A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

変化をさせるのは簡単だが、良い物のいい所を変えることなく残していくのはかえって難しいかも・・・

2015-03-20 | MY FAVORITE ALBUM
Tune Up! Sonny Stitt

先日吉祥寺に行く用事があったので、久しぶりにジャズ喫茶「Meg」に寄ってみた。何十年ぶりだろう。寺島靖国氏の拠点、今では活動のメインは寺島レコードなのか昔の雰囲気は無かったが、噂のスピーカーアヴァンギャルドDUOを聴けたのは収穫であった。ライブがメインなようなので、今度は夜に寄ってみようと思う。



自分は熱烈寺島ファンという訳でもないが、寺島氏の「聴いて楽しいジャズ」に共感する部分はある。確か寺島氏の最初の本「辛口ジャズノー」トにも記述があったと思うが、ジャズは進化していていくものか?という昔良く行われた議論に対し、ジャズは分化こそするが進化はしないと言い切っていた。寺島氏の基本スタンスだろう。

自分も新しいもの、珍しいものに興味はあるが、ビッグバンドが好きになり、Concordレーベルが好きになった時点で「進化」に対してあまり興味は無くなった。最近棚卸やライブに良く通うようになったのがきっかけで、新しいアルバムやプレーヤーに接することがまた増えてきたが、当時から30年近く経ってもこの自分のスタンスは変わりそうにない。

ドンシュリッテンというプロデューサーがいた。彼の基本スタンスはビバップ、時代が変わってもこの路線は基本的に崩さなかった。
ペッパーアダムスがサドメルに入った直後の67年、バリーハリスのアルバムLuminescence! に参加したが、他のデュークピアソンのアルバムではジャズロック風の演奏が増えてきた中、シュリッテンがプロデュースしたこのアルバムのバリバリのハードバップサウンドが印象的だった。

そして、時代は70年代へ。チックコリアのリターンツーフォーエバーなどが登場し、周りはさらに変化をしていった中、コブルストーン、Museといったレーベルを作ったが、そこでも基本的なスタンスは変わらず、そこでこのソニースティットをリーダーとしてこのアルバムを作った。

ソニースティットの後期のアルバムとしては代表作の一枚だろう。全く軸足にブレの無い爽快な演奏だ。スティット自身、若い頃はパーカーにそっくりだと言われて気が引けたようだが、反対に「同じように吹けて何が悪い」という開き直りで吹っ切れている。ピアノのバリーハリス、ベースのサムジョーンズにも変な気負いが無い。そして、このアルバムのもう一つ素晴らしい点が、ドラムがアランドーソンであること。目立たたず、派手さは無いが、実に上手いと感じさせるのが本当の名手なのだろう。自分は、マリガン&ブルーベックのグループで初めて聴いた時からのお気に入りだ。更に遡れば、50年代の初め、クインシージョーンズやクリフォードブラウンと一緒にライオネルハンプトン楽団でヨーロッパにも遠征した大ベテランだ。

常に新しいもの、そして変化を求めるジャズファンにとっては何の掴みどころのない平板なアルバムで、このアルバムのどこがいいと思うかもしれない。あるいはスティットも、歳をとったが何も進化が無いと感じるかもしれない。その余計な変化がないのがこのアルバムの良さだろう。そして、そのようなアルバムを作れたのがドンシュリッテンの手腕ということのように思う。

先日パーカーの命日には、澤田一範のパーカートリビュートのWith Stringsライブがあった。ストリングスには普段聴けない物珍しさもあるが、このグループの良さは。ピアノの竹内亜里沙以下のトリオの面々。バップスタイルを守り、堅実なベースの小林航太郎、そしてドラムの田村陽介も控えめな所が好きだ。

パーカーが亡くなったのは1955年、今年は没後60年だそうだ。‘55年というと録音はSP時代からLP時代に入っていたとはいえ、残されたパーカーの演奏を本当に良い音では聴く事はできない。寺島氏ではないが、ジャズははやりいい音で聴かないと本当の良さは分からないと思う。
という意味では、パーカーの世界を、色々なミュージシャンが手を替え品を替え、今の時代にいい音で楽しませてくれるのは嬉しい。それを実現してくれる本当のそっくりさんがいて欲しいものだ。このスティットのアルバムも、パーカーがこの時代に生きていたらと思って聴くのもいいかもしれない。




1. Tune-Up                Miles Davis 4:53
2. I Can't Get Started    Vernon Duke / Ira Gershwin 5:32
3. Idaho                  Jesse Stone 4:29
4. Just Friends        John Klenner / Sam M. Lewis 4:28
5. Blues for Prez and Bird          Sonny Stitt 4:30
6. Groovin' High            Dizzy Gillespie 4:24
7. I Got Rhythm       George Gershwin / Ira Gershwin 9:41

Sonny Stitt (as,ts)
Barry Harris (p)
Sam Jones (b)
Alan Dawson (ds)




Tune Up
Sonny Stitt
Muse Records
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ジャズから離れたクインシーの中で、唯一光るのはロソリーノのソロだけ…

2015-03-17 | MY FAVORITE ALBUM
Body Heat / Quicy Jones

季節の変わり目は体調を崩しやすい。鼻がぐずつきだし、喉がいがらっぽくなり、目がもぞもぞしてきたので、いよいよ花粉症の本番到来かとかと思ったら、想定外の発熱。週末は予定していたゴルフも止む無く取り止め、普段であれば滅多な事ではキャンセルしないのだが。結局3日間も床に臥せることとなってしまった。

時間はできても、体調が悪いと何もする気が起きない。ジャズを聴くのもBGMとしてはいいが、とてもじっくり聴くにならない。溜まっていた本を読むのも億劫。つまらないテレビを見る気にもならないが、海外ドラマの録画だけは一気に片付いた。

一番よかったのは、最近youtubeに沢山あがっている色々な講演や放送コンテンツを聴く事であった。寝ながら聴けるし、途中で寝てしまうことも多かったが、気になればまた聴き直せばいいし、これは今後病みつきになるかもしれない。歳をとるとラジオを友にする人が多いと聴くが、確かにそうかもしれない。

さて、大分体調も戻ったので、ボチボチ復帰することとしたものの・・・。中断していたものを復活するにはきっかけが大事。さて何から?
先日、スーパーサックスのTokyo Liveのアルバムを紹介したが、その辺りから続きを。

そのアルバムにゲストとして参加していたフランクロソリーノ。トロンボーンファンの中には熱烈なファンの方も多くいらっしゃるようだが、自分は何となくという事になる。知らず知らずの内にアルバムが増える、J.J.ジョンソンよりロソリーノの参加しているアルバムの方が、遥かに数が多いというパターンだ。しかし結果的にファンであることは間違いない。

このスーパーサックスが来日したのは、1975年1月。この辺りは自分が社会人になって直ぐで記憶が鮮明な頃だ。ロソリーノだが、その直後の4月には今度はクインシージョーンズのオーケストラで来日している。社会人になり金銭的も余裕ができていたし、クインシーが好きな自分にとっては、迷わずコンサートに駆けつけるはずなのだが、このライブは躊躇してパスした。というのも、この時クインシーの新しいアルバムとして流行っていたアルバムがこのBody Heatであった。どうもこのアルバムを好きになれないでいた。今思えば、「ビッグバンドが無くなったじゃない」ということだったと思う。

もう一昨年になってしまうが、クインシージョーンズ御一行様の大コンサートが東京フォーラムで開かれた。1部、2部に分かれていたが、内容はもっと多彩に分かれていて、クインーの歴史のような構成7時に始まり。終ったのは11時過ぎ、4時間を超える長丁場のステージであった。クインシーのこれまでの偉業を知る今聴けば、大プロデューサークインシーのすべてを聴く事ができ、楽しく、また有意義なものではあった。もちろん、お目当てはクインシービッグバンドで行ったのだが、それはエアメイルスペシャルから数曲であったが、それは仕方がないと諦めもついた。

クインシーは色々な賞を数多く受賞しているが、グラミー賞でJazzと名がつく賞をとっているのは、1969年のWalking in SpaceでのBest Large Jazz Ensemble Performance、1993年のMiles & Quincy Live at Montreuxでの、Best Large Jazz Ensemble Performanceくらいだ。

今思えば、このBody Heatをジャズと思って聴いていたのがそもそも間違いであったのだが。

しかし、このボディーヒートのアルバムの中で、好きな曲が2曲あった。
ひとつは、Everything Must Change。ジャズアルバムかどうかは別にして、この歌自体は気に入った。
しかし、それ以上にいいと感じたのは、後半に出ているフランクロソリーノのソロ。これはジャンルを超えて絶品だと思った。
すべては変わらなければ駄目だと歌い上げているのに、いつも通りのロソリーノが「俺は何も変える気はないよ」と諭しているように思えてならない。



そして、ベニーゴルソンのAlong Came Betty。これはボーカル無しで、ヒューバートロウズのフルートを一応フィーチャーしているが、ロソリーノのそれとは違う。これは、あくまでもThe Birth of a Bandの頃のアレンジとの違いを楽しむ曲だろう。自分はやはり60年代のアレンジの方が好きだが。



昔のアレンジはこちらで、


当時のスイングジャーナルを繰ってみた。歌手の後藤芳子のコラムがあった。彼女は同行したレイブラウンの知己であり、羽田に迎えに行った彼女が、ブラウンがベースを持ってこなかったことにビックリしたが、コンサートを聴いて納得とある。そして、コンサート評自体もロソリーノやサヒブシハブがもっとクローズアップされていればといった論調であった。



いつも、細かく書いているパーソネルは省略する。というのも数が多すぎるので。
特に、キーボード、ギター、そしてパーカションは当代の名手が勢揃いしている豪華版で曲によってそれぞれの音作りの技を競っている。それも聴き所なのかもしれない。そんな時代でもあった。

そうそう、5月の連休中は、新宿Somedayは毎年ビッグバンドウィーク。今年もスケジュールが発表されているが、

5月5日に小林正弘率いるOne Night Jazz Orchestraが、 Quincy Jones Night ! で出演する。
昨年、クインシージョーンズのコンサートでオーケストラを務めた面々だ。昨年も、舞台で披露できなかった他の多くの曲を披露してくれたが、今回も同じプログラムであろう。
クインシージョーンズのビッグバンドファンで、昨年のコンサートが消化不良であった方々にはお勧めのライブだ。

