A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ロソリーノパワー全開の演奏は、イタリアで現地の若手に囲まれて・・・

2015-03-25 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz A Confronto 4 / Frank Rosolino

最近の車は、スピード性能よりはエコ重視、省エネ&環境対応がセールスポイントになっている。とはいうものの、性能自体も別に昔よりも劣っている訳ではない。時々、燃費よりもこの性能を思い切り発揮できるような運転をしてみたいと思う衝動に駆られるが。

ジャズミュージシャンも同だろう。それも日々スタジオワーク中心に活動していると、時には自分の限界に挑戦するようなプレーをしてみたいと思う事もあるにちがいない。
ペッパーアダムスがサドメルを辞め、スタジオワークもやめてソリストとして活動を始めたのも、そのような心境であったのかもしれない。しかし、それは一人ではできない。一緒にプレーするメンバーと、それが実現できる場が必要だ。

60年代の半ば、ジャズの仕事が徐々に減ってきたアメリカのミュージシャンも同じであったと思う。スタジオワーク中心に仕事には困っていなかったフィルウッズもそのようなアメリカを離れ、ヨーロッパに活動の場を求めた。そこで、地元のミュージシャンと一緒にヨーロピアンリズムマシーンを立上げ活動を開始した。そのアルバムを初めて聴いた時、その熱いプレーに度肝を抜かれた。フィル&クイルのバトルも熱かったが、こんなウッズのフルパワーの演奏に接したのは初めてあった。

当時からヨーロッパはそのような演奏を生む土壌があり、その演奏に付き合える地元のミュージシャンがいて、それを支えるファンがいたという事にも感心した。多くのアメリカのミュージシャンがヨーロッパに活動の場を求めたのも頷ける。
日本にも多くのミュージシャンが公演に来日した。しかし、それは短期のツアーで、それも顔見世興行であり、時には手抜きプレーにガッカリさせられることも。日本に来たのもヨーロッパに活動の場を求めたのとは別の目的であったのだろう。その後徐々に日本でも素晴らしい演奏が聴けるようにはなってきたが、ヨーロッパのように日本を本拠地に活動するするミュージシャンというは多くは無い。

トロンボーンの名手フランクロソリーノも70年代に入って、よくヨーロッパを訪れた。トランペットのコンテカンドリとコンビを組むことが多かったが、2人ともイタリア系、ヨーロッパの中でもイタリアは特別な地であったと思う。

1973年そのロソリーノがイタリアを訪れ、地元のミューシャンと共演したアルバムがある。地元のHoroレーベル、73年に誕生し76年まで地元イタリアで活動したレーベルだが、地元のミュージシャンだけでなく、アメリカからのミュージシャンを迎えたアルバムも多い。
イタリア語のライナーノーツなので、残念ながらその内容紹介はできないが素晴らしいアルバムが多い。
このアルバムを初めて聴いた時、フィルウッズのアルバムと同様、ロソリーノのエモーショナルな何かエネルギーがほとばしる感じの演奏にびっくりした。ロソリーノの演奏はもちろんだが、バックを務める地元のミュージシャン達の演奏にも。その後イタリアのジャズ界を代表するメンバー達の若い頃の演奏だ。彼らのその後の演奏を多くは聴いてはいないが、ここでの演奏はよりモーダルな演奏だ。彼等の刺激的なバックの影響もあり、ロソリーノのパワフルなプレーは全開、ただでさえ力溢れるプレーのフルスロットルの演奏が聴けるアルバムだ。



1. Waltz For Roma             Frank Rosolino 8:19
2. Alex                  Bruno Tommaso 7:32
3. Free For All               Frank Rosolino 8:02
4. Blue Daniel                Frank Rosolino 6:47
5. Close The Door               Enzo Scoppa 4:59
6. Skylab                 Bruno Tommaso 6:28
7. Toledo                  Marcello Rosa 4:50

Frank Rosolino (tb)
Giovanni Basso (ts)
Enrico Pieranunzi (p)
Franco D'Andrea (p)
Bruno Tommaso (b)
Bruno Biriaco (ds)

Produced by Aldo Sinesio
Engineer : Massimo Rocci

Recorded at Junior Studios, Rome, May 1973.
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