坂戸市公益活動団体『北坂戸フォークソング倶楽部』(山木ジョージの桜梅桃李)

 
1960年代~現在の歌を中心に皆さんと一緒に、ギター1本で合唱を楽しむサークルです。

ヴァイオリンとピアノコンサート(現役東京芸術大学大学院生による)

2023年11月19日 | 音楽

ヴァイオリンとピアノコンサート(現役東京芸術大学大学院生による)
https://vt.tiktok.com/ZSNaau2x6/

坂戸市公益活動団体『北坂戸フォークソング倶楽部』発起人 山木ジョージです。

にっさい花みず木町内会の主催
渡邉さくら(ピアノ)
安田沙織(ヴァイオリン)
にっさい公園 東屋付近

秋を感じるステキなコンサートでした。
にっさい花みず木町内在住の渡邉さくら氏

同じ地域にステキな芸術家が居る。

「本当に素晴らしい」と感じてます。

彼女とは、下記のイベントにも共演します。
同じ坂戸市ミュージック協会のメンバーとしてね。(嬉)
そして、今年のクリスマスコンサートにも出演してくれます。

詳細は後日ですが?
☆12月9日(土)13時〜入西地域活動センター(多目的ホール)

☆第20回_坂戸市芸術文化祭

・日時:2023年11月19日(日)13:00~16:00

・場所:坂戸市文化会館ふれあ

・Tle:049-283-1331
(坂戸市役所 市民生活課)
・住所:埼玉県坂戸市元町1-7-1

・駐車場:大駐車場

・交通:東武東上線
『坂戸駅』下車

地球の平和を守るため!日曜日 ユッタリマッタリ生きる人生幸せです。

今年の後半も
イベント多数有ります。

☆11月19日 坂戸市芸術文化祭 
(北坂戸フォークソング歌会は中止)

☆12月9日 第2回クリスマスコンサート 入西地域活動センター
詳細は後日


☆12月17日 第57回北坂戸フォークソング歌会
15時00分〜北坂戸公民館

 


愛はかげろう

2021年11月06日 | 音楽

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

「愛はかげろう」(あいはかげろう)は、雅夢の楽曲で、デビューシングル。1980年9月25日テイチクレコード / ユニオンレコードから発売された。

1980年5月に開催された『第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト』にて優秀曲賞を受賞した。ヤマハポピュラーソングコンテスト後に、11月の『世界歌謡祭』に出場する選択肢もあったが、三浦の判断で曲のイメージにあう秋に発売するために見送られた。

三浦和人はインタビューで同曲について聞かれた際、「失恋の痛みから抜け出すために書いた曲」「男言葉では力強い歌詞になってしまうために、あえて女言葉で女々しい表現にした」「神様に音楽家としてのチャンスをもらえた曲」「サビが出来たとき、ヒットする手応えがあった」と答えている。

2002年に放映された韓国ドラマ『冬のソナタ』の主題歌である「最初から今まで」のサビが、同曲に似ていることが話題になった。

1981年に入ってから、オリコンチャート週間3位まで上昇、61.9万枚を売上げ、1981年度の年間ランキングは13位。同チャートにおいて、雅夢のシングルとしては最大の売上を記録した。

TBS系列の『ザ・ベストテン』では、1980年11月27日放送時第10位に初登場。その後12月18日・1981年1月8日・1月15日・1月22日放送時に通算4週間、最高3位まで上昇。2月19日放送時の第10位迄、合計で連続12週ランクイン。なお同番組において、1981年の上半期年間ランキングは22位に入った。

 


目覚めた時には晴れていた 伝書鳩

2021年10月30日 | 音楽

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

『目覚めた時には晴れていた』(めざめたときにははれていた)は、1976年5月25日に発売された伝書鳩の曲である。

 

タイアップ

NTV系ドラマ、土曜グランド劇場「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ」主題歌。

 

この曲の推移

この曲は、元々、1971年放送の土曜グランド劇場、「2丁目3番地」の主題歌として、赤い鳥が歌いON AIRされた。その後ビリーバンバン、朝倉理恵がレコーディング。音源の市販は、ビリーバンバンがシングルで1974年3月1日にリリースしたのが最初であり、次に1974年6月21日に発売された朝倉のLP「誰のために愛するか」に収録された。その後この曲を気に入っていた土曜グランド劇場「2丁目3番地」の演出家が、あの曲を主題歌として再び使おうと伝書鳩 を起用し、「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ」主題歌として制作された。ビリーバンバン版は、その後ベスト等のCDに収録されている。赤い鳥版は長らくマスターテープの所在が不明になっていたが、その後発見され、2018年発売の『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』に収録された。