1. Body Heat  Bruce Fisher / Quincy Jones / Stan Richardson / Leon Ware 3:58
2. Soul Saga (Song of the Buffalo Soldier)           Quincy Jones 4:58
3. Everything Must Change              Benard Ighner 6:01
4. Boogie Joe, the Grinder  Tom Babler / Dave Grusin / Quincy Jones 3:09
5. One Track Mind                  Quincy Jones1:01
6. Just a Man                    Quincy Jones 6:14
7. Along Came Betty                 Benny Golson 3:31
8. If I Ever Lose This Heaven           Pam Sawyer / Leon Ware 4:47

Produced by Quincy Jones & Ray Brown
Frank Rosolino (tb)

Body Heat
Quincy Jones
A&M
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レーベルの立上げに選ばれたのは、町の名士のビッグバンド。というのも・・・

2015-03-14 | MY FAVORITE ALBUM
Debut / Full Faith & Credit Big Band

ペッパーアダムスのアルバムを紹介している中で、Urban Dreamというアルバムが、当初はPalo Altoレーベルから出たことを書いた
パロアルトというと、サンフランシスコの少し南、いわゆるシリコンバレーの入り口。いわゆるベイエリアといわれる辺りで、西海岸といっても、ロスやハリウッドとは違う一体だ。自分が好きで良く採り上げるコンコルド市はサンフランシスコ湾を挟んで反対側になる。
いずれにしても、ニューヨークともロスとも違う雰囲気の場所だ。パロアルトレーベルはこのパロアルト市に1981年にできた。いわゆる音楽監督には、評論家&プロデューサーであり、DJもやっていたHerb Wongが全面的に監修に加わった。

これも紹介したアルバムで、コーラスグループレアシルクのAmerican Eyesがラストアルバムとなる。3年近くの活動期間で80枚を超えるアルバムを出しているので、中には面白いアルバムもあるのだが・・・。

では、このレーベルのファーストアルバムはというと、このアルバムになる。ビッグバンド物であり、そのバンド自体が地元以外では全く無名なので、初アルバムにしてはインパクトが無い。
自分もこのアルバムをどうして持っているかもよく覚えていないが、たまたま珍しいビッグバンドアルバムという事で中古アルバムを纏めて購入した時に手に入れたのだろう。

という訳で、今回聴き直すのは初物を聴くような感じであった。
メンバーを見渡しても全く知らない、曲もオリジナルが多くスタンダードは数曲。とにかく聴くしかないというで、聴き始めると一曲目はベイシー、昔のハーマン風のスイングする曲。途中のフレーズは、サドメルのグルーブマーチャントをパクったのではないかというほど似た感じだ。しかし、サドメルのようなサックスのソリがある訳でもなく、ソロを無難に廻して終わる。

ジャケットをざっと眺めるとコンマス的な役割で、レイブラウンという名前がよく出てくるので、もしやと思ったが、これはベースのレイブラウンではなく、同姓同名のトランペッター。このアルバムではアレンジも提供しているが、ソロでもフィーチャーされている。70年代の前半はスタンケントンオーケストラに参加していたようだ。50年代は西海岸で活躍したほとんどのミュージシャンが、ケントンかハーマンの卒業生だったが、時代が変り、この時代になっても、ケントンのオーケストラの役割は変わっていなかったことを再認識。

コンベンショナルなバンドかと思ったが、2曲目になると8ビートに、次はスローな曲だが雰囲気はメイナードファーガソンのバンドの感じ。ただし、あの迫力とドライブ感はないので、そんなもんかで終わる。

80年代の最初というと、ニューヨークではサドジョーンが抜けた後、メルルイスオーケストラが頑張っていた。日本では高橋達也を始めとしてどのバンドも絶好調。それらのバンドと較べると色々やりたいのは分かるが、今一つ特徴がないバンドだ。

B面に移ると最初の組曲は、メイナードファーガソンのオーケストラでアレンジを担当していた故Willie Maidonに捧げた組曲。アレンジに力を入れたのだろうが、まずまずの出来。スタンダード曲のThe Song Is Youは、キャノンボールアダレイをイメージし、ソリストにPaul Robertsonが加わるが、その迫力はアダレイには及ばない。

という訳で、多分地元で活動していたビッグバンドのデビューアルバムであった。設立は1975年としばらく前から活動していたようだが、最初はやはりメイナードファーガソンのレパートリーを演奏してようだ。
そして、このバンドのもう一つの特徴は良く読むと、フルタイムのプロのミュージシャンが中心だが、地元の金融ファンドのエグゼクティブが3人がキーマンとして加わっていること。
Jim Berhamはレーベルのオーナー、Dent Handがプロデューサー、そしてPaul Robertsonがソリストとして。

演奏自体を採点すれば3つ星だが、小さな田舎町でも、このようなレーベル(アルバム)が地元の経営者の支援で立ち上げることができることには感服する。それを知ると、この3人の努力に敬意を払って、もう一つ星プラスしてもいいかも。
改めてジャケットを見渡したが、知っている名前は、コンコルドでお馴染みのレコーディングエンジニアのPhil Edwardsだけであった。


1. Neverbird             Ray Brown 6:06
2. Fast Buck’s           Paul Potyen 4:51
3. She’s Gone          Chuck Mangione 6:19
4. Mi Burrto             Ray Brown 4:11
5. My Man willie          Ray Brown 11:05
 1) Staraight Ahead Bebop
 2) The Epiyome of the Ballad
 3) In Orbit
6. The Song Is You         Jerome Kern 3:21
7. Procrastination City       Ray Brown 4;04


Full Faith & CreditBig Band

Steve Keller (as)
Dave Peterson (as)
Matt Schon (ts)
Chuck Wasekanes (ts)
Dennis Donovan (bs)
John Russel (tb)
Mike Birch (tb)
Joek Karp (tb)
Paul Williams (btb)
Dick Leland (btb)
Smith Donson (p)
Paul Polyen (p)
Sward McCain (b,eb)
Ed MacCary (ds)
Steve Brown (g)
Dave Esheiman (Baritone Horn)
Billy Robinson (tuba)
Ray Brown (flh)
Jim Benham (flh)
Paul Robertson (as)

Produced by Dent Hand
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Music Annex Mario Park CA


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スタジオ録音か、それともライブがいいか?オリジナルかカバーか?

2015-03-12 | MY FAVORITE ALBUM
The Japanese Tour / Supper Sax

常識的にはきちんと作られたスタジオ録音のアルバムの方がいいし、カバーがオリジナルを上回ることは滅多にないが、時には・・・。

サックス好き、それもアンサンブル好きにはたまらないグループにスーパーサックスというグループがあった。
有名プレーヤーのアドリブソロをコピーし、アンサンブル化するというのは時々行われるが、全編チャーリーパーカーのアドリブをアンサンブルで演奏するという試みには、最初びっくりした。
最初は西海岸のスタジオミュージシャンのお遊びかと思ったが、その出来栄えを聴いてさらにびっくり。

そして、中身をじっくり聴くと、パーカーのメロディーラインはもちろんアルトがとるが、バリトンがそのアルトにピッタリついて、あのパーカーのフレーズを吹いているのにまたまたびっくり。
アンサンブルで、バリトンは他のセクションと離れて一人我が道を行くことが多く、メロディーラインの引き立て役に回ることが常であるが、ここでは準主役のような扱いだ。
パーカーのフレーズをアルトでやるのも大変なのに、同じフレーズを図体の大きなバリトンでやるのはそれなりのテクニックが無いとできない芸当だと当時も感心した。

みんな揃ってサックスセクションのソリというのは良くあるが、普通それは一部だけ、全編ソリのようなアレンジはそうそうない。合わせるだけでも大変そうだと思ったが、彼等も最初は11カ月も練習したとか。

73年がアルバムデビューであったが、リーダーのメッドフローリーが思いついたのは、1955年ウディーハーマンオーケストラに居た時という。実は、その時のハーマンのオーケストラでは、同じような試みがラルフバーンズのアレンジの中でおこなわれていた。

56年にロスに移ると早速3曲、5サックス用の譜面が完成。さっそくメンバーを集めてリハーサルを行った。メンバーであったジョーマイニーが生きている間に、その内の一曲はテープに残したが、その後マイニーが亡くなってしまったこともあり、構想は立ち消えになっていた。その構想を復活して、このアルバムに繋げたてくれたのは、他の曲のスコアづくりに協力したベースのバディークラークのお蔭であった。

そして、最初のアルバムPlays Birdが実現することに。企画、内容ともにファンだけでなく関係者に感銘を与えたのだろう、その年のグラミー賞Best Instrumental Jazz Performanceをいきなり受賞する。キャピタルとの契約で、Salt Peanuts、with Stringsと続けて3枚のアルバムを出され、一躍世に知られることになる。

当然、レコードだけでなく、ライブでの要望も増えてくる。ロスでは地元のクラブドンテを本拠地にしていたが、日本にも話題になって評判が広まった75年1月に来日している。
2週間に渡る全国ツアーであった。同じ時期に大物マイルスのコンサートもあったが、ファンを魅了した。自分も聴きに行って、ライブの演奏にまたびっくりした記憶がある。

その時の演奏がこのアルバムである。CDになって世に出たのは20年近く経ってからだが、あの感激を再び味わえるだけでも自分にとっては有難いアルバムだ。





さらに、このグループのもう一つの特徴は、最初からトランペットのコンテカンドリやトロンボーンのカールフォンタナなど、ゲストのソリストを入れていたことだ。
こちらは、パーカーのアドリブアンサンブルとは関係なく自由にサックスセクションを引き継いでアドリブを繰り広げた。これがサックスのアンサンブルがノリノリの助走をつけた後のソロなので当然のようにいい感じになる。

この75年の来日に際しても、当初はコンテカンドリを予定していたが、レギュラーでテレビ番組に出演していたカンドリは、2週間も長い休みがとれないということで断念。トランペットのピンチヒッターは見つからず一人来日したのが、トロンボーンのフランクロソリーノであった。このロソリーノが2人分の活躍をする。

