シャオさんのつれづれ思う故に(BLOG版)

私、シャオが日々の移ろいの中で、感じたこと、思ったことを書きためていく所です。

サイキックフォースが伝えたかったもの…。

2004年05月16日 23時53分03秒 | サイキックフォース
 今回、かなり個人的な見解が多かったりしますので、そう言うのがお嫌いな方は、こちらを見ないことをおすすめします。
 HOTWIREDの記事「『平和を学ぶツール』としてのゲームの可能性」で気になる文章を見つけました。
 
行動には結果が伴うこと、また相手方の人々がなぜ武器を取るのか、その理由を理解しようとすべきであることを。ウォードリップ=フルイン氏が言うように、このゲームの趣旨は「罪のない人々が殺されるのを目にし、その体験からテロリストになる人々への共感」をプレイヤーの心に喚起することにあるのだ。

 私個人の考えとして、サイキックフォースというゲームもそう言うことを考える仕掛けがあるように思います。
 なぜ、ノアに属しているサイキッカーが人類を滅ぼそうとしているのか?
 なぜ、影高野の僧侶たちはサイキッカーを滅ぼそうとしているのか?
 研究者たちの研究は軍事目的に走った理由は?
 そして、その研究で罪のない人が研究で殺されていくのを見た人に去来するものは?
 私が、サイキックフォースが描いているものというのはサイキックという華々しい世界の裏側にある、「民族浄化」と「排除の論理」の愚かさだと思います。
 異文化を理解する。そして、共存共栄を目指すべきなのに…。
 このことは、春の新刊にもあるキャラクターたちに対戦相手に向かって放つ科白にしています。
 現に、排除の論理は世界中で動き始めています。政治の世界、文化の世界などで…。そして、この国も例外なくその病にむしばまれているように思います。
 その矛盾を説く「バーン=グリフィス」的思考を持った政治家が現れてくれれば、本当にありがたいのですが…。現時点では期待しても駄目なのでしょうか?
 そして、もう一つの願いとして、サイキがただ人を殺めるだけではなく、こういう事も考えさせるゲームのきっかけになれば、幸いだったりします。

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