As Time Goes By / Carmen McRae Alone Live At The DUG
ピアニストというのは指先の手入れには神経を使うと思う。ちょっとした指先の怪我でもプレーに支障を来すのに、爪を伸ばしてピアノを弾くことは普通ではありえないことだと思うが・・・。
女性ジャズボーカルの三大大御所というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーであろう。それぞれ個性溢れる実力者だ。アップテンポのスキャットも良いが、じっくり歌い込むバラードもいい。それぞれ名盤、名唱といわれるアルバムは数多いが、いずれも代表作にライブ物が多い様な気がする。
自分の持っているアルバムの数からいうと、その中ではカーメンマクレーが好きという事になる。ジャズを聴き始めて比較的早くにマクレーファンとなった。シュガーヒルでのライブ録音の、I left my heart in San Franciscoが最初のお気に入りだった。
1973年の秋にそのマクレーが来日した。Great American Songbookのアルバムを出した直後の来日であった。この年は、学生生活最後の年となる節目の年なのでよく覚えている。オイルショック、日航機ハイジャック事件など大きな出来事が続いた。
来日するミュージシャンは多かったが当時は貧乏学生、どのコンサートに行くかも迷いに迷って決めていた記憶がある。この時のマクレーの来日はカウントベイシーオーケストラとのジョイント、両方が聴けると何か得する気分で決めたように思う。
この時のベイシーオーケストラは名の通ったメンバーは少なかった。そしてマクレーのステージになるとピアノは若いピアニストに代わった。ベイシーオーケストラとの競演というよりは、ビッグバンドアレンジのバックにベイシーのメンバーを借りた感じであった。であれば何もベイシーオーケストラでなくても良かったのでは?マクレーはやはりピアノトリオがいいかな?と、何か損をした気分になった記憶がある。
当時は来日したミュ―ジシャンのレコーディングが良く行われた。その年来日したサラボーンはステージそのもののライブアルバムが作られた。このマクレーにもレコーディングの話が持ち上がった。ベイシーと共演したステージは、素人耳にも今一つであったのでこれがアルバムになることは無かった。別途マクレーのアルバムということになったが、一緒に来日したピアニスト(誰だったか名前も忘れたが)を起用はNGとなった。
そこでプロデューサーが思いついたのはマクレーの弾き語りであった。
カーメンマクレーの音楽生活は、そもそもピアニストとしてのスタートであった。ドラムのケニークラークと別れて歌手として独り立ちしたが、最初の頃の仕事はメインステージのインターミッションのピアノと歌の弾き語りであったという。
ところが、本格的に歌手としてレコードを出すようになってからは、ピアノを弾く事も無く、まして弾き語りのアルバムなどはそれまで作った事がなかった。
そんな彼女に弾き語りのアルバムを要求したプロデューサーも度胸があると思うが、最初のマクレーの答えは「弾き語りで歌える曲は2、3曲しかないので無理」というというものであった。「そこを何とか」と再度プッシュして実現に漕ぎつけた粘り強さには恐れ入る。
短い日本の滞在期間の中での録音、たいして練習する時間も無かったと思う。東京での公演を終え、翌日から地方の巡業に出掛けけるという日に録音が行われた。場所は新宿のDUGでのライブレコーディンだった。この日は東京公演の最終日、渋谷公会堂でステージを終えると、その足で新宿に向かった。
ピアノに向かい、自らのピアノのイントロに続き、ため息とも気合ともいえる「あー」という一声で曲が始まる。タイトル曲のタイムゴーズバイだ。後は、完全に彼女のペース。お馴染みのスタンダード曲が続く。時にはアップテンポで歌われる曲も、今回はすべてがバラードプレーだ。バラードといってもマクレーの歌声は腹の底から絞り出すような力強い歌い方で甘ったるさはない。マクレー節ともいえる得意なテンポだ。ピアノがイントロ、バック、そしてソロと絶妙に歌に絡みつく。ナットキングコールのような饒舌さは無いが、ツボを押さえたピアノは彼女の歌を支え、弾き語りの真骨頂を聴かせてくれる。
そして、最後の曲プリーズビーカインドを終えると、聴衆からの拍手にサンキューと一言応えるが、いつにない緊張感から解放され、肩の荷が下りた安堵感が伝わってくる。本来であればリラックスした気分で気軽に歌える弾き語りだが、今回ばかりはマクレーといえども普段やったことのない弾き語りの一発勝負のレコーディングと言う緊張感の中での演奏だったと思う。
