月に一度は用事で駅ビルに行く。
以前は旅のサークルでその駅ビルの前を集合場所にしていた関係上、何度も行くことがあったのだが、コロナのせいでそれも休止中のため、最近はその駅ビル行きもままならなくなって久しい。
本屋や100均、それに生鮮食品店が並び賑やかな中、その駅ビルの目立つ部分に、小さな花屋さんがある。通ると一瞬すがすがしいひと時を与えてくれる。季節の移ろいを教えてくれる。少し前の話になるが、その店の正面を通ったらスイートピーの花がすてきだった。
スイートピーといえば、カラオケでそのスイートピーを歌う女性がいたことがあった。どなたか名前は覚えてないが「赤いスイートピー」をときどき歌いだす。なかなかメロディーのいい、すてきな歌だ。
昨年の始めくらいまでは何回か耳にしたことがあり、店内を心地良い気分にしてくれていた。ましてや少し若い女性が歌っているので、思わず手をたたきたくなる。歌っている人はもちろん、聴いている側も楽しい気分になってくる。「春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ・・・」。
コロナさえなければ、ほんとうは今の時期も何回か聴けたはずである。心の岸辺に咲いた赤いスイートピーなどと、まことに心にくい詞だ。
この歌が発売になったのは、昭和57年1月。松任谷由実が作曲し、松田聖子へのための最初の歌である。当時は松任谷由実ではなく、呉田軽穂という名で出している。
ヒットし出した頃、全国の花屋さんに赤いスイートピーを買いに来る人たちが増えてきた。
歌の力はすごいのだろう。季節も春先、あっちでもこっちでも、花屋さんは赤いスイートピーの対応に時間をさかれたらしい。
ところがである。赤いスイートピーというのは花屋さんでも当時はなかなか手に入りにくかったお店があったようだ。他の色はけっこうあるのに、赤だけがないということも、なかにはあったらしい。
式場などで大量に買い占めたのだろうかと、一部の消費者の中には思われた方もいたかもしれない。
平成18年1月28日発行のある新聞では、赤はまだ当時は存在してなかったと述べている。でもよくよく調べてみると、西暦1800年にはすでに存在していたとの記録もある。
もともと少なかったのに、歌の影響で爆発的に売れたのだろうか。花屋さんにとっては、嬉しい悲鳴だ。
花言葉は、門出、別離、優しい思い出、ほのかな喜び、永遠の喜び、私を忘れないで・・・いろいろある。
けれど、赤に限定すると、何もない。紫、オレンジ、黄色も、同様にない。あるのは、ピンクが繊細、優美。白がデリケートな喜び。この2色に限ってである。
歌の最後の「赤いスイートピー」の箇所は、最初は下げて歌うように作曲されていた。が、松田自身が発売前に「春の歌なので、終りの部分は上げてほしい」旨を依頼したらしい。季節はたしか4月から6月頃に咲く花だと思う。
平成28年のNHK紅白歌合戦で初めて彼女はこの歌を歌った。ちなみに、この歌が発売された年の紅白歌唱曲は「野ばらのエチュード」であったのは意外かも。
「童謡唱歌歌謡曲など(5)赤いスイートピー」