「私に特別な能力があった訳ではありません」コカ・コーラを日本一売った営業マンの"シンプルな習慣"当たり前のように見えて、実践するのは簡単ではない_PRESIDENT Online様記事抜粋<仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。今回取り上げるのは山岡彰彦著『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』(講談社+α新書)
イントロダクション
多種多様な商品やサービスが溢れ、飽和状態にあるような現代において企業が競争力を維持するには、あらゆる部門や職種で新たな視点からの業務の工夫・改善が必要なのではないだろうか。開発・生産部門のみならず、営業職もまた然りだ。
現場を知る営業だからこそ、新たな市場を切り拓くイノベーティブな提案ができるはずだ。
本書では、四国コカ・コーラボトリング社高知営業所のルート営業からスタートした著者が、やがてトップクラスの業績を上げるようになり、日本コカ・コーラ社主催の全国セールスフォースコンテストで第1位を獲得、全国のボトラー社の中でも前例のない日本コカ・コーラ社への出向を果たすといったキャリアの中でのさまざまなエピソードを綴っている。
ルート営業を通じて、現場での経験や顧客、上司や同僚から貴重な学びを得た著者は、ある日、フードサービス部門への異動を言い渡され、「新規開拓」の仕事を任されることになる。
著者は現在、アクセルレイト21代表取締役社長。日本コカ・コーラ社への出向の後、同社の教育機関で全国のセールスパーソンの教育に携わり、グループ企業の経営企画室室長を経て、現在は複数の大学で講義、多数の日系・外資系企業で研修を行っている。
2.フードサービス部門
3.日本コカ・コーラ
4.人の力・モノの力
エピローグ あなたの伸び代
1カ月もすると営業リストは余白だらけ
私たち(*四国コカ・コーラボトリング社)が扱っている製品には、工場で最終製品となる飲料と、店頭の機械で原液を希釈して飲める状態にして提供する飲料の2種類があります。前者はスーパーやコンビニ、自販機で目にする瓶や缶、ペットボトル容器で販売されているもので、後者はフードサービス部門が担う、ファミリーレストランのドリンクバーやファストフード店で目にするものです。
フードサービス部門の製品は、それぞれの売り場でディスペンサーという機械によって商品になるので、お客様が手に取る直前までかたちになっていません。よくファストフード店やコーヒーショップのカウンターの反対側で店員さんが容器に飲料を注いでいるあの機械で商品にしているのです。
フードサービス部門の主な市場はレストランやファストフード店ですが、そのほとんどはこれまで営業活動でしかるべきお店にはすでに機材が設置されています。つまり、この市場で新規開拓を進めるのはそう簡単ではないということです。最初のうちはなんとか見つかった訪問先も、1カ月もするとリストは余白だらけです。行くところがありません。
営業先はレストランや喫茶店ではないのかもしれない
「どうだ、調子は」。背中から声を掛けられ、振り向くと小林統轄部長です。「最近はちょっと、厳しいです……」「いま、どんなところを回っているんだ」「レストランとか喫茶店とかそういったところです
「ちょっと教えて欲しいんじゃが、お前は何を考えて新規の取引先を探しているんだ」。押し黙っている私に「お前はまずレストランや喫茶店に自分たちの製品を買ってもらいたい、機材を置いてもらいたいと考えているんじゃないか」との質問が飛んできます。
「もしそう考えているんだったら順番が違うぞ。商品を買ってくれる、機材を置いてくれることが先じゃなくて、我々の商品が欲しい、あったら嬉しい、我々の機材を置いたら便利になる。そういうところはどこか。まず相手の都合から考えるということだ。ひょっとしたらレストランや喫茶店じゃないのかもしれん。新規開拓はいままでの延長線上でものを考えないことだ」
小林部長はそれだけ言うとさっさとどこかに行ってしまいました。私はなんだか答えが見つからない宿題をもらった気分でした
大型家具店に設置された「少し広めのスペース」
しばらくたってから、ルート営業時代の同僚の徳田からの連絡です。「マナベインテリアハーツという大きな家具屋さんがあるんだが、店の中央にちょっとしたスペースを設けるというので、自販機コーナーを提案しようと思うんだ。暇だったら一緒に行かないか」
マナベインテリアハーツは県内でも屈指の大型家具店で見渡すほどの店内には大型家具から学習机、ランドセルまで陳列されています。店員さんに案内されて店の中央まで進むとまるで喫茶店のようにテーブルが置かれている少し広めのスペースが設けられています。
店員さんが「この店はご結婚をされる際の家具セットも取り揃えているんだけど、ご両親と同伴で来る方も多くいるんですよ。ましてや子供さんの入学シーズンともなればご家族連れで来店されて、結構にぎわうんです。そんな時に大人数でもゆっくりとどの家具にするのかといった話をする場所がいるので、このスペースをつくったんです」とのいきさつを話してくれました
