北坂戸フォークソング倶楽部 発起人 山木ジョージです。
このレコード 58で亡くなった義兄の形見分け
もう25年ですか?
宮 史郎ぴんからトリオ
1963年、宮五郎(史郎の兄)・並木ひろしと共に音曲漫才ぴんからトリオを結成。グループ名の由来は「ピンからトリを」からである。
1972年、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き420万枚を売り上げ、続いて発売された「女のねがい」が170万枚、「女のゆめ」が80万枚と大ヒットした。また、これ以後漫才から歌謡コーラスグループに移行。殿さまキングスや平和勝次とダークホースなどのボーイズ+音曲漫才浪曲出身のグループ演歌が昭和50年代前半までブームとなった。
1973年にぴんからトリオから並木ひろしが脱退し、グループ名をぴんから兄弟に改名。同年、第15回日本レコード大賞で日本コロムビア株式会社が大衆ヒット賞を受賞、代表して「女のねがい」を披露した。第24回NHK紅白歌合戦にも出演して「女のみち」を披露した。
1983年にぴんから兄弟は解散しソロ歌手として活動。宮五郎は引退して史郎のマネージャーとなったが、その後病気で倒れ、長年療養生活を送った。
1984年『片恋酒』が大ヒットを記録する。以後も各種演歌、ナツメロ番組、地方回りと枚挙に暇のない売れっ子ぶりで活躍した。
2004年、金鳥『虫よけグリーン』のコマーシャルで虫に扮して「虫ごころ」を歌い話題になった。2005年、同じく金鳥の『おでかけカトリス』のコマーシャルで「おでかけ慕情」を歌った。
2007年公開の映画「歌謡曲だよ、人生は」の第五話「女のみち」に自ら出演し、劇中で「女のみち」を披露した。
2012年11月19日、多臓器不全のため死去[3]。69歳没。没後に生前の功労を称えられて第54回日本レコード大賞特別功労賞が追贈された。