ロソリーノは先日紹介した、トロントへの遠征の前年、ソリストとしての活動に力を入れていた好調な時期であった。全曲で、ロソリーノのソロが存分にフィーチャーされているので、ロソリーノファンにもたまらないアルバムだ。前回紹介したギタートリオとの共演より、当然ながらスーパーサックスをバックにすると、ロソリーノの超絶テクニックは一層冴えわたる。

そして、最後にこのライブの素晴らしさが、サックスセクションの面々のソロもたっぷりと聴けることだ。特に、ソルトピーナツでは、アルバムでは聴けないウォーンマーシュのソロが聴けるのも貴重だ。最後のMoose the Moocheでは、サックスのソロのバトルも披露してくれる。
スタジオ録音より制約が少なくなり、演奏の自由度が増し、曲の時間も長くできるので、ライブならではのノリとなって終わる。

スーパーサックスのライブアルバムというのは、自分が知る限り他にはないので貴重だ。サドメル同様、ライブでこそ本当の魅力を味わえるバンドだ。
ライブがスタジオの演奏を上回るのは、このように大きな編成のグループでアンサンブルとソロが聴衆の反応に呼応して、上手くバランスよく収まった時のように思う。
オリジナルのパーカーも、ここまで拘ってカバーしてくれれば満足しているだろう。

そういえば今日、3月12日はパーカーの命日。恒例の日本のパーカーでもある澤田一範のwith Stringsのライブがある。これもなかなか聴けないライブ、まだ聴いた事の無い方は是非一度どうぞ。



1. Scrapple from the Apple            Charlie Parker 10:01
2. All the Things You Are  Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 10:51
3. Salt Peanuts                 Dizzy Gillespie 6:41
4. Parker's Mood                Charlie Parker 5:01
5. Just Friends          John Klenner / Sam M. Lewis 3:10
6. Ornithology           Benny Harris / Charlie Parker 7:54
7. Embraceable You        George Gershwin / Ira Gershwin 2:45
8. Moose the Mooche               Charlie Parker 8:49

Frank Rosolino (tb)
<Super Sax>
Med Flory (as)
Joe Lopes (as)
Warne Marsh (ts)
Jay Migliori (ts)
Jack Nimitz (bs)
Lou Levy (p)
Buddy Clark (b)
Jake Hanna (ds)

Tom Gramuglia Executive Producer
Produced by Bob Edmondson
Recorded in Tokyo, January 1975

The Japanese Tour
クリエーター情報なし
Hindsight Records
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遠来のゲストを迎え、ホットなプレーをクールな雰囲気で包み込み・・・

2015-03-09 | MY FAVORITE ALBUM
Thinking About You / Frank Rosolino

カナダのトロントを拠点として活動をしていたエドビッカートは、あまりツアーを好まなかった。Concordの録音のために、楽しいセッションとはいえわざわざサンフランシスコを訪れたのは大仕事であったろう。しかし一方で、地元を訪れたミュジージシャンとの共演は気軽に行っていたようだ。

トロンボーンの名手の一人にフランクロソリーノがいる。西海岸を中心にスタジオワークが多かったので、リーダーアルバムは少ない。しかしその実力の程は、リーダーアルバム以外でも随所で窺い知ることができる。スーパーサックスやクインシージョーンズのアルバムでもフィーチャーされていた。

晩年のインタビュー記事によると、バップオリエンテッドな正統派のトロンボーンのプレーをけっして忘れていたわけではなく、完全にスタジオ入りしてしまったミュージシャンとは一線を引いていあた。そのプレーを錆びつけさせないよう、日頃から色々なgigに顔を出していたそうだ。しかし、そのような日頃の演奏は数多く残されている訳ではない。という点で。このアルバムは貴重かもしれない。

このロソリーノが、一人カナダのトロントを訪れ、地元のクラブBourbon Streetに出演したが、迎えたのは地元のエドビッカートのトリオであった。その時のライブ録音が、このアルバムだ。
メンバーは、カナダ出身のベースのドントンプソン、ドラムのテリークラーク。彼等は、この後、ジム―ホールやジョージシアリングのグループに加わりアメリカでも活躍する。派手さは無いが堅実なプレーヤー達だ。

ロソリーノは、コンボでも大きな編成でも、いかなる状況でもプレーは変わらない。饒舌であり、歯切れの良いプレーは、アップテンポでもバラードでも、どちらも得意とする。
これだけ音色が綺麗でテクニックある、かつ歌心のあるプレーが連続すると、演奏自体が盛り上がってくるものだが、その熱さを感じない所がロソリーノの凄さだろう。ロソリーノのプレーが三人を引っ張っていくが、結果的にクールなサウンドのビッカートのトリオとも上手く溶け合っている。
良くダイナミックレンジが広いという言い方をするが、静と動のバランスがいい。ビッグバンドでも、ひたすら大音量のバンドを一瞬迫力があって凄いと思うが、実は小さい音と大きな音のメリハリが効いた演奏の方が、プレー自体のダイナミズムを感じるものだ。

このセッションはゲストでもあるロソリーノがメインになるが、ビッカートのギターも捨てたものではない。特に、ピアノレスということもあり、バックに回った時の上手さが一段と光る。玄人受けするとはこのようなプレーなのだろう。



おどけた表情の写真がジャケットに使われることが多かったロソリーノ。このアルバムの絵の表情には偶然かもしれないが少し陰りが感じられる。絵としてはいいのだが、陽気で楽しい雰囲気の中でいつも涼しげにホットな演奏を聴かせてくれるのが、今回は何か思う所があるといった感じの表情だ。

順風満帆に思えたロソリーノだが、この2年後に自宅でピストルによって自らの命を落とす。人それぞれ人生には色々人に言えない悩みがある。プレーをしている時は、日頃の悩みも忘れていたのだろう、顔つきとは違っていい演奏なのだが。

このLPでは4曲だけだが、CDの再発ではLPの曲もノーカットで収録され、残りの曲も含めて2枚組で出ているようだ。
全曲を聴いてみたい演奏だ。

1. Sweet and Lonely     Gus Arnheim / Jules LeMare / Harry Tobias 13:00  
2. Who Can I Turn To?           William Engvick / Alec Wilder 9:10
3. 'Round Midnight Bernie Hanighen / Thelonious Monk / Cootie Williams 11:10
4. I Thought About You        James Van Heusen / Johnny Mercer 8:00

Frank Rosolino (tb)
Ed Bickert (g)
Don Thompson (b)
Terry Clarke (ds)

Produced by Bill Smith
Recorded by Don Thompson
Recorded live at Bourbon Street, Tronto, on April 21, 22, 23 1976

Thinking About You
クリエーター情報なし
Sackville Records
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ジェリーマリガンのコンサートジャズバンドの特徴はアレンジだけではなく・・・

2015-03-08 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz band at Newport 1960

編曲を得意とするミュージシャンは、他のバンドにアレンジを提供するだけでなく、もちろん自分のバンドでもそのアレンジを披露する。しかし、ビッグバンドとなると自分のバンドを持つのは経済的な面からも難しい。そこで、どうしてもリハーサルバンドが主体になってくる。

ジェリーマリガンはバリトンサックスプレーヤーとして有名だが、一方で作編曲でも活躍した。1982年に自らのビッグバンドの演奏でグラミー賞を受賞したが、このマリガンのコンサートジャズバンドが最初に編成されたのは1960年。
世の中ハードバップからファンキーブームへまっしぐらであったこの時期、マリガンが世の中の流れに反して、自分のアレンジを好きに演奏できるレギュラーバンドとしてビッグバンドを立ち上げられたのには一つ理由があった。

マリガンの代表的な曲にI want to live (私は死にたくない)という作品があるが、これは同名の映画の主題歌。主題歌だけでなくサウンドトラック全編がマリガンのグループの演奏であった。
これをきっかけに、マリガンは映画にも多く出演することになり、マリガンのグループ御一行様はロスに長期間滞在することになる。実は、この映画出演はマリガンを日々のツアーから解放しロスに落ち着けただけでなく、経済的も恩恵を与えた。要は自分のやりたい演奏活動の軍資金を映画で稼ぐことができたというだ。
そこで、念願であった自分のビッグバンドである、コンサートジャズバンドを編成することができた。

このバンドは普通のコンボより大編成でビッグバンドよりは小振りな編成だが、実にユニークなサウンドをしている。ソリストが充実していてあるだけでなく、マリガンをはじめとして他のアレンジャーの編曲も多く採用しているが、もうひとつ大きな特徴があった。

このコンサートジャズバンドに関しては、そのグループにも参加したベースのビル・クロウが、自らの著書「さよならバードランド」の中でも書き残している。そこにその特徴についての記述があるので引用しておくことにする。

「素晴らしいソロイストが揃っていることはもちろんだが、そのバンドの大きな財産はそれぞれのセクションに腕利きのリフ・メーカーが控えていることだった。ジェリー、クラーク、そしてボブだ。大抵の場合、僕らは誰かがソロを終えても、ジェリーの指示があるまでは、すぐに次の譜面部分に移らなかった。ソロイストが2コーラス目、3コーラス目に入ると、ジェリーは即興でバックグラウンド・リフを作り上げ、他のリード奏者たちもユニゾンなりハーモニーなりでそれに加わった。一方ブラスセクションではボブやクラークがそれに対するカウンターリフを作っていった。そして僕らは力強く新しいものをどんどん展開していって、そのまま次の譜面部分に突入していくことになった。」とある。

これが、マリガンのコンサートジャズバンドの特徴であった。
モダンビッグバンドになってソロが重視され、アンサンブルが多様化していったなかで、古いジャズが持っていたソロを盛り立てるためのバックの即興的なリフがいつの間にか無くなっていったが、それをグループの演奏で見事に復活させた。これが、参加しているミュージシャンがこのバンドで演奏することが楽しかったという一つの理由であったのだろう。

ニューヨークで立ち上げたバンドは、西海岸でもコンサートを開き、その年のニューポートの舞台にも立った。その時の演奏がオコナー神父のアナウンスから、マリガンのMCまでそのままアルバムになっている。通して聴くと、このバンドの特徴に合わせて会場の雰囲気も良く分かる。

このバンドは、その後ノーマングランツがバックアップしていたが、グランツがVerveをMGMに売却すると同時に、それまでのような活動の支援は無くなり、存続できなくなり解散してしまった。レコーディングやコンサートのために再編されることはあっても、メンバーの中でも最初の熱気は感じられなくなったという。

