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25/2/20木19;33_10年で2億り人」になった私が"絶対しない投資" 資産を4分の1に減らした経験から学んだこと 東山 一悟氏

2025-02-20 19:33:23 | 米国株

10年で2億り人」になった私が"絶対しない投資"資産を4分の1に減らした経験から学んだこと東山 一悟様記事抜粋2025/02/19 7:00

迷走しても「億り人」になれる!?損や失敗もたくさんしてきた筆者の投資遍歴とは(写真:taa/PIXTA)
30年近く続けた社畜人生が、たった一言で終わるとは思ってもみなかった。
「東山さん、会社はあなたを必要とは思っていません」
目の前に座るぼくより年上の男は言い放った。知らない仲ではないのに眼鏡の下の表情は一つも変わらない。
ぼくの頭の中で、いろいろな思いがぐるぐると回った――。
メディア企業に勤める東山一悟氏は、50歳で突然、早期退職の対象になったことを宣告されました。遅くに生まれた娘はまだ小学生で、2年前に3000万円のマンションを30年ローンで購入したばかり。
しかし、慌てることはありませんでした。なぜなら、40歳から始めた投資で、7000万円の資産を保有していたからです。以後も投資を続け、現在「2億り人」になった東山氏は、「投資するなら『長期の株式投資』がいい」と言います

両親は大企業の株を保有

さて、ここでぼくの投資遍歴を詳しく紹介しよう。

他の多くの成功した個人投資家と違って、ぼくは自分のスタイルを見つけるまでさんざん迷走して、損や失敗もたくさんしてきた。これから投資を始める人や初心者に、ぼくのように迷走しても億り人になれるということを、ぜひ知ってもらいたい。

ぼくの両親は公務員と教員の共働き。母は教員といっても非常勤だったが、昭和40年代では共働きは珍しかったと思う。そして、ラッキーだったのは父が投資に関心があったことだ。

といっても、公務員というお堅い職業で、日中に取引はできないため、若いころに買った株をずっと保有

そのころは、現在のようなインデックスファンド(インデックスファンドとは、投資信託の一つで、日経平均株価、ニューヨークダウなどの指数に連動するもの)はなかった。

アメリカで一般向けのインデックスファンドが登場したのは1970年代半ば。日本で低コストの国際分散したインデックスファンドが大手から誕生したのは2008年前後だ。

投資信託よりも個別株式をやるのが主流で、父はホンダ、三菱銀行(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)といった大企業の株をずっと持っており、実家の住宅ローンの頭金は株の売却益で支払ったという。

子供のころには会社四季報(上場企業すべての業績情報が載っており、個別株投資家にとって重要な分厚いデータ集)が家に転がっていた。また、母も父の影響で大企業の優良株をながらく保有していた。このため、株式投資に対する忌避感が我が家にはなかった。

しかし自分が投資することは特に考えていなかった。

社会人になると贅沢に興味がなく、自分なりに飲みや遊びに行っているつもりでも資産は徐々にたまっていった。

300万の元手が2000万に

入社後しばらくは地方で働いていたが、29歳のときに東京本社に戻ってきた。そのときは300万円ほど預貯金があった。最近のSNSでは20代で1000万円、2000万円の資産を持つ人がごろごろいるが、当時は独身だったし、自分としては満足のいく資産だった。

そのころ、当時の橋本龍太郎総理大臣は「日本版ビッグバン」という政策を盛んにPRしていた。宇宙の爆発や韓国の人気グループのことではない。

1980年代にイギリスのサッチャー政権が行った金融業界の自由化を「ビッグバン」と呼び、日本でも護送船団、横並びといわれて規制でがんじがらめになっていた金融行政を変えようというものだった。各種手数料の自由化、個人のFX取引の開始、ネット証券が認められるなど改革は多岐にわたり、1997年の新語・流行語大賞トップテンに選ばれるほど。

実はぼくは流行の言葉に弱く、日本版ビッグバンという響きも良かったため、手数料が安くなった株式投資や、個人にも本格的に認められた外貨預金を、300万円を元手にやってみようと思ったのだ。

もちろん投資の知識は皆無。個別株を買う際に最も基本とされる、さまざまな用語も知らなかった。ただメディア企業に勤めているため、インサイダー取引などにならないよう社の規定に従うのはもちろん、直接自分が取材する企業は避けた。

そうして、1998年の初夏、東京銀行(現三菱UFJ銀行)や野村証券の窓口へ現金を握りしめて訪れ、東京銀行の外貨預金に100万円、ゲームが好きだったのでスクウェア(現スクウェア・エニックス)、ドラマが好きだったのでフジテレビ(現フジ・メディア・ホールディングス)株、それにヨーロッパ株の投信を購入した。

