僕は、食というものにまったくといっていいほど興味がない。
子供の頃、父親は必ず給料日には家族揃って外食につれていってくれた。外食といっても、同時はファミリーレストランや回転寿司などはなかった時代だ。ましてや、しゃれたレストランなどもなかった。
行くところはいつも同じであった。地元の商店街の洋食屋。当時としては少し洒落ていたのかもしれないが、子供だったのでよくわからない。
僕は注文するのはいつも「海老フライ定食」だった。今のような、タルタルソースなどはなく、とんかつソース。その海老フライは子供の僕にはすごく大きく見えた。
香ばしい香り、サクっとした感触、その熱々で甘い味・・今でもはっきりと覚えている。
父と母はカレーライスやもっと安いものをいつも注文していたのを覚えている。僕はまだ小学校の低学年であったが、そのくらいのことはわかった。
たまに、
「僕もカレーライスにしよかな・・」と言うと、母は
「海老フライにしとき、こっちのほうが美味しいで」と、いつも海老フライを注文させた。
大人になって、取引先や上司部下と高級といわれる料亭やレストランに行くこともある。一人何万もするような料理をいただける機会もある。
しかし、どんな有名レストランやどんな有名シェフの料理より、父の給料日に食べさせてもらったあの「海老フライ定食」よりも美味しいと思った料理は未だ食べたことがない。
「子どもの心に残るのは、
親が買い与えてくれたものではなく、
愛を注いでもらったという記憶である。」
(リチャード・エバンス)
子供の頃、父親は必ず給料日には家族揃って外食につれていってくれた。外食といっても、同時はファミリーレストランや回転寿司などはなかった時代だ。ましてや、しゃれたレストランなどもなかった。
行くところはいつも同じであった。地元の商店街の洋食屋。当時としては少し洒落ていたのかもしれないが、子供だったのでよくわからない。
僕は注文するのはいつも「海老フライ定食」だった。今のような、タルタルソースなどはなく、とんかつソース。その海老フライは子供の僕にはすごく大きく見えた。
香ばしい香り、サクっとした感触、その熱々で甘い味・・今でもはっきりと覚えている。
父と母はカレーライスやもっと安いものをいつも注文していたのを覚えている。僕はまだ小学校の低学年であったが、そのくらいのことはわかった。
たまに、
「僕もカレーライスにしよかな・・」と言うと、母は
「海老フライにしとき、こっちのほうが美味しいで」と、いつも海老フライを注文させた。
大人になって、取引先や上司部下と高級といわれる料亭やレストランに行くこともある。一人何万もするような料理をいただける機会もある。
しかし、どんな有名レストランやどんな有名シェフの料理より、父の給料日に食べさせてもらったあの「海老フライ定食」よりも美味しいと思った料理は未だ食べたことがない。
「子どもの心に残るのは、
親が買い与えてくれたものではなく、
愛を注いでもらったという記憶である。」
(リチャード・エバンス)
2005年に書いたものになります
今ちょっと親との関係に悩んでいるので、このリチャード・エバンスの言葉はおもたいです。