やはり、ビッグバンドを継続的に運営し、参加するミュージシャンが熱くプレーし続けるためには、経済的な支えとその演奏を楽しむファンの存在の両方が必要ということだろう。

1.  Utter Chaos                Gerry Mulligan  1:25
2.  Broadway             H.Woods/T.Mcrae/B.bird 10.03
3.  Theme From 'I Want To Live         Johnny Mandell 5:27
4,  Out Of This World        Harold Arlen/Johnny Mercer  4:03
5.  Manoir De Mes Reves           Django Reinhard  4:32
6,  18 Carrots For Rabbit            Gerry Mulligan 6:18
7.  Walkin' Shoes                Gerry Mulligan 5:41
8,  Sweet And Slow           Harry Warren/Al Dubin 5:29
9.  I’m Gonna Go Fishin'        Duke Ellington/Peggy Lee 6:27
10.  Blueport                    Art Farmer 6:31
11.  Utter                       Chaos/Closing 0:48


GERRY MULLIGAN AND THE CONCERT JAZZ BAND
Don Ferrara, Phil Sunkel, Conte Candoli (tp)
Bob Brookmeyer (vtb), Wayne Andre (tb), Alan Raph (b-tb)
Gene Quill (as, cl), Dick Meldonian (as), Jim Reider (ts), Gene Allen (bs, bcl),
Gerry Mulligan (bs, p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (dm)

Recorded live at Newport Jazz Festival, Freebody Park, Newport, Rhode Island, July 1, 1960


The Concert Jazz Band at Newport 1960
クリエーター情報なし
Ais
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ボーカルのバックはやはりボーカルを超えない程度に・・・

2015-03-05 | MY FAVORITE ALBUM
Just Friends / Helen Merrill featuring Stan Getz

まだ北国は寒い日が続きているが、3月に入って関東は春らしくなってきた。昨日は雨予報であったが天気の回復は早く、朝から好天に恵まれポカポカ陽気のゴルフ日和。

ゴルフの方は寄る年波には勝てず、最近飛ばなくなっただけでなく集中力も散漫になりますます下手になっている。練習もすっかりご無沙汰だが、先日後輩から久々にワンポイントアドバイスを貰った。知らない間に大分フォームも乱れていたが、原因はどうやらスタンスの向きであったようだ。それを直すと、不思議と球筋が違ってきた。

昨日の前半は久々の絶好調、バーディー逃しでスタートしたがパーオンが続く。グリーンが難しくパットに悩まされスコアは今一つであったが久々に爽快な気分。全盛期のようにはいかなくとも、これで何とかまだ若者達とのラウンドを諦めなくてすみそうだ。「年寄ゴルフ」への転向はまだもう少し先だ。

先日、ダイアンシュアのライブに出掛けた。久しぶりに聴く彼女の弾き語りであったが、彼女もいつの間にか還暦を迎えていた。
GRPでデビューし、カウントベイシーやメイナードファーガソンなどのビッグバンドとの共演や、BBキングとの共演など活動の幅は広く、誰と共演しても競い負けることのないダイナミズムを持ったボーカルが売りであった。
今回は自分のピアノトリオにテナーだけを加えた小さな編成のしっとりモードの演奏。曲もスタンダードが多く、このようなダイアンシュアも年相応の魅力が出ていい感じだなと思った。

4月に昨年体調不良で公演がキャンセルされたヘレンメリルがまた来日するようだ。先日のクラークテリーのようにベテランの訃報に接すると、聴ける間にもう一度聴いておかねばという気持ちになる。
彼女のボーカルというと有名なクリフォードブラウンとの共演アルバム以外にも、管楽器との共演した魅力的な作品が多い。先日紹介したペッパーアダムスとの共演も、単なる歌伴以上のコラボを生み出していた。メリルと共演の場合はバックを務めるというより、立派な共演者の一人だ。

ダイアンシュアといえば、彼女を表舞台に立たせたのはスタンゲッツであったが、ヘレンメリルにもスタンゲッツとの共演作があった。ピアノがヨヒアムキューン、ドラムにダニエルユーメルというのも魅力だ。
録音されたのは1989年、ゲッツにとっては60歳を過ぎての晩年の録音となる。メリルもまさに還暦を迎えようとしていた時の熟年コンビだ。

Cavitinaで始まる演奏は、最初はゆったりとそしてだんだんとテンポも上がり、タイトル曲ジャストフレンド、そしてIt Don’t Mean A Thingでは、メリルもゲッツも絶好調のノリとなる。



メリルの歌はもともと絶叫型ではないハスキーボイス。それが歳相応に円熟味を増している。ゲッツも同様だが、さらにメリルのバック(いや相方)というのを十分にわきまえた演奏だ。けっしてメリルの歌に対抗心を持つのではなく、引き立て役に徹している。これがゲッツの良い所だろう。熟年の2人でなければできないコラボだと思う。

そのメリルも今では80代の半ば。今でも元気に歌い続けているだけでも敬服する。その年になって自分は果たしてゴルフが続けていられるか?飛ばなくなったとか、下手になったという以前に、メリルの様にその年になってもコースに出られるようになりたいものだ。

1. Cavatina              Cleo Laine / Stanley Myers 5:47
2. It Never Entered My Mind    Lorenz Hart / Richard Rodgers 6:12
3. Just Friends            John Klenner / Sam M. Lewis 4:38
4. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)Duke Ellington / Irving Mills 6:01
5. Baby Ain't I Good to You             Don Redman 2:50
6. It's Not Easy Being Green             Joe Raposo 2:54
7. If You Go Away           Jacques Brel / Rod McKuen 4:02
8. Yesterday                    Jerome. Kern 6:43
9. Music Makers            Helen Merrill / Torrie Zito 5:17

Helen Merrill (vol)
Stan Getz (ts)
Joachim Kühn (p)
Torrie Zito (p)
Jean-François Jenny-Clark (b)
Daniel Humair (ds)

Produced by Jean-Philippe Allard & Kiyoshi "Boxman" Koyama

except (5,6,7)
Recorded on June 11&12, 1988 at Studio Guilaume tell, Paris, France
Engineer : Thierry Rogen

(5,6,7)
Recorded on June 19 6 July 5, 1989 at Clinton Studio,New York
Engineer : Ed Rak


Just Friends
Helen Merrill
Uni/Verve
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「クールの誕生」は新たなジャズ誕生のはじめの一歩であった・・・

2015-03-03 | MY FAVORITE ALBUM
Birth Of The Cool / Miles Davis Nonet

ジェリーマリガンのアレンジといえばマイルスの「クールの誕生」が有名だ。しかし、有名なアルバムだと演奏の中身はすぐに思い起こせても、他の情報も知っているつもりになって、実はあまり詳細を知らない事が多い。このクールの誕生もそんなアルバムの一枚だ。
先日、話に出たついでに久々に聴き返してみた。良く言えば耳の心地よいサウンドに、悪く言えば刺激のない平板な流れの中で、いつもあっと言う間に聴き終えてしまうアルバムだ。

まずは、このグループができた年を改めて知ってびっくり。戦後まもなく、自分がまだ生まれていない1948年に誕生している。レコーディングのためだけでなくロイヤルルーストにライブ出演していた。スタジオ録音は翌年になるがもちろんSPだ。曲が短いのもそのせいだろう。裏表で何枚かのSPがリリースされ、当然今のようなアルバムにもなっていなかったし、その時はクールの誕生などというアルバムタイトルもついていなかった。このアルバム形態になったのはしばらくしてからだ。。

ビッグバンド編成でもない大型コンボの編成。それにチューバやフレンチホルンが加わる。
確かに斬新なサウンドだ。何も、クールサウンドを作る事が目的ではなかっただろう。ホットなアドリブソロがクローズアップされている中で、反対にアレンジされた演奏を極めたいと思ったのだろうが、この演奏を聴いたファンはどのように感じていたのだろう。マイルス自身も、直前にはパーカーと一緒に演奏し初レコーディングをしたが、このグループでは全く違う試みをしている。

このサウンドを作り出したのは、ギルエバンスを中心に、ジョンルイスとジェリーマリガン、それにマイルスが加わっての共同作業だった。最初は誰がアレンジをしたかも正確には伝わっていなかったようだが、最後に譜面に起こしたのはジェリーマリガン。多くの曲を担当したそうだ。もちろん、バリトンサックスも演奏しソロの出番も多いが、やはり編曲で大きく活躍したようだ。

世間の動きに惑わされることなく、このようなアレンジをし、演奏をしたミュージシャン達も偉いが、ライブを行い、レコーディングの段取りをした関係者もまた偉いと思う。ピートルゴロがプロデューサーとなっているが、真相は???のようだ。マリガンのアレンジへの関わり方を含めて、まさにこの「クールサウンド」の誕生については、その後調査、解明が進んだという話を昔読んだ記憶があった。今度探してみよう。

マリガンだけでなく、このグループに参加したメンバーは、この後それぞれの道を歩む。マイルスばかりに日が当たるが、他のメンバーも錚々たるメンバーだ。それぞれがこのグループでの経験を生かして明らかに他のグループとは違うサウンドづくりにチャレンジしていった。

その後、ジョンルイスの作ったのがMJQ。そのクラシカルなサウンドはワン&オンリーだった。マリガンもチェットベイカーやブルックマイヤーとのカルテットでは、アレンジを重視したコラボプレーにチャレンジする。さらにマリガンは、ショーティーロジャースなど西海岸の面々に、大きな編成でのアレンジされたサウンドづくりを引き継ぐ。これがウェストコーストコーストジャズへ育つ。
トロンボーンのJ&Kの2人も参加していた。やはり2人はコラボとコンビネーションを大事にした単なるバトルチームでは無かった。リーコニッツもクールなトーンを生かして、独自の路線を歩く。
ドラムのマックスローチとケニークラークもしかり。2人ともどこか理性を感じさせる演奏だ。ケニークラークがサボイレーベルのサウンドづくりに果たした役割も大きかったように思う。

という意味でも、このアルバムはマイルスのアルバムというよりは、参加したメンバー人一人の出発点となるアルバムだと思う。
そして、時代を経てそれぞれがまた進化していった。このアルバムを作ったグループのメンバー達がジャズの歴史のある部分の原点となったのは間違いない。アンサンブル物が好きな自分にとっても、出発点の一枚だ。

