三井住友VISAミュージカル
『エリザベート』-愛と死の輪舞(ロンド)
脚本・歌詞 ミヒャエル・クンツェ
音楽 シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナル・プロダクション ウィーン劇場協会
潤色・演出 小池修一郎
[解 説]
1992年にウィーンで初演されたオーストリアの皇妃エリザベートと
「死」との愛の物語を描いたミュージカル「エリザベート」が宝塚版と
して初めて上演されたのは 1996年の雪組公演
宝塚独自の演出・振付・装置・衣装によるこの公演は 大きな反響を得て
1996年星組、1998年宙組、2002年花組、そして2005年月組と
再演を重ねて宝塚歌劇を代表する作品の一つへと成長しました
観客動員数は2007年5月雪組宝塚大劇場公演中に150万人を達成
上演回数はこの2007年度夏の東京宝塚劇場公演中に700回に達します
今回は雪組新主演男役・水 夏希を中心に、新生雪組のスタートを飾る大作として登場
その歴史に新たな1ページを刻みます
あらすじ
19世紀末・・・
ヨーロッパ随一の美貌を謳われたオーストリア=ハンガリー帝国皇妃
エリザベートがイタリア人アナーキスト、ルイジ・ルキーニに殺害された
ルキーニは独房内で自殺を図る
煉獄の裁判所では、犯罪行為から百年も経ったにもかかわらずルキーニを未だ尋問している
ルキーニは、
エリザベートは「死」と恋仲だった、エリザベート自身が死を望んでいたと主張する
そして、それを証明するため、エリザベートと同時代を生きた人々を霊廟から呼び起こす
最後に
トート(死)が現われ、エリザベートを愛していたと告白する
時代は1853年に遡る。
少女のエリザベートは、ある日綱渡りに挑戦しようとして
ロープから落ち、
意識不明の重体に陥る。
冥界に迷い込んだエリザベートに
トートは一目で惹きつけられ トートはエリザベートに
生命を返してやる
そして
その愛を得ようと、彼女を追い続ける決意をする
こうして、
愛と死の輪舞(ロンド)が始まった。
ウィーンの宮廷では
若き皇帝フランツ・ヨーゼフが、
母親である
皇太后ゾフィーの
助言のもと、広大な国を治めていた。ゾフィーはフランツが彼のいとこのヘレネと
結婚することを望んでおり、バート・イシュルでの見合いを計画する
しかし、フランツは一緒に来ていた妹のエリザベートを見初めてしまう
1854年、ウィーンで二人の結婚式が行われる
トートは嫉妬を感じつつ、二人を見つめ そしてついにエリザベートに話しかける
「最後のダンスは私のものだ」と・・・
エリザベートの結婚生活は、満足のいくものではなかった
古いしきたり、皇后としての務めをゾフィーに押し付けられたエリザベートは
夫に助けを求めるが、フランツは取り合おうとはしなかった
失望したエリザベートにトートは近付き、誘惑する
しかしエリザベートは屈しなかった
結婚2年目に子供が生まれるが、その子さえゾフィーに取り上げられた
エリザベートは、ゾフィーに対し次第に憎悪の念を募らせていく
一方、赤ん坊にミルクもやれない暮らしを強いられている民衆は
美容のために毎日ミルク風呂に入る皇后に反感を募らせていた
トートはルキーニを煽り、人々を感化させる
ハンガリーの革命家エルマーたちは、革命の気運を高めていく
ついに、フランツはエリザベートのすべての要求を受け入れエリザベートは
ゾフィーとの長年の確執に勝利する。エリザベートは「私の人生は私のもの」
と言い放つ。そんなエリザベートをトートが見つめていた・・・・・