初めて訪ねたのは中学一年の夏だった。
父に連れられるまま、伯母の住む三浦半島へ男同士の電車の旅である。過去4回は、那須、大洗、片瀬江ノ島、鬼怒川で、学校の行事等が多かった。
他人の家に宿泊するなんて初体験なので、窮屈さは覚悟のうえである。着くとすぐ伯母に挨拶させられる。
翌朝、父が帰るのを見送るやいなやビーチ遊びに出かける。
海のない所で育ったから長者ヶ崎の海水浴場に着いた時、あまりの人の多さには驚いた。それよりも私と同年代の方たちの言葉の使い方やアクセント、雰囲気には異常なまでに不思議さいっぱいだった。翌日の秋谷海水浴場でも同じことを思った。
ここは北関東の町とは文化がだいぶ違うんじゃないのかなとさえその時思った。真夏の湘南海岸という予備知識などこれっぽっちもない私だったので、それはまるで夢物語のようなひと時であった。
2、3日してから歌で名高い城ケ島の見える町に連れて行ってもらった。住んでいる町以外の花火を見たのはその時が最初である。
前日の寝床で「城ヶ島の雨」という歌があるくらいだから、きっと明日は雨が降るだろうと子ども心に思ったが、当日は見事に外れて晴天。海の花火はひときわ美しかった。
滞在一週間は毎日晴れに恵まれ、やっとその雨の歌は架空そのものだと自分に気づいた。
夏休み一週間の居候はあっという間に過ぎ、次の年もまたお世話になることになった。そして島には見事な橋が「渡っておいで」とばかりに翌年は掛かっていた。
帰りぎわには、きまって10本足の知り合いがサヨナラの挨拶をしてくれたのが嬉しい。それくらい家のまわりには小蟹がたくさん散歩していた。
近年機会があって何度かその島を訪ねた。便利にはなったが、失くしたものもあるなと思ってみた。ひねくれ者の想像なんて無限のものである。冬の平日、私たち以外島には誰もいない駐車場であった。
8月15日。
この島の花火大会であったが、今はどうなのだろう。日にちも場所も内容も昔のままなのだろうか。そんなことはないなどと自分に言い聞かせながら、あれこれ思いをめぐらす。
あの最初の年に一泊だけ同行してくれた父も、今はもういない。
迷惑かけっぱなしでも文句一つ言わずに心底楽しませてくれた伯母や伯父も、今は雲の上の人となっている。
「心に残る旅(17)三浦半島と城ヶ島」