鹿児島本線遠賀川駅から南に11.2km延びていた、国鉄室木線の終点室木駅の車止めです。写真ではキハ58が止まっていますが、この線はDE10が旧型客車を牽引して走っていました。
1981.5月号の時刻表によると一日6往復の全てが客車列車となっています。
1981.5月号の時刻表によると一日6往復の全てが客車列車となっています。
他の自社線と全く接続していない西武多摩川線の終点是政駅の車止めです。西武鉄道という大手私鉄の都内(都下ですが)路線なのに、この駅はパスネットに対応していませんでした。さすが鉄道投資をしないコクドグループの路線だなぁと変な感心をしてしまいました。すぐ近くには府中街道の是政橋があり、渡れば南武線の南多摩駅というこれまた小さな駅があり、徒歩で行くことができます。こちらの駅もローカルですがsuica対応でした。
鹿児島本線羽犬塚から分岐していた矢部線の終点、黒木駅です。あまり印象は残っていません。当時の時刻表を繙くと、羽犬塚-黒木間19.7km、気動車が一日6往復。途中駅折返し便はなし。普通列車のみの運転となっています。
黒木駅:福岡県八女郡黒木町今
黒木駅:福岡県八女郡黒木町今
北九州炭坑路線の一つ国鉄香月線の香月(福岡県)です。
筑豊本線の中間から分岐していた3.5kmの盲腸線で途中駅は2つ(新手、岩崎)でした。人の生活感のある終点で、魚をいれる木箱が線路の上に干してありました。当時は10往復のうち半数は若松まで直通していました。
香月駅:福岡県北九州市八幡西区
筑豊本線の中間から分岐していた3.5kmの盲腸線で途中駅は2つ(新手、岩崎)でした。人の生活感のある終点で、魚をいれる木箱が線路の上に干してありました。当時は10往復のうち半数は若松まで直通していました。
香月駅:福岡県北九州市八幡西区
国鉄真岡線の終点茂木の車止めです。今は観光SL列車で有名な真岡鉄道になっています。
写真に写っているのは水戸線小山駅からの直通827Dの折返し下館行830D(茂木12:04発→下館13:05着)です。
茂木駅:栃木県芳賀郡茂木町
写真に写っているのは水戸線小山駅からの直通827Dの折返し下館行830D(茂木12:04発→下館13:05着)です。
茂木駅:栃木県芳賀郡茂木町
当時の鉄道マニアなら誰でも知っていた「日本一本数の少ない路線」清水港線は旧型客車一日1往復の路線でした。この線はマニア的には興味が尽きない路線で、起点の清水は東海道線ホームから離れた小さなホームでしたし、路線の途中には可動橋もありました。
この路線は盲腸線なので必ず戻ってこなければいけないのですが、下りは午前8時台で上りが午後4時台なので、この線を踏破するには必ず片道はバスに乗らざるを得ませんでした。
写真は上り668列車(三保16:14発→清水16:38着)。
ちなみに下りは661列車、清水8:10発→三保8:35着のみが旅客列車でした。
三保駅:静岡県清水市三保
この路線は盲腸線なので必ず戻ってこなければいけないのですが、下りは午前8時台で上りが午後4時台なので、この線を踏破するには必ず片道はバスに乗らざるを得ませんでした。
写真は上り668列車(三保16:14発→清水16:38着)。
ちなみに下りは661列車、清水8:10発→三保8:35着のみが旅客列車でした。
三保駅:静岡県清水市三保
こどもの頃北九州の炭坑路線乗りつぶしで寄った国鉄宮田線(福岡県)の終着駅筑前宮田駅の車止めです。
この線は直方駅の隣、筑豊本線の勝野駅から分岐して2駅5.3kmの盲腸線でした。撮影当時は1985年で、同時の時刻表を見ると下り10本、上り11本と廃止が予定されたいたわりには意外と本数は多かったようです。
筑前宮田駅:福岡県鞍手郡宮田町
この線は直方駅の隣、筑豊本線の勝野駅から分岐して2駅5.3kmの盲腸線でした。撮影当時は1985年で、同時の時刻表を見ると下り10本、上り11本と廃止が予定されたいたわりには意外と本数は多かったようです。
筑前宮田駅:福岡県鞍手郡宮田町
磐越西線喜多方駅から山形県米沢に向かって伸びていた国鉄日中線の終点熱塩の車止めです。
同線は全列車がDE10の引く旧型客車で、写真奥にフラッシュの光が反射しているのがその客車です。撮影当時は午前1往復、午後2往復の1日3往復あり、午前下りの一番列車は会津若松始発の直通列車でした。写真は最終列車です(626列車 熱塩19:08発→喜多方19:36着)。
喜多方からの往路はまだ日が高かったのですが折返しの時間にはすっかり日が暮れて夜になってしまいました。
熱塩駅:福島県耶麻郡会津加納村大字熱塩
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現役時代の熱塩駅駅舎はこちらをクリック(該当ページにとびます)
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一時期、車止めの写真を撮り集めていたことがありました。子供心にずーっと遠くの町へと続いていくレールが行き着いて、そして途切れる所を見てみたいという気持ちがあったわけです。
昔の人々が地球の果て、世界の果てに思いを馳せたのと同じなのでしょうか。「この道(レール)はどこまで続くのだろう」という思いは原始的に人間が持つ好奇心の一つなのだと思います。
ということで、最初の車止めの写真は、相模線寒川支線の西寒川。
西寒川駅:神奈川県高座郡寒川町一之宮
昔の人々が地球の果て、世界の果てに思いを馳せたのと同じなのでしょうか。「この道(レール)はどこまで続くのだろう」という思いは原始的に人間が持つ好奇心の一つなのだと思います。
ということで、最初の車止めの写真は、相模線寒川支線の西寒川。
西寒川駅:神奈川県高座郡寒川町一之宮