「ASKA容疑者、出てきたっけね…」
職場の同僚から、こんな言葉をかけられたのは、ASKAが保釈されて2~3日経った頃だっただろうか。
容疑者…同僚が放った言葉は、保釈時においては正確に言うと「被告」なのだが、そこは指摘出来なかった…。
ASKA容疑者
同僚から放たれたその「響き」だけで、私の心はもう十分だった…「悪い、容疑者って言われると、ちょっとキツイな…。」と、思わず同僚に向かって呟いた。同僚は、ハっとして「あ、ごめん。ASKAさんね、保釈されたっけね。」
勿論、同僚は何も悪気はないのだ。それは私も分かっている。分かっているが、実際そばで聞かされると、自分でも驚いた。意外にガツンとくるもんだなということを…。
世間では、被告 なのだ。ASKA被告…。
法に触れることをしてしまったという点においては、庇い立ても出来ない。そこは、しっかりと冷静に己を見つめて、「覚醒剤はいけないものなのだ。法律に触れてしまうことなのだ。」という認識が、ASKA自身の心の中にきちんと芽生えてきていることを、切に願うと同時に、ASKAに覚醒剤をススメタ人物、検査キッドを送った人物、ASKAを吸引ビデオで脅した人物にまで、警察は辿り着いて欲しいと強く思う。
マスコミはお得意の「関係者によると」「関係者の証言で」の文句を羅列し、如何に記事に信憑性があるかを、週刊誌読者であったり、ワイドショー視聴者に向けて、ガンガン「洗脳」してくる。すっかり鵜呑みにする人がいる反面、TwitterのようなSNS系が発達している今では、せっかくのマスコミの「努力」も功を奏しない場面が増えてきているのも、事実だが。
週刊誌の「ゴシップ記事」というのは、 誰に向けて書かれた文章なのか?
そのことに注視して記事を読み進めていくと、「読者に向けて書かれているものなのか」「事務所に向けて」なのか「ミュージシャンに向けて」なのか、何なのかが…ぼんやりでも、輪郭が見えてくることがある そうだ。
理由はともあれ、覚醒剤に手を出してしまったASKAは良くない。
しかしながら、「更生して社会復帰」する道は、閉ざすべきではない。悪いことは悪いこととして、しっかりと罪を認め反省し、薬物から立ち直ることこそ、大事なことだが、今の日本の社会には、「捕まえて終わり」という構図しか確立されていないように思う。
罪を憎んで人を憎まず
いつしか、こういう言葉はすっかりと影を潜めてしまった感があるのが、何とも歯痒い。
自分ひとりの思いだけで克服出来るほど、容易いものではないのが「薬物」だという。
ASKAひとりでは、とてもじゃないが立ち直れはしないだろうから、周囲の方々も、しっかりとフォローしていただきたいと思う。
しかし…芸能界は甘い以前の問題だ。
体質が、相当「おかしい」…麻痺しているというべきか、旧態依然というべきか、ヤクザなというべきか…。興行というものは、問題視された大相撲だけでなく、芸能事も、古くから「その筋」の輩が仕切ってきていたという。「芸能界のタブー」として、マスコミはなかなか取り扱えない 問題 もあるようで。
ASKAを罰するだけでは、何も解決にはならない。
才能あるタレントや、能力のある音楽家、ミュージシャンなどが、「業界のくだらんお約束事」によって、その芽を摘まれていくのは、いつまで続くのか…?
そういう政治的なことは、もう いい加減にして欲しいんだが…。
ふと、そんなことを考えていた。
ASKAのファンだからということで、色眼鏡で見られるかも知れないけれど、嫌いになることは出来ないし、嫌いになる必要もないと思っている。
ASKAの歌に、ASKA の歌声に、ASKAの曲に、ASKAの言葉に、たくさん元気をもらったし、涙したりもした。その事実は間違いなくあるわけで。それすらも、否定してしまうのは、違うんじゃないかと。
ASKAに勇気や元気をたくさんもらってきた分、ファンとして、ASKAの更生を信じて「待つ」。
私は、「見守ることしか出来ない」けれど、それもまた、応援のあり方のひとつではないかと感じている。
追記:マスコミの方々へ
ASKAが握りこぶしで一礼をするというのは、普段のライブやコンサートでの一礼と何ら変わりはないものであること、
私からも申し添えます。
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