ちょうどバップの萌芽期、モダンジャズの大きな動きがホットなソロ中心の演奏に流されそうになった時、反対の動きが起こるのもある種の世の必然であったのかもしれない。
たまたまその場にマイルスが居合わせたということだろう。

1. Move                     Denzil Best 2:35
2. Jeru                   Gerry Mulligan 3:10
3. Moon Dreams     Chummy MacGregor / Johnny Mercer 3:21
4. Venus de Milo       Gerry Mulligan 3:14
5. Budo             Miles Davis / Bud Powell 2:34
6. Deception                 Miles Davis 2:50
7. Godchild               George Wallington 3:12
8. Boplicity                 Cleo Henry 3:02
9. Rocker                 Gerry Mulligan 3:07
10. Israel                  Johnny Carisi 2:19
11. Rouge                    John Lewis 3:17

Walter Rivers Producer
Pete Rugolo Producer

Miles Davis (tp.Arr)
Gerry Mulligan (bs,arr)
Kai Winding (tb)
J.J. Johnson (tb)
Lee Konitz (as)
John Lewis (p.arr)
Gunther Schuller (frh)
Sandy Siegelstein (frh)
Billy Barber (tuba)
John Barber (tuba)
Al McKibbon (b)
Nelson Boyd (b)
Kenny Clarke (ds)
Max Roach (ds)

Recoreded in NYC, April 22, 1949 & March 9, 1950




Birth of the Cool
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Blue Note Records
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20年ぶりのビッグバンドだったが、めでたくグラミー賞を・・・・

2015-03-01 | MY FAVORITE ALBUM
Walk On The Water / Gerry Mulligan &His Orchestra

1981年2月、テレビ番組用のディジーガレスピーのドリームバンドの企画に主役の一人として参画したのがジェリーマリガンであったのは先日このDVDの紹介の中で述べたとおりだ。
メインソリストとしても登場していたが、バックのドリームバンドのオーケストラのスコアも、スライドハンプトンに加えてマリガンもアレンジで加わったようだ。ガレスピーのビッグバンドにマリガンのアレンジでは?というのも気になったが、マリガンの出しゃばりぶりには、他のメンバー達はへそを曲げていたようであった。

バリトンサックスの第一人者として名を成したマリガンであるが、そもそもマリガンのミュージシャン生活の始まりはアレンジャーとしてであった。まだティーンネイジャーの時にプロのアレンジャーデビューを果たしている。7歳からピアノを初め、クラリネットを学び、そしてテーナーを学んだ先生でもあったSam Correntiからの勧めもあってアレンジの勉強を始めたという。決して専門的な教育を受けた訳でもなさそうだ。演奏だけでなく、作編曲を含めて、マリガンのメロディアスな音楽性は天性のものなのだろう。

アレンジャーとして後世に残る大役を果たしたのは、マイルスの名盤「クールの誕生」が最初だろう。この時一緒だったギルエバンスの影響もあるのか、まだスイング時代の名残が普通のアレンジとは一線を引く特徴あるものだった。
マリガンは大きな編成だけでなく、カルテットでもアレンジを施した演奏をする。日頃からアレンジは数多く手掛けていたとは思うが、やはり本格的なアレンジとなると大編成になる。

そのマリガンが、大編成のアレンジと演奏にチャレンジしてビッグバンドを編成したのはちょうど60年代に入った時だった。コンサートジャズバンドと命名され、ダンスバンドではない事を宣言し、じっくり聴かせるための演奏活動を行った。このオーケストラに加わっていたベースのビルクロウが著書「さよならバードランド」の中で語っているが、このバンドに参加していたミュージシャンも、この仕事を最優先にして演奏にも熱が入っていたという。しかし、スポンサーでもあったノーマングランツが去ると、この大きな編成のグループは解散となった。それ以降、マリガンのビッグバンドが編成されたという話を聞く事はなかったのだが・・・・。

実はこのアルバムを作る数年前、70年代の後半からメルトーメのバックを務めるビッグバンドを編成し、マリガンはビッグバンドの活動を再開していた。そして、ガレスピーのドリームバンドの企画を詰めていた時、自らのビッグバンドを編成して各地でコンサート活動も行っていた。最初は昔の曲の再演であったようだが、徐々に新しい曲やアレンジも加わって、新生コンサートジャズバンドは確実に活動を続けていた。
バリトンサックスではアダムスの急迫を受け、長年守っていた王座の地位も危うくなっていたが、アレンジャー&ビッグバンドとしては再び注目を浴びつつあった。
そして、一年以上に渡るその活動の成果ともいえるのが、このアルバムとなった。

ちょっと聴くと軽い感じの何の変哲もない演奏に聴こえる。ビッグバンドでお馴染みのセクションごとのアンサンブルの対比も無い、強烈なハイノートがある訳でもない。マリガンのアレンジというのは、先日紹介しているデュークピアソンと同様、コンボ用のアレンジを拡大した感じになる。ギルエバンスを源とする、ボブブルックマイヤーや、マリアシュナイダーと相通じるものだ。トランペットのトムハレル、ピアノのミッチェルフォアマン、そしてマリガン自身のバリトンもペッパーアダムスのそれとは好対照だが、時にはソプラノを交えて、皆、アレンジに実にピッタリなソロを繰り広げる。
メロディーを大事にするいいアレンジとはこのような物をいうのだろう。小難しい複雑なアレンジが必ずしもいいアレンジだとは思わない。

そして、このアルバムは翌1982年のグラミー賞のビッグバンド部門で見事に受賞を果たす。60年のコンサートジャズバンドと較べると活動も地味だったし、アルバムも(多分)このアルバムしかないが、60年代同様、再びビッグバンドの新時代の幕開きを務めたのもマリガンのコンサートバンドであった。

1. For An Unfinished Woman       Gerry Mulligan 7:13
2. Song For Strayhorn          Gerry Mulligan 6:08
3. 42nd And Broadway          Gerry Mulligan 5:07
4. Angelica               Mitchel Forman  6:25
5. Walk On The Water          Gerry Mulligan 4:24
6. Across The Track Blues        Duke Ellington  3:10
7. I'm Getting Sentimental Over You  George Bassman / Ned Washington 6:06

GERRY MULLIGAN AND HIS CONCERT JAZZ BAND
Gerry Mulligan (bs, ss, arr)
Laurie Frink, Barry Ries, Tom Harrell, Mike Davis, Danny Hayes (tp)
Keith, O’Quinn, Dave Glenn, Alan Raph (tb)
Eric Turkel, Gerry Niewood, Ken Hitchcock (as)
Gary Keller, Ralph Olson, Seth Broedy (ts), Joe Temperly (bs)
Mitchel Forman (p), Jay Leonhart (b), Mike Bocchicchio (b), Richie de Rosa (ds)
Tom Fay (arr)

Recorded at Downtown Sound Studios, New York City, N.Y., September, 1980


Walk on the Water
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Drg
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2人の明るいキャラの共演はCMにも使われたが・・

2015-02-25 | MY FAVORITE ALBUM
Take Double / Clark Terry & Jon Faddis

クラークテリーの訃報が届いた。しばらく前、病床から盲目のピアニストを指導するドキュメンタリーがあったが、長い闘病生活だったようだ。享年94歳、晩年までプレーを続け名人芸を聴かせてくれたが、またジャズの歴史の生き字引であり、すべてのトランぺッターの師匠ともいえる一人が逝ってしまった。

好きなミュージシャンは?と聞かれて、すぐに名前がでるミュージシャンは何人かいる。
長くジャズを聴いていると時代と共に好みも変化し他に何人もいるが咄嗟には出てこない。しかし、意識して集めた訳でもないのに、新旧合わせて多くのアルバムを持っているミュージシャンは、やはり潜在的に好きなミュージシャンなのだろう。
自分にとって、このクラークテリーはそのような一人だ。

エマーシーのクラークテリーというアルバムは、ジャズを聴き始めた頃に買い求めたアルバムだ。何故このアルバムを買ったか覚えていないが、それ以降もテリーの参加しているアルバムを買う機会は多かった。オスカーピーターソントリオとの共演アルバムも良く聴いた。ボブブルックマイヤーとのコンビも好きなアルバムだった。そして、テリーのビッグバンドも。さらに、キャロルスローンとのボーカルデュエットも好きなアルバムだ。

クラークテリーは昔からビッグバンド生活が長かった。それもカウントベイシーとデュークエリントンの両方のオーケストラに在籍した珍しい存在だ。その後クインシーのオーケストラの立上げにも加わり、マリガンのコンサートジャズバンドにもいた。そしてスタジオワークも多く、主役でなくとも、良く知られたアルバムのバックに参加したことも数多い。自分が紹介したアルバムだけでも、テリーが参加しているアルバムは30枚近くある。

クラークテリーは後進の良き指導者であったことも有名だ。若いマイルスを始めとして、クインシージョーンズを鍛えたのもテリーだった。クインシーがビッグバンドを立ち上げた時、自ら参加したのも、弟子が立派に育ったのが嬉しかった親心からだったかもしれない。
誰にも好かれる職人肌の面倒見の良い大先輩だったようだ。

ジョンファディスは、ある意味クラークテリーのライバルであったディジーガレスピーの直系の後継者と呼ばれていた。ガレスピーを師と崇め、ガレスピーのスタイルをまね、あの45度上に向いたトランペットを手にしていたこともある。ガレスピーも可愛がっていた。ハイノートを武器に色々なバンドで活躍してきたが、最近はあまり聴く機会がなかったのだが・・・。

そのファディスが昨年来日した。斑尾によく来ていた時は、若々しいプレーが売りであったが、昨年久々にライブを聴きに行くと、精悍さにすっかり貫禄がついてどっしり落ち着いた感じになっていた。若いと思っていたこのファディスも還暦を過ぎて、そろそろ長老の仲間入りをする歳になっていた。サドメルに参加して来日してから、すでに40年も経っているのだから当然と言えば当然であるが。

今回の公演はワンホーンのコンボという事もあり、ハイノートを駆使したダイナミックなプレーというよりは、時はリリカルに、そして時には小気味良く、味わいのあるプレーを披露してくれた。ガレスピー直系と思われているが、実はアームストロングからマイルスまで名だたるプレーヤーを研究しつくしたといわれ、どんなプレーヤーの演奏もできるという実力者だ。