それぞれの秋 Alice

2021年10月23日 | 音楽

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

それぞれの秋 Alice

それぞれの秋」(それぞれのあき)は、アリスが1980年10月にリリースした19枚目のシングルである。

収録曲

それぞれの秋

作詞・作曲:谷村新司/編曲:安田裕美・服部克久

過ぎゆくものは…

作詞:矢沢透/作曲:堀内孝雄/編曲:安田裕美

 

活動停止の最後から2番目のシングルです。

 

なんとなく解散の匂いがするシングルレコード


夜汽車は南へ 風

2021年10月16日 | 音楽

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

 

大久保一久を偲んで

 

夜汽車は南へ(よぎしゃはみなみへ)は、日本のフォークデュオ「風」の5枚目のシングルである。オリコン最高位は30位。

シングルだけの企画。

収録曲

夜汽車は南へ

(作詞・作曲:伊勢正三 編曲:佐藤準)

風をたずさえて

(作詞・作曲:大久保一久 編曲:佐藤準)


さよなら オフコース

2021年10月09日 | 音楽

 

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

「さよなら」は、1979年(昭和54年)12月1日に発売されたオフコース通算17枚目のシングル。

「さよなら」は、オリジナル・アルバムには未収録曲。後にベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』にビル・シュネーによるミックスで収録されたほか、ライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム『LIVE』に収録された。

この曲について小田和正は、「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語っている。

このシングル発売後から、オフコースはニューミュージックの代表的グループとして認知されることになる。

小田和正は、原詩では「僕は思わず 君を 抱きしめそうになる」としていたところを、間違えて『僕は思わず 君を 抱きしめたくなる』と、間違えて録音してしまったことを悔やんだという。

この曲は、後に小田がアルバム『LOOKING BACK 2』で新たな解釈でセルフカバーしている。

TBS系『クリスマスの約束』や2002年の全国ツアーではこのアレンジで演奏したが、『風のようにうたが流れていた』からは、オリジナルのアレンジに戻して歌っている。

また、鈴木康博も細坪基佳とのデュオ・アルバム『四月になれば僕らは』にて、細坪のリードヴォーカルでカバーしている。

その他、後にKBC Bandにもアルバム『KBC Band』にてカバーされた。英詞は1983年にオフコースが制作した英語圏向けプロモーション・テープ収録のものと同じだが、クレジットが誤ってサディスティック・ミカ・バンドの同名異曲になっている。

2010年7月にオンエアされたダイハツ工業の『エコカー補助金キャンペーン「おわり」篇「さよなら」Ver.』のCMでは、小田がCM用に新たにレコーディングした「さよなら」が使用された。

「汐風のなかで」はアルバム『Three and Two』からのシングルカットで、アルバム収録曲と同内容。この曲もライヴ・アルバム『LIVE』にライヴ・ヴァージョンが収録されたが、演奏前のMCで小田が「メロディーのとってもきれいな、僕も大好きな一曲です」と紹介している。

この曲は後に鈴木が『FORWARD』にてアカペラによるリアレンジでセルフカバーしている。

当曲はそれまでサポートメンバーだった清水仁、松尾一彦、大間ジローが正式メンバーとなってからのオフコースの最初のシングルであり、シングルジャケットも5人が並んで写っているが、前作の「風に吹かれて」からシングルジャケットでは5人並んで写っていた。


ロンド オフコース

2021年10月02日 | 音楽

 

北坂戸フォークソング倶楽部 発起人 山木ジョージです。

「ロンド」は、1977年11月20日に発売されたオフコース通算12枚目のシングル。。

「ロンド」は日本テレビ系ドラマ「ひまわりの家」主題歌として制作された、鈴木康博のオフコースでの最後のシングルA面曲。「もともと、母を語るには40、50歳になった頃の方が実感として分かるはずであり、それまでは母親を主題とした曲は書かないと考えていた頃にこの依頼があり、半ば仕方なく書いた」と、後に鈴木は語っている。また、『BeSide』のセルフライナーでは「この曲はこれからのオフコースに合わないからと言って、置いてけぼりにされた曲。でも僕はこの曲は好きだった」と記している。このシングルについて武藤敏史は「正攻法だけではより早く、より多くのファンを獲得することはむずかしい。そのためには多少味付けが必要だ。つまりCMやテレビドラマと結びつけたり、流行を取り入れたりすることも必要だという考えの終着点として出された作品だと言える。しかし、結果的にオフコースの場合、この時期、既に急激な上昇期に入っていて、もうこうした小細工が必要でないことを逆に証明するレコードになったとも言えそうだ」と語っている。鈴木は、後に『あなたとともに〜10th Anniversary』と『BeSide』、『FORWARD』にてそれぞれ、セルフ・カヴァーしている。


いちご白書をもう一度

2021年09月18日 | 音楽

 

