石段という言葉を聞くと、いろんな所を思い浮かべる。その筆頭は伊香保の温泉街だろう。
そして、金比羅さん。行くたびに籠にはのらず、かといって最後まで自分の足で上りきることは一度もなかった。
石段には風情がある。そこが観光地に限らずとも、ただ何とはなしに郷愁を感じる。いくら時代が進んで、車社会になってもそれは変わらない。車では上ることができないからだろうか。
山の中腹や、ちょっとした高い所に建つ社は石段があるのが普通だ。それは100も200もある場合も決してめずらしくない。
栃木市の太平山のように途中で道路に横切られている石段もなかにはある。
それらの石段にはなぜか紫陽花が似合う。だから段の両側にその花を植えてある寺社は多い。
岐阜県の郡上八幡、千葉県の佐原ではわずか数段の石が川岸へ降りていくように姿をみせる。九州福岡県の柳川もそうだった。昔は舟寄せだったろうし、女たちがそこで洗濯をしたのかもしれない。
そのような石段には、車道では見られない生活の匂いや姿をいつでも私たちに見せてくれる。
自分自身の足でしか上り下りできない石段。
私たちに古き良き時代をありのままに教えてくれるようで、なんとも捨てがたい。それも旅のもつ楽しみのひとつでもあろう。
おわら風の盆にまた行きたくなった。
「心に残る旅(40)石段のある風景」