その後、野村証券がオンライントレードを始めたのと、結婚して家計に余裕ができたことから徐々に投資先も増えていった。

ニュースを見て、堀江貴文氏が逮捕されてIT企業の株価が一斉に下がったためソフトバンク(現ソフトバンクグループ)の株を購入。丸紅の株が100円を切り、いくら何でも潰れることはあるまいと購入しのちに8倍ぐらいに上昇して売却と、勉強しない割には結果オーライが続いた。

札幌に転勤になったため、株主優待目当てで日本航空の株を買い、東京に戻ったため売り払ったところ、後に経営が破綻して株価がゼロになってしまい、危うく難を逃れたなど運だけでそれなりの結果を出し、2007年の初めには資産は2000万円に達していた。

レバレッジをかけた投資にハマっていった

しかし、調子に乗っていたのはそこまで。

3月にたまたまニュースで、FX投資をしていた主婦が数億円儲けたのに脱税して逮捕されたというのを見てしまった。自分ならもっと儲かるに違いない。

それまで投資で痛い目にあったことのないぼくは、舞い上がってしまった。

さっそくFXの口座を開設。株の売却と外貨預金の解約で数百万円の資金を作って参入した。FXが大儲けできて大損する理由は、レバレッジといって手持ち資金よりもはるかに大きな金額を扱えるため。

預けた証拠金の何倍も投資でき、当時レバレッジは25倍だったので、100万円投資したら2500万円の資金を運用することになる。仮に4%自分の予想と逆に変動しただけで資金はゼロになってしまう。

また、スワップといって金利差を利用して毎日預金の利子のようにおカネがもらえる仕組みがある。

そのスワップが一番ついていたのが英ポンドだった。円売り英ポンド買いのポジションを持っていれば、レバレッジがかかるため毎日!数%のスワップが入る。そのため数百万円投入した。

春のうちはそこそこ儲けが出ていた。

ところが、7月に入って予想に反して円高が進んで、どんどん損が出てしまう。レバレッジをかけた取引は、証拠金が足りなくなると追加しなければ、投入資金はパーになってしまう。

焦ったぼくは株をさらに売却して資金を作り投入していった。

予想では円高は一時的なもので、あとちょっと我慢すれば円安に反転する。そうすればスワップの分もあるから、今までの損失を全部取り戻すどころか、儲けに突入するんだ!

月給分のおカネが数分でなくなった

FXの特徴は海外でも為替取引が行われるため、ほぼ24時間取引ができること。さすがに勤務中に取引することは自制していたが、ニューヨーク市場が開いている日本時間の夜中から明け方にかけて取引を行い、だんだん寝不足となり、ますます心理的に追い詰められていった。

競馬で負けた人が次のレースこそ勝つとあり金を全部はたいたり、ゲームで課金している人が次こそ良いアイテムが出るとどんどん課金したりするのと同じ。完全な中毒だ。

あせって情報商材に手を出したのもそのころ。よく考えれば情報商材を読んで儲かるのだったら、多くの人がその情報商材を買ってみんなが儲ける。しかし、現実にそんなことはありえない。

当時、ネット掲示板の「2ちゃんねる」が全盛期で、そこの投資関係のスレッドをよく見ていたが、ぼくと同様に大損をして阿鼻叫喚の状況に陥っている人がたくさんいた。みんな藁にもすがる思いで円安になることを祈っていたし、根拠もなく信じていた。

レバレッジをかけなければ、円高に多少振れても問題はなかった。

しかし、大儲けを焦って高いレバレッジをかけたため、月給分のおカネが数分でなくなった。多分、そのころのぼくは荒んだ顔をしており、一見、平静を装っているものの内心はパニックに陥っていた。日中はまだ気持ちを切り替えて仕事に臨み、むしろFXのことを忘れるために仕事に熱中したが、仕事が終了したら肉体的にも精神的にもヘロヘロになった。

資産の3分の1以上、700万円を失った

そしてついに終戦。

妻と家計は別にしていたため気づかれなかったが、資金をこれ以上つぎ込むと家計のおカネも使い込みかねない。

カネの切れ目が縁の切れ目というわけではないが、付き合っていた当初から妻に頭の上がらなかったぼくは、さすがに家庭に亀裂を入れてまで追加資金を投入するのは何とか思いとどまった。この時点で損失は700万円。資産の3分の1以上、当時の年収より多い額を、数か月で失ったことになる。

今なら笑い話になるが、当時は茫然自失していた。

追い打ちをかけたのが2008年のリーマンショック。株式はかなりを売却したが、それでもソフトバンク、任天堂などの大型株を保有していた。それが見る見るうちに減少。その年の暮れには預貯金も入れて資産は500万円を切った。実に資産が4分の1まで減ってしまったのだ。

もう投資なんかやめよう。

投資と投機の区別すらついていなかったぼくはそう思って、証券口座を3年ほど開くこともなかった。



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