11月15日の続き・・・
前回まではココをクリック!!
「野火止浄水場」前からスタートです。
浄水場の先の信号を斜め右に行くと、明らかに流れがあったと思われる通路が現れます。
出た所は「パーシモンホテル」前だった。
このまま「志木駅前」から「志木街道」へ。
この「志木街道」を流れていたらしいです。
ガードを潜って行く。
走って行くと石屋の前には「道祖神」が並んでいる。
ココを「野火止用水」の「本流」が流れていた面影は全く感じられません!!
「上の水車跡」が現れました。
江戸時代、「野火止用水」の流末に位置する引又宿には、上の水車、中の水車、河岸の水車 (下の水車)と呼ばれる 3台の水車があった。
古めかしい建物が・・・「朝日屋原薬局」とのこと。
「朝日屋原薬局は、明治20年代に創業され、明治45年に現在地に移転し、店舗併用住宅の主屋を建築した。同時期に土蔵、物置、東雲不動尊を建設。大正中期に主屋の一部を増築。昭和7年に洋館、昭和9年に離れを建設している。朝日屋原薬局は、明治大正期に栄えた薬局の典型として貴重な建物群であり、当時の生活様式を知ることのできる貴重な文化財である。」志木市HPより。
こんな「カレーショップ」もある。
チョットだけ寄り道です。
「敷島神社」です。(以前、御朱印を頂いた)
お参りします。
「田子山富士塚」です。
こんなのもある。
ここで沢山写真を撮ったけれど載せません(笑)
では先へ行きます。
「旧西川家潜り門」
「いろは樋」の「ジオラマ」の様なものがある、良く見えませんでした。
「いろは樋」は、引又宿(現本町1~2丁目付近)の中を通り、「新河岸川」に流れ落ちていた「野火止用水」を、農業用水不足に悩まされていた「宗岡地区」に導くために「新河岸川」に架設された水路橋である。
「上り龍・下り流・大舛」の復元が展示されている。
そして「暗渠」となっていた「野火止用水」の「本流(本堀)」は顔を出し、「柳瀬川」に放流されていました。
この直ぐ下流で「柳瀬川・新河岸川」が合流しています。
「野火止用水」の「暗渠部分」の流れは、概ね下のルートと思われます。
おまけ
ココに流れ込むのは何か? 最初はこれが「野火止用水の本流」の流出と思っていたが・・
だって「新河岸川」に流れ込むって書いてあるから・・・
少し下流に行くと・・・
これは、先ほどの「田子山富士」下の湧水の流れかも?
「愛の泉」なる池からのものらしい。
帰ります。
駅前には、かっぱ像の「ちょうちょう・なんなん」がある。
終わってみれば呆気なかった。
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