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モンキーズのマイク・ネスミスさん死去

2021-12-18 11:09:22 | 日記

モンキーズのマイク・ネスミスさんが、去る12/10死去(享年78歳)、モンキーズはデイヴィー・ジョーンズさん(ボーカル)が2012年に、ピーター・トークさん(ベース)が19年に死去しており、生存しているメンバーはミッキー・ドレンツ(76=ドラムス)のみとなった。

謹んでご冥福をお祈りいたします。


1960年代に「デイドリーム」、「恋の終列車」など多くのヒット曲を放ち、テレビの冠番組と併せて世界的な人気を博した米バンド「ザ・モンキーズ」のマイク・ネスミスさんが10日朝(現地時間)、心不全のため米カリフォルニア州カーメル・バレーの自宅で死去した。78歳。
テキサス州ヒューストン出身。複数の米メディアが伝えた。家族に見守られ、安らかに亡くなったという。
 
モンキーズはデイヴィー・ジョーンズさん(ボーカル)が2012年に、ピーター・トークさん(ベース)が19年に死去しており、生存しているメンバーはミッキー・ドレンツ(76=ドラムス)のみとなった。ネスミスさんとドレンツは今年、ツアーを開催しており、先月、米ロサンゼルスで公演を行ったのが最後となった。
 
ドレンツは「胸が張り裂けそうです。親友であり相棒を亡くしました。ここ数カ月を共に過ごし、歌ったり、笑ったり、しゃべったり、大好きなことをできたことに感謝します。とても寂しい。ネズ、安らかに。私の愛の全てを」と、抱き合う2人の写真を添えて、ツイッターで追悼のコメントを発表した。
 
ネスミスさんは42年12月30日生まれ。歌手、作曲家として活動後、65年、NBCのテレビ番組向けに結成されたモンキーズに参加し、ボーカルとギター、ソングライティングを担当した。
66年にデビューしたモンキーズは「モンキーズのテーマ」や7週連続全米1位を獲得した「アイム・ア・ビリーバー」などヒット曲を連発し、67年のセカンドアルバム「モア・オブ・ザ・モンキーズ」は全米アルバムチャートで18週1位を獲得した。
 
テレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」も66~68年に放送され大ヒット。68年には来日公演を行った。
バンドはトークさん、ネスミスさんが脱退後の70年に解散。
ネスミスさんはカントリー・ロックの「ファースト・ナショナル・バンド」やソロ、映画「レポマン」のプロデュース、グラミー賞を受けた監督業、執筆など幅広く活躍した。モンキーズも断続的に再結成して活動した。
 
日本では故忌野清志郎さんらが結成した覆面バンド「ザ・タイマーズ」が「デイドリーム」を日本語でカバーした「デイ・ドリーム・ビリーバー」(89年)がヒット。セブン-イレブンのCMソングとして長く使用され、スタンダード・ナンバーとなった。  訃報を受けてブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、スティーヴィー・ヴァン・ザント(E・ストリート・バンド)、ポール・スタンレー(キッス)、スラッシュ(ガンズ&ローゼズ)、ギャリー・ニューマン、ミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)らがSNSで追悼コメントを発表している。
(YAHOOニュースより)


以下、過去のblogより再掲
 
懐かしき学生時代に、耳目に触れた思い出
 
それは・・・
 

ザ・モンキーズThe Monkees)、アメリカのポップ・ロック・バンド


ビートルズ主演の『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』をヒントに同様のテレビ番組を制作するため、1965年オーディションによりグループが結成された。言わば、「アメリカ版ビートルズ」として誕生したようだ。テレビ番組ザ・モンキーズ・ショー』とレコード販売連動するという当時としては珍しいメディアミックス戦略をとった。そのため、活動中は「作られたグループ」というレッテルがついて回ることとなる。モンキーズは基本的には、アメリカのアイドル的なグループと言えるとのこと。

(後列左から)ピーター・トーク、ミッキ-・ドレンツ(前列左から)デイビー・ジョーンズ、マイク・ネスミス


ザ・モンキーズ・ショーは、1966年9月から1968年3月までアメリカNBC系列で放送されたザ・モンキーズが出演の海外コメディー・ドラマ

日本ではTBS系列で1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)1月にかけて放送された30分番組。

カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外のビーチウッドに住む売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマ。成功を目指す4人の周りで起こる出来事を一話完結型で描く。

当時は、このコメディードラマ毎週楽しみにしていた。

因みに日本語吹き替え者と人物設定

デイビー・ジョーンズ:高橋元太郎
ヴォーカル、パーカッション担当。グループ内で一番女の子にモテる。グループ内唯一のイギリス人。
ミッキー・ドレンツ:鈴木ヤスシ
ヴォーカル、ドラムス担当。明るく物真似がうまい。典型的なエンターティナー。
マイク・ネスミス:長沢純
ヴォーカル、ギター担当。グループのリーダー役。いつも被っているウールハットがトレードマーク。
ピーター・トーク:太田博之
バックボーカル、ベース担当。天然ボケ役。


下(は、26回目の「Captain Crocodile(ユカイでショウ!)」1968/3/29放送(短いのでコレを紹介、短いと言っても長いか(笑))

ドラマのあらすじ・・・番組出演の話がモンキーズのもとに飛び込んできた。だが厄介な事にこの番組の人気者キャプテンはモンキーズが大嫌い!何とか出演させまいと追い出し作戦を企てるキャプテンだが・・・

 



モンキーズのテーマ

 

デビュー曲「恋の終列車 (Last Train to Clarksville)」
 
 

大ヒット曲「デイドリーム・ビリーヴァー(Daydream Believer)」
 

1968年にピーター・トークがグループを脱退、その後、マイク・ネスミスも脱退、1970年解散となる。
後にニューモンキーズの結成となるが、その後は知らない(笑)

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4 コメント

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Unknown (takechiyo_1949)
2021-12-18 13:19:04
@akioさん
こんにちは。
@竹千代です。
モンキーズ🎶
若い頃、趣味のクラシックバンドで、ベースを担当していました。
練習の合間や発表会の余興で、モンキーズの楽曲もやりました。
ベートーベンの後にモンキーズですけど、大喝采を浴びましたよ。
青春時代を思い出しました。
返信する
Unknown (あき)
2021-12-18 19:15:49
竹千代さんへ
こんばんは
あの頃はモンキーズ人気も凄かったですね。
良く聴いていました。
返信する
Unknown (カナエ)
2021-12-18 22:10:59
私もその内友人を亡くすかもしれない。
友人と言っても80歳になるんだけど、でもまだまだ元気と思ってました。一緒にウォーキングしたり、おしゃべりしたり、編み物したり、、、母親の様な感じがしてました。
それが最近体調不良を訴えるようになって、検査したら10日程で退院してきて「膵臓がん」。
ネットで調べると膵臓がんは不治の病と言っても過言ではないらしい。初期に発見する事がとても難しく、体調不良を理由に病院に来る頃には、ステージ4がほとんどだそうです。もう死刑宣告の様ですよね。
ちょっと前までは元気だったのに!その人が居なくなるなんて考えられません。
返信する
Unknown (あき)
2021-12-19 07:28:31
カナエさんへ
膵臓がんは自覚症状が無いようですね。
恐ろしいです❗️
返信する

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