団塊じぃじ!気まぐれブログ

趣味の写真や野鳥観察、家庭菜園の様子など載せて見たいと思います
     宜しくお付き合い願えれば幸いです

ツバメの悲劇

2013年04月09日 | 野鳥
今日、2羽のツバメが鳴きながら我が家の巣を尋ねてくれた
毎年やって来て子どもを育て夏が終わると数千キロの南方へ帰って行く
ツバメは年々少なくなって野鳥の会では訪れたら連絡をして欲しいと呼びかけている、今日やって来たツバメが我が家で子作りをするかはまだ分からないが一羽が一週間前から夜巣で眠っていた(ツバメはオスが先にやって来ると聞いた)
悲劇の出来事は去年と思っていたが写真を見たら2011年で一昨年の事だった、去年と思っていた事が一昨年だったとは、これは私の悲劇かも!

これは我が家の軒先で5羽の子供を育てる一昨年6月8日の風景
この五日後、車で畑から帰って2、30m手前で家の前を飛ぶカラスが見えた、家に入る前に巣をのぞいたら巣が空っぽで巣の前の方が壊されていた、直ぐに感じたカラスにさらわれたと、あと一週間もすれば巣立ったのに、にっくきカラス、ツバメの天敵はカラス、だから家など人間の居る所に巣を作るんです
一瞬ショックだったが足元から鳴声が聞えて、見たら一羽うずくまって鳴いていた、
助かった一羽を巣に戻してやったら親が来て餌を与えた、一羽でも助かって巣立ってくれればとホッとしたけど巣が身動きできないほど壊れて雛が落ちてしまう

そこで巣の近くにかごに入れて置いたら親は警戒して餌をあげない、その内雛の鳴声が小さくなって次の朝、死んでしまった
ツバメは人間様の様にめげなかった、キッチンの軒先に泥を取って来てくっ付けて巣を作り始めた、一日では大して出来ない、次の日は来なくなった、どうしたのかなと思っていたらお向かいのお宅の巣を使うみたい、頭が良いなと感心して安心したら更なる悲劇が起こったのです
これから数日後、家の前に沢山の鳥の羽が落ちていたのです
今度は親鳥がさらわれたのです、残った一羽がけたたましく鳴きながらパートナーを呼んでいるのです、その夜から残った一羽が我が家の壊れた巣で夜を過ごしていました、毎日、どこでどうしているか分からないけど夜は巣に戻ってねぐらで過ごしていました、さぞ寂しいだろうなと同情した
8月に入り中旬頃の夜、巣に2羽のツバメが留まっているではありませんか、びっくりしました、新たなパートナーが見つかったのかな、良かったなーと声を掛けてやりました、でも子育てをする時期は遅いから来年に期待しました
一週間くらい夜、巣で二羽で過ごして旅立っていきました
昨年、今頃鳴声は聞えたけど我が家では子育ては行われなかった
今日やって来た二羽があの時のツバメかは分からないけど(ツバメの寿命は1.5年位とか)沢山の子どもを作って欲しいと願っているのです

国宝、犬山城

2013年04月07日 | 日記
愛知県犬山市の犬山祭本楽祭に出かけました
桜は散り落ちています

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之下城を移して築城したと伝えられている 
天正12年(1584)小牧、長久手合戦の際には羽柴秀吉は12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦ったそうです

江戸時代元和3年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が二代将軍徳川秀忠から犬山城を拝領、その後代々受け継いで幕末を迎えたとの事
天守は昭和10年(1935)に国宝に指定されたが平成16年までの長きに渡って個人所有(成瀬氏)の城として知られてきた

犬山祭は寛永12年(1635)城主、成瀬正虎公の沙汰で氏子が行粧の山車、練り物を出して以来、今日まで継承されている
低気圧の通過であいにく雨や風に見舞われシートに覆われての奉納となった

からくり人形もシートの中で披露され、それでも多くの人々が楽しんだ

お祭り衣装に着飾った娘さんたちも太鼓を叩いての晴れ舞台ですね

各町内が練り出す13輌の山車(ヤマ)が順番に針綱神社の前に移動してからくり披露・奉納が行われます

奉納が終わった山車は若衆たちに勢い良く押され方向転換をして引き上げていく

雨上がりでも多くの外国人や観光客で久し振りの賑わいを感じた
私も出店でお酒と焼き鳥を買い、ひと時を堪能しました

山車の奥に犬山城天守を望む
夜山車は祭りの圧巻で万燈に飾られた道行は豪華絢爛にして一幅の歴史絵巻物との事
案内を奏でるスピーカーから”夜山車が始まるまでに是非、風が止んで欲しいです”と切望のアナウンスがあった


