「源義経黄金伝説」とは■日本版三国志の物語。
■時代は,源平の争いから、鎌倉幕府が成立しょうとしていた時期。
■京都の陰陽師・鬼一方眼に、友人、西行法師は源義経の養育を依頼。
その背景には、後白河法王、藤原秀衡が。
■東アジアのフロンテイアである日本は、国家を成立。その象徴として
黄金大仏を作り、国家の勢力をシンボル化。平安京に奠都した大和ヤマトは、日本を統一していくが、国家象徴としての黄金大仏は、武家革命勢力による内乱のため、消失。
■その大仏再建を図らんため独立国家、奥州を併合、黄金を収奪しょうと
する鎌倉武家革命政権。瀬戸内海荘園群を経済地盤とする、後白河法王を
頂点とする貴族制西国王朝と新興勢力である東国騎馬武士団を率いる源頼朝。
■古代よりエミシの血を受け継ぐ奥州に黄金・仏教王国を構える藤原秀衡。
■「義経黄金伝説」は、一二世紀日本の三つの都市(京都、鎌倉、平泉)と三人の騎士の物語。
源義経黄金伝説■第1回2018版改稿
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。
祭神は崇徳上皇すとくじょうこう。日本の大魔王といわれている。
幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。
「さあ。御君おんきみ、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。
これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。
代々、外祖父、中山忠能が家、藤原本家に伝わりし、西行法師さいぎょうほうし殿との約束をお伝え下さいませ」
この日、1日驟雨である。中山忠能卿のさし出される傘の中。
御歳15歳の新帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。
「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。
今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。
そして、陰都かげみやこでございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、
代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の
守神といた します。
が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくださいまし」
御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。
「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を
起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」
幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。
崇徳上皇は、保元の乱ほうげんのらんの首謀者の一人である、後白河に
敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山しらみねさんに葬られた。
讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門うらきもんであり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。
突然、空から、驟雨の中雷光が、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。
「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。
がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。
所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが都ぞ。
朕が情念は、いつしかその都に吹くだすやもしれぬぞ。
見ておれ」
その時 雷光が風景すべてを白濁させ、消えた。
残光が響き渡る。
「不吉なり。。」
思わず誰かがつぶやく。
数人の供人が、島津家が源頼朝の子孫であると称し、毛利家が、鎌倉幕府、大江広元の子孫であることを想起した。あたらしい鎌倉幕府か?
この日、元号が明治と改元された。
(続)20190117改稿
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所