あべっちの思いをこめた雑記帳

梅は奈良時代に最も愛された


 茨城県に生まれ育った。
 そして現在も長年住んでいる。それでいながら水戸の梅まつりにはあまり縁がない。水戸の梅というより、梅の木や花に特別な親しみがない。決して黄門さまに背を向けているわけではないのだけれど。

 どうしてなのかと考えてみた。
 しみじみ眺めれば、とてもきれいだから嫌いな花なのではないのだが。理由の一番は家にも近所にも、学校や公共施設にも生まれた時からずっと梅の木がなかったからだろう。桜の木がいたるところにあったにもかかわらず、梅は見つけようとしても見つけるのに一苦労するばかりだった。

 第二に、私の住んでいる茨城県の県花は梅だが、その茨城県県庁のある水戸までは電車でも車でも2時間はたっぷりかかるからだろう。
 大宮までが電車で30分、宇都宮が50分、上野でさえ60分の所要なのに、車での2時間はいささかかかりすぎる。そうかといって電車にすると、乗り換えがあり、そのあとは単線でそれこそ鈍行。たっぷり2時間はこれまたかかる。
 だから、水戸へ行くことはめったにないのが起因しているのだろうと思う。

 あえて梅の思い出というと、小学校5·6年生頃に学校の給食時に校内放送で女の子が独唱で聴かせてくれた「梅の花」という歌。その時は、いい歌だなあと思って聴いたことが何気に記憶として残っている。何年生の誰ちゃんかはとうとうわからずじまいであったが。昭和17年2月発表の唱歌であった。

 梅はもともと中国中部が原産。
 遣隋使がおそらく持ち帰ったらしい。奈良時代の漢詩集「懐風藻(かいふうそう)」に初めて登場し、万葉集には119首も残されている。これは萩の141首に次いで第2位である。

 この時代の「花」といえば梅をさしていた。
 平安時代に桜にとってかわるまで、梅は奈良時代の代表花であり、菅原道真が太宰府で詠んだ「東風吹かば···」の梅の歌は有名である。「天神さま」として「学問の神様」として昔から祀られている道真。
 私は小さい頃は梅も天神さまも大事にせず、遊びふけっていたから、学問は今になってもさっぱりで、後悔の念きわまりない。

 「風待草(かぜまちぐさ)」というのが梅の古名。
 いかにも早春の花の名にふさわしい呼び名だ。こういう名で呼ぶと、その時代のことが多少なりわかりかけてくるような気がするから、花の名とはほんとに不思議な気がする。

 立春を過ぎ、3月になると春へのスピードがいくらか早くなった感じがするし、平均気温がわずかずつ上昇し、春めいてくる。
 梅·桃·桜と春を彩る花木が首を長くして待っている。


                         「季節の花(14) 梅」

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