風の吹くまま

18年ぶりに再開しました。再投稿もありますが、ご訪問ありがとうございます。 

★「ラブレター~パイラン(白蘭)より」 【韓国】

2005-09-23 | 良質アジア映画

ラブレター ~ パイラン(白蘭)より」 - 良質アジア映画

浅田次郎の短編小説「ラブ・レター」を原作とする韓国映画。ガンジェ演ずる俳優は「シュリ」で有名なチェ・ミンシク。ヒロインのパイラン役には香港女優のセシリア・チャン。まだ、今の韓流ブーム前の作品。今日の韓流ブームの中でも、この作品は何故かほとんど語られることがないようだ。それは物語のパイランのように、映画自体もひっそりと存在している。

人は、自分以外の人を通じて自分を振り返るときがある。自分の力だけではどうしようもなく、変えようもなかった日々のくらし・・・それが他の誰かとのほんの僅かな接点で変わってゆくことがある。そして、そんな僅かな接点が積み重なって今の自分があるのかもしれない。そんなことを考えさせられる作品である。

三流やくざでどうしようもない屑のような生活を送るガンジェ(チェ・ミンシク)のもとに、ある日訃報が届く。それはかつて金欲しさのために偽装結婚した中国人女性パイラン「白蘭」(セシリア・チャン)の死の知らせだった。

彼女の顔すらも知らないガンジェだったが、遺体を引き取りに彼女が暮らした海沿いの小さな町を訪れる。

そこにはパイランが、病のもとで書いたガンジェ宛ての一通の手紙が遺されていた。病と闘いながら必至に働いて言葉を覚えていったパイランの最後の手紙。そこにはカンジェへの、素朴で純粋な気持ちが切々と綴られていた。

****************************

カンジェさんへ

この手紙を読んだとしたら、私に会いに来てくれたんですね
ありがとう。

でも、私は・・・
きっと死にます。

短い時間でしたがカンジェさんのやさしさに感謝してます。
私はカンジェさんのことをよく知っています
忘れないために写真をみているうちに、カンジェさんのことを好きになりました
好きになったら、今度は寂しくなりました
一人で過ごすのがとても寂しくなりました
ごめんなさい。

写真の中のあなたはいつも笑ってます
ここの人たちはみんな優しいですが
カンジェさんが一番やさしいです。

カンジェさん
私が死んだら、会いに来てくれますか?
もし許してくれるなら、ひとつお願いがあります。
あなたの妻として死んでもいいですか?
勝手なお願いでごめんなさい。
私のお願いはこれだけです。

カンジェさん
あたなにあげるものが何もなくてごめんなさい

この世界の誰よりも・・・・愛してる
カンジェさん さようなら 

*********************パイラン最後の手紙

中国人孤児のパイランは、韓国の親戚を訪ねたもののすでに海外に移住してしまっていた。途方にくれた彼女は、就労のためにやむを得ずカンジェと偽装結婚する。そして、海沿いの小さな町で職を得ることができた彼女は、結婚書類作成の際に渡された1枚のカンジェの写真を見ながら、彼への感謝の気持ちと想いをもって毎日を生きていた。

一度も逢うこともなかったパイランの遺した手紙を通して、欠陥だらけの自分の人生と自分自身を振り返り変わってゆくカンジェ。そして、孤独で不遇な身でありながらも素朴でけなパイランの姿。そして、ラストシーンではカンジェへの想いを綴った手紙がパイラン(セシリア・チャン)の麗しい声で静かに読み上げられる。また、それを演じるセシリア・チャンは野にひっそりと咲く名も知らぬ花のように可憐な美しさだ。これでもかーというくらい涙腺を直撃し息ができないほど泣かされる。

人はひとつの曇りもない美しさに触れたとき浄化される。それがこの物語の主題であり、パイランのけなげな美しさと、それに触れたカンジェが悟る姿に心打たれる。そしてそれはスクリーンのなかのカンジェではなく、この物語に触れた自分自身もだ。

見終わった後も、その切ないラストシーンの余韻が永遠に心に残りつづける至極の名作のひとつ。

コメント (13)
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★先生のシャツ ~ 学校

2005-09-23 | 忘れえぬ人々
小学校入学と同時に、僕の通っていたA市内の市立小学校の花形だった「ブラスバンド」に、なんにも考えずに、「ほれ、しゅしゅしゅ・・・」と入ってしまった。

しかしながら、なんせこの担当のT先生が熱血で、神戸の北区の遠いところから、通勤。そして、毎朝7時から練習開始。噂によると先生は片道2時間かけて、学校に通っていたらしい。

日曜日以外は、夏休みも、冬休みも、春休みも、毎日毎日練習で。あまりのハードさに耐え兼ねて「せんせい、僕(or あたし)辞めます。」など言おうものなら、「バシーーーーン!」とそのオーケストラ・タクトでお尻を叩かれて・・・。それを目にした僕は、びびってしまい、とうとう5年生まで、虫の吐息で続けてしまった。

朝もたとえ5分でも遅刻をしようものなら、タクトでバシーン!何度やっても、思いどうりに演奏できないものなら、タクトでバシーン!・・・とにもかくにも、厳しいT先生であった。先生は、僕らを大人に接するように接した。


僕はその先生の事を今でもはっきり覚えていることが、ひとつある。

T先生の来ているシャツは、きれいに洗濯されているのだが、いつも同じだったことである。

情熱家のT先生のとても厳しい練習でつらいものもあったが、、その同じシャツを見ていると、先生の何かとても質素な部分が、感じられ、とうとう辞めますの一言が言えず、小学校のほとんどの期間を終えた。

子供だったので、よくわからなかったが、T先生は周りの先生からは、あまりよく見られていなかったようだ。ときおりT先生支持派の父兄の話を盗み聞きしたところでは、あまりの情熱家であったため、まわりの先生から、なにやらやっかみみたいなものが存在していたようであった。しかし、こどもだったのでよくわからなかった。

練習はとても厳しく、ほとんど笑わず、常に厳しい接し方をする先生であったが、春休みや夏休みには必ず、こども達を集め、有志の先生方と、僕らをハイキングに連れていってくれた。そういう時の先生は、普段では見られない笑顔で、とても楽しかった記憶として残っている。

とにもかくにも、めちゃちゃくちゃ厳しい先生であったが、先生を悪く言う子供はおらず、僕らは強い絆でつながっていたように思う。僕が、5年生になったと同時に、先生は転勤で別の学校に移動となった。先生のいなくなったブラスバンドは、自然と消滅してしまい、僕の小学校生活の最後の1年は、早起きをせずに済んだのだが、めちゃくちゃ寂しかったのを今でも覚えている。

T先生には、今でもお盆と正月には、短いながらも葉書を出している。葉書を出すと、すぐさま返信が返ってきて、先生の音符のような懐かしい文字を、今でも見ることができる。

「教育とは、バケツを満たすことではなく、火を燃えあがらせることである」
ウィリアム・バトラー・イーツ


コメント (2)
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