源義経黄金伝説■第62回★★
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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■ 建久六年(一一九五)三月 奈良東大寺
法皇崩御3年後。
すでに頼朝は兼実の手引きにより征夷大将軍の地位を得ていた。
後白河法皇御万歳(ごばんさい)三ヶ月後、一一九二年七月十二日。
征夷大将軍の位を得て、鎌倉幕府が誕生した。日本始めての武家政権である。
東大寺落慶供養は、源頼朝、政子の列席のもと、
建久六年(一一九五)三月十二日に行われる事になった。
また、このときが、源頼朝、政子の愛姫、大姫の京都貴族へのお披露目の時である。
重源を頭目とする勧進聖たちは、立派にその役目を果たし、聖武天皇以来
の大仏と大仏殿が再び人々の目の前に姿を表していた。以降、大仏様という建
築様式で呼ばれることになる壮麗な南大門の中には、京都仏師に対する南都仏
師運慶、快慶の仁王像が力強い時代の到来を告げることになる。
鎌倉幕府の時代、武士の時代の始まりである。
貴族の牛車引きたちが、武者たまりでしゃべっていた。
「あれが東国武士か。恐ろしげなものよな」
「我々とは、人が違う。主も思うだろう」
「そうじゃ。あの大雨の中で揺るぎもせず、目をしばたかす、武者鎧をつけ
て、身じろぎもせず立っておるのだ」
「頼朝という者を守るためにのう」
「やはり、人ではない。動物に近いものだ」
「あやつらに、荘園が取り上げられて行くのか。悲しいのう。悪鬼のような、
仕業だ」
「いや、あやつら板東武者の力を借りて、貴族は荘園を守るしか仕方があるま
いて」
東大寺正門から両側の道に、ずらっと頼朝が武者が立ち並んでいる。
南大門、その他の門前にも、東国武士の恐ろしげな顔をした者共が並んでいた。
折あしく、春嵐が奈良近辺を襲っていた。
読経の中、空は暗雲に包まれて、若草山から、風雨が吹き荒れている。
居並ぶ京と貴族達は、これからの自分たちの行く末が、暗示されているよう
な気がしたのだ。
東大寺全体、奈良のすべてがまるで嵐の中、頼朝を長とする、源氏の軍勢に占
領されているように見える。
貴族たちの牛車は、脇に寄せ集めて、その他大勢の背景であり、時代の主役の
乗り物ではない。
この時、北条政子は、夫、頼朝にせっついていた。
「はよう、大姫、入内できるようお取り計らいくださいませ。あなたは、もう
征夷大将軍なのでございますよ。それくらいの実力は、おありになりますでし
ょう」
「わかっておる。すでに九条家を使い、かなりの沙金を貴族の方々に、ばら蒔
いておるのだ」
にえきらぬ頼朝の態度に、政子はいらついている。
(もし、頼朝殿の手づるがだめであるならば、そうだ、磯禅師の手づるを
頼もう。あの磯禅師の方が、このような宮廷工作には長けておるはず)
供養の途中、重源は、傍らにいる栄西に語りかけていた。
「良くご覧になるがよい。あれが源頼朝殿」
「では、あの小太りの田舎臭い女が、北条政子殿か」
「さようだ。話によると、頼朝殿は尻に敷かれているという」
「が、栄西殿は、せいぜい取り入ることじゃ。お主の茶による武者の支配を
お望みならばな」
後に、栄西は、尼将軍北条政子の発願により、鎌倉に寿福寺を開くことにな
る。
「それで、重源殿。奥州藤原氏の沙金は、いかがなされました」
重源は、栄西にすべてを語るわけにはいかぬ。
「それよ、栄西殿。西行殿は、はっきり申されぬうちに、亡くなってしまっ
た」
「もしや、頼朝が沙金を…。」
「うむ、頼朝殿奥州征伐のおり、かなりの砂金を手に入れたと聞く。この砂金を
つかい、今の地位を得たという話だ」
「もしや、西行殿が源義経殿の命の安全を図るために、砂金を使うという、、、」
「そうだ、その可能性はある。西行が、あの沙金を義経殿の命と引き換えに
したということは考えられるのう」
西行の入寂後、なぜ、重源は、東大寺の大仏殿裏山を切り崩したのか。
あるいは、あの裏山に奥州藤原氏の黄金が、と栄西は考えた。
では、頼朝よりの寄進とされる黄金は、ひよっとして、西行が運び込みし、
秘密の黄金かもしれぬ。では、その黄金を、頼朝からの寄進とすることで
西行が頼朝が得たものとは何か?少し、目の前にいる、食えぬ性格の重源殿
に鎌をかけてみようと、栄西は思った。
「西行殿は、なぜそのように義経殿に肩入れをなさったのか」
重源は、その栄西の質問にしばし黙り、考えているようだった。
やがて、意を決して
「よろしかろう。栄西殿ならばこそ、申そう。西行はある方から、義経殿の
身の上を預けられたのだ」
「ある方じゃと、それは一体」
「よーく、考えてみられよ。西行殿の関係をな」
栄西はよくよく考えて、頷いている。
「そうか。相国、平清盛殿か」
得心した振りをして栄西は、 重源の晦渋さを再認識した。
この腹の裏をもたねば、これからの京都や鎌倉を相手に、勝負ができぬわけか、、
■
西行がなくなり、五年がたつ。
平清盛が、1181年治承5年、五十四歳でなくなり
十四年の月日が流れている。
地位を手にいれた家族が幸せかどうか。
東大寺落慶供養の式次第の後、 大姫と頼朝、政子は、奈良の宿所となった興福
寺大乗院の寝殿で争っていた。
「どうした、大姫。顔色がすぐれぬが」
「そうですよ。これも皆、お前を入内させんがため、父上も私も努力している
のですよ」
「私は、私は…」
大姫は小さきか弱き声で自分を主張しようとした。
「どうしたのじゃ、思うこと言うてみなさい」
「いまでも志水冠者様を愛しているのでございます。皇家のどなたの寵愛も、
受ける気はございません」
「何ということを言うのか」
「お謝りなさい、大姫」
「いやです。私は私です。私は父上や母上の、政治の道具ではないのです」
「何を言うのじゃ。俺はお前の行く末を思えばこそ」
「嘘です。父上は、私のことなど、お考えではない」
「バカモノめ」
勢いあまって、頼朝は、大姫に平手を食らす。
「まあまあ、落ち着いてくだされ。大殿様、仮にもここは晴れの席。まして大
殿様は、いまや征夷大将軍でございますぞ」
その場は落ち着かせた。
政子は、鎌倉をたつ前にあることを思いついていた。
静を大姫に合わせることである。
20131020(続く)
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