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あべっちの思いをこめた雑記帳

小石を水の中にそーっと置いて

 相変わらずコロナの感染が収まらない。東京や大阪では緊急事態宣言の効果があって多少は感染者数は下降気味ではあるが、それ以外の都市部ではむしろ最近その数は増えてきている。
 そのコロナのあおりで、埼玉県に住む五歳八ヶ月の孫の家にはもうしばらく訪ねていないし、孫もわが家にはとんとご無沙汰。どうしているのかなどと時として思い浮かべる。

事情があって二歳八ヶ月になるその孫を水曜日から4日目の夜までわが家で預かったことがあった。
 母親が帰ったことを知った時に涙を流してぐずったが、それも束の間。アンパンマンのビデオにごまかされ、その夜はおとなしく寝た。

 翌日は早めに昼食を済ませ、夕方まで水族館と鯉のぼりの公園にお出かけをした。
 元々車が大好きな子だから、外出には大喜びの一日であった。帰りの車内では一時間もの間、たっぷりとオヤスミ。

 三日目はすぐ前のお宅で午前中、ひとり遊びを楽しんだ。
 ブランコや砂場や三輪車などがあるにもかかわらず、小石でしばらく遊んでいた。

 セメントや砂利などを乗せて運ぶ工事用の押し車には、たまった雨水がわずかばかり残っている。そのまわりには馴染みのない小石が無造作に横たわっている。こういう自然に散らばっている小石に触れるのはおそらく物心ついてからは初めてであったろうか。

 さわったり、つかんだり。けれど決して投げようとはせず、ただその大きさや形の不思議さに気づいているだけ。
 するとその押し車の中にそーっと小石を沈ませる。面白いようにスーっと沈む。そして水の中にもその石の姿がはっきりと見える。声を出して喜んでいる。

 袖口が濡れてくると自分で腕をまくって、また手を水の中に入れる。そしてまた小石をひろっては沈める。何回も何回も。わりと小さい石が好きなようだ。
 この子には何でも遊び道具になってしまうし、何でもない小石をしっかりと大事にして遊ぶ。この子だけに限らず、同じ年頃の子どもは誰でもそうなのかは知らない。

 物の大事さや、身近な物の再発見をこの子に教えられたようなひと時であった。
 高価な物ばかりを追いかけている大人たち。
 もっともっと身近な物を直視し、自然に親しんでいこうという気に久しぶりになってきた4日間であった。
 そんなことを今日は思い出していた。

             「つれづれ(19)小石を水の中にそーっと置いて」

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