ジャズのライブレコーディングの魅力は、JATPのような演奏の大きな会場での熱気が伝わってくるのも一つだが、ビルエバンスのビレッジバンガードでのライブのように、プレーヤーの息遣いに加えて、小さな会場で食器が触れ合う音やおしゃべりが聞こえてくるような臨場感もたまらない。
その意味では、このアルバムの臨場感も格別だ。会場のノイズに加え、マクレーの息遣い、そしてマクレーのピアノプレーでは爪が鍵盤に当たる音も聞こえてくる。急にピアノを弾くことになったからといって、爪を短く切る事はしなかったようだ。
1. As Time Goes By Herman Hupfeld 5:41
2. I Could Have Told You So J.Oliver 4:19
3. More Than You Know Edward Eliscu / Billy Rose / Vincent Youmans 5:27
4. I Can't Escape from You Leo Roirc R.A.Whiting 3:50
5. Try a Little Tenderness Jimmy Campbell / Reginald Connelly / Harry Woods 4:13
6. The Last Time for Love Carmen McRae 6:15
7. Supper Time Irving Berlin 3:31
8. Do You Know Why? Johnny Burke / James Van Heusen 4:55
9. But Not for Me George Gershwin / Ira Gershwin 6:04
10. Please Be Kind Sammy Cahn / Saul Chaplin 6:27
Carmen McRae (p,vol)
Produced by Tetsuya Shimoda
Engineer : Tamaki Bekku
Recorded live at The Jazz Club DUG, Tokyo, November 21, 1973
ピアニストというのは指先の手入れには神経を使うと思う。ちょっとした指先の怪我でもプレーに支障を来すのに、爪を伸ばしてピアノを弾くことは普通ではありえないことだと思うが・・・。
女性ジャズボーカルの三大大御所というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーであろう。それぞれ個性溢れる実力者だ。アップテンポのスキャットも良いが、じっくり歌い込むバラードもいい。それぞれ名盤、名唱といわれるアルバムは数多いが、いずれも代表作にライブ物が多い様な気がする。
自分の持っているアルバムの数からいうと、その中ではカーメンマクレーが好きという事になる。ジャズを聴き始めて比較的早くにマクレーファンとなった。シュガーヒルでのライブ録音の、I left my heart in San Franciscoが最初のお気に入りだった。
1973年の秋にそのマクレーが来日した。Great American Songbookのアルバムを出した直後の来日であった。この年は、学生生活最後の年となる節目の年なのでよく覚えている。オイルショック、日航機ハイジャック事件など大きな出来事が続いた。
来日するミュージシャンは多かったが当時は貧乏学生、どのコンサートに行くかも迷いに迷って決めていた記憶がある。この時のマクレーの来日はカウントベイシーオーケストラとのジョイント、両方が聴けると何か得する気分で決めたように思う。
この時のベイシーオーケストラは名の通ったメンバーは少なかった。そしてマクレーのステージになるとピアノは若いピアニストに代わった。ベイシーオーケストラとの競演というよりは、ビッグバンドアレンジのバックにベイシーのメンバーを借りた感じであった。であれば何もベイシーオーケストラでなくても良かったのでは?マクレーはやはりピアノトリオがいいかな?と、何か損をした気分になった記憶がある。
当時は来日したミュ―ジシャンのレコーディングが良く行われた。その年来日したサラボーンはステージそのもののライブアルバムが作られた。このマクレーにもレコーディングの話が持ち上がった。ベイシーと共演したステージは、素人耳にも今一つであったのでこれがアルバムになることは無かった。別途マクレーのアルバムということになったが、一緒に来日したピアニスト(誰だったか名前も忘れたが)を起用はNGとなった。
