連日の「猛暑日」が続く中、昨日は4年ぶりに開催された「隅田川花火大会」、概ね103万5千人が訪れたそうだ。
そして、2万発の花火が夜空を彩った。
私はTVで・・
(写真はTV映像より)
ファイナルは圧巻でした。
これで猛暑を吹き飛ばして欲しいものだ。
隅田川花火大会フィナーレ( 2023.7.29)
「隅田川の花火大会のルーツは」というと・・・以下の通りと言われています。
飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た享保17年(1732)、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した、「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡る。
1733年7月9日(享保18年5月28日)旧暦、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされている。
このときの花火師は6代目鍵屋弥兵衛で、打ち上げた花火は20発内外であり、その費用は舟宿と両国あたりの茶店などから出された。
当時の花火について随筆『柴の1本』 には「しだれ柳に大桜、天下泰平文字うつり、流星、玉火に牡丹や蝶や葡萄に火車や是は仕出しの大からくり、提灯、立傘御覧ぜよ、火うつりの味わい仕(つかまつ)ったり」と書いてある。
いずれにせよ、立花火が主流で、上空に上がる流星が呼び物になったと思われる。
この川開き花火に刺激されたのか、隅田川沿いに屋敷をもつ大名たちは、お抱えの火術家、砲術家に花火を上げさせて楽しむようになった。
これら火術家が編み出したのが、いわゆる「のろし花火」だった。
のちに、花火師ものろしからヒントを得て、大花火を上げるようになった。
水神祭から始まった両国の花火は、やがて「橋上の一道、人群り混雑し、梁橋たわみ動いて、みるみるまさに傾き陥んとする」 (『江戸繁昌記』)といった賑わいを呈すようになり、江戸の夏を代表する風物詩になっていった。
「両国花火資料館」より