このファディスとクラークテリーが一時コンビを組んだ事がある。
1980年代の丁度半ば、世の中ジャズブームに沸いていた頃、ジャズミュージシャンやジャズの名曲が数多くブラウン管に登場した。サミーデイビスJr,でヒットしたサントリーホワイトのコマーシャルにもジャズマンを起用したシリーズがあった。ロンカーターやハービーハンコックに続き、このクラークテリーとジョンファディスのコンビが3作目で起用された。それをきっかけに作られたアルバムがこのアルバムだ。

1曲目、2曲目がそのコマーシャルの曲。それに追加のセッションが行われ一枚のアルバムに仕上がっている。CMに使われた曲は、CMに合わせて明るい楽しい雰囲気の曲。
他も、ブルースからカリブ調のMiami Stretchがあったかと思えば、エリントンナンバーのスイングが無ければ・・では、2人のスキャットの掛け合いも楽しめる。
けっして大作ではないが、2人のキャラクターを上手く掛け合わせた楽しいアルバムだ。


1. Straight Up  2:45
2. Take Double  2:48
3. Traffic Jam  5:35
4. Blues for K. K.  8:04
5. Miami Stretch  6:47
6. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  8:27
7. Climbing Old Fuji  6:10

Clark Terry (tp,flh)
Jon Faddis (tp,flh)
Harold Danko (p) #1,2
Dado Moroni (p)
George Mraz (b) #1,2
Jimmy Woode (b)
Terry Lyne Carrington (ds) #1,2
Ed Thigpen (ds)

1,2 
Recorded at Clington Recording Studio, New York, February 27, 1986
Others
Recorded at Powerplay Recording Studio, Maur Zurich, Switzerland, May 19, 1986

テイク・ダブル
クリエーター情報なし
フィリップス
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駄目出しされたのはピアノかヴォーカルか・・・?

2015-02-23 | MY FAVORITE ALBUM
Wein, Women & Song / George Wein

世間ではすっかり禁煙が当たり前になり、喫煙家にとっては住みにくい世の中になった。タバコ産業も世界的に縮小傾向のようだが、昨年大型の買収劇があった。レイノルズ社が、同業の老舗ロリラード社を2兆5千億円で買収した。市場が小さくなったとはいえ、まだまだ巨大産業のようだ。昔は、このたばこ業界がジャズフェスティバルを支えていたこともあったのだが。

ジャズフェスティバルのプロデューサーといえば、有名なのはジョージウェイン。ニューポートジャズフェスティバルはジョージウェインが始めたといわれ、日本でも斑尾とかオーレックスなども、さらにウェインが手掛けたジャズフェスティバルは世界中で開かれた。

ウェインの最初の成果は、1954年から始まったニューポートジャズフェスティバルだが、実際には、その創始者は地元の名士、たばこ事業で財を成したロリラード家のイレーン・ロリラードであった。
地元ニューポートの社交界では新参者であった彼女が、地元の反対に屈せずNPOを作ってジャズフェスティバルを誘致したのが始まりであったようだ。
その経緯は、この「ニューポートジャズフェスティバルはこうして始まった」という本に、1954年〜1960年のフェスティバルの裏話を含めて詳しく語られている。
最も、ジャズには全く素人であった彼女は、実際の企画、段取りをNPOに参加した、ジョージウェインに全面的に委任した。



初年度は赤字を覚悟し立上げの費用は全面的に彼女が負担する約束でスタートするが、初年度から収支トントンまでもっていったのはやはりウェインの手腕に負うところが大きい。そして、回を重ねるに従って確実に収益を出すように育てたが、ウェインもしっかりとマネジメントフィーを得ている。
とういう意味では、ウェインなしではフェスティバルは存続しえなかった訳で、最初の立上げメンバーに加わっていた創始者グループの一人であることに間違いはない。

その、ジョージウェインだが、その話が起こった1953年には、ニューポートに近いボストンでストリーヴィルというジャズのレーベルを持ち、同名のジャズクラブとマホガニーホールという2件のジャズクラブを経営していた。まだ28歳の若さであったが、決して儲からない赤字続きの道楽ともいえる仕事ができていたのも、母親の理解と支援があったからだと言われている。

もともと、音楽好きの家庭に育ち子供の頃からピアノを習ったが、その先生はサージチャロフの母親であった。そんなウェインはクラブでは自分でもピアノを弾くことも多かったようだ。
ところがある時、自分が雇っていたドラムのジョージョーンズから、雇い主のウェインに対し「そろそろピアノでミュージシャンを目指すのか、それともクラブオーナーに徹するか、どちらかはっきりした方がいいのでは? ただし、自分はピアニストとして貴方を雇うつもりはあるませんから」と、半ば引退宣言を受けることになる。そんな時に、ニューポートジャズフェスティバルの運営の相談を受けたことになる。

ウェインの演奏というのは、自分のレーベル「ストリーヴィル」ではシドニーベシエの演奏などで聴く事ができるが、基本的にはスイング系の演奏を得意として、その後ニューポートの舞台でもスイング系のミュージシャンと一緒に演奏することはあった

そんなウェインが、ニューポートの仕事も1年目の開催を無事に終えその年の準備に忙しい時期に、一枚のアルバムを作った。ここでは、ジョーンズにNGを出されたピアノではなくヴォーカルアルバムであった。もちろん、ピアノも自分で弾いているので、弾き語りをタップリ堪能できる。レーベルの自分のレーベルではなく、Atlanticであった。



若い頃の写真はあまり見たことがないが、見た目の感じとは少し違って、高めの音域の小粋な歌い方をする。スインギーなピアノともマッチしたなかなか本格的なヴォーカルだ。少なくともウディーハーマンの歌よりは上手い。ヴォーカルは圧倒的に女性優位で、男性ヴォーカルは唯でさえ聴く機会が少ないが、このような粋な弾き語りのヴォーカルには最近めぐりえ会えていない。



このアルバムのセッションは2回に分かれているが、最初のセッションは地元出身のルビーブラフとテナーのサム・マーゴリスが加わり、実にスインギーな歌と演奏だ。2回目はトランペットがボビーハケットに替わるが、こちらも同様に歌だけでなくミュートプレーとの掛け合いが楽しい。そして、この後半の6月のセッションには、ピアノにNGを出したジョージョーンズが加わっている。

ピアノは駄目でも。ヴォーカルは合格点だったのかもしれない。

ウェインはまだまだ元気なようで、比較的最近の演奏もこちらで聴ける。
Vince Giordano, George Wein and Company perform "The Mooch"

1. You Ought to Be in Pictures                  Dana Suesse2:30
2. All Too Soon                 Duke Ellington / Carl Sigman 3:57
3. Back in Your Own Backyard   Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose 2:45
4. Pennies from Heaven         Johnny Burke / Arthur Johnston 3:57
5. I'm Through with Love    Gus Kahn / Jay Livingston / Matty Malneck 3:18
6. Did I Remember           Harold Adamson / Walter Donaldson 3:01
7. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Lette   Fred E. Ahlert / Joe Young 3:05
8. Why Try to Change Me Now            Cy Coleman 3:46
9. You're Lucky to Me                 Eubie Blake / Andy Razaf 2:41
10. I Married an Angel               Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:12
11. Once in a While                   Michael Edwards / Bud Green 2:27
12. Please                       Ralph Rainger / Leo Robin 2:20
13. Who Cares                          George Gershwin 2:32

George Wein (p,vocal)
Ruby Braff (tp)
Sammy Margolis (ts)
Stan Wheeler (b)
Marquis Foster (ds)

Recorded in New York, April 1955
Recording Engineer : Johnny Cou

Gerge Wein (p,vocal)
Bobby Hackett as Wally Wales (tp)
Bill Perberton (b)
Jo Jones (ds)

Recorded in New York, June 1955
Recording Engineer : Tony Janack

ウェイン、ウイミン&ソング
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ワーナーミュージック・ジャパン
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デュークピアソンのトリオ演奏をもっと聴きたかったのだが・・・

2015-02-17 | MY FAVORITE ALBUM


Profile / Duke Pearson

ブルーノートをリバティーに売却したアルフレッドライオンを引退する最後までサポートしたのは、デュークピアソンであった。ピアソンはライオンが去った後、残ったフランシスウルフを支えて、70年代の最初までブルーノートに残ったが、ウルフが亡くなるとピアソンもブルーノートを去った。
長いブルーノート生活ではアレンジャー、そしてA&Rマンとしての活躍が長かったが、そもそもピアソンがブルーノートと付き合い始めたのはアルフレッドライオンにピアノのプレーを認められたからであった。

アトランタ出身のピアソンがニューヨークに出てきたのは1959年、ドナルドバードのグループに加わってFuegoのアルバムに参加したのがライオンとの出会いであった。
一目惚れとはこの事だろう。ピアソンのピアノが気に入ったライオンは、すぐにピアソンのトリオアルバムを作った、それが、このアルバム、"Profile"だ。そして2カ月も経たない内に、もう一枚のアルバム"Tender Feelin's"を作った。ピアソンのアルバムとしては一番知られているアルバムだと思う。



そして、それに続くアルバムを期待したファンも多いとは思うが、ピアニストとしての本領を発揮したトリオアルバムというのはほとんどない。
最初に出会ったドナルドバードとはその後も一緒に演奏することが多く、バードとペッパーアダムスとのクインテットにも参加していたが、その後、活動の主体はピアノからアレンジへと移っていった。

そもそもピアソンの音楽家としての生活は管楽器からスタートしたという。何種類の楽器を演奏した中からトランペットを選んで本格的に演奏活動をし始めた矢先、歯か顎に問題が生じトランペットを断念せざるを得なかった。それで、本格的にピアノに転じたのは1954年。20歳を過ぎてからの遅咲きのピアニスト生活のスタートであった。初めてドナルドバードと一緒にレコーディングに臨んだ時は、まだピアニストとしては5年しか経っていなかった。

ピアソンのピアノの良さは、リリカルなプレー、そしてシングルトーンの軽快さと美しさだ。これも、ホーンプレーヤーとしてのメロディーづくりの経験があったからこそできる技ともいわれている。確かに、管楽器プレーヤーでピアノを弾く時のスタイルはそのような感じの演奏が多い。
ピアノをマスターしたプレーヤーにしてみれば、テクニックもないし、物足りないと感じるかもしれないが、反対にそれが良さにもなっているのだろう。