そこでプロデューサーが思いついたのはマクレーの弾き語りであった。
カーメンマクレーの音楽生活は、そもそもピアニストとしてのスタートであった。ドラムのケニークラークと別れて歌手として独り立ちしたが、最初の頃の仕事はメインステージのインターミッションのピアノと歌の弾き語りであったという。
ところが、本格的に歌手としてレコードを出すようになってからは、ピアノを弾く事も無く、まして弾き語りのアルバムなどはそれまで作った事がなかった。
そんな彼女に弾き語りのアルバムを要求したプロデューサーも度胸があると思うが、最初のマクレーの答えは「弾き語りで歌える曲は2、3曲しかないので無理」というというものであった。「そこを何とか」と再度プッシュして実現に漕ぎつけた粘り強さには恐れ入る。
短い日本の滞在期間の中での録音、たいして練習する時間も無かったと思う。東京での公演を終え、翌日から地方の巡業に出掛けけるという日に録音が行われた。場所は新宿のDUGでのライブレコーディンだった。この日は東京公演の最終日、渋谷公会堂でステージを終えると、その足で新宿に向かった。
ピアノに向かい、自らのピアノのイントロに続き、ため息とも気合ともいえる「あー」という一声で曲が始まる。タイトル曲のタイムゴーズバイだ。後は、完全に彼女のペース。お馴染みのスタンダード曲が続く。時にはアップテンポで歌われる曲も、今回はすべてがバラードプレーだ。バラードといってもマクレーの歌声は腹の底から絞り出すような力強い歌い方で甘ったるさはない。マクレー節ともいえる得意なテンポだ。ピアノがイントロ、バック、そしてソロと絶妙に歌に絡みつく。ナットキングコールのような饒舌さは無いが、ツボを押さえたピアノは彼女の歌を支え、弾き語りの真骨頂を聴かせてくれる。
そして、最後の曲プリーズビーカインドを終えると、聴衆からの拍手にサンキューと一言応えるが、いつにない緊張感から解放され、肩の荷が下りた安堵感が伝わってくる。本来であればリラックスした気分で気軽に歌える弾き語りだが、今回ばかりはマクレーといえども普段やったことのない弾き語りの一発勝負のレコーディングと言う緊張感の中での演奏だったと思う。
ジャズのライブレコーディングの魅力は、JATPのような演奏の大きな会場での熱気が伝わってくるのも一つだが、ビルエバンスのビレッジバンガードでのライブのように、プレーヤーの息遣いに加えて、小さな会場で食器が触れ合う音やおしゃべりが聞こえてくるような臨場感もたまらない。
その意味では、このアルバムの臨場感も格別だ。会場のノイズに加え、マクレーの息遣い、そしてマクレーのピアノプレーでは爪が鍵盤に当たる音も聞こえてくる。急にピアノを弾くことになったからといって、爪を短く切る事はしなかったようだ。
1. As Time Goes By Herman Hupfeld 5:41
2. I Could Have Told You So J.Oliver 4:19
3. More Than You Know Edward Eliscu / Billy Rose / Vincent Youmans 5:27
4. I Can't Escape from You Leo Roirc R.A.Whiting 3:50
5. Try a Little Tenderness Jimmy Campbell / Reginald Connelly / Harry Woods 4:13
6. The Last Time for Love Carmen McRae 6:15
7. Supper Time Irving Berlin 3:31
8. Do You Know Why? Johnny Burke / James Van Heusen 4:55
9. But Not for Me George Gershwin / Ira Gershwin 6:04
10. Please Be Kind Sammy Cahn / Saul Chaplin 6:27
Carmen McRae (p,vol)
Produced by Tetsuya Shimoda
Engineer : Tamaki Bekku
Recorded live at The Jazz Club DUG, Tokyo, November 21, 1973
アズ・タイム・ゴーズ・バイ | |
クリエーター情報なし | |
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