ヤマショ~です。当社は、中古原付専門店 (本当は単車もやってます。
で・ 去年(2021年の話っス)やっと家の店に余裕が微かに出来たので、3.11の大震災後初めて助手君とカブで弾丸ツーリングに行った記録です、
画像が重くなりますんで貼り付け文字カットしてます。
実はタイトルに有ります様に 震災起きてから、ずっと東北にバイクで行きたかったんですよ、
被災地茨城北部から岩手迄目に焼き付かせたかったんです。
ここまでは③まで書いた通りで 一日目、茨城(ココ)→
福島県・道の駅よつくら港(超遅い朝食)→
宮城県亘理町(超遅い昼食)→
岩手県一関駅周辺から協力者と合流して居酒屋→
一泊して
二日目3名で宮城県気仙沼港→
陸前高田・道の駅高田松原→
で・岩手県、道の駅高田松原の画像がマダ有ります。
奇跡の一本松がある 陸前高田市です。
道の駅の中に、東日本大震災津波伝承館と言施設が有ります。そこの画像です。もう語る事は無いですね。。。
本当に津波は怖い、完全に自然に敗北すると言う事は「無」と言う言葉しか出てこないです。
それでも生きている人等は、また挑戦し続けていく、それだけですね~
!そうそう、現地でも一つ感じたことがありました、一本の道を海に向かって歩くと、(人はたくさん歩いてはいる)
凄く遠くに献花台があるんですが、ソコに行くまでに、堤防より高い場しょで海が見える様に陸橋みたく綺麗に作られているんです。
そこを歩いて海に向かっている途中、バイクで距離も走ってるし飛ばしてきたのに、
「献花台まで行くのがつらい」って、最初思うかな?って感じていたのですが、何故かフワフワした感じで辛くなかったんですね??
それだけでも謎だったのですが、橋の手すり等の下の方に、ムニムニ動いている
「ヤスデ」が、沢山いるんです?
人が歩く所には少なく、端っこの方にムニムニ居るんですが、
あそこは橋の様な造りなので、進んでも戻って来るだけなのですが、
みな必死にムニムニ移動してます。。。。
実は家の居住区には、周りに林があって、その葉っぱが建物によく倒れ込んでいるんです、
それ伝いに、結構な量のヤスデが風呂場に(隙間ないのに…)入ってくるんです、
色々調べたら、大雨になる前に、水没しないように高い所に行く習性があるとの事でしたが、
津波に襲われた場所には、綺麗な芝生があるだけで、木なんて一本松しかない、
そもそも何でそんな住みにくいハズの所にヤスデがいっぱいいるのだろう???
「!!!津波の時、高台に逃げたかった人たちの生まれ変わりが右往左往しているようだ」と、
俺には思えました。不思議です。
…… … 今日のラッキーアイテム マタは 幸運のコトバ
「 311以降に東北に行ってない人。便利な北海道ではなく今こそ東北へ行きましょう