ハリウッドの黄金時代」川本三郎著 サントリー博物館文庫 1987年
                               富翁
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