家具店の真ん中にファミレスさながらのドリンクバー
案内してくれた店員さんが去った後、店長が来るまでのちょっとした時間に徳田に相談します。「ここをお客さんが自由に飲料を飲めるスペースにしたらどうだろうか。サービスで飲料を提供してくれて、ゆっくりと品定めができる家具店というだけで、他の店を大きく引き離すことができるんじゃないか。大勢のお客さんも喜んでくれると思うし、この店にとっても悪い話じゃない。ウチにとっても新しい売り場をつくることができる」
しばらくして店長がやってきました。手持ちのフードサービスの機材カタログを彼の前に広げ、急ごしらえの提案です。結局「お客さんが喜ぶなら、やってみよう」という店長の一言で機材を置いてもらえることになりました。
飲料ビジネスとはまったく関係がないと思われる家具店の店内の真ん中にファミリーレストランさながらのドリンクバー。これまでの感覚では考えられません。部長から宿題でもらった問いの答えの一つを思いもかけない現場で見つけることができた
「ウチの会に出てみないか」シェフからの誘い
高知オリエントホテルでビヤガーデンをスタートさせるという情報が入ってきました。早速、アポの電話を掛けるとフロントの方が料理長(*岡林シェフ)につないでくれ、なんとか商談の時間をいただくことができました。
商談が始まりましたが、岡林シェフの話にひたすら耳を傾けて聴き役に徹します。こちらからは岡林シェフの要望や意見に応じて小さな提案を行うだけで、商品や機材の説明はほとんどできない状況でした。
しばらくして、シェフから思いもよらない一言。「よし、じゃあ、頼んだよ。後のことはここの担当者と段取りを進めてくれるか。任せたからな」「え、ありがとうございます。あのぉ……」。状況が理解できずに戸惑う私。
「あ、それからウチの会に出てみないか、いろんな業者が来ているから何かの足しになるかもしれんぞ。司厨士協会の集まりなんだが、是非顔を出してくれ」
後で調べてみてわかったのですが、司厨士協会は「西洋料理」を専門とした料理人の方々で構成されている全国的な組織でした。プロの調理師で構成されている組織なので、レストランやホテルや大きなアミューズメント施設の食を担っている方が名を連ねています。この会の人たちがその後の新規開拓の大きな力となったのです。
話を聞き、一緒に考えたことが心をつかんだ
しばらくたってから、会の席で岡林シェフに思い切って聞いてみました。「初めてお会いした時に、取引OKに加え、会合にまで参加させていただいたのはどうしてでしょうか」
それを聞いて、シェフは私に言いました。「私のところにもいろいろな営業の人間がやってくるが、そのほとんどは自分たちの商品と条件がいかに良いかを並べるだけだ。こちらが望むことはやってくれるものではなく、やって欲しいものだ。君は私の話にずっと耳を傾けて、私が考えていることや、やりたいことをかたちにするためにはどうすればいいのかを一緒に考えてくれた。これなら司厨士協会の集まりに来てもらってもいいかなと思って声を掛けた」
こうして、違った見方や工夫によって自分の営業スタイルを大きく変え、いままでに取引のない、家具店、パチンコ店、葬祭会館、といった大きなところを、相次いで新たな取引先にすることができました
全国のボトラー社と交流し営業ノウハウを学ぶ
さらに、フードサービス部門は仕事内容も特殊なゆえに、レギュラー部門ではほとんどなかった担当者レベルでの他のボトラー社との交流も容易にできる環境がつくられていました。
当時、全国には北海道から沖縄まで17のボトラー社がありました。それぞれが違った地域環境で営業活動を進めています。それは見方を変えれば、さまざまな営業のノウハウが全国にあるということです。これを自分の営業に活かさない手はありません。上司の承諾を得て、クルマを走らせ、お隣の山陽コカ・コーラ社の営業担当を訪ね、そこでの商談のやり方、提案内容を、現場で教えてもらいます。
また、北海道を含めた他のボトラー社の営業担当者が、現場視察の名目で四国に来てくれました。もちろんこちらの営業方法、現場での活動を紹介します。
前述の調理師の会、さらには社内営業で良好な関係となった他部署の協力。すべてを営業の力とすることで、業績も一気に向上してきました。新規開拓件数、機材の設置台数は、いつしかトップです。その年の売上は前年の1.5倍となり、さらに翌年は前年比で1.2倍と連続で2桁のアップです。
そして、私がセールスフォースコンテストで全国第1位になることができたのは、私に特別な能力があった訳ではありません。私が日本一になった理由を挙げるならば、いままでの延長線上に囚われず、ものの見方を変え、営業に工夫を加えたこと、社内外にネットワークを築いて多くの人に助けてもらったおかげです。
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