A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

盟友ショーティーロジャースと一緒にバドシャンクの熱いアルトの復活のきっかけは・・・

2014-12-14 | CONCORD
Yesterday, Today and Forever / Shorty Rogers・Bud Shank

フィルウッズは白人のパーカー派のアルトの代表格。ウッズが東の横綱とすると、このシャンクは西の横綱。ウッズ同様活動フィールドも広く、活動歴も長く2009年に亡くなる直前まで活動を続けていた。ウェストコーストを拠点としたバドシャンクであるが、彼も「熱いアルト」の代表格であろう、特に晩年のプレーは。

ウェストコーストで活躍したミュージシャンはケントンオーケストラ出身が多いが、このシャンクも例外ではなくその一人。比較的早い時期1950~51年頃ケントンオーケストラに在籍した。その時一緒にメンバーにいたのが、トランペットのショーティーロジャースだが、ケントンに入る以前からの知り合いというので、2人の付き合いも長い。

2人はケントンオーケストラを辞めるとロス(ハリウッド)を拠点として活動を始めた。一緒にプレーをしたのは、ボブクーパー、ハワードラムゼイ、シェリーマンなどウェストコーストジャズを作った面々で、ライトハウスオールスターズに加わり彼等もその一翼を担った。彼らと一緒に多くのジャズアルバムも残した。ペッパーアダムスも1956年ロスで活動していた時、彼らのレコーディングには良く参加していた

その後、ジャズの人気が下火になったこともあり、60年代は仕事の中心をバドシャンクはスタジオワークに、そしてショーティーロジャースは作編曲に変えていったが、ロジャースはトランペットを吹く事も無くなった。
一方のシャンクは、スタジオワークをしながらジャズのプレーも続けた。アルトだけでなくフルートも良く演奏した、日本では渡辺貞夫がそうであったように。

コンコルドレコードが立ち上がった時、このバドシャンクのアルバムもカタログに加わったが、そこでの活動の中心はローリンドアルメイダと作ったLA4であった。シャンクのバリバリのメインストリームのプレーは、必ずしもオーナーであるジェファーソンの好みであるモダンスイングとは合わなかったのかもしれない。

その中で、バドシャンク自らプロデュースしたアルバム”Heritage”があった。70年代に入って世はフュージョンブーム、このメインストリームの演奏は貴重だ。レコーディングの機会は少なくなっていたが、時々は地元のクラブへは出演していたようで、シャンクのジャズに対する熱い想いは冷めることが無かったようだ。

80年代に入り、メインストリームジャズが復活の兆しを見せ、一線を退いていたベテラン達も次々と復帰をしていた。スタジオでは良く顔を合わせる旧友のショーティーロジャースにも声を掛けた。その誘いもありロジャースも20年振りに楽器を手にクラブ出演をするようになった。昔のような鋭いプレーができなくなったせいか、トランペットではなくフリューゲルホーンを多用するようにはなったが。
盟友と一緒にプレーしシャンクもやる気が出たのか、その後フルートのプレーを一時止めてアルト一本にかけている。本物の熱いアルトの復活である。復活というと歳が気になるが、この時シャンクは57歳、まだ還暦前だ。これから20年以上一線で活躍することになる。

此の頃、日本ではジャズは新しいフュージョン物だけではなく、古き良き時代のジャズの見直しも本格化し、ある種のフィーバー状態であった。我々世代もレコードでしか聴く事の出来なかった大物の演奏を生で聴きたくて(見たくて)良く出掛けた。ビッグスポンサーがついたジャズフェスティバルも数多く行われ、普通のホールでは収容できず、武道館や大きな野外スタジアムなので、遠くのステージで豆粒ほどにしか見えなかったが・・・。最近のかぶりつきで聴けるライブとは大違いであった。

その中の一つにオーレックスジャズフェスティバル(AJF)があった。東芝のオーディオ機器のブランドがオーレックス。ジャズだけではなく、オーディオ機器もこの頃が全盛期であった。皆それなりにいい装置で聴いていたものだ。
大手メーカーの販促効果を兼ねたイベントには大きな予算が付き、大物プレーヤーも数多く登場した。日本で企画されたアルバムも多く作られ、当時のベテランジャズマンの復活に日本のマーケット&ファンが影響力を持っていたのは間違いない。

‘82年のAJFがこの年も盛況に終え、翌年の企画会議が開かれた。その時決まった企画のひとつがウェストコーストジャズの当時のメンバーによる再現であった。AJFの全体プロデュースを指揮っていたのは、あのニューポートのプロデュースをしていたジョージウェイン。「この企画は面白い。他のコンサートでも使わせてもらうよ」ということで即決定となった。

このメンバーには当然、シャンクとロジャースも選ばれ、他のメンバーもパーキンス、クーパー、バドウィック、シェリーマンといった50年代に一緒にプレーをした往年の名プレーヤーが集まった。懐メロ曲の再現だけでなく、ロジャースも新たなアレンジも提供し、演奏も各地で回数を重ねると次第に熟していった。

その時の演奏はこちらで↓ ステージ上での彼らの熱演が聴ける。


しかし、バドシャンクとロジャースはこの企画だけでは満足しなかったのだろう。丁度2人で行っていた演奏をそのままの形で残したいという想いがこのレコーディングを生んだ。
オーレックスの舞台に出る2か月前だった。

リズム隊には昔の仲間ではなく若手を起用している。彼らが一線で活躍して時、彼らはまだ小学生や生まれたばかり、一世代近く若いメンバー達であった。クラブにはこのようなメンバーで出ていたのだろう。
プロデュースも自ら行っている。過去に出したアルバムと同様、コンコルドの看板は借りたものの、ジェファーソンの束縛も無く自分達のやりたいことを十二分にアピールしている。

このアルバムではシャンクはまだフルートを吹いている。ルータバキン同様、スタジオミュージシャンの持ち替え楽器以上のフルートの名手だと思う。ロジャースもソロはフリューゲルホーン主体だが往年を思い起こさせるようなプレーを聴かせてくれる。リズム隊が新しい若々しい勢いを吹き込んでくれている効果は大きい。ウェストコーストジャズというよりハードバップの再現だ。

50年代にもアレンジを重視したウェストコーストジャズとはいえない西海岸で録音されたハードバップスタイルのいいアルバムはあった。まさにその世界の再現がこのアルバムという事になる。
一曲目のBudoはマイルスのクールの誕生でも演奏されているが、そのクールサウンドの当てつけと思えるホットな演奏だ。オーレックスでの演奏も悪くはないが、その演奏よりはるかに素晴らしい。

1. Budo            Miles Davis / Bud Powell 5:09
2. Blood Count             Billy Strayhorn 6:27
3. Yesturday, Today and Forever      Shorty Rogers 7:29
4. TNT                   Tiny Kahn 4:14
5, Wagon Wheels        Peter DeRose / Billy Hill 8:08
6. Lotus Bud                Shorty Rogers 5:21
7. Have You Hugged Your Martian Today   Shorty Rogers 6:47

Shorty Rogers (tp,flh)
Bud Shank (as,fl)
George Cables (p)
Bob Magnuson (b)
Roy McCurdy (ds)

Produced by Bud shank & Shorty Rogers
Recording Engineer ; Phil Edwards
Recorded at Sage and Sound Recordings, Hollywood California, July 1983
Originally released on Concord CJ-223



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