ピアソンがピアノプレーヤーを離れアレンジ&プロデューサーに転じていくにはいくつかのきっかけ、要因があったと思うが、ドナルドバードのグループを離れたのもひとつの原因だと思う。

ハービーハンコックのデビュー話が逸話として残されている。
ドナルドバード&ペッパーアダムスが、シカゴに遠征していた時に、レギュラーピアニストが急に参加できなくなり、地元で演奏していたハンコックのプレーをバードが聴いて急遽起用された。「ハンコックのプレーに感心したドナルドバードは、ハンコックが気に入りそのままニューヨークに連れて帰り、戻ってからも自分のグループに加えて活動を続けた」とある。

実は、この時体調不良で参加できなかったのがデュークピアソンであった。1960年12月、まだピアソンが初のレコーディンを終えてまだ一年しか経っていない時の出来事であった。これをきっかけにしてピアソンはピアニストとしてよりもアレンジャーに軸足を移す。参加する演奏も必然的にアレンジが必要な大編成が多くなる。

確かに初レコーディングを終え、世の中に認められつつあることは自覚できても、シカゴでクラッシクのオーケストラとも共演し神童とも呼ばれていた20歳そこそこのハンコックと自分を比較して、これは自分はピアノでは勝負にならないと思ったのかもしれない。事実、自分を世に出してくれ、その後一年付き合ったドナルドバードが即決でハンコックを採用し、いとも簡単に自分が首になったのだから。

それで、自分の立ち位置を替えて仲間と上手くやっていく道を選んだといってもいいだろう。そのような状況であったが、ドナルドバードとはその後も有効な関係は続く。レコーディングで一緒になることも多く、1967年ピアソンがビッグバンドを立ち上げた時、その相方はドナルドバードであった。ピアソンにとっては自分を世に出してくれた恩人でもある。

このような事情を知るとこのピアノトリオアルバムは貴重だ。ある意味怖さ知らず、世間知らずのピアソンが自由奔放に演奏した結果がこのような素晴らしいアルバムになっているのだろう。
色々な名ピアニストの演奏を肌で知ってしまうと、その後演奏を続けてもピアニストとしては半人前という意識がプレーを委縮させてしまったかもしれない。それ故、ピアノの演奏を自らの生活の中で脇役に追い込んでいったと考えても不思議ではない。

ジャズのいい演奏とは、経験とか技術とは関係無く、内から訴える何かがあると聴き手にも感じさせることだろう。昨今、高学歴のミュージシャンが多く演奏技術には長けていても、何か心に訴える物を感じないということも何か関係がありそうな気がする。
このピアソンの初リダーアルバム、ピアニストとして純な中に何か味わいを感じる。

1. Like Someone in Love       Johnny Burke / James Van Heusen 5:30
2. Black Coffee Sonny          Burke / Paul Francis Webster 4:32
3. Taboo               Margarita Lecuona / Bob Russell 4:57
4. I'm Glad There Is You          Jimmy Dorsey / Paul Madeira 4:52
5. Gate City Blues                    Duke Pearson 5:09
6. Two Mile Run                     Duke Pearson 5:54
7. Witchcraft                 Cy Coleman / Carolyn Leigh 5:42

Duke Pearson (p)
Gene Taylor (b)
Lex Humphries (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 29, 1959

プロフィール
クリエーター情報なし
EMIミュージック・ジャパン


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派手さは無いが、ギタートリオをバックにしたボーカルもいいものだ・・

2015-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Sylvis Is ! / Sylvis Syms with Kenny Burrell

50年代のハードバップ全盛時代のプレスティッジに較べて、60年代のプレスティッジのアルバムは地味なものが多い。有名処のプレーヤーは皆メジャーの専属になり、ジャズ自体もフリーからジャズロックまで多様化していった時、メインストリームなジャズはただでさえ目立たなくなっていた。ジャケットも地味で目立たない、無い無い尽くしの状態であった。
実は、こんな時こそ隠れた実力者が本領発揮できる場であったのかもしれない。
さらに、このプレスティッジやブルーノートというレーベルはボーカル物が少ない。そんな中に混じってカタログにのっていたのがこのアルバムだ。

この時代のプレスティッジのアルバムを、自分は先日のペッパーアダムスは好きで買ったが、何故買ったかもあまり覚えていないアルバムが何枚かある。このシルビアシムスも、当時は良く知らなかった。しかし、何故か気に入って良く聴いていたアルバムだ。

ジャズボーカルというと、やはり御三家のようなダイナミックな歌唱力とスキャットに感心していた頃、このようなストレートな歌い方がかえって新鮮に感じたのかもしれない。
歌もいいが、バックのケニーバレルが実にいい感じだ。

ジャズを聴き始めた頃は、ボーカルのバックというとピアノトリオが普通と思っていた。たまにギターが加わっても、これはおまけのような感じがして、ピアノが無いと何となく寂しく感じたものだ。
ところが、ピアノが無いと当たり前だがギターが突然目立つようになる。
考えてみれば、他のジャンルでは、ロックでも、ブルースでも、フォークでもギターをバックにしたボーカルが当たり前なので、ジャズだってギターで歌うのはおかしくないはずだが。

すると、ジャズのギターのバッキングなるものが、スイング感を与えるだけでなく、変幻自在に歌に絡むのが、実に魅力的なのか分かるようになった。この時、上手いギターというのは、リズムであれ、ハーモニーであり、さらにはメロディーでも歌手にとって実に良きパートナーになる。ボーカルのバックはピアノもいいが、ギターもいいな思うようになった。

このアルバムは、そのギタートリオがバックとなっているのが一つの特徴。
ギターは名手ケニーバレルだが、他のメンバーも地味だが名手揃い。この頃は、ケニーバレルはウェスモンゴメリーの陰に隠れた存在となっていたが、このような編成&演奏になると本領発揮である。ウェスのような派手さはないが、色々な技を披露してくれる。単にギターのトリオより、このようなボーカルやソロのバックの時の方が、存在感が増すように思う。

そして、このアルバムのもう一つの特徴は当時流行り出したボサノバのリズムの曲が何曲かある。ここには、ギターのバッキーピザレリとパーカッションが加わる。ボサノバというと、強烈なサンバのリズムに乗った演奏もいいが、ここではゲッツの影響かパーカッションも控えめに、しっとりとした軽快なリズムが刻まれる。

派手でウキウキするのもジャズの楽しさだが、地味でしっとりというのもジャズの良い所。このアルバムも、変に気負ったところが無く、素直で、軽妙な所がいい。

ライナーノーツには、とってつけたような解説ではなく、映画監督のウッディ―アレン、ピアノのエロルガーナー、プロデューサーのロスハンター、そして歌手のジャックジョーンズやトニーベネットなどからのシムスに向けた賛辞が述べられている。
誰もがいいなと感じるボーカルなのだろう。



1. As Long As I Live
2. More Than You Know
3. I’m Afraid The Masquerade Is Over
4. How Insensitive*
5. Smile
6. If You Could See Me Now
7. Meditation*
8. Cuande Te Twiste De
9. God Bless The Child
10. Wild Is The Wind
11. You Are Always In My Heart*
12. Brazil*

Sylvia Syms (vol)
Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, August 11, 1965

*Add
Bucky Pizzarelli (g)
Willie Rodriguez (per)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, August 13, 1965
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今年のグラミー賞が発表されたが、ビッグバンド部門はゴードングッドウィンが・・・

2015-02-12 | MY FAVORITE ALBUM
Live In The Bubble / Gordon Goodwin Big Phat Band

いきなり、お題とは関係ない話題となるが・・・

先日、お茶の時間に打ち合わせのために知人とファミリーレストランに入った。コーヒーでもと思ったが、メニューの「クリームあんみつ」が目に入った。ビジュアル効果だ。
甘党だし、小腹がすいていたのでこれを注文したら、店員が注文を取る時に「美味しく作らせていただきます」と一言があった。所詮、ファミレスのメニューなので、袋から出して盛り付けるだけだとは思うが、その時その気持ちがだ大切だと思った・・・。

しばらく前に食品の産地偽装が話題になったと思ったら、最近は異物混入話が続いている。マクドナルドはトラブル連続なので、業績に与えている影響が一層大きいと聞く。これはもはや業態の構造的な問題だろう。食の安全問題以前に、「美味しい物」を提供していこうという姿勢を感じないし、こちらも美味しい物を食べたいと思って、マクドナルドに行くことは決してない。そのような業態なのだ。

と思ったら、先日はさらにひどい出来事がニュースになっていた。豚カツの恵方巻(美味しそうだとは思わないが)で、カツを揚げないで衣付の生のカツを巻いたものを販売したとか。
その原因が揚げたカツと揚げていないカツを間違えたというので唖然とした。揚げたカツの冷凍物が使われるとは知らなかったが、これを作った調理人とは冷凍のカツを解凍して巻くだけ。揚げたものと生の違いが分からなかったとは、果たして何を作っていたのか分かっていたのか疑問だ。いや、調理人以前に単なる作業者だったのだろう。

このような問題が起こる事業者は、作る方も売る方も果たして食べる物を提供しているという自覚があるのか疑問に思う。冷凍のカツを解凍して提供しているようでは、美味しい物を作っているという感覚など持てるはずがない。それを売っていたのも有名デパートということは、もはや美味しい物は目の前での手作り料理以外食べられない時代になっているということだろう。

昔は、食べ物の異物混入といってもせいぜい髪の毛が入っている程度が普通であった。最近ニュースになるような異物は、そもそも昔は食べ物を作る場には存在しなかった。それに、料理人であれ、配膳をする者であれ、お客様に食べて頂く場においては、提供する前に食べ物に不都合が無いか目を光らせていれば自然に気が付くはずだ。料理人は見た目だけでなく、味付け一つとっても間違いがないか常に細心の注意を払っていたものだ。

どこも慌てて管理体制を強化するというが、何もチェック体制を強化しなくでも、携わる人が皆食べる物を扱っていると自覚し、「美味しく作らせてもらいます」という気持ちがあれば異物混入など無くなるように思うのだが・・・。

