2024年10月30日、水曜日、晴。何時もは眺めてばかりの東長崎の山歩へ。早起きはしたもののダラダラしていたらバスに乗り遅れて、東長崎から多良見迄歩くつもりを諦めて、周回に変更。
八郎川から眺める矢上普賢岳。秋晴れの良い天気だ。
9時47分登山口を出発。
2分も登ると、道を挟んで右手に鳥居。左手に象に乗った普賢菩薩像
2,3分登ると庭先にあまり見かけない黄色い花。訊けばエンゼルトラペットとだと。納得。
9時55分ソーラー畑の所から普賢岳への道へ。
鳥居を2つくぐって、
10時12分車道に出て、すぐに白い手摺から石段を上る。
数分ほど石段を登ると、10時20分先ほどの車道に合流。左、法華院で、直進普賢岳の分岐だ。
右手に普賢菩薩の由来。
普賢への道を取り、鳥居をくぐり、山頂近くまで続く長い石段を登り始める。数えたことはないが数百段は有るだろうか。
10時32分、右手に大歳神(戸石城跡)への道を見送り、
ここから3分ほど登って、道を挟んで右手に一字一石塔、左手に涅槃像。
石段はなおも続く。
さらに数分登った所で、左手に赤い前掛けの石像。
直ぐ上、同じく左手に千手観音等の案内。以前見たので今回はパス。往復20分ぐらいかな。
そしてすぐ上に普賢神社、10時47分。
石段はまだまだ続く。
神社から数分登って、右手に十三仏。
直ぐ上に高さ数mほどある不動明王と白衣観音の磨崖仏、11時。
白衣観音からは長崎の烽火山(中央)、帆場岳(右)。奥は戸町の峰々だろう。
烽火山の下は高速の日見夢大橋だ。
ここから先で石段はほぼ終わり、5分ほど登った11時10分普賢岳山頂に着く。
山頂からは眼下に広がる東長崎(網場)と、
左手に牧島と遠くに天草。
何時もやり過してきた、51番札所を覗きに。札所の先に道は続いているようだ。地形図を見ればP220を経て東町あたりへ出るのだろう。
往復10分ほどで山頂に戻り、行仙岳へ11時34分、
急坂を下って登り返して11時46分船石岳(八天狗)分岐へ着いて、稜線をP330へ。
稜線の道は踏み跡、目印もある。
船石分岐から200m弱ほど歩いた小ピークの所が分かりずらい。西側の尾根に引き込まれやすいが、見れば少し枝が被さり藪っているので違うと分かる。
良く周りを見れば目印がある。
ここから植林の急坂を下り、
10分弱ほど下ると岩が目の前を塞ぐので左を巻く。目印に倣えばよい。
岩から2分ほど下ると、忽然と開けた送電鉄塔の下に12時5分出る。下草や高木が伐採されていて、稜線上唯一の視界が開けた所だ。眺めが良いので景色を眺めながら昼食。まだ動けば汗が出るが、さすがに日陰や風に当たると汗が冷たくなる。
長崎側(西側)に帆場岳。そして写真右中央下に白い点のように見える所(ドコモの電波塔)あたりが矢上経ヶ岳だ。
電波塔辺りを拡大。
諫早側(東側)に船石岳だろうか。その左に井樋ノ尾岳への稜線。
歩く人も少ないのだろう、稜線の道は少し荒れ気味になって来る。
鉄塔から10分弱歩いた12時32分P330のピークに着く。
前回は無かったこんなものがあった。
矢上経ヶ岳へと下る道は見印を辿ればよいが、所々小枝が生い茂る所がある。
P330から20分ほど下った12時54分林道へ出た。
林道を10mほど右に上って、左の道に入る。30mほど先に鉄塔が見える。これが送電鉄塔から見えたドコモの電波塔だ。
塔の右側を抜け、
少し藪風の道を2,3分も登ると、
13時5分、石像が祀られた矢上経ヶ岳へ着く。
下山は参道を5分と下らずに、
13時10分先ほどの林道下に出た。
林道から経ヶ岳方向。
ここからは林道を下る。
25分ほど下ると、住宅街の屋根が見えて来た。
振り返れば、ドコモ電波塔の左に見えるのが矢上経ヶ岳(中央V字の左)だ。
彩が丘の公園まで下って眺める行仙岳(右側)から矢上経ヶ岳(左側)への稜線。
13時55分八郎川まで出て眺める普賢岳。ここまで下って日に当たると汗が流れだす陽気だ。14時5分下山。
余談)10月29日、散歩していたら長崎空港への離着陸訓練の戦闘機が飛来。着陸するのだが旅客機と比べると速い。1機目は撮れずに2機目を収める。カラスのようだ。
その点旅客機はもう車輪を出してゆったり飛行するので、音が聞こえてからでも十分間に合う。こちらはトビウオのようだ。戦闘機は車輪など確認する余裕など無かった。