北坂戸フォークソング倶楽部の発起人 山木ジョージです。

いちご白書』をもう一度

「『いちご白書』をもう一度」(いちごはくしょをもういちど)は、1975年8月1日にフォーク・グループのバンバンがリリースした5枚目のシングル曲。バンバンとしては唯一のオリコン1位を獲得し、年間売り上げ13位にランクインした。タイトルにある『いちご白書』とは、1970年に公開されたアメリカ映画で、1968年にコロンビア大学で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作されたものである。荒井由実時代の松任谷由実作品として知られる。

作詞・作曲は荒井由実(現・松任谷由実)。過ぎ去った学生時代を思い出すという内容の曲である。

フォーク・グループバンバンのばんばひろふみは当時、ラジオの深夜番組においてディスクジョッキーとして活動し人気も高かったが、デビューから4年経過してもまだヒット曲がないことに焦りを感じていた。その頃、荒井の曲を聞き「他の女性シンガーとは違う。キラキラしたすごい才能」と感銘を受けたばんばは「彼女の曲で売れなければ諦めもつく」と考え、最後の曲として荒井に書いてもらいたいと思い、荒井に会うためあらゆる伝を探し行き着いた所が松任谷正隆であった。そしてばんばは荒井と直接会い、条件を何も付けずに一曲依頼した。荒井は、当時あった学生運動を題材にした歌を書きたいと思っていたところにばんばが現れ、「初対面のばんばが学生っぽく、最後のピースがはまった感じだった」と感じ、曲を書く事となった。その題材を提供したのが早大紛争を経験した音楽プロデューサー・前田仁であった。

デモテープを聞いたばんばは、興行が振るわずすぐ打ち切られた[信頼性要検証]、誰も知らないような映画をタイトルに使ったことに驚き、日常性を的確に捉えながら学生時代への別れを表現する斬新なフレーズにまた驚いたという。レコード発売前にばんばは、本曲を自分が担当する深夜放送で流したところ、たちまちリクエストはがきが段ボール箱にあふれるほど殺到し、発売後はヒットチャートになった。

当時は、学生運動の象徴であった東大安田講堂事件から6年が経過し、学生運動の高揚と退潮がまだ社会の記憶に残っていた時代であり、ばんばは本曲について「社会を変えるつもりで闘争に加わった学生達は、生活のために会社の歯車となり、彼らは皆何らかの敗北感を持っていた。この歌は挫折感を抱えた同世代への鎮魂歌なんです」と語っており、同世代の者も同じように受け止めている。

本曲の「就職が決まって髪を切ってきた時」というフレーズには、しばしば「髪を切るのは就職活動の前だろう」というツッコミが入ると言われる。日本経済新聞2015年11月10日のコラム「春秋」では、「昨今に比べればおおらかな就職戦線だったから、こういう光景があったかもしれない。いまみたいにシューカツなるものがマニュアル化していなかった時代だ」としている。また、ばんば自身は「一瞬妙に思ったが、超優秀だから長髪でも内定した、ということにしておこう」と語っている。

 

この曲のヒットによりバンバンを継続することになり、ばんばは「バンバンの寿命を延ばしてくれた曲」と語っている。

ばんばは今でもテレビ番組などでよくこの曲を歌う。

荒井も松任谷姓になった後の2003年にアルバム『Yuming Compositions: FACES』でセルフカバーした。また、カップリングの「冷たい雨」は、翌1976年にはハイ・ファイ・セットがカバーしてオリコン最高位30位、15.4万枚のセールスを記録している。後に倉田まり子もカバーした。


ブルースカイ By tulip

2021年09月04日 | 音楽

北坂戸フォークソング倶楽部 発起人 山木ジョージです。

ブルー・スカイ (チューリップの曲)

「ブルー・スカイ」は、1977年6月5日に発売されたチューリップの通算12枚目のシングル。

同年のアルバム「WELCOME TO MY HOUSE」作成中、同アルバムに収録された「新しい夜だから」をシングル候補として作り込んでいたが、プロデューサーの新田和長から「シングルとしては弱い」とされたため、新しく作成したのが「ブルー・スカイ」である。

ヒットを見込んだのか、テレビ・スポットが作成された。

間奏のギターフレーズがパティ・ペイジの「Lover Come Back To ME」のメロディと4小節同じである。財津自身は完成後に気付いたが、「ブルースカイ」という単語が潜在意識の中にあったのだろうとし、オマージュと捉えてもらえればいいと自分自身を納得させた。

2007年12月公開の映画「Little DJ〜小さな恋の物語」の挿入歌として使われた。

ジャケット裏面には、チューリップのアルバムによく記載される「I dedicate this record to ~」の文面がシングルながら記載されている(記載内容は「I dedicate this record to sexy - windows throughout the country.」である)。

