オランダ人画家フェルメールの絵が好きです。
フェルメールは「光の魔術師」と呼ばれていて
絵の質感、光の当て方が最高で魅了されます。
フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は
「フェルメール・ブルー」と呼ばれていて
とても美しいブルーが印象的です。
フェルメールは"青"を愛していたと思われますが
"青"と聞いて思い浮かぶものといえば ・ ・ ・
私は「青い空」、「青い海」、・・・が浮かんできます。
私が住んでいる東京でも青い空が見えますが
グレーがかった?青のような感じがします。
ほんとうの?青い空ではないですね。
地方に行くと空が青くて広いなと感じます。
東京では高い建物に視界が遮られ
目に映る空の面積が少なくて
一面の青空を見ることはできません。
沖縄を旅したとき
あたり一面に広がる青い空と青い海を見た私は
その"青"の美しさに感動して
彼方に向かって思わず深呼吸をしていました。
人も車も少ない正月
暴風雨をもたらした台風一過
・ ・ ・ ・ ・
東京でも青い空が見えることがあります。
青(ブルー)は「憂うつな」という意味もあり
「ブルーな気分」「マリッジブルー」「マタニティブルー」
というように、青(ブルー)にはマイナスなイメージもあります。
"青"のイメージはいろいろあると思いますが
私は"青"が好きです。
マルチーズを描きました
トイプードル、ポメラニアン、マルチーズなど
小型犬は可愛くて好きです。
辞書で『ふるさと』をひくと「生まれ育った土地」と書かれています。
私は生まれも育ちも東京なので、『東京』が『ふるさと』になりますが
なんだか違和感があります。
『ふるさと』に抱くイメージ は都会ではなく『田舎』です
“ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの”は
詩人の室生犀星が詠んだ詩の一節としてよく知られています。
私が『東京』を『ふるさと』と呼びにくいのは「距離感」の問題?
都会に住む人が里帰りするところが『ふるさと』という感じがします。
コンクリートジャングルの都会は『ふるさと』とは呼びにくいですね。
私が『ふるさと』と呼べる場所は熊本県の阿蘇です。
阿蘇は私の亡き両親が「生まれ育った土地」で
私が幼い頃、乱舞する蛍を追いかけまわした記憶が
私の心の中にゆるぎのない原風景として残っています。
童謡『ふるさと』の歌詞が心に響きます。
兔追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと
・ ・ ・ ・ ・
私は東京を『ふるさと』とは考えられません。
「生まれ育った土地」が『ふるさと』だとは限らないですね。
少女を描きました。
好きな画家が少女画を描いているということもあって
少女画をよく描いています。
風景画と違って、線一本の描き方で表情が変わるので
神経を使って描いています。