「美味しく作らせていただきます」の一言が、マニュアル至上主義からの言葉ではなく、日本特有の思いやり&気配り精神が一人一人に戻り、細かい役割分担を決める事から共同作業の大事さを思い出すことに繋がることを願うばかりだ。

日々同じような生活を繰り返していると、良い事でも悪い事でもそれが当たり前になってしまい、問題意識が慣れの中に埋没してしまいがちだ。誰もがたまには日々のルーティンの棚卸が必要だと思う。

さて、本題。つい先日今年度のグラミー賞が発表された。
自分はジャズ部門しか興味が無いが、一番興味があるビッグバンド(ラージジャズアンサンブル)部門では、今年は自分が好きな、ゴードングッドウィン、ヴァンガードジャズオーケストラ、そしてハミルトン&クレイトンオーケストラの3つのバンドが揃ってノミネートされていた。どれが選ばれてもいいかなと思っていたが、結果はこのゴードングッドウィンのアルバムが選ばれた。

昨年出たばかりのアルバムで、昨年は2度も来日してこのアルバムの曲も演奏していたのでまだ記憶も新鮮だが、ライナーノーツを見ながら改めて聴き直してみた。

ライナーノーツの冒頭にグッドウィンのコメントが語られている。本来はこのように演奏者自身のアルバムに対する想いが真っ先にあっても良いと思うのだが、演奏者のコメントが載っているライナーノーツというのはあるようであまりない。

まずは、タイトルのLife in The Bubbleの意味が語られている。
自分の生活の周りは、誰でも自分自身の小さな泡で囲まれているようにみえる。そして自分の好みに合う物だけを選ぶようになってしまう。そして、それは限界というより思った以上に巨大な壁になると。

そこで、グッドウィンは今回その壁を押しのけてチャレンジしたという。プレーヤーとしてよりも作編曲家として、バンド全体のサウンドを第一に考えるグッドウィンにとって大きなチャレンジだったと思う。グッドウィンサウンドというのは良くも悪くも特徴があり、これを超えるサウンドづくりというのは大きなチャレンジだ。

結果はというと、いつも以上に一曲毎に特徴づけをしているように思う。内容は、実は新しい世界(サウンド)にチャレンジしたものもあれば、オーソドックスなビッグバンドサウンドに回帰した部分もある。いつものサウンドが少ないと思うファンも多いかもしれない。

1曲目のタイトル曲は、まさに泡が沸き立つ雰囲気がある。グッドウィン自身今までとは全く違う音作りをしたという。シャッフルリズムにのったギターをフィーチャーした曲も黒っぽくでいい。バージェロンのピッコロ尾トランペットはクラシックのような曲想から始まる。マリサンエルのバラードも妙にオーソドックスだ。パーカッションと主役にしたラテン調の曲もある。そして、、7曲目のDoes This Chart Make Me Look Phat? はグッドウィンのバンドには珍しいベイシーサウンドある。自身で語っているようにそれもサミーニスティコのアレンジをかなり意識している。曲のネーミングにも気に入っているようだ。

こちらは、その曲のライブ録音。




グリーンドルフィンストリートでは、同じ曲のオスカーピータソンのプレーをカバーし、グッドウィン自らピータソンライクのピアノを弾くとともにオーケストラのコラボを図るというチャレンジをしている。此の曲は一昨年アレンジ部門でグラミー賞をとっている曲だ。

そして、メンバーの起用方法も。ソロだけでなくアンサンブルでもよく考慮されている。トランペットセクションの重鎮、ウェインバージェロンもソロだけでなく、リードトランペットとしてハイノートの使い方などは見事である。

冒頭のコメントの最後に、「この演奏はファンの皆さん無しでは存続しえません。ひとつひとつの泡に一緒に飛び込んでくれた皆さんに感謝します。そして、引き続きのサポートをよろしくお願いします。」と、括っている。

グッドウィンは聴き手を大事にし、ファンと一緒に自分達も育っていくことが大事であることが分かっている。だから決して独りよがりになることなく、いつも楽しい作品を提供し続けられるのだろう。
美味しい物を食べたいと思っている生活者のニーズを忘れてしまった飲食、食品業界とは大違いだ。

今回の作品で、Big Phat Bandは一段と演奏の幅が広がったように感じる。
スタジオワークが長い腕達者が揃ったバンドなので、舵取り次第でどんな荒波でも乗り越えられそうだ。泡程度では何の障害にもならない。
次回のアルバム&ライブが楽しみだ。


1. Life In The Bubble
 feat: Brian Scanlon
2. Why We Can't Have Nice Things
 feat: Kevin Garren / Andy Martin
3. Synolicks
 feat: Andrew Synowiec
4. Years Of Therapy
 feat: Wayne Bergeron
5. The Passage
 feat: Eric Marienthal
6. Garaje Gato
 feat: Bernie Dresel / Gordon Goodwin / Joey De Leon, Jr. / Francisco Torres
7. Does This Chart Make Me Look Phat?
 feat: Jeff Driskill / Willie Murillo
8. Get Smart
 feat: Eric Marienthal
9. On Green Dolphin Street
 feat: Gordon Goodwin / Bob Summers
10. Party Rockers
 feat: Judith Hill

Gordon Goodwin's Big Phat Band

Wayne Bergeron (tp)
Dan Fornero (tp)
Willie Murillo (tp)
Dan Savant (tp)
Bob Summers (tp) #9

Francisco Torres (tb)
Craig Gosnell (tb)
Charlie Morillas (tb)
Andy Martin (tb)

Jeff Driskill (ts) #1,2,5,7,8,9
Brian Scanlon (ts,as,cl)
Kevin Garren (ts) #3.4.6 (as) #2
Sal Lozano (as,fl)
Eric Marienthal (as,ss)
Jay Mason (bs,bcl)
Gordon Goodwin (p.ts.arr)
Joey De Leon, Jr. (per,vol)
Rick Shaw (b,eb)
Andrew Synowiec (g)
Bernie Dresel (ds)
Judith Hill (vol) #10

Executive Producer ; John Burk

Produced by Gregg Field
Co-Producer : Gordon Goodwin & Dan Savant
Recorded by Tommy Vicari at Bill Schnee Studios, North Hollywood,CA,




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Life in the Bubble
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Telarc
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人気の出てきたリッチ―コールのライブアルバムをプロデュースしたのは・・・?

2015-02-11 | MY FAVORITE ALBUM
Alive! at The Village Vanguard / Richie Cole

オーレックスジャズフェスティバルが横浜スタジアムを満員にしてジャズ界が盛況を極めていた80年代の初め、ベテラン大物ミュージシャンに交じって新人で注目されたのが、ウイントンマルサリス、そしてリッチーコールであった。

どちらもジャズの伝統に根差したメインストリームのオーソドックスな演奏であったが、2人のタイプは全く違っていた。マルサリスはその後も常に王道を歩み、フュージョンの演奏の誘いも受けなかった。
一方のリッチ―コールの演奏も、フュージョンこそやらなかったが、ビバップオリエンテッドなプレーをポピュラーにする、軽いノリ、明るさやエンターテイメント性を持ち合わせていた。それも時には必要以上におふざけになる位それらを徹底的にアピールしていた。

反対にその軽さが硬派のジャズファンには受け入れられなかった。当時良く一緒にジャズを聴きに行った友人もこのコールには全く興味を示さず、反対に自分は「楽しくていいじゃないか」と言って、良く聴いていた。自分はジャズの線引き議論にはあまり興味はなかったので。

評論家も、神聖なるジャズを冒涜する道化師だと切り捨てる児山氏もいれば、軽薄ではない、バップを現在に生かす方法を知っていると弁護する岩波氏もいた。いずれにしても、議論を呼ぶだけの個性があったということだろう。

ビバップの伝統を引き継いた第一人者であるディジーガレスピーが、日本ではあまり人気が無いのもこの明るさを誇示したからかもしれない。楽しいジャズは、それはそれでいいと思うのだが・・・・。
日本では、ジャズには何故かマイルスやコルトレーン、そしてアートペッパーのようなある種の暗さ、そして精神性が必要で、人気が出る秘訣の様だ・・・。

このリッチ―コールはその楽しいジャズをよりアピールするためか、バンドの名前をアルトマッドネスと命名していた。アルバムもバトル物やライブ物が多いが、このアルバムもその一枚だ。
このアルバムでのバトルの相手は、ホーン楽器ではなくピアノのボビーエンリケ。フィリッピン出身で、リッチに合わせてバカノリのリズムカルなピアノを弾く。ピアノが打楽器の様だ。このエンリケが当時のコールのグループのレギュラーピアニストだった。

曲は、ビバップ時代の名曲、そしてオリジナルも一曲あるが、全編楽しい演奏を聴かせてくれる。オリジナルのAlto Acresでは、珍しくテナーのプレーも聴ける。

そして、ライブの会場はニューヨークのジャズクラブの聖地ともいえるビレッジバンガード。ここから多くのライブの名盤が生まれ、今でも良く聴かれている。しかし、このアルバムは? というとCDで再発されていないようだが、映像は残されている。



このアルバムを出したミューズというビバップスタイルの演奏の復活を試みたレーベルであるが、ソニースティットのようなべテランに交じって、リッチーコールのような新人も起用していた。ちょうどコンコルドで、ベテランに交じってスコットハミルトンが登場したように。ただし、コールに言わせると、演奏をただでプレゼントしたような扱いだったので、この後Museを去ることになる。
リッチーコールは、このミューズで巣立ったが、その前はバディーリッチのビッグバンドの一員であった。根っからのスイング感は、Museで育つ前ここで身に付けたのかもしれない。

このアルバムのプロデューサーは?というと、実は古い録音の発掘王マイケルカスクーナであった。ちょうどブルーノートの再発の仕事も一段落して、新作にチャレンジしようと思ったのかもしれない。

1. Punishment Blues
2. Body and Soul
3. Samba de Orfeu
4. Yardbird Suite
5. Alto Acres
6. Red Top

Richie Cole (as,ts)
Bruce Forman (g)
Bobby Enriquez (p)
Marshall Hawkins (b)
Scott Morris (ds)

Produced by Michael Cuscuna
Engineer : Dave Hewitt
Recorded live at The Village Vanguard, NYC on June 24, 1981

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