「恋人への手紙」はアルバム未収録曲であったが、2004年の財津のソロアルバム「サボテンの花 〜grown up〜」でセルフカバーされた。


風のメロディ

2021年08月29日 | 音楽

 

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

「風のメロディ」(かぜのメロディ)は、1976年9月5日に発売されたチューリップの通算11枚目のシングル。

シングルとしては唯一の、財津和夫と姫野達也による共作曲でありツインボーカル曲。シングルA面で姫野がリードボーカルをとった最後の曲でもある。姫野が作ったAメロを財津が発展させ作曲した。

同年発売のアルバム「MELODY」用に作成されたが、アルバムに収録することでシングルを買わない人が発生するのを避けるために、最終的にアルバム未収録作品となった。


娘が嫁ぐ朝 チューリップ

2021年08月22日 | 音楽

北坂戸フォークソング俱楽部の発起人山木ジョージです。

「娘が嫁ぐ朝」(むすめがとつぐあさ)は、1976年4月20日に発売されたチューリップの通算10枚目のシングル。

リードボーカルは財津和夫。歌詞は、娘が嫁ぐ朝に既にこの世を去った妻を想う夫目線で描かれている。

リズムパターンはベイ・シティ・ローラーズの「バイ・バイ・ベイビー」のシャッフルのノリを意識して作成された。

また、メンバーは出演していないが、公式のミュージックビデオが存在する(当時まだミュージックビデオそのものが一般的ではなかった)。


虹とスニーカーの頃 チューリップ

2021年07月24日 | 音楽

 

「虹とスニーカーの頃」(にじとスニーカーのころ)は、1979年7月5日に発売されたチューリップの通算16枚目のシングル。

累計で50万枚以上を売り上げ、チューリップにとっては久々のヒット曲となった。これまでもスマッシュ・ヒットといえる曲はあったが(「銀の指環」「サボテンの花」等)、オリコンTOP10に入ったのは「心の旅」以来である。また、同時期に財津和夫のソロシングル「Wake Up」もヒットしている。

1979年4月頃に書かれた。当時長らくヒットから遠ざかっていたチューリップにとって、久々に「ヒットを意識して作った曲」である。

本作を最後に吉田彰と上田雅利が脱退。デビューから続いたチューリップ第一期といわれる約8年間の期間は終わりを迎えることになる。

本来、この曲は「わがまま」というタイトルでアルバム『Someday Somewhere』に収録される予定になっていたが、急遽シングル曲候補となったため、歌詞の一部と曲のAメロ部分を大幅にアレンジしたのち、曲名を「虹とスニーカーの頃」と改め発売された経緯がある。なお、ボツになってしまった「わがまま」は「虹とスニーカーの頃(メロ違いバージョン)」として、1970年代〜80年代に録音された未発表音源を集めた企画アルバム『TULIP Anthology1〜Rare Tracks〜』に収録されている。

財津はこの曲のサビの押韻が決め手としており、子音がアになる音を多用することで、多くの人の耳に残るようにしたという。


夕陽を追いかけて

2021年07月18日 | 音楽

「夕陽を追いかけて」(ゆうひをおいかけて)は、1978年6月20日に発売されたチューリップの通算14枚目のシングル。

年を重ねてしばらくぶりに訪れた故郷についての心境、両親への想いなどを歌っている。シングル曲として発売される以前にライブで先行して演奏されていた。

この曲はタイトルから先に出来た。財津和夫が仕事で東京から福岡へ飛行機で向かっていた時、窓から眺めた夕陽にふと「今、沈む夕陽を追いかけている。追いかけた先には故郷の福岡がある…」と思いを馳せて出来たという。

財津としては大切にしていた曲だったが、地味な曲で「求められてないなら、歌ってもしょうがない」と思い込み、ステージであまり歌わなくなったこともあった。しかし、TBS系音楽特番「クリスマスの約束」で小田和正がこの曲を歌い、小田もこの曲を気にかけていたということで、財津も勇気をもらうという形で近年は毎回のようにこの曲を歌うようになったと話している。

2012年の40周年ツアー(TULIP “THE LIVE” 40th memorial tour)では、この楽曲から着想された夕陽と海がビジュアルイメージとして用いられた(ただし、ライブでの演奏はなし)。

2000年頃にチューリップのエグゼクティブ・プロデューサーを務めていた三枝照夫は、この曲をチューリップのベスト曲として挙げた。

B面「別れはいつもものわかりがいい」は、財津和夫と姫野達也によるツインボーカル曲。

なお、歌詞カード面には1978年に行われた鈴蘭高原でのコンサート(LIVE ACT TULIP IN SUZURAN 7・26 YOU'LL FIND ANOTHER SPACE!)告知がされている。