畑の周り

2013年04月04日 | 家庭菜園

今日は暑いくらい暖かな陽気です
畑ではペットボトルの風車が音を立てて回っています
モグラやネズミ、イノシシが近寄らない様、音がする様に作ってあります
10個ほど作っているけど効果なく、あちこち穴を開けられ畑が荒らされています

周りは米を作っていないので草が伸び放題だけどこの時期だけ、タンポポが一面咲いて綺麗です

ベニシジミの蝶が止まっています

畑から飛んだ種が自然に花を咲かせたコマツナの花です

ツクシも沢山咲いています、ちょうど二人のおばあさんがやって来て
袋一杯ツクシを摘んで卵とじにして食べるよ、と教えてくれました

川にはクレソンが沢山自生しています、かじって見たら辛いような苦いような味だった

またメダカのようだけどカワムツと云う魚の稚魚が沢山いました

カマキリの卵を幾つか集め野菜が育ったら虫を食べてもらおうと思っています

今日は三時間ほど畑に居たけど一時間作業で、二時間は回りの散策やコーヒーを飲んでノンビリ楽しんでいました

桜と歴史

2013年04月03日 | 日記
ここは岐阜県可児市兼山町古城山
織田信長の家来で本能寺の変で討死した蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟が生まれた金山城址です、雨上がりのサクラと歴史を尋ねてみました
桜祭りやライトアップが行われるがサクラは散り始めて14日のイベント日は葉桜でしょうね

案内に蘭丸が1565年秋、山頂にある城址で生まれ井戸が無くここから汲み上げて産湯に使ったと伝えられる、と書いて有る

歴史は巡り三代目忠政(可成の6男で力丸の弟)は家康の命により1600年信州海津城に移封、金山城は犬山城主の領有となり天主諸櫓など一切を取り壊し木曽川を下り犬山城郭の増築、修復に使われたそうです

天正十年1582年3月9日信長軍が甲州武田征伐の途中、金山城に泊まった時休んだ石、と看板に有った、信長が触ったであろう石を触ってみましたが何も感じなかった

麓に在る森家の菩提寺可成禅寺です、初代城主の可成の名を取ったお寺です

真中があの森蘭丸の供養塔です、他に初代城主など4名の墓石があり7人の内6名が合戦で討死です
のちに三代目忠政は1603年,美作国(ミマサカノ国)に国替えとなり13年掛けて津山城を完成、現代の岡山県津山市の基を作ったそうです

今度は信長を討った明智光秀の生誕の地、明智城址です
明智氏歴代墓所とあります、ここ天龍寺に明智光秀公の180cmもある位牌が祀られているそうです

明智城址本丸跡で石垣などは無く砦のような山城だったのでしょうか
光秀が産湯に使った井戸跡もあります

ここ可児市には信長の生母の土田御前の生まれた土田城址もある歴史の町です
今日は桜と歴史を尋ねてみました


新鮮を食べる醍醐味

2013年04月02日 | 家庭菜園

今日はホウレンソウの収穫です
2、3日置き位に収穫しています、取った野菜は直ぐ前の川で洗って土を落とせて便利です
食べる分とご近所におすそ分けだけ収穫だから新鮮です

昨年、11月に植えたタマネギは3月に入ってからグングン伸びてきました
参考書により1月と2月の二回だけ追肥を与えました
3、4月に肥料を与えると花目が出来て玉が出来ないとか、知らない事が沢山あります

菜の花の花が咲いてしまいました、前に収穫した時、NHKのあさイチで菜の花とアサリの酒蒸しのレシピを見て作ってもらい、ほろ苦さとプリッと感で美味しかったです
この花は近くで飼っている日本ミツバチのお食事用です

めぐみさん、コメントありがとう、つたない写真や文章ですが気楽にコメント下されば嬉しいし張り切って頑張れます、これからも宜しく!