新人類戦記第一章(1980年作品)第3回
作 (1980年作品)飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
http://www.yamada-kikaku.com/
(アメリカとソビエトの冷戦時代の話です)
新人類戦記第1章第3回
翁の庇護のもとに彼、東郷竜は生存がゆるされている。その背景には「サムライノクニ」組織が
あった。古の日本の歴史に関与した目にはできぬ組織だ。
「それでベトナムヘ渡る方法は」
「それはこちらで準備する。君は我々の手先になる前に新聞記者の経験があったな」
翁が尋ねた。
「そうだ。それ以後もフリーライターという名刺で動いている」
翁は竜にさがるように合図した。細かい打
合せは翁の秘書の役目だった。
翁は誰もいなくなった後、ひとりごちた。
「あの男と会うのは最後かも。しれんな、あの
男が秘密兵器を発見した後、アメリカがどう
いう手を打つかだ……」
■ 訪ベトナム日本人記者団のうちの一人が急
拠いれかわった。しかし充分な身上調査が政
府の手で行なわれ、経歴も不信をいだかせる
ものはなかった。
外国人記者団はまずハノイに行かなければ
座らない。そこから空路ホーチミン市(旧サ
イゴン市)へと向かった。
ホーチミン市にはあのアオザイ姿の女性が
消えていた。靴をはいている男もいない。全
員がサンダルをはいている。
看板屋にはバク・ホー(ホーチ・ミンおじ
さんーベトナム大統領)やレーニンの肖像が売られていた。
現在、タイニン、チョウドック、ハーティン省など
カンボジア国境の省は戦場となっているようだった。
「クニチンの虐殺」事件を知らされた日本
人数名を含む外国人記者団は、ホーチ・ミン市
から旧米軍のヘリコプターで、国境の町、キ
エンジアン省クチニンヘと向かった。
クチニンの手前数ギロの飛行場でヘリを降
りた記者団はベトナム人民軍司令部へ向い、虐殺事件
の説明を聞いた。
最近、カンボジア軍の国境侵犯、さらにカン
ボジア軍によるベトナム人虐殺事件が頻発している。
が最近かこった「クチニンの虐殺」事件はすこし様相
が異なっていた。
通例では、まずカンボジア兵が国境を犯し、
近辺の村の人々を殺戮し、やがてベトナム軍
に追撃され、カンボジアヘ帰っていくという
パターンか多い。
しかし今度の事件では、50名程度のカンボジア兵、と
ベトナム兵が入り乱れて死んでいた。
隣りあった兵隊がお互いを殺しあっていたのだ。
この事件は、両国共お互いを批難していた
が事実の糾明が急がれていた。
歴史上の事実からみれぱ、ベトナムの方が
侵略者であった。現在ベトナム領のメコン・
デルタを含め、サイゴン周辺に至るまで、二
三百年前までは、カンボジアの領土であった
のだ。
ベトナム人民軍司令部から、ジープとトラックに分
乗し、事件現場近くの村へ向かうこととなっ
た。記者の中でイタリア人記者とフランス人記者各々一
名が急用ができ、トラックから降りた。
ジープとトラックはアメリカ製とソ連製が
平和共存し、使用されている。
南ベトナム解放当時、残されていた米国製
兵器は莫大なものであった。‘装備、弾薬で総
額三十億ドル、近代基地などが二十億ドルで
ある。共産国の中で、ソ連、中国に次ぎ第3の
の強国となっているのがベトナムである。
事件の起った場所は「新経済区(キッテ・
モイ)」の近くにあった。ベトナム政府はこ
のキンテモイヘ紅河デルタと中部ベトナム
の平原から約一千万人を大移動させようとし
ている。
新人類戦記第一章(1980年作品)第3回
作